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第9話 適性再評価

 朝の教室は、いつもより静かだった。


 窓際の席で、律が頬杖をついていた。

 目だけが、わずかに動いていた。


 ホームルームの直前に、黒瀬先生が後ろの扉から、ふらっと入ってきた。


「アマテラスは、二限のあと、測定室に降りる」

「えっ、再評価ですか!? はやくないですか!?」

 こはるが、椅子の上で半回転した。

「先週、八体撃った。データが揃った」

「揃っちゃったかー」

 こはるが、両手でほっぺたを挟んだ。

 挟んだまま、こちらを見た。


「あかり、覚悟は」

「いや、こはるの覚悟が、いる感じ?」

「あたしの観、上がってない気がするんだよねぇ」

「念だよ、こはるは」

「あ、そっか」


 真広が、後ろから笑った。

 戻ってきた、いつもの笑い方だった。


 ……それで、いい。

 いいんだけど。


 頬の内側が、つっぱっていた。

 昨日、ここまで力を入れた覚えは、ない。


    ◇


 測定室は地下二階にあった。

 地下三階の訓練場より、一階分だけ明るい。


 白い壁の真ん中に、白い卵が四つ並んでいた。

 測定ポッド。

 扉が内側に向かって、すうっと開く。


「順番に入れ。出力に触るな。瞬きは、いつもの速度で」


 黒瀬先生の声は業務的だった。


 律が先に入った。

 扉が閉まった。

 白い卵の外側に、薄い線が一周、走った。

 走って、消えた。それだけ。


 次がこはる、真広、最後に私。


 ポッドの内側は、思ったより、狭くなかった。

 ただ、どこに目を置いていいのか、わからなかった。

 壁の継ぎ目が、ない。


 頭の後ろのあたりに、何かが触れた。

 触れた、というより、私の側が、合わせに、行った。


 ……ああ。


 私の輪郭を、私が、外側に向かって、なぞり返している。

 なぞって、差し出している

 骨の隙間まで、自分から、開いていた。

 自分の骨が、他人の標本みたいに、克明に見えた。


 冷たい、わけじゃない。

 体温だけが、私の知らないところに、置かれていた。


 扉が、開いた。


 息を吐いた。

 吐いた息が、自分の口の形をなぞる感じは、今日はなかった。

 ……ない、ということが、こわかった。


    ◇


 結果は、廊下に出てすぐだった。


 四人の前に、それぞれ、薄い光の板が浮いた。

 3Dビジョンの適性認定通知書だ。

 外側から見える層に、名前と、総合能力。


「うっそ、上がってる、こはる、C-!」

 こはるが、自分の板の前で、ぴょん、と跳ねた。

「あたし、D+どまりだと思ってた!」

「念。盤面が、変わった」

 律が、短く言った。律の板も、すでに切り替わっている。総合、上がっていた。

「俺もちょっと、上がったわ」

 真広は、自分の板を、片手で軽く回した。個人層を、こちらに、向けてくれた。防の値が、退院前より一段、明るい。


 私は、自分の板を、見た。


 薄い光の中に、文字が、並んでいた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  天瀬あかり | 総合能力:D− → C

  ─以下、個人情報(本人・教員のみ表示)─

  特性値:攻 D−

      防 D− → D

      念 D− → C−

      観 D → C+

  能力 :(判定中)

  成長率:(判定中)

  適合率:C+

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 ……観。

 三段、上がっていた。


 指先が、板の縁を、知らないうちに、握っていた。

 息継ぎが、一度、抜けた。

 まばたきの、間隔が、揃いすぎていた。


 目の奥が、少しだけ、遠くなった。

 遠くまで見える、じゃない。

 遠くにいる何かと、目の位置が、近づいた。

 覗くほど、覗き返される距離まで、私の目が、勝手に降りていた。


 念も、上がっている。

 支援科の私の、念が。

 私の領分じゃないところが、二段、上がっていた。


 成長率の欄に、目を、戻した。


 ……(判定中)。


 あ、と、口の中で、声にならない音が漏れた。

 能力の欄も、相変わらず、(判定中)。


 判定中が、ふたつ。

 数字や記号で割り切られた私の中に、ふたつ、正体不明の穴が空いていた。


 ……強くなった。

 強くなった、ということだけは、わかる。


 頭の奥で、何かが、次の手順を、勝手に並べはじめていた。

 並べているのは、次の戦い方だった。

 左から崩す手順。半拍を取る位置。

 効率よく、無駄なく、という言葉が、私の語彙じゃない場所で、組み上がっていた。

 並べろ、なんて、命じてない。


 ……。


 いま、私、何を、考えた。

 お姉ちゃんを、回収する手順を。

 左から崩す、と、同じ並びで。

 お姉ちゃんが、座標になっていた。

 吐き気が、お腹の底から、上がってきた。


 ……。


「出世じゃん!」

 こはるが、私の板を、横から覗き込んできた。

「あかり、総合C! Dから一気だよ!」

「……うん」

「観、見せて見せて、あ、見せれない、いいや、顔で察した!」

「顔って何」

「したり顔!」

「してない」

「してるしてる」


 真広が、私の頭を、ぽん、と叩いた。


 人の手の温かさが、異物のまま、遅れて届いた。

 届いてから、馴染むまでに、一拍、かかった。


「お前、前に出てんな」

「出てない、ですけど」

「いや、認定通知書が、そう言ってる」


 ……前に。

 前に、出てる。


 立ち上がりかけたものは、悔しさじゃなかった。

 もっと、深く、潜れる、という、冷たさだった。

 ……それが、私のものだとは、思えなかった。


 その冷たさが、視線に、止められた。


 律が、私を見ていた。


 律の板にも、こはるの板にも、真広の板にも、光は当たっていた。

 でも、律だけは、自分の板を見ていなかった。

 律の目は、私の目の、もう少し奥を、見ていた。


 目が、合った。


 一往復。

 それだけ。


 律は、ふい、と窓のほうに目をやった。

 何も、言わなかった。


 ……何も、言わなかった。


 頬の内側が、また、つっぱった。


    ◇


 放課後の通学路は、空が、よく晴れていた。


 駅前の交差点で、信号が変わるのを、待った。

 足元の影が、はっきりしすぎていた。

 影の縁が、固かった。

 アスファルトにナイフで線を引いたみたいに、内と外が分かれていた。


 ……前は、こうじゃなかった、気がする。

 もっと、にじんで、たよりなかった気がする。


「ねえ、あかり」

 隣で、こはるが空を見上げていた。

「さっきさ、3Dの光、あかりの板だけ、目に当たるとき、なんか」

「なんか?」

「……目、光らなかった?」

「光らないよ」

「だよねー」


 こはるは、それで終わりにした。

 信号が青になった。

 二人で横断歩道を渡った。


 渡りながら、自分の足音がやけに硬く響いた。

 隣のこはるの足音はふつうにやわらかかった。

 半歩の距離なのにこはるの体温がすぐ隣になかった。


 ……たぶん、よくない。


 別れ際、こはるが、駅の改札のところで、振り返った。


「あかり、認定通知書、おめでとー!」

「うん」

「ねっ、たまには、ふふんって、して?」

「しないよ」

「ちぇっ」


 ちぇっ、と言いながら、こはるは手を振って、改札に消えた。


 律は、別の電車だった。

 私と律は、改札の前で別れた。


 別れ際、律は何も言わなかった。

 手も上げなかった。

 ただ、私の目をもう一度だけ見て、それから、ホームの階段を上がっていった。


 その一度が、今日の律の、たぶん、ぜんぶだった。


    ◇


 玄関の鍵を回した。


「ただいま」

「あかり、おかえり」


 台所の方から、母の声。

 いつもの、間延びした「おかえり」。


 靴を脱いで廊下に上がった。

 台所を覗くと、母がまな板の前で人参を切っていた。


 とん、とん、と、規則正しい音。


「お母さん、今日、再評価、あって」

「再評価」

「うん、能力の、測定」

「ふうん。どうだった」

「総合、上がった」

「あら」


 母は手元を見ずに、包丁を動かし続けていた。

 その両目だけが、私から離れなかった。


「あかり」

「うん?」

「目、疲れてない?」

「……疲れて、ない、よ」

「そう」


 とん、と、また人参がひとつ落ちた。


 母はそれ以上聞かなかった。

 聞かないまま人参を全部切り終えて、まな板をシンクで軽く流した。


 流しながら、母が片手で、私の額に触れようとした。

 触れる前に止めた。

 止めて、笑った。


「熱は、なさそうね」

「ない」

「うん」


 母の手は結局私には触れず、エプロンで拭われた。


 ……触れられなかった。

 それが、少しだけ寂しかった。


 でも、母の目はずっと、私から離れなかった。

 包丁の音の中で、ずっと。


 総合能力が上がった日だった。

 誰も、褒めなかった。

 褒めなかった、というより、褒める前に、目を、見ていた。


 部屋に上がる階段の途中で、一度、足を止めた。


 手すりに、手を置いた。

 腕輪が、手すりの木の温度に、馴染まなかった。


 階段の踊り場の小窓から、夕方の光が、斜めに入っていた。

 私の手の甲に、その光が当たって、小さな影を作った。


 影の縁が、今朝より、もう一段、はっきりしていた。


 二階に上がって、自分の部屋の扉を、閉めた。


 閉めてから、しばらく、扉の前に立っていた。


 頭の中は、静かだった。

 いつもの一文が、今日は、降りてこなかった。

 何も並ばない。

 何も判定されない。

 その空白だけが、私の中で、きれいに測られていた。

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