第二話 自殺大作戦・2
部屋の中。小さく狭い部屋の中。薄暗い部屋の中。そこに紅葉はいた。
壁には窓がない。後ろにはドアがある。このドアの外には何があるのかを紅葉は知らない。天井には小さな電灯が微かな灯りを灯していた。部屋は薄暗いが、その割には視界がはっきりしているのがやや謎だった。つまり夢であるということだった。
部屋の中央には洋風の白い小さな円形のテーブルが置いてある。椅子はない。紅葉はそこへ歩いていく。
テーブルの上には小さな黒い拳銃があった。
しかし、“小さな黒い拳銃”であることしかわからない。さっきの十三ではないが、紅葉も銃器の知識はない。そのため具体的な形状として現れなかったのだろう。とにかくテレビや漫画でよく見るイメージとしての拳銃がそこにあった。これがオートマチックなのかリボルバーなのかもよくわからない。グラフィカルにイメージできないのだから仕方がないし、テレビや漫画でよく見る拳銃の設定を紅葉はそこまで追ったことがなかった。
が、しかしそれが拳銃であることは間違いなかった。おずおずと手に取る。ちょうどいい重さ。グリップを握る。引き金がある。ただ安全装置はなかった。紅葉の銃の知識に安全装置というものがなかったためだ。要するにその小さな黒い拳銃は銃身と、引き金と、グリップがあるだけであり、そして中に弾丸が入っていることは、紅葉にはわかる。
今ここは夢の中。明晰夢の中の世界。とてもそうは思えなかった。それほどまでにリアルな実感を伴っていた。しかし、さっきまで十三と一緒にいたのに今、こんな部屋にいつの間にか移動していること自体が夢であることを表している。
この夢の中で死んでしまえば、現実世界でもきっと恐れることなく死ぬことができるだろう、と、紅葉はときめいた。無論、痛みや苦しみはあるかもしれない。しかしとにかく勢いがつくはずだと紅葉は思った。今ここでこの拳銃で頭を撃ち抜いて——自分は死ぬ。夢の中の死。それはきっと、リアルの世界でも死を招くことになるはずだと、紅葉は思った。
銃口を、こめかみに当てる。なんだか冷たさを感じる。この冷たさが物理的なものなのか、それとも精神的に感じられるものなのかはよくわからない。
夢の中とはいえリアルな世界であり、紅葉はちょっとだけ色々なことを考えた。ある意味では走馬燈が走ったと言えるだろう。料理の夢と、かわいい愛猫と、大好きなあの人……全てが消えてなくなってしまった今、自分には何もない。学校へ行かせてくれず、自分たちの“普通”という名の理想を押し付けてきた両親への恨みもあるが、それも今となってはどうでもいい。自分が太っていて、不美人として生まれてきたことの哀しみや切なさもあるが、それも今となってはどうでもいい。このまま自分は引き金を引く。この人差し指を動かせば、銃口から弾丸が飛び出してきて、自分の頭を、脳を撃ち抜いてくれて……そして自分は死ぬ。その死のリアリティは、きっと現実の世界でも有益に働いてくれるだろう……。
やがて、紅葉は、引き金を、引く。
バン! とあまりにも大きな音が聞こえたのち……。
「あ、あ!」
紅葉は床の上でのたうち回った。痛い。物凄く痛い。血が流れる。どうして死ねないの。夢の中でこめかみに弾丸を、銃を、撃ち抜いて、でも、とにかく痛い、とんでもない痛み、今までの人生で味わったことのない、もはや“痛み”しか自分にはないような気がして……。
「おはようございます」
紅葉は目覚めた。全身に汗を掻いていた。
「え。え?」
「死ねませんでしたね。ちょっと意識を侵食する危険性を感じたので接続をカットさせてもらいましたよ」
「え、え? 死ねなかった?」今、もはや痛みはない。ただ目を見開くことがちょっと止められず、しばらく呆然としていた。「だって、夢とはいえ、銃で頭を」
すると十三は黄色いヘッドホンを外しながら説明した。
「こめかみに撃った場合、最悪、脳を貫通しないで骨で止まっちゃうんですよ」
「え?」
「自殺する場合、額に銃口を当てた方が良かったですね」と、十三は右手で銃の形を作り、自身の額に人差し指を当てた。「バン! と。そしたら一思いに死ねたかと」
「は、はあ」
「日本が銃社会だったらやり方わかってましたかねぇ。それとも銃社会だったらさっきみたいにもうとっくに痛み踠きながら死んでいたのでしょうか」
紅葉はゾッとした。そんな彼女を無視して、十三は訊ねた。
「で、どうします? まだ時間ありますけど、もう一回拳銃自殺チャレンジします?」
「いえ、しません!」
と、紅葉はつい大声を出してしまった。確かに十三のアドバイスは頷ける。しかし、だからと言って額を撃ち抜けば確実に、いや、絶対に死ねるかどうかの保証はないし、何といっても失敗した直後である、同じように拳銃自殺を図る気は失せていた。それは圧倒的な恐怖だった。
とんでもない、あまりにもとてつもない痛みだった。明晰夢の中だけあってあまりにもリアルな痛覚を自分は感じていた。今、この現実世界においてその痛みは全く亡くなっていたが、だからあんな痛みを感じたくないがために今日ここで自殺のテストをしにきたのに話が違うと半ば十三に怒りを覚えていた。しかしその怒りが一方的な怒りであることもわかっていたため、紅葉は気持ちを処理するのにちょっと時間がかかり、やや頭を抱えた。
「頭痛ですか」
「ちょっと、ちょっと待っててください。気持ちを落ち着けたくて」
「自殺は落ち着いたら終わりだと思いますけどねぇ」
「いいから」
「はい」
なんて能天気な人だろう。あんたのせいで私はありえない痛みを感じたのに……と思ったがそれを望んだのは自分であり自分の知識不足が原因なので、十三に怒りを覚えるのはちょっと自分勝手だと思い、とにかく紅葉は、しばし頭を抱え、やがて十三に目をやった。
「大丈夫です」
「あ、やめます?」
「いえ、また死にます」
「はい、わかりました」と、十三は足を組んだ。「では次はどんな死に方を?」
「そうですね……」
しばし逡巡した後、十三が白衣を着ていることにふと気づき、思いついた。
「毒がいいです」
「毒ですか」
「どんな毒がありますかね。毒の知識はなくて」
「銃もそうですけど毒もわかりませんねぇ。でも、そういえば子どもの頃読んだ漫画で、青酸カリはショック死ってありましたね」
「じゃ、青酸カリで」
「ふむ。飲むタイプ? それとも注射器でしょうか」
「カプセルで。錠剤とか粉薬は苦そう」
今度こそ確実に安らかな死を、と思い、紅葉は計算をするのだった。
「では、それで行きましょう。頑張って死んでください」
なんかちょっとイラッとするな、と思いつつ、紅葉は再びベッドに横になる。
横目でヘッドホンをかけ、スイッチを入れる十三を見て、ちょっと思った。
この人はなんだか、やりたいことをやれていて、いいなぁ、と。
とにかく『眠れ良い子よ』のメロディが流れ始め、自分は眠りの世界へと落ちていく。今度こそ安らかな死を。水で、カプセルで、飲んで、青酸カリで、ショック死する。そしたら痛みも苦しみもなく逝くことができるだろう。今度こそ自分は、死ぬことができる……そんなことを考えた辺りで、紅葉は睡眠に突入した。




