第一話 もしも願いが叶っても・4
「どうでしたかね」
椅子に座ってこちらを見る十三に、何だか疲れ果てた八紘は感想を述べた。
「リアルな悪夢でした」
「それは、現実感があったってこと? それとも生活感があったということですか」
「どっちもです」
「ふむ。あなたの夢見ていた音楽生活がなかなかリアルだったんですね」
「夢見ていたっていうか……」八紘は頭を掻いた。「夢は叶ったっぽいんですが」
「観察させてもらった結果、想像通りのミュージシャンだったのでは?」
しかし八紘は悩ましい。
「もうちょっと、こう、素敵な感じが良かったんですが」
「それはあなたの深層心理がそこまで音楽生活に素敵さを感じてなかったんでしょうね」
はて、と、八紘は訝しむ。
「深層心理。なんかさっき真の願いがどうとか言ってましたけど」
「はい」と、十三は説明を始めた。「デジタナ理論は、深層心理を擬似的に客観視し、それを他の各種コンピュータとリンクさせるという理論です。そしてそれをこの実験の後作成を計画している装備デバイスで周囲情報を共有しあって簡易的にコントロールする。表層意識と深層心理、前意識と無意識とか、そういうものを各目的を恣意的に遂行するために擬似的に一本化させることで日常生活を送るということが目標で、だから例えば万引きとかそういうことを不可能にします。最終的には、そうですね、お金がなければそもそも店にアクセスできないとか、そういうシステムになるでしょうか。要するにこの実験は、どこまで自分の夢あるいはやりたいこと、そして周囲の環境とのアクセスから自分のやるべきことを自分自身の意思でコントロールできるか、という実験なのです」
わかるようなわからないような。
「はあ」
「ちなみに……デジタナを例えば犯罪とか軍事とかに応用されることは絶対に避けなければならないので既にブラックボックスは作成済みなんですがね。それについてはトップシークレットなんですけども」
「ふむ」
「で、まあ、したがって、今回の一種のシミュレーションから推測するに、あなた自身がそんなにご自分で思っていたほど音楽生活あるいは芸能人生活を素敵なものだと思ってなかったんでしょうかね」
「……う〜ん……」
リアルな日常生活であった、というのは正直な感想ではあった。確かに金を稼ぐということは自分のペースでやるものではないし、与えられた仕事に応えるのがプロである。しかし、それによって自分の精神が崩壊するのは絶対に避けなければならないはずだ。
プロのミュージシャンならびに芸能人の人たちは、こんな苦労を日々しているのだろうか。
とてもそうは思えなかったが、しかし、そう思えるのも事実である。売れっ子は売れているということであり、それは需要が多くあるから供給も多くあるということだ。芸能人の場合、自分自身が商品なわけだから、自分自身が動かなければならない。しかし……憧れのあのミュージシャンも、大好きなラジオパーソナリティのあのアイドルの女の子も、こんな絶体絶命の日々を送っているのだろうか。あるいはその無茶を効かせるためにドラッグに手を出したりしているのだろうかまさか……。
「芸能界の闇というのはよく聞く言葉ですけど、まさか本当にこんなわかりやすい闇の中で皆さん光り輝いているのでしょうか」
ふと漏らした八紘の言葉に、十三は、うーん、と唸った
「ですから、あなたが実のところそういうものだと思ってたってことでしょうね、芸能界のことを」
「うーん……」
腕を組んで考えるが、しかしさっきの夢はあくまでも自分自身の夢である。実際のところはどうかわからない。ただ、今のリアルな悪夢によって八紘がミュージシャンという職業ならびに芸能人という人種に、実感としてそんなにときめきがなくなっていっているのは確かだった。
だからこれはこれで、擬似的な経験とはいえ良い経験になったとは言えるのかな、と、ちょっと寂しいながらも素直にそう思う。これで音楽が諦められるのなら、それで良かったんだろう、と。八紘は想起する。自分の人生の選択肢は全て正しかった、もし間違いでもその選択肢を選ぶことは間違いだったと勉強できたわけだから、一旦選んでみて良かったのだと。そんな話を思い出し、八紘は天井に腕を伸ばした。
「ところで体調不良に陥ってますかね」
と訊ねてきた十三に、八紘は答えた。
「あまりにリアルな悪夢だったんで、ちょっと鬱ですけど、大丈夫です」
「被験者の方々で体調不良の連絡をした方はいませんね。ややしばらく不調かもしれませんけど悪夢を見て精神疾患になるのは稀です」
考えてみれば自分が被験者第一号なはずはないな、と、八紘は思った。
「はい」
「で、どうしましょうかね。まだ時間ありますけど、やります? 天才になってみたかったとおっしゃってましたけど」
という十三に、八紘は訊ねた。
「何分ぐらい経ったんですか?」
「十分です」
「十分?」
「夢ですから」
「なるほど。で、時間があるならもう一つやりたいですね」
もういい年齢だし、色々なことを諦めるための手段としてこのシミュレーションは使えるのではないかと何となく八紘は考えたのだった。やっぱり今の会社員生活にときめきはないがそこそこ贅沢な暮らしができているし、これを狂ったミュージシャンライフなどで潰すのは勿体無いし異常な話だ。もし天才になれていたら? そんな馬鹿馬鹿しい子どもじみた夢も諦めたかった。自分は諦めが悪い。だから今の見事なまでに穏やかな大企業勤めの自分がつまらないのだろうと八紘はそう思った。
「それは良かった。こちらとしてはサンプルが増えるのはありがたい限りです。で、次は——天才ですか?」
「博士のような」
と、ちょっと冗談めかして言ったつもりだったが、しかし十三は柔和な笑み自体は崩さなかったものの目を真剣に光らせて言った。
「私は環境に恵まれていたものでね」
八紘はスムーズに反論した。
「いやいや。こんなすごいことができるんです、やっぱ才能があるんですよ」
「才能はあると思います」
八紘はその発言に内心ちょっとムッとしたが、さっきの明晰夢実験から才能があるのは認めざるを得ない。
十三は続けた。
「誰もがあらゆる才能をほんのちょっぴりだけ持ってるものです。それを見つけてくれて、育てて、鍛えさせてくれた人々に、特に親に感謝しています」
「……ふーん」
親に感謝ねぇ。
考えてみれば、自分も小学校のときに学年トップで、それから親が中高一貫の私立に行かせてくれたんだっけ、と、八紘は思う。
しかし、思う。自分は受験などしたくなかった。友達たちと一緒に公立の中学校に行きたかった。しかし親に教師に反抗できなかった。だから無理やり勉強させられた。それまで自分のペースで通信教育を楽しんでやってきたのに無理やり予備校に行かせられた。それでだんだんと勉強が嫌になってきた。それまで勉強が好きだから勉強をしていたのに無理やりやらされることで嫌いになってきた。それでも受験を突破できたわけだから自分には勉学の才能があって親がそれを見つけて育てて鍛えさせてくれたとは言えるのだろう。しかしそれでめっきり勉強への興味がなくなり、それで中2のときから落ちこぼれになっていって、やがて音楽に目覚めていったことを思い出す。結果的にはそのまま有名大学に進学し、そして就活も特別苦労することなく大企業に入れたのだから今の自分の人生があるのは親のおかげとは言えるのだろうがしかし八紘は、面白くなかった。
俺の人生って何だったんだろう。
しかしさっきのシミュレーションで子どもの頃の夢もほぼ潰えた。
「人生って何なんでしょうね」
と、なんとはなしに八紘は呟いた。
「自分の意志で切り開くものですかね」
と答える十三に、ちょっと八紘は意地悪をしてみようと思った。
「今、戦争中だったり、飢餓の真っ最中だったりの人たち子どもたちにそんな余裕はないでしょ」
「切り開ける余地があるなら切り開かないと。じゃなきゃ、少なくともせっかく穏やかな日本で生活ができているのなら勿体無い」
日本だってだんだんちょっとヤバくなってるんじゃないの、とは、何となく八紘は言わなかった。
「そうですか」
「というわけで次、やりますか」
「はい」
と、八紘は再びベッドに横になった。
「では——いきますよ」
と、十三は再びマシンを動かす。例のメロディが流れる。
八紘は考える。
——勉強が大好きなままの自分だったら、今頃は……?
やがて、眠りに、就く。




