第三話 暴力歌・3
そのうち部活の練習が終わり、先輩部員たちはゾロゾロと校舎の屋上から教室へと戻っていく。一人残された時成は息も絶え絶えだった。先輩たちは自分の記憶がそのまま表現されていたのに対し、自分は三十五歳の肉体のイメージが維持されていたのでそれだけ中学生の応援部の練習は疲労困憊に陥るに相当なものだった。
はあ、はあ、と、呼気を荒くしながら、時成は横でぼんやりと自分のことを見ている時哉に言った。
「ほら、お父さんも、頑張れた。だからお前も——頑張れ」
「そこまでしなきゃいけないのかなぁ」
「だからお前は……」
と、疲労が半分、呆れ半分を大袈裟に表現しようと時成はやや大きめのため息を吐く。
「学校でぐらい頑張れなきゃ、社会に出てからやっていけないぞ。お父さんも会社でいつも頑張ってるんだぞ」
「いつも?」
「そうだぞ」
“このまま”。
そのまま場面は瞬時に時成の勤務する商事会社のオフィスへと移った。
いつの間にか自分の席に座ってパソコンの画面を見ながら時成は時哉に問いかける。
「どうだ。これが会社の風景だ」
「ふーんそうなんだ」
「お父さんは営業部の係長だぞ」
「ふーん。それで、その仕事を真夜中までやってるんだね」
そう。午前〇時を超えることはザラだった。仕事はいつまでも終わらず、終わったと思ったら新しい仕事に忙殺される。それが時成の基本的な日常だった。
「ぼく、なんか……お父さんの体が心配だなぁ。心も」
そうは言っても係長の立場がある。できるだけ最後まで居残らなければならない。仕事のために。でも、今の時哉の言葉が胸に突き刺さった。我が子が自分を心配している……その、考えてみれば味わったことのあまりない感動が、ちょっと自分自身の仕事風景を客観視させる。
業務そのものはさほど複雑で難解なものではないし、職場の人間関係も良好かつ円滑に進められている。しかしいつだってハードワークでありいつまでもハードな日々が続いており、時成は自分の会社をブラック企業だと感じていた。その原因は主に取引先のせいである。しかし職場内は善人揃いのため罪悪感から時成は抜けるに抜けられないという状況に陥っていることを思いながら、ひたすら働き続ける。
「お父さん、楽しい?」
「仕事は楽しいとか楽しくないとかじゃないんだぞ」
「じゃ、キツい?」
「それは……仕事というのは、何だってキツいものだぞ」
「じゃあ——幸せ?」
幸せ。……という感情は、ない。無邪気に問われて改めて自分が幸せな社会人ではないことを悟る。
「なんか、とっとと転職しちゃえばいいのにって思っちゃうな」
考えてみれば自分はまだまだ三十五歳であり、そこそこの大学を出ているし、資格の取得が趣味なのもあり転職するのはさほど困難ではないような気もするがどうしてもその一歩が踏み出せないということを考える。もし転職できなかったら? 再就職できないまま日々が続いていったら? そう思うと、どうしても今の会社にしがみつこうとしてしまう。実際問題、仕事は……何とかなる、とは、思うのだが。
しかし愛する我が子に“嫌だから辞める”という弱音を吐くのは嫌だった。それでは父親の威厳が保てない……。
「時哉。お父さんは、親として、息子に、大変なこともしなきゃいけないってことを教えてあげないといけないんだ。このシミュレーションは夢の中とはいえお前にお父さんの仕事風景を見せてあげられて良かったと思うよ」
「無理なこともしなきゃいけないの? いつも朝帰りみたいなのって人として無理じゃない?」
「人生はいつだって絶体絶命だし、外に出れば七人の敵がいる」
「そんな生きるか死ぬかみたいなことって日常的にあるかなぁ?」
「そんなことがもしもあったとき、とにかく勝たなければならない」
と、ふとモニターに目をやると、そこには戦地が映し出されていた。
そして場面は戦場へと変わる。
「えっ」
自分は迷彩柄の軍服を着ている。自衛隊の服装と外国の軍のイメージが混ざっているようだった。そして自分は今どうやら陸上戦を担当しているらしい。両手にはライフルが握られている。ライフルであることはイメージでわかる程度で、細かな形状についてはちょっとよくわからない。とにかく今は戦争中の明晰夢のようだった。
「撃て! 撃て!」
上官の言葉に、条件反射的にライフルを撃つ。だからと言って目の前に“敵”がいるというわけではない。上司の命令に従わないわけにはいかないというだけである。
「ど、どうだ時哉」
「何が」
と、時哉は相も変わらず可哀想なものを見る目でぼんやりと自分を眺めている。
「お父さんは戦いに勝って、家族のもとへ帰らねばならない」
「うーん。リアリティないな」
「それはお前、日本の生活で平和ボケしてるんだよ」
「ぼくにはお父さんが好戦的なだけに見えるけど」
そのとき——目の前にミサイルの雨が降ってきて……。
「えっ。えっ」
目の前で爆撃が起こり、巨大な爆風が起こり、それに自分は巻き込まれ——。
「お父さーん」
爆撃を喰らったと思ったそのとき、頭の中で十三の声が聞こえ、次の瞬間、誰もいない部屋のベッドの上で目覚めた。脂汗を掻いている。
「……え」
「お父さん。聞こえますか」
と、声のする方向を見る。ベッドの隣の棚の上にスピーカーが置いてある。どうやら十三の声はそこから聞こえるようであった。
「あ、はい。はい。聞こえますよ」
「とりあえず実験終了です。戻ってきていただけますか」
死の直前、殺される直前に現実に帰ってこられたようで、時成はほっとした。
「わかりました」
と、起き上がる。あまりにリアルな悪夢だった。




