大切な人
悠馬がだいぶ回復し体を動かすのもラクになってきた頃、世間では年越しのイベントに盛り上がっていた。
悠馬が仕事で外出中、沙恵も買出しにと出かけることにした。
事務所の鍵を閉めていると、後ろでコツコツと階段を上がる音が聞こえた。
やがて、目の前に綺麗な女性が現れた。
「森野は、今外出中ですけど。」
沙恵の言葉に、その女性はぶっきらぼうに答えた。
「用があるのは、あなた。」
「?」
女性の後をついて、沙恵はビルを出た。
『私、この人を知ってる。』
ネコを送り届けた時、街で悠馬と一緒に歩いていた人だった。
あの日と同じくかっちりとスーツを着こなし、そこから伸びた足はスラリと長く、歩くたびに香水の匂いがフワフワと沙恵をくすぐった。
『確かに綺麗な人…』
半ばボーっとしながら歩く沙恵に振り向くと、女性は喫茶店へと導いた。
窓際の席を選ぶと向き合って座った。
女性は座るなりタバコを取り出すと、ふかしながら話し始めた。
「ねえ、あなた助手なんでしょ、ただの? あ、コーヒー。」
「ええ… あ、私も。」
その気迫に、沙恵は完全に圧倒されていた。
「じゃあ、悠馬の大切な人って知ってる?」
「え?」
「知ってるの? 知らないのっ?」
女性の勢いは増した。
「! し…知らないです。」
「はぁ〜…」
女性は大きくため息をつくと、出てきたコーヒーに口を付けた。
「そっか。 私はアヤミ。…まぁ、あなたじゃないとは思ってたけど。」
「あの、どういうことですか?」
沙恵は訳が分からず混乱していた。
アヤミは冷めた目で、沙恵をジッと見つめた。
「それにしても、あなた地味ねぇ。」
「!!」
沙恵の心にグサリと刺さった。
彼女はここ数年、お洒落や着飾るといった類のことには無縁の生活を送っていた。
いつもすぐ動けるように軽装を心がけていたし、化粧もほとんどしなかった。
「………」
赤くなってうつむく沙恵に、アヤミは続けた。
「ま、ライバルが減って嬉しいけどね。 あいつさ、この前『一緒に指輪選んでくれ』って私を誘ったの。 こっちはさ、てっきり自分にくれるものだと思うじゃない? ところがよ、アイツったら、『あれは、一番大切な人にあげるんだ』って。 失礼しちゃうわよ、全く!!」
怒涛のように話してホッとしたのか、タバコをもみ消すと、
「あなたもいいように使われて終わりよ、きっと。 じゃ、帰るわ。」
と席を立った。
あっけに取られている沙恵は1人残された。
「あっ、コーヒー代…」
と我に返った時には、すでにアヤミの姿はなかった。
街の中をぶらぶらと歩きながら、沙恵は色々と考えていた。
『大切な人って… 指輪を渡したいと思うほど、大切な人が、悠馬にはいるのか…』
悠馬は、普段からあまり仕事のことは話さなかった。
女性との対話も、本気とも冗談とも取れる態度で、沙恵にはよく分からない間柄ばかりだった。
女性と2人で出かける姿を見るたびに、いったい彼らはお互いにどう思っているのかと考えながらも、次第にそれに慣れてきている自分もいた。
だから、敢えてその中に本当の恋人がいようとも、きっと悠馬は自分には話さないだろうとも思っていた。
だいたい、階は違えど一緒に住むような関係になってから、既に1年は過ぎた。
それなのに悠馬は、全く手を出さない…。
多少肩や頭を軽く叩いたりはするし、あとは、頬にキスをされた位か…。
自分は問題外…
「あ”−−!!」
沙恵は急に大声を上げてみた。 通りを行く人が沙恵を見た。
『考えても仕方ないや!』
自分には関係の無いこと、と、沙恵は結論付けることにした。




