その8
触れ合う手と手、募る想い。目が合うたびに胸がときめく。
たいちょーさんは最初に誰と踊りますか?
心の中で尋ねるもその声は決して届かない。
ふとフェリックスの足が止まり、ミシェルは不思議そうに見上げた。
「どうしたんですか?」
「今日はこのくらいにしよう」
あんなに楽しんでいたのに、ミシェルの表情が浮かない。彼女のことだから無理しているのではないだろうか。
リビングに戻ると、フェリックスはミネラルウォーター片手にソファーに座った。喉を鳴らして美味そうに飲む彼をミシェルは隣で見つめる。フェリックスは視線を感じてペットボトルから口を離した。
「なにかあったのか?」
「なにもありません」
「本当か?」
「はい」
身を乗り出してミシェルの瞳を覗きこむ。大抵はこれで白状してしまうほど、心の中まで見透かされるダークグリーンの鋭い瞳。ミシェルははぐらかすように話題を変えた。
「たいちょーさんはパーティーに参加しますか?」
「勤務次第だ」
「忙しいんですね」
「これでも隊長だからな」
「立派なたいちょーさんってクリスさんがおっしゃってました」
クリスの名を聞いて、フェリックスが思い出したかのように言った。
「オレガレン少尉を誘えばいい。楽しみにしていたぞ」
「クリスさん……ですか?」
「彼もダンスが得意らしい」
部下への気遣いが思わぬ展開を生み、すれ違う思いにミシェルの心が痛い。一瞬だけ見せた寂しげな表情にフェリックスの胸もちくりと痛かった。
ダンスパーティー当日、ミシェルは『dole cane』にいた。モニカからドレスを借りる予定がいつの間にかドレスアップ講座になっていた。
「ほら、目を閉じて」
「は、はい」
「次は口紅ね。少し顎挙げて」
「んー」
言われるがままに従い、「どう?」と鏡を見せられると大人っぽい姿に照れる。
「少し派手じゃないですか?」
「会場の女性達はもっと派手なんだから。むしろ地味な方だわ」
そう言えば、モニカも気合が入っているのかいつもより化粧が濃かった。
「髪はアップにしてみる?」
モニカがミシェルの長い髪を束ねてみせる。なんて答えたらいいか戸惑っているうちに、モニカはヘアピンで手早く留めて仕上げていく。小さな花の髪飾りを刺してミシェルの両肩に手を置いた。
「お疲れ様。うん、我ながら上出来!!」
慣れないパンプスによろめくミシェルを支えて姿見の前に連れていく。見たことのない艶やかな自分にミシェルの顔が輝いた。
「これがわたし……?」
「世の男が放っておかないわね。隊長さんに怒られるかしら」
「たいちょーさんは来ないかもしれません」
結局、当日の朝になってもフェリックスは「来る」とも「来ない」とも言わなかった。ただ「来たくない」とは言わなかったので希望はある。
「きっといらっしゃるわよ。わたしが首に縄付けてでも連れてくるから」
「うふふ、ありがとうございます」
本当に実行しそうなので思わず笑いが漏れる。
「さあ、参りましょうか。お姫様」
「はい、モニカさん」
二人は笑いながら店を出た。
空を見上げると、『晴れのち曇りところによって雨』の天気予報が当たったのかどんよりしている。不安な気持ちを吹き飛ばすように、吊るされた雪洞が広場を明るく照らした。モニカの話通り、街は着飾った若者たちで溢れかえっている。
賑やかな場に押され気味のミシェルは辺りをしきりに見渡していると人にぶつかった。
「すみません」
「いえ、こちらこそ……ってミシェルちゃん!?」
聞き覚えのある声だと思ったら軍服姿のクリスだった。
「クリスさん、こんばんは」
「いやぁ見違えたよ」
改めて見るミシェルは、髪を結い上げて化粧を施し淡い紫のパーティードレスに身を包んでいる。今夜の彼女は元気いっぱいの女の子ではなく色香漂う淑女だ。あまりにも凝視するものだから、ミシェルの頬が赤らんだ。
「コールダー隊長は?」
隣にいたモニカがすかさず尋ねた。「それが……」とミシェルの期待する瞳にクリスが口ごもる。
「間に合わないかもってミシェルちゃんに伝えるよう頼まれたんだ」
「そうですか……。たいちょーさん、忙しいですものね」
やはり彼とは踊れなかった。一生懸命ダンスを練習して精一杯おしゃれして……、報われなかった想いにじわりと熱いものがこみ上げる。
と、ここで最初の曲が流れ始めたので、言い伝えを知る者は一目散に想い人へダンスを申し込む。
「ミシェルちゃん、よかったら俺と……」
「あ、そうそう。ミシェルに頼むことがあったんだったわ」
モニカが間を割って入りミシェルを連れ出した。「ええっ!?」と不服な声を上げるクリスに背を向けてミシェルに耳打ちする。
「いいこと? 誰とも踊っちゃだめよ。隊長が来るまで待っているのよ」
「でも、たいちょーさんは来れないかもって」
「彼じゃなきゃ意味がないでしょ!?」
モニカの強い口調に、ミシェルは気後れして小さく頷いた。必ず連れてくると言い残してモニカは人ごみに消えていった。
警衛隊の待機室でフェリックスは腕時計を見た。広場では今頃ダンスパーティーの真っ最中だろう。ミシェルはどうしているだろうか。最後まで口にしなかったが、一緒に踊ってほしかったはずだ。もちろんフェリックスもそばにいてやりたい。そうでなければ、どこの馬の骨か分からない男にミシェルのパートナーは任せられない。クリスだけでは頼りなく、マシューはいいボディガードだがいらぬ災難を背負ってきそうだ。
それに、こんな夜は純粋にダンスだけで終わらずトラブルが起きる確率が高い。パートナーを巡っての口論、アルコールが入ると小競り合いが乱闘に発展するケースも多い。民間人同士なら警察、軍人なら警衛隊の管轄になるのでこうして待機しているのだ。
不意にバイブで知らせる携帯電話の着信でフェリックスの表情が引き締まったが、モニカの声にわずかに緩んだ。
「なにか?」
『まだ勤務中ですか?』
「ああ」
モニカといえばミシェル、こちらも問題発生かと身構える。
『ちょっとの間でいいですから、広場へ来れませんか?』
また腕時計を見た。ダンスパーティーも中盤に差し掛かる頃だ。「難しいな」と答えると、電話口からため息が漏れる。
『ミシェル、踊らずにずっと待っています。楽しみにしていたのはコールダー隊長もご存知でしょう?』
自分がいなくてもそれなりに楽しんでいると思っていた。
『ミシェルには今しかないんですよ』
フェリックスははっとした。今年は無理でも来年がある、安直な考えを見透かされた気がしたからだ。ミシェルが人間ならそれでもいい、だが彼女は犬で将来は分からない。
『わがまま言ってすみません』とモニカからの電話が切れた。行くべきかしばらく迷っていると、ドタバタとマシューが入ってきた。
「とうとう降ってきやがった。こりゃパーティーも中止だな」
マシューの濡れた戦闘服に、フェリックスは窓に視線を移す。ぽつぽつと窓ガラスを雨粒が叩いた。来ないかもしれない自分のために誰とも踊らず終わってしまう、まるでミシェルが泣いているように感じた。
やはり行こう。椅子から立ち上がった矢先、部下が若い男二人を連行してきた。




