その7
リゼットがいなくなって、マシューは早速夕食をたかりにやってきた。ちなみにクリスは勤務のため不在である。
「そういやあ、もうすぐ『あれ』だな。今年はお前さんもミシェルと一緒に参加するだろ?」
食事が済んで、三人リビングのソファで寛いでいると、マシューが思い出したかのように尋ねた。「ああ、あれか」とフェリックスが軽く流そうとしたが、ミシェルの好奇心レーダーに引っ掛かってしまった。
「『あれ』ってなんですか?」
「そうか、お嬢ちゃんは初めてか」
ミシェルが頷くと、マシューはことのあらましを説明した。
年に一度この時期に、街あげてダンスパーティーが開かれる。昔、嫁不足に悩まされた頃、隣町から独身女性を招いて出会いの場として開催したのが始まりだという。パーティーのあとは数組の男女が恋人になったり結婚したり、現在でもカップル誕生に一役買っている。
「部隊の連中も参加するから、そりゃたいそうな騒ぎだ。お嬢ちゃんも参加するといい」
手放しで喜ぶと思われたミシェルはなぜかしょんぼりしていた。理由を訊くとダンスを知らないらしい。マシューは大きな口の端を上げてにやりと笑った。
「なんだ、そんなことか。だったら隊長殿に教わりな」
こいつ、何を言い出すんだ!? そんな顔でフェリックスは部下を見やる。嫌な予感に視線だけミシェルに移すと、案の定キラキラした目をこちらへ向けていた。
「たいちょーさん、わたしにダンスを教えてください!!」
「私がダンスをするように見えるか?」
「だって、運動神経すごくいいですよね?」
「それとこれとは話が別だ」
「いいじゃねえか。お前さんの歌はからきしだが、ダンスは上手いそうじゃないか」
マシューが余計な情報を挟んできたので、話題はフェリックスの歌に及ぶ。
「たいちょーさんの歌を聞いたことがあるんですか?」
「上手いもなにも軍歌はいつも口パクだったからな」
口パクで下手と判断されてはたまらないが、実際に歌は得意ではなかった。高校のカリキュラムで声楽とダンスの二択に後者を選択したまでだ。講師を招いての本格的な授業で、特にフェリックスは見込みがあるとみっちり指導された。
颯爽と躍る彼のパートナーを射止めようと、躍起になった女子がひと悶着起こして飛び火した苦い思い出がある。
「可愛いミシェルのためだ、ひと肌脱いでやれ」
「脱がなくても大丈夫です!!」
本当に脱ぐのかと勘違いしたミシェルに、マシューは豪快に笑い飛ばした。
そんな彼をフェリックスは怪訝そうに見つめる。少なくとも部下の前でダンスを披露とした覚えはない。あるとすれば数年前に一度だけ、司令官夫人のエスコート役として踊っただけだ。未だに語り草になっているとは夢にも思わなかった。
人の恥を晒すだけ晒してマシューは帰っていった。
フェリックスに漂う不穏な空気を察したのか、ミシェル本人から頼んではこなかった。気落ちした様子で後片付けをする様子に後ろ髪を引かれる思いである。家事やバイトに励む彼女に息抜きも必要だ。フォークダンスなら難しいステップもないから、利発な彼女は短期間で習得できるだろう。
「ミシェル、こっちへ」
フェリックスは顎をしゃくり、ミシェルを庭へ連れ出す。リビングから漏れる灯りが芝生に二つの影を縫い付けた。
「まず、向かい合って挨拶する」
「こう……ですか?」
いきなり始まったダンスの指導に、ミシェルは見よう見まねでやってみる。
「左足から歩き始めて、手を取り合う」
二人の距離が近づき、白く細い指が大きな手に包まれる。及び腰のミシェルの背中にもう片方の手を添えた。
「肘を張って私の肩に置く、そうだ。簡単なステップから教えるぞ」
「はい……」
見下ろすダークグリーンの瞳を見上げる琥珀色の瞳が互いを捉える。
「私が左足を出すから、お前は右足から下がる」
フェリックスは、ミシェルの顔と足元に視線を交互に向けて指導した。ダンス初体験のミシェルをリードすると、ぎこちないながらも体が勝手に動く。
たいちょーさん、踊れるんだ!! やっぱりすごいな。
感動した矢先、彼の足をめいいっぱい踏んづけてしまった。一瞬フェリックスの顔が歪んだが、気にしていない風にダンスを続ける。
「ごめんなさい」小さな声で謝ると「気にするな」と返してくれた。
ミシェルが基本のステップをほぼ覚えたので、一休みして今度はカウントを取って踊ってみる。
「次は号令に合わせていくぞ。一、二、三……」
「ぷぷっ!!」
いきなり吹き出したミシェルに、フェリックスは鋭い視線を向けた。
「何が可笑しい?」
「なんか軍隊の訓練みたいだなあって」
「訓練の方が楽だ」と言いつつ、どこか楽しげだ。やはり、体を動かすのが性に合っているらしい。次第に彼の足を踏む回数も減ってきた頃には、息も合いなんとか形になっていた。
「上達したな」
「たいちょーさんのお陰です」
にっこり笑うミシェルの額にうっすらと汗が光っていた。腕時計を見たら、かれこれ二時間は踊っている。明日もバイトだというので、練習を切り上げてリビングへ戻った。
先にシャワーを浴びたフェリックスは、冷蔵庫から取り出した缶ビールを飲み干す。なんだかんだ言って、一番楽しんでいたのは自分かもしれないと苦笑した。
ミシェルのダンスが目に見えて上達したある日、フェリックスが出勤すると隊長付きのクリスはなぜか涙目で出迎えた。
「おはようございます」
「おはよう。何かあったのか?」
「どうして、俺を誘ってくれないんでしょうか!?」
呆気にとられる上官に、クリスが今にも掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「この前の晩飯はモーガン軍曹が勝手に押し掛けてきたまでだ。オレガレン少尉は勤務だったから今度また来るといい」
「そうじゃなくてダンスパーティーの件です。ミシェルちゃん、練習しているそうじゃないですか!? ダンスなら俺だって踊れるのに」
正直、クリスの存在をすっかり忘れていたフェリックスは罰が悪い。
「私事でオレガレン少尉を呼ぶのはどうかと思ってな」
「なに言ってるんですか!! ミシェルちゃんのためなら、たとえ火の中水の中」
いやいや、それはさすがに無理だろう。
マシューなら必ず突っ込むだろうが、フェリックスは面倒なので聞き流した。これ以上関わると面倒なので、フェリックスは早々に隊長室へ入っていった。
クリスの想いを知らず、バイト中にミシェルはモップ片手にダンスのおさらいをしていると
「張り切ってるわね」
「モニカさんも参加しますか?」
「ええ、お店は休みするわ。ところで、こんな言い伝え知ってる?」
ダンスパーティーで最初に踊った人と結ばれる、いつの頃からかそんな噂が広がり未だに信じられている。
「本当ですか?」
「まあ信ぴょう性はともかく、ロマンがあるじゃない?」
「最初に踊った相手……」
ミシェルは頭にある人物を思い描いて呟いた。
フェリックスとミシェルは今夜もダンスの練習をする。雨が降ってきたので、テーブルを隅に移動してリビングが舞台だ。
二人寄り添って踊っていると、モニカの言葉が耳元で蘇る。最初に踊る相手、それなら目の前にいる黒髪の彼がいい。ミシェルはふと思った。フェリックスはこの言い伝えを知っているのだろうか。




