その9
十数キロ離れた都市で起きた暴動のため、フェリックス率いる警衛隊も出動に備えて待機していた。規模は小さく現地の警察が動いているので、鎮圧も時間の問題ではなかろうか。
深夜一時を回った頃、待機室で待つマシューはソファーにどっかり座って腕を組んだ。目を閉じて今後について思案しているかと思いきや、数秒後には寝息を立てている。
緊張感がないと情報整理に追われるクリスは不満げだが、フェリックスは咎めはしなかった。わずかな時間でも休める時に休む、前線を経験した軍人には当たり前なのだから。
「いつまで続きますかね?」
「さあな」
他の隊員の問いに他人事なのは、自分が指揮したら……と頭の中でシュミレートしているからだ。政府も軍を投入することにより、市民を刺激して被害を大きくしたくはないだろう。
職業病だな。
まるで最悪の事態を期待する自身を嘲笑う。
いずれにせよ長丁場になるので、交代で休むよう部下に指示して自身も隊長室へ引き上げた。シャワーでも浴びてさっぱりしたいところだが贅沢は言えない。着替えが入っているバッグから洗顔道具を探していると、大量のクッキーの袋が出てきた。
『みなさんでどうぞ』
貼りつけた可愛い絵柄のメッセージカードに、フェリックスの口元が綻ぶ。着替えを取りに来たわずかな時間に、差し入れを用意するとは本当に出来た娘だ。
私の育て方が良かったのか。
などと、自画自賛してみる。ふと時計に目をやり、ミシェルの様子が気になった。未だになんの連絡もないので、安心していいものか。彼女のことだから、こちらに気を遣って遠慮しているのではないだろうか。リゼットもいるが、あてにはならない。
状況が終了したら、ミシェルと遠出でもして溜まった有給を消化するもの悪くない。
せっかくだから一泊して、美味いものを食ってゆっくりするか。
ミシェルのことだから、『たいちょーさん、美味しいです!!』とか言って、ソースがついた顔でにっこり笑うだろう。
洗面所で髭を剃り顔を洗うと、鏡に映った自分と目が合った。精悍な顔立ちに鋭いダークグリーンの瞳、まさしく『冷血鬼隊長』の風貌である。
『たいちょーさん、笑ったらきっと素敵ですよ』
いつだったかミシェルがそんなことを言っていたのを思い出して、笑ってみたがどこかぎこちない。
コンコン
ドアをノックする音に入室を許可すると、クリスがドアを開けた。
「シフト編成が終わりました」
「ご苦労」
「少し休んで下さい。何かありましたら、すぐお呼びしますので」
「ああ、頼む」
テーブルの上のクッキーを見つけて、敬礼して踵を返すクリスを呼び止める。
「ミシェルからの差し入れだ。皆で食べてくれ」
「嬉しいなあ。ちょうど甘い物が食べたかったんです。やっぱり、疲れた時は甘いものに限りますね」
嬉々して受け取るクリスの言葉が引っ掛かった。
「オレガレン少尉」
「はい」
「今の台詞、ミシェルに話したか?」
合点がいかず、クリスが目を丸くする。
「疲れた時はどうのって話だ」
「ええ。この間、買い物帰りのミシェルちゃんに飴をあげたんです。その時に話しました」
クリスの受け売りと知って、フェリックスはいささか面白くなかった。この青年とミシェルがしょっちゅう会っていた事実に、胸の奥がちくりと痛い。
クリスは再度敬礼して隊長室を出ていった。フェリックスはソファーに体を沈めて、目を閉じると一抹の不安を感じる。
不安? 私が?
彼女が犬と他人にばれるのが不安なのか、それとも他の男と付き合って自分から離れていくことか。
いつの間にか、考えることは暴動ではなくミシェルにすり替わったようである。
いざ仮眠をとろうとしても、もやもやした気持ちでは眠りにつけなかった。まどろんでは起きる、それを何度も繰り返す。テーブルの上をまさぐり、携帯電話で時刻を確認した。
あれから一時間も経っていない長い夜に息を吐く。
ミシェルからの着信もなかったが、さすがに就寝しているだろう。仰向けでネットのニュースを検索すると、規制がしかれているためか目新しい報道がなかった。
先ほどの部下の台詞ではないが、一体いつまで続くのか。
結局、仮眠はうたた寝で済ませて待機室へ向かう。
「どうした? 眠れないなら添い寝してやるぞ」
待機中のマシューをじろりと睨んでコーヒーを渡した。
「お嬢ちゃんが心配なら様子を見に帰るか?」
「いや、大丈夫だ」
待っている者がいるのは部下達も同じで、自分一人が私情を挟むのは気が咎める。コーヒーを飲んで、苦さが強く荒々しい風味にカップから口を離した。
「コーヒーの銘柄を替えたのか?」
「うんにゃ、いつものだぜ。ミシェルと暮らして舌が肥えたんじゃないか?」
「それは一理あるな。ミシェルは、毎朝豆から挽いてコーヒーを淹れてくれる」
「へえ!!」とマシューが感嘆の声を上げた。フェリックスのために早起きして、せっせと豆を挽くミシェルの姿が容易に想像できる。
「隊長殿は果報者だな」
「果報者か。そうかも知れん」
「自分で言っちゃ世話ないぜ」
マシューは肉厚な手を上官の肩に置いて、仮眠から戻って来た隊員と入れ違いに待機室を出て行った。格段にバカでかい背中を見送り、フェリックスは自分の席に着く。
そして、東の空が白々と明けていくのだった。
暴動が三日目の朝に突入した時、フェリックスに一本の電話がかかって来た。一瞬、ミシェルに何かあったのではないかと肝を冷やしたが、実際は違った。しばらくやり取りが続き、電話を終えた彼が静かに告げる。
「現時点をもって非常態勢を解き、通常体制とする。夜勤者以外は全員解散」
この一言で、暴動が終結したと知った隊員達から安堵の息と笑顔がこぼれた。もちろん、フェリックスも表情に出さないが同じ気持ちである。
緊張から解き放たれた彼等は、早々に帰り支度を済ませて待機室へ後にした。騒然としていた部屋が少しずつ静寂を取り戻す。
警衛隊の長であるフェリックスは、現地の調整と報告で帰宅したのは一番最後だった。
外灯の明かりが、帰路へ着くフェリックスの影を夜の道に縫い付ける。当然ながら人の気配は全くない。
不眠不休に近い身体は重いのに足取りは軽かった。部隊で仮眠をとってもよかったが、やはり自分のベッドで眠りたい。そして、一刻もミシェルの顔が見たかった。
やがて自宅の前に来ると、逸る気持ちを抑えて静かに玄関の鍵を開けた。廊下の照明のみでリビングを見渡して、ソファーの人影に近づくとミシェルが気持ちよさそうに眠っていた。
彼女の脇と膝の裏に手を差し込み、体を持ち上げて横抱きする。立ち上がった際に小さな頭がこつんとフェリックスの胸に当たった。
丸二日シャワーを浴びていない汗臭さが、鼻の利く彼女には不快に思うだろうが仕方がない。
「……たいちょーさん」
「起こしたか?」
意識は目覚めていないらしく、眠け眼で彼を見つめた。
「お帰り……なさい」
「ただいま」
「無事でよかった……」
「お前も元気そうでよかった」
もっと話をしたかったが、ミシェルの瞳はすぐ閉じられてしまった。
ここに平穏な生活がある。フェリックスは、腕に感じる重さこそがそれだと思うのだった。




