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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第六章 大いに悩む同居人
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その7

 翌朝、ワイシャツ姿のフェリックスが食卓に着くと、ミシェルが朝食を並べる。リゼットは早寝のくせに起きるのが遅いので、だいたい二人で摂ることが多い。

 ミシェルは、飼い犬への切ない想いを聞かされてどう接していいか分からなかった。こういう時は、普段通りがいいと誰かが言っていた。


「たいちょーさん、コーヒーのおかわりはいかがですか?」

「もらおうか」


 慣れた手つきでコーヒーがカップに注がれると、辺りに芳ばしい香りが漂う。一口飲んで、いつものほろ苦さはなくほんのり甘い後味にミシェルを見た。


『甘いものを食べると元気が出ますよ』


 見返す彼女の顔にそう書いてある。甘い菓子など食べないフェリックスの為に、わざわざコーヒー豆を替えたのだろう。ミシェルの気遣いはコーヒーだけではなかった。いつもより手が込んだ朝食、ランチョンマットは明るい色のチェック柄。

 また気を遣わせたか。

 ミシェルの思いやりが心に沁みた。



 フェリックスが玄関へ向かうと、ミシェルも鞄を持ってあとを追う。それは、警衛隊長としての責任が詰まっているみたいにずっしりと重い。

 家を出る彼を見送ろうとした時、広い背中が立ち止った。

 忘れ物かな?

 彼女の予想は見事に外れて、振り返ったフェリックスがわずかに微笑む。


「行ってくる」

「……行ってらっしゃい」


 思い掛けない出来事だった。

 ミシェルは口をぽかんと開けて、からくり人形のようにいつまでも手を振り続ける。笑ったら絶対素敵だと前々から思っていたが、フェリックスはなかなかそうはしない。本人曰く「私が笑わなかったら、誰か困るのか?」

 

 このことをマシューに話すと、ぶっと吹き出した。


「隊長殿が笑うと不気味なんだとよ。あれでも、結構気にしてんだぜ」

 

 仏頂面な隊長の代わりに、俺達が愛想よくしてやっているんだがな。マシューがにやりと笑う。そのくらいフェリックスの笑顔は稀有らしい。

 もう一度、記憶を巻き戻して再生した。やはり素敵な笑みに、全身が燃えるように熱くなる。



 フェリックスが出勤して二時間後、ようやくリゼットがリビングへやって来た。


「あら、ミシェル。なに張り切ってんのよ?」

「こ、これですか? 気にしないで下さい」


 ミシェルが、バンダナを三角巾代わりに頭を覆っていた。実は犬耳が現れた応急処置で、原因は言わずもがなフェリックスである。

 幸いリゼットには、朝から家事に張り切っているとしか映っていないようだ。


「フェリ様は?」

「もう出掛けました」

「なんで起こしてくれなかったのよ!?」

「何度も起こしたんですが……」


 寝起きの悪さはフェリックスといい勝負である。リゼットはむくれて食卓へ着くと、用意した朝食を食べ始めた。

 ミシェルも同じテーブルでジュースを飲んでいると、足音を聞きつけた。

 たいちょーさん……? 

 間もなく、玄関が開く音がして迷彩服の男が家の中へ入ってくると、リゼットが悲鳴を上げて大騒ぎする。


「きゃーっ!! 来ないで!! お金あげるから、命だけは助けて!!」

 

 ソファーのクッションを力任せに投げつけたが、男は軽々と受け止めた。


「リゼットさん、落ち着いてください!! たいちょーさんですよ!!」

「へ? フェリ様?」


 パトロールキャップから見下ろす仏頂面は、間違いなくフェリックスである。紳士的で凛々しい軍服姿と違って、戦闘服を着ると雄々しく野性的だ。


「どうしたんですか?」

「部隊で問題が起きた。二、三日は帰れないかもしれない」

「わざわざ知らせに?」

「それもあるが、着替えを取りに来た」


 フェリックスは、自分の部屋へ行って慌ただしく支度を始める。よほど急用らしく、ミシェルも急いで手伝う。そして、バッグを片手に家を出ようとした彼が振り返った。


「何かあったら連絡しなさい。私の携帯番号は知っているな?」

「何かって、なんでしょうか?」


 真剣な表情で尋ねるミシェルに、フェリックスは考えたものの『何か』が見当たらず言葉に詰まる。戸締りや火の始末は完璧だし、ゴキブリが出ても冷静に殺虫剤で退治するしっかりした娘だ。


「困ったことがあったら連絡しろ」


 そう言い直して、フェリックスは家を出た。


「ああ、フェリ様。何着てもカッコいいわ」


 強盗扱いした記憶はさっさと抹消して、リゼットがうっとりとした瞳で見送った。



 昼からミシェルは一人になった。「フェリ様がいないなんてつまんない」と、リゼットはしばらく伯父の家に滞在するとのことだ。

 久々の一人ぼっちに部屋が広く感じる。犬耳は未だ消えず、じっとしていると気が滅入るので街を散策することにした。今日は市場ではなく、一本奥ばった道へ行ってみる。

 この通りは、カフェやレストランなど飲食店が多く並んでいた。レンガ造りや漆喰の壁など落ち着いた雰囲気で食事が楽しめる。

 へえ、こんな感じもいいなあ。

 ミシェルの頭に黒髪の彼と歩く光景が浮かんだ。そして、あの微笑みも。

 胸がときめく度に、ピンといきり立つ犬耳を帽子でぐっと押えこんだ。すると、肩を叩かれて振り返ると、ポニーテルの若い女性がにっこりと笑っている。知り合いかと錯覚するほど人懐こい笑顔だ。


「あなた、隊長さんちのミシェルでしょ!?」

「あ、はい」


 女性は、胸に手を当てて安堵の息を吐いた。


「よかった。やっと会えた」

「あの、わたしにご用でしょうか?」

「立ち話もなんだから、わたしの店に来てくれる?」


 ミシェルの返事も待たずに、女性は有無も言わさず彼女の手を握り歩き出す。やがて、小さな白い建物の前へ来ると、女性がくるりと向き直った。


「ドッグカフェ『Dole cane』へようこそ。と言っても、オープンして間もないんだけどね」


 女性は照れ臭そうに笑うと、ミシェルを店内へ促す。大きな窓はガラス張りで、降り注ぐ陽の光が木製の家具を包み込んだ。こげ茶色のフローリングが、落ち着いた印象を与えて居心地がいい。

 スイーツと会話を楽しむ数人の客の足元には、リードを付けた犬達が寄り添っていた。


「こんな所があったんですね」


 犬と人間が仲がいいのは、願ってもないことである。


「ミシェルにこの店を手伝ってほしいの」


 突然の依頼に、ミシェルはすぐに理解できず目を丸くした。


「実はアルバイトの子が辞めちゃってね。細々とやっているけど、わたし一人じゃ結構大変なのよ」

「でも、わたしは……」

「聞けば、犬の気持ちがわかるとか」

「そんな大袈裟なものではないです」

「料理も上手っていうじゃない。見た目も可愛いし、まさに適任だわ」


 戸惑うミシェルにお構いなしで、女性は話をどんどん進んでいく。


「ちょっと待ってください。えっと……、お名前をまだ聞いてませんでした」

「やだ、わたしったら肝心なことを言い忘れてたわね。わたしの名前はモニカ・ベレーラ、二十六歳よ」


 年齢は、ミシェルとフェリックスの間といったところか。はきはきとズバズバが入り混じった口調で、お願いからもはや説得へと変わる。


「三時間でもいいの。もし、あの隊長の許可がいるんだったら、わたしが説得しようか?」


 リゼットとはまた違う押しの強さで、ミシェルの心を揺さぶった。



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