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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第六章 大いに悩む同居人
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その3

 絶体絶命のピンチに、ミシェルは犬耳を押えて慌てふためいた。


「どうしよう!! リゼットさんに見つかっちゃう!!」

「落ち着け。余計怪しまれるぞ」


 勘の鋭いリゼットは、些細な感情の変化も見逃さない。仏頂面のフェリックスはともかく、目が泳ぎっ放しのミシェルは絶対ばれるだろう。

 不可抗力とはいえ、ミシェルを刺激したのは自分なのだ。フェリックスは、首に掛けていたタオルを栗毛の頭に被せた。


「耳と顔を隠せ。目を合わせるな」と、まるで逃亡中の犯人扱いである。ちょうどその時、二人は背後に気配を感じた。振り向くと、ピンクのネグリジェを着たリゼットが仁王立ちしている。


「ちょっと、二人で何してんのよ?」

「何しようと私の勝手だ」

「ベ、別に疚しいことはありません」

 

 顔は隠しても動揺で口ごもり、リゼットにじろりと睨まれた。彼が奥の方へ顎をしゃくると、ミシェルは逃げるようにリビングを飛び出した。

 

「怪しいわね」


 リゼットは、すかさずフェリックスにぴたりと身を寄せる。薄い生地を通して胸の膨らみを感じたが、彼が動じなかったのはミシェルに比べてボリュームに乏しかったからだ。

 フェリックスは小さく息を吐いて、リゼットに体を向けた。濡れた前髪から覗くダークグリーンの瞳に、彼女のときめきが止まらない。

 フェリ様ったら、そんなに見つめちゃいや。

 実際は、睨んでいたのだが。


「この際だからはっきり言っておく。お前と結婚するつもりはない」

「わたしもこの際だからはっきり言っておくわ。あなた以外と結婚するつもりはなくてよ」


 

 二人がどこまでも平行線の会話をする頃、ミシェルはシャワーを浴びていた。いくらリゼットでもここまでは追ってこないだろう。

 ピンと立った耳に水が入らないように慎重に髪を洗っていると、初めてシャワーを浴びたことを思い出す。野良犬のまま人間になったので、髪はボサボサだった。そんな彼女を、フェリックスは慣れない手つきで解しながら丁寧に洗ってくれた。今になって、裸を見られた恥ずかしさで全身から湯気が出る。

 

 気を取り直して湯舟に浸かり、思い切り手足を伸ばした。当時は大きいと感じたが、大人になったらそうでもない。

 ふと、天井から落ちた水滴で耳がぴくっと動いた。

 明日には消えるかなあ。

 フェリックスがいる限り無理かも知れない。非常に困るが、想いとは裏腹に顔が綻んだ。




 ある日のこと、仕事が長引いたので隊長室で遅い昼食を摂っていると、マシューが形ばかりのノックをして入って来た。

 

「お、愛妻弁当か」

「彼女が作ったかと思うか? それに妻はいない」

「その出来はどう見てもミシェルだな」


 マシューは、客用のソファーにどっかり腰を掛ける。この部下は、隊長室を憩いの場と勘違いしているに違いない。


「で、両手に花の暮らしはどうだ?」

「羨ましいなら一人譲るぞ」

「じゃあ、ミ……」

 

 『ミシェル』と言おうとしたが、否定の一瞥にマシューが肩を竦めた。


「ミシェルが家を出たら、お前さんはまた一人だ。だったら、リゼットを嫁にしてやれ。性格は悪いが見た目はいいぞ」

「肝心な部分がだめだろうが」

「ミシェルみたいに、性格も見た目もいい女ってのはそういないぜ。いっそ、ミシェルを嫁にするか?」


 マシューの言葉に、フェリックスの心臓が跳ねた。いつもの軽口なのに妙に心がざわつく。反応が返ってこないので、さすがに悪のりし過ぎたとマシューが罰悪そうに頭を掻いた。


「冗談だって。悪かったから、怒るなよ」


 しおらしく謝る部下に、フェリックスは最後の一口を頬張ってコーヒーで流し込む。


「怒っていない。ただ、いろいろ考えていた」

「お前さんも公私ともに大変だな。相談ならいつでも乗ってやるから」


 マシューは立ち上がると、上官の肩をポンと叩いて出ていった。

 結局、なんの用だったんだ?

 言いたいこと言って帰っていったマシューに、フェリックスは大きなため息をついた。



 帰宅すると、出迎えたのはミシェル一人だった。いつもは飛んでくるリゼットの姿がない。ミシェルの話だと、友人の誕生パーティーがあるので隣町へ出掛けているという。社長令嬢の友人だから、さぞ豪華絢爛なパーティーだろう。

 自室で着替えていると、携帯電話が鳴った。見慣れない番号だが、職種がら出ないわけにいかない。


「こちら、コール……」

『あ、フェリ様!!』

「なぜ、私の番号を知っている!?」

『だって婚約者ですもの』


 電話の向こう側で聞こえる黄色い悲鳴に、フェリックスは眉を顰めて耳から遠ざけた。


「用がないなら切るぞ」

『あ、待って。今夜、友達の家に泊まることにしたわ。寂しい?』

「ゆっくりしてこい」

『わたしがいないからって、ミシェ……』


 プツッ!!


 通話の途中だったが、強制終了して携帯電話をベッドへ放り投げる。


 リビングでは、ミシェルがテーブルに三人分の食事を並べていた。もう少し早く連絡すれば、せっかくの料理も無駄にならずに済んだものを。


「リゼットは友人の家に泊まるそうだ」

「そうですか」


 少しがっかりしたのは、夕食がリゼットの好きなハンバーグだったからだ。珍しく美味しいと褒められたので、今夜また腕をふるったのである。仕方ないので、ラップに包んで冷凍保存することにした。


 騒がしいリゼットがいないせいか、しんと静まり返った夕食となる。


「なんだか静かですね」

「一人で騒がしかったからな」

「たいちょーさん、寂しいんじゃないですか?」


 自分でも墓穴を掘ったとミシェルは思った。もし「寂しい」と答えが返ってきたらどうしようか、そこまで考えが及ばなかった。


「どうして?」

「二人の会話を聞いていると楽しそうだから」


 フェリックスのフォークが止まる。


「お前にはそう見えるのか?」

「はい」

「それこそ勘違いだ」

「そうなんですか?」

「そうだ」


 聞いてよかった。心のもやが晴れて、笑顔がこぼれる。


「お前も相手して大変だな」

「リゼットさんはすごくお洒落なんですよ。洋服も『ぶらんど』ばかりです」

「ミシェルも欲しいのか?」


 今の生活に不満とかもっと小遣いが欲しい。

 フェリックスがそんな風に受け取ったかも知れない。


「わたしは今のままで充分です。洋服もこだわっていないし」


 彼と一緒なら何も望まない、気持ちを伝えようとすればするほど泥沼にはまる。あまりにも必死な形相に、フェリックスは頷いた。


「お前の気持ちはよく分かったから、食べなさい」


 促されて、ミシェルはぬるいスープを啜っているとふっと頭にあの疑問が横切った。


「わたしって、お仕事してますか?」


 これを異なことを聞くものだ。またもフェリックスの食事が中断される。


「しているじゃないか」

「『はうすきーぱー』みたいな?」


 ミシェルの口から飛び出した意外な台詞に、誰の入れ知恵が大体の見当がついた。「リゼットだな?」

と訊くと、彼女はぶんぶんと首を左右に振る。


「リゼットさんは関係ありません。少しでもたいちょーさんの役に立ちたいと思って」

「お前は充分役に立っている」

「でも、わたしの仕事は誰でもできます」

「私はできない」

「『はうすきーぱー』さんを雇えば……」

「ミシェル!!」


 突然フェリックスが声を荒げたので、ミシェルの体がびくっと跳ねた。


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