その6
ぼんやりして目の焦点が合わないミシェルは、大好物のパフェを目の前にしてなかなかスプーンが進まない。
「不味いのか?」
ミシェルがはっとして顔を上げると、フェリックスがパフェに顎でしゃくった。視線をパフェに戻すと、ほとんど残したまま徐々に溶け始めている。
「美味しいですよ。たいちょーさんも食べますか?」
「遠慮する。甘いのは苦手だ」
「マシューさんは好きみたいだけど」
「あれは食い物なら何でもいいんだ」
「ひどい言い方ですね」
やっと笑顔が戻ったミシェルに、彼も頬を緩ます。その後は無心に食べ続けて、ガラスの器がすっかり空になったが満足そうではなかった。
「何かあったのか」
ミシェルの返事がない。しばらく沈黙していた彼女が口を開いた。
「わたし、やっぱりクリスさん達を夕食に招待しようと思います」
「急にどうした」
二人の反応が怖くて会うのを不安がっていたのに、今になって撤回したのだから疑問に思うのも当然である。
「無理しなくていいんだぞ。適当な理由をつけて断ればいい」
「ううん。大丈夫です」
彼女がフェリックスの傍にいる以上、一生クリス達に会わずに暮らすなど不可能なのだ。その場しのぎの嘘をまた彼に言わせなければならないし、いつまでも逃げ回るわけにもいかない。
せめて自分の問題は自身で解決しなければ、と覚悟を決めたはいいがやはり、二人に会うのが怖い。下着売り場の店員と同じだったら……と考えただけでも怖気つく。心を許した相手こそ忘れられていたらつらいものだ。
たいちょーさんもいつかわたしを忘れていくのかな。
世界中が自分を忘れても、フェリックスだけは記憶の片隅でも覚えていてほしい。
「ミシェル」
「はい」
二人は互いに見つめ合った。賑やかな客の声が遠くに感じる。
「私は……」と言い掛けたが、突然腰を浮かしてズボンの後ろポケットから携帯電話を取り出した。
「コールダー大尉だ。……了解した、すぐ行く」
電話の内容から急な呼び出しらしい。通話の最中ミシェルが気になって一瞥すると、すでに帰る支度を始めていた。電話を切ると同時に二人が立ち上がる。
「お仕事ですね?」
「悪いな」
警衛隊長という立場上、休日もあってないようなものだ。そのことはミシェルも一緒に暮らしていて承知している。
「夕食の件はまた今度だ。もう少し考えてみなさい」
「了解です」
電話での彼の口真似をすると、頭を撫でられた。今までの沈んだ気持ちがこれで帳消しになったかも知れない。
その日の夕方、仕事で出掛けたフェリックスが帰宅した。これまた彼も浮かない表情だ。
「お帰りなさい」
「ただ今。今日はすまなかったな」
「用事も済んでいたし全然平気です。ご飯は?」
「まだいい。先にシャワーを浴びる」
いつになく言葉少なめの彼を見送ると、首を傾げながら入浴の準備をする。
「なにかあったんですか?」
これでは、さっきと立場が逆だな。
心配そうに尋ねるミシェルに苦笑いだ。
「くだらん用のためにせっかくの休みが台無しだ」と吐き捨てて浴室へ向かった。不機嫌なフェリックスには気の毒だが、大したことでなくて良かったとミシェルは安堵する。
彼の職種は危険が伴う。要請があればいつ何時でも出動しなけなければならない。たとえそれが死に直結するとしても。
たいちょーさんがいつまでも無事でいますように。
脱ぎ捨てた彼のシャツをギュッと胸に抱いて祈るのだった。
クリスとマシューを夕食へ招く日を迎えて、ミシェルは胸に爆弾を抱えたまま料理の仕込みを始めた。非番の彼等は昼過ぎには来るという。
「ミシェル、酒を買ってくるが一緒に来るか?」
留守の間に部下達が来ては、とフェリックスは心配だった。
「お鍋に火をかけているので家にいます」
「そうか。なるべく早く帰る」
「いってらっしゃい」
「何かあったら連絡しろ」と言いたかったが、ミシェルは携帯電話を持っていない。これから先も必要になってくるだろうから、近いうちに渡そうと考えていた。
ドアが閉まる音を確認して、ミシェルは大きく息を吐く。
いよいよね。大丈夫、たいちょーさんがついてくれているもの。
自分に言い聞かせると、「よし!!」と大声をあげて気合を入れた時だった。
ピンポーン。
クリスさん達かな?
呼び鈴が鳴ったので、ミシェルはもう一度深く深呼吸をして覚悟を決めていると
ピンポーン。ピンポンピンポン!!
荒々しく鳴らす来客に、インターフォンのモニター画面を覗くと若い女性が立っていた。
「あの、どちら様でしょうか?」
『あなたこそ、誰?』
逆に訊かれてますます戸惑う。
『ここ、フェリックス・コールダー大尉の自宅よね?』
新手の押し売りなのか。開けていいものかどうか躊躇していると、モニター画面の女性が叫ぶ。
『とにかく開けなさい!! 荷物が重いわ』
「たいちょーさんのお知合いの方でしょうか?」
『お知り合いですって!? 冗談じゃないわ』
有無も言わさぬ口調に押されてミシェルは少しだけドアを開けると、女性の手により強引に全開された。驚いたミシェルの目に飛び込んできたのは美女である。
「遅いじゃない!!」
勝手知ったる我が家のごとく、部屋に入ろうとする客をミシェルは体を張って阻止した。
「あ、あの、困ります!!」
「どうしてあなたが困るのよ!? あなた、彼のなに!?」
女性がキッと睨んだが、ミシェルも断固として玄関から離れない。留守を預かる身としては、この家の主が戻るまで問題が起きてはならないのだ。
「おいおい、何の騒ぎだ」
女性の背後から太い声が降ってくる。更にその後ろからクリスが顔を覗かせた。
「マシューさん!! クリスさん!!」
「こんにちは。なんかもめているみたいだね」
この時のミシェルは、突然の訪問者でパニックになりもう一つの心配事をすっかり忘れていた。
「お嬢さん、痴情のもつれなら出直してくれ。俺達はこれから楽しいディナーなんだ」
「うるさいわね、オジサン。あなた達こそ出直してちょうだい!!」
いきまく女性に、マシューが眉を顰めるとクリスを前に押し出した。矢面に立たされたクリスは、物凄い剣幕の女性に尻込みする。
「え? えーっ!?」
「お前さんに任せる。情報処理はお手の物だろ?」
「そっち方面は専門じゃないですよ!!」
「なんでもいいからコールダー大尉を呼んできなさいよ」
四人がひしめき合い、おまけに怒号も飛び交い玄関先が騒然とした。
「ミシェル、隊長殿はどうした?」
「今、買い物に出掛けてます」
「間の悪い奴だな」
マシューは、携帯電話を取り出すとある人物を呼び出す。
「俺だ。今どこへいる? ……そうか。女がお前さんの家でわめきちらしているぞ」
どうやら相手はフェリックスらしく、この状況をざっくりと説明した。
「どんな女かって? 歳は二十代半ばで、ちとばかり化粧が濃いな。スタイルはなかなかのもんだ。……ミシェル? 泣いてるぜ。『わたし、出ていきます!!』ってな」
チラチラとこちらを見て笑いながら報告するものだから、ミシェルは隣で「泣いてません」と大きくかぶらを振る。通話が終わると、マシューが片目を瞑った。
「あいつ、飛んで帰ってくるぜ。 なんてったって我が家の一大事だからな」




