その5
フェリックスの意地悪で現れた犬耳が、また翌朝には消えていた。問題も消えて、さぞ会話弾む朝食と思いきや二人の間には沈黙が流れる。
「……」
「……」
無表情のミシェルに、フェリックスは軽く息を吐いて口を開いた。
「まだ怒っているのか?」
「当たり前です!!」
至近距離まで近づいたお互いの顔を思い出すだけで、胸がドキドキして尻尾まで飛び出しそうだった。
「悪かった。言うこと聞くから機嫌直してくれ」
部下が不機嫌でも気にならないが、相手がミシェルだとそうもいかない。なにせこの家は彼女無しでは回らないのだ。
「じゃあ、ショッピングモールに行きたいです」
「あそこか。パフェでも食いたくなったのか?」
「え? ええ、まあ」
下着を買い替える目的だったが、彼の言葉でフルーツパフェが無性に恋しくなった。あれから色々な店でパフェを食べたが、生まれて初めて経験した味に未だ出会っていない。
「ついでに服や靴も買えばいい」
「そこまでは……」
「サイズも合わなくなったと思うが?」
目線は無意識にふくよかな胸へと注がれると、ミシェルは顔を真っ赤にして両手で隠した。
「たいちょーさん!!」
どうやら、またミシェルを怒らせてしまったようだ。
ショッピングモールへ行く日には、ミシェルの機嫌が直りフェリックスもほっと胸を撫で下ろす。
久しぶりの場所にはしゃぐミシェルだが、突然足が止まった。
「どうした?」
フェリックスが怪訝そうに視線を辿ると、そこにはガラスに映った二人の姿だった 大人のミシェルは彼と並ぶと普通のカップルで、初めてここへ来た時みたいにもう親子に間違えられることはないだろう。
隣にいるフェリックスはこれを見てどう思ったのだろうか。知りたい気もするが怖い気もする。
「大きくなったな」
フェリックスの呟きで父親の心境と知り、彼女の胸がちくりと痛んだ。
わたし、バカだな。どんな答えを期待してたんだろ……。
ミシェルとフェリックスの間には、目に見えないとても深い溝がある。それでも傍にいられるだけで幸せなのに、もっと先まで望んでしまう自分がいた。
「ミシェル、どこへ行きたい?」
「まだ決めてません」
「取り敢えず歩いてみるか」
フェリックスが歩き出したので、ミシェルもあとへついていく。広い背中は、軍服でなくても頼もしく感じた。
「あっ!!」
背後で声がしたのでフェリックスが振り返ると、人ごみを上手くかわせずぶつかるミシェルがいた。
「大丈夫か」
「さすがにここは人が多くて」
目の前に出された彼の手に、ミシェルは意味が解らず目を白黒させる。
お手……かな? それとも、おかわり?
躊躇いがちに手を乗せてみると、たちまち大きな掌に包まれた。
「へ?」
「はぐれたら面倒だ」
彼女の手を握って再び歩き始めるとふわりと栗色の髪が舞う。ぶっきらぼうな口調だが、誰よりも自分を想ってくれている。嬉しさのあまり、胸の鼓動が握っている手から伝わるのではないかと心配になった。いや、心配はほかにもある。
もう片方の手で頭を触ったが犬耳は出てこなかった。
「安心しろ、耳は出ていない」
フェリックスも同じことを考えていたらしく小声で報告する。
「いつ出るか不安です。まるで爆弾みたい」
すると、彼が口角を上げた。
「爆弾か。そいつはいい」
「笑い事じゃないですよ。もし、こんなたくさんの人の前で出ちゃったら……」
「私がなんとかする。いつでも何度でもな」
事実、何度も危機を救ってくれたのがこの黒髪の男性だった。
そんなかっこいいこと言ったら、好きになっちゃうじゃないですか。
繋いだ手に少しだけ力をこめて、ちょっぴり意思表示をしてみる。握り返すそれに、期待しなかった分嬉しかった。
そのあと二人はモール内を歩いて、気に入った店に立ち寄り買い物をした。買うのはもっぱらミシェルの物がほとんどで、フェリックス自身は「着る暇がない」と素通りしていく。
いざ、店内に入ると店員がぴたりとミシェルをマークして行く先々ついてきた。次々と試着する服を持ってくるので、彼女もしまいにはフェリックスに泣きつく始末である。結局「なに着ても似合う」の一言で片づけてしまうので、両腕にいくつかの紙袋を提げる羽目となった。
「もうこんな時間か」
店を出たフェリックスが腕時計を見て呟く。
「いっぱい買っちゃいました。ごめんなさい」
「謝るな。そのために来たんだ」
昼食の店を探そうとするフェリックスに、ミシェルはトイレに行きたいと言い出した。
「ここで待ってるから行ってきなさい」
「すぐ済みますから」
小走りで人ごみに消えていく彼女をフェリックスが見送る。
ミシェルは、トイレを通り過ぎてあのランジェリーショップへと向かった。服はまだしも、下着売り場にフェリックスは連れて行けず機会を失っていたのだ。
あっ!! あの方だ!!
若い女性の店員を見つけると急いで駆け寄った。初めての下着を買いに来たミシェルを接客したあの店員である。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
店員の笑顔にほっとした。
「下着を買いたいんですけど、選んでくれますか?」
「ここで買うのは初めて?」
ミシェルは瞬きをする。頻繁ではないが、印象深い出会いをしているので覚えていてくれると信じて疑わなかったからだ。
「あの、この間買う時に相談に乗ってもらったので」
「あら、そうだったかしら? ごめんなさい、うっかりしてて」
謝りはしたが、まったく記憶にない風である。半年ぶりの客も覚えている店員なのに、ミシェルを目の前にして名前すら出てこない。大人になっているが面影はあるので、せめて『姉』とか血縁関係に導いてもよさそうなものだが。
「じゃあ、サイズを測るのでこちらへどうぞ」
初対面の対応に、ミシェルの表情が曇った。
ミシェルが下着の入った紙袋を胸に抱えてフェリックスの元へ帰っていく。足取りは重く、口はきゅっと堅く結んでいた。
俯いていたせいで、軽く肩がぶつかり顔を上げると
「あなたは……」
「どうしたの? 暗い顔して」
金髪に琥珀色の瞳、時々現れるあの青年が立っていた。彼は大人になったミシェルを見ても動じない。
「店員さんがわたしのことを忘れていたんです」
ミシェルも疑問に思わず話し始めた。
「ふうん。でも、それは仕方がないんじゃないかな?」
「仕方がない?」
「願いを叶えるためには何かを犠牲にしなくちゃいけない。そうだよね?」
諭すような口調に、ミシェルは唇を噛んで頷く。
「彼の傍にいられるだけでいいと言ったのは君だし、多くを望んで傷つくのも君だよ」
「分かってます。でも……」
青年はふうっと息を吐いて腕を組んだ。美形の彼は些細な動きでも絵になる。
「さあ、行って。彼が心配するよ」
何か言いたげなミシェルの背中をそっと押してやる。彼女が振り向いた時には、すでに気配すら消えていたのだった。
フェリックスが壁に寄り掛かって、ミシェルの帰りを待っていた。やがて現れた彼女は、ぼんやりとした様子でこちらへ歩いてくる。
「遅かったな」
「道に迷っちゃって」
笑顔もどこかぎこちない。この数十分の間に一体何があったのだろうか。ミシェルは押し黙って話そうとはしなかった。




