その1
朝、キッチンで朝食の準備をしていたミシェルが時計を見た。
たいちょーさんを起こさなきゃ。
洗った手をタオルで拭いてフェリックスの部屋へ向かう。寝起きの悪い主を起こすのは一苦労だ。
コンコン。
礼儀としてノックは一応するが、応答はまずない。彼から許可をもらっているので、そっと中へ入る。
「たいちょーさん、朝ですよ」
ベッドで眠るフェリックスを覗きこんだ。
「起きて……、ふぇっ!?」
布団から伸びた腕に巻き込まれて、ミシェルは彼の寝息がかかる距離まで抱き寄せられる。毎度のことながら嬉しいやら恥ずかしいやら。
添い寝状態で顔を上げると、そこには名前通り幸せ《フェリックス》な寝顔。
ふふふ。たいちょーさん、可愛い。
普段は精悍な雰囲気も下ろした前髪のせいかあどけなく見える。
いつまでもこうしていたいが、隊長を遅刻させるわけにはいかない。ミシェルは大きく息を吸って……
「起きて下さいっっ!!」
号令にも似た声に、体に染みついた軍人の習性でフェリックスが目を覚ます。ぼんやりした視界には爽やかな笑顔のミシェルがいた。しかも犬耳をぱたぱた動かして。
「おはようございます」
「……おはよう」
「朝ごはん、できてますよ」
「……また潜り込んだのか?」
近いミシェルの顔を、寝ぼけまなこで確認すると呆れた口調で訊いた。
「違います。たいちょーさんですよ」
「私が? お前を?」
「はい」
「……そうか」
まったく記憶にない。子どもの頃ならともかく、見た目は女子高生の彼女をベッドへ連れこむのは世間的にはいかがなものか。
「悪かった」
「なんで謝るんですか?」
キョトンとするミシェルに目を逸らした。脳裏には部隊で催された一般開放の日、見送った部下と彼女の後ろ姿。あの日からミシェルが遠くに感じる。
「たいちょーさん?」
「飯にしよう」
フェリックスはさっさと起きると、上着を脱いでベッドの上に投げた。次々に着ていた服がミシェルの前に飛んでくる。残るは寝巻きのズボンというところで、ミシェルが慌てて背を向けた。
その間もミシェルの心臓は壊れるくらいに波打っている。彼女がずっと見届けたとしても、最後まで着替えたのだろうか。気になる展開だ。
「ミシェル、これをクリーニングに出してくれ」
フェリックスが手にしていたのは、一般開放で着ていた軍服だった。
「あ、はい」
「また着るかもしれんから、早目に頼む」
フェリックスはミシェルに渡すと洗面所へ行った。その隙に、ミシェルは軍服を鼻に擦りつける。
ああ、たいちょーさんの匂い……。
「なにをしている?」
いないと思っていた彼の気配に、ミシェルの肩がビクッと跳ねた。
「え? あ、ほつれがないか確認してました。クリーニングに出す時いつも言われるので」
「ふうん」といった風のフェリックスは幸いにも気にしていなかった。
フェリックスが出勤すると、ミシェルはどっと疲れた。それにしても今朝は心臓に悪いことばかり起きる。
匂いを嗅ぐのはちょっと変態じみていたと反省したそばから、また軍服に手を伸ばす。
士官帽を被った頃からミシェルに異変が起きた。体は熱っぽくだるいし、妙に人肌恋しい。そして、フェリックスを変に意識してしまう。
その原因は、トイレに行った時に出血していたので分かった。発情期なのか人間の女性がなる自然の摂理なのかは判断し兼ねるが、ミシェルの体は確実に生命が宿る準備を始めていた。
困惑したミシェルはただ茫然と立ち尽くす。
結局、自分なりに調べてクリーニングに出したついでに必要な物を買い揃えた。体の火照りは治らず、汗ばんだのでシャワーを浴びる。
フェリックスが帰ってきた時には、ミシェルは既にパジャマ姿だった。今日は早い帰宅だっただけに心配そうに尋ねる。
「具合が悪いのか?」
「ちょっとだるいけど大丈……」
フェリックスの掌がミシェルの両頬を包んだので、「大丈夫」と続く台詞は言えなかった。帰ってきたばかりの彼の手は冷たく火照る肌に心地良い。
「少し熱があるな。部屋で休みなさい」
「大丈夫です」と今度こそ言うと、ミシェルは夕食の支度を続けた。
食事を済ませると、フェリックスは後片付けを引き受けてミシェルをファーで休ませた。病気ではないのに申し訳なく落ち着かない。
やがて家事を終えた彼も隣りに座ると、ミシェルの鼻があの匂いを嗅ぎとった。
触れたい、甘えたい。そんな欲情がムラムラと湧いてくる。
「たいちょーさん」
「どうした、どこか痛むか?」
いつになく優しい声色に淡い期待が募った。
「あの、ぎゅっとして」
一瞬、ダークグリーンの眼が大きく見開いた。
「寒いならベッドへ……」
「たいちょーさんのそばがいいんです」
初めて自ら甘えたいと伝えた彼女が小さな女の子に見えた。しっかり者で従順なミシェルもまだ子どもだ。
フェリックスは頷いて抱き寄せる。両腕の中の彼女は、これ以上力を入れたら折れそうな細く華奢だった。
抱き締めたまま寝つくのを待って、フェリックスはまたミシェルを部屋へと連れていく。今夜は彼女のベッドではなくフェリックスの方だ。どうも様子がおかしいので一人にしておけなかった。
ミシェルをベッドに寝かせて自分は床に寝具を敷く。
眠りに落ちたフェリックスだが、ふと気配に気づいて目を覚ました。暗がりで、馬乗りのミシェルを確認した時にはギョッとした。
「ミシェル?」
「たいちょーさん、なんだかわたし変」
夜中に若い娘が、男の上に乗れば変なのは一目瞭然である。
「気分が悪いのか?」
「気分? 気分はふわふわしていい感じです」
「熱が上がったかもな。とにかくそこをどいてくれ」
フェリックスが起き上がろうとすると、両肩を掴まれてまた床へ押し戻された。次第に暗闇に目が慣れてくると、ミシェルの異変を目の当たりにする。
半開きの艶っぽい瞳に妖しく笑う口元、まさしく男を誘っている。
美しい顔立ちと妖艶さが加わったミシェルに、思わず喉がごくりと鳴った。
目の前のミシェルは、まさに理性を失い本能だけで行動している。そんな彼女の視界が捉えたのが極上の雄。
「おい、ミシェル!!」
組み敷くのは得意でも、滅多にない逆の立場に彼は柄になく戸惑った。
「たいちょーさんが拒むなら、ほかの人にしますよ?」
まるで脅迫だ。ほかの男に迫るくらいなら……。
「分かった。好きにしろ」
今度は愛くるしくにこっと笑う。
互いの体温を感じ取れるくらい、ミシェルは覆いかぶさった。熱い吐息がフェリックスの首筋にかかった次の瞬間、噛まれた痛みに思わず呻き声を上げた。更に上着を捲り、鍛えられた体にいくつもの痕を残していく。
時には甘く、時には強く。
ミシェルなりの愛情表現かもしれないが、こちらとしては痛くてたまらない。我慢の限界とフェリックスは体を反転させて上になった。
「そこまでだ、ミシェル」
形勢逆転、上から押さえつけるとミシェルが足をばたつかせてもがく。
「好きにしろって言ったくせに!!」
「俺を襲おうなんて十年早いんだよ」
理性のスイッチが切れた彼女が悔しがると、フェリックスは不敵な笑みで返した。




