その10
昨夜のフェリックスは、星座の話をしたせいか付き合っていた女の夢を見た。やけに星座に詳しい彼女が、夜空を見上げては星を指差す。
「あれがおとめ座よ。それでね、隣りが……」
普段は大人しい彼女が星座の話になると饒舌で、興味がないフェリックスはただ頷くだけでだ。
その女とは転属をきっかけに音信不通となり、別れたというより自然消滅だった。
マシューが言うように『来る者は拒まず、去る者は追わず』のフェリックスは、これまで複数の女と付き合ったが長続きはしない。戦場に身を置く彼は、意図して愛に向き合わなかったかも知れない。
眠りが浅くなりかけたところへ目覚ましのアラームが聞こえた。気まずい夢に目覚めも最悪である。
ベッドから出ようとしたが、漂う冷気に身震いした。暖房を一晩中つけるのは性に合わず、部屋の中はすっかり冷え切っている。傍らにいるものを無意識に抱き寄せたが、やけに生々しい感触だ。
フェリックスが寝ぼけ眼で窺うと、腕の中にいるのは気持ち良さそうに眠るミシェルである。
普段は寝起きが悪い彼も、この時ばかりは眠気が吹き飛んだ。
と、こんな風に心臓に悪い朝で始まった。その後、事態を知ったミシェルはひたすら平謝りである。
「ごめんなさい!! つい、たいちょーさんと一緒に寝ちゃいました!!」
「一緒のベッドで寝てるんだ、仕方ない」
「『じちょー』しろと言われたのに」
「気にするな」
今にも泣きださんばかりのミシェルを宥めた。事実、抱き寄せたのはフェリックスの方で彼女は応じただけだろう。甘んじて淫らな行為はなかったと自分を信じたい。
「何もなかった……な?」
「何かってなんでしょうか?」
半泣きの彼女が怪訝そうに聞き返した。
「なかったらいい」
「とても気になります!! やっぱり、怒ってるんですね!?」
ミシェルの瞳にじわりと涙が滲んだので、フェリックスは前髪をくしゃりと掻き上げる。
「怒ってはいない。確認したかっただけだ」
「確認ってなんの?」
「だから、もういい」
「たいちょーさん!!」
追いすがるミシェルを尻目に、支度を始めたフェリックスに残ったのは気まずさだけだった。
フェリックスが出掛けると、ミシェルは暇を持て余した。彼は夕方に帰ってくるので、昼過ぎにホテルの周りを散策することにする。
彼女等が住んでいる所より賑やかさはないが、レンガ造りの街並みと石畳に足取りも軽い。花屋、八百屋、肉屋など店を見て回るうちにある考えが浮かんだ。
そうだ、マシューさん達にお土産を買っていこう。
マシューには手袋をもらっていたし、クリスは上官のお供が出来ずがっかりしているらしい。そして、フェリックスと初めて旅行した記念にも。
こじんまりとした雑貨屋で土産を買ったミシェルは、ホテルへ一旦戻ろうと踵を返して人とぶつかった。
「ごめんなさい」
「こちらこそ」と、振り向いた人物にミシェルは固まる。
「あなたは……」
「元気にやっているみたいだね」
そこには、穏やかに微笑む青年がいた。
会議を終えたフェリックスは、ホテルの前でタクシーを降りた。何気なしに首を巡らした木の陰に、見慣れた栗毛の少女を見つけて名前を呼ぼうとした時である。
若い男がミシェルの傍にいたので、無言で歩み寄った。二人は何やら話し込んでいて、フェリックスに気付いていない。
間もなくミシェルが気配に気付いて驚いた顔をした。
「たいちょーさん!? もうお帰りになったんですか?」
「予定より早く終わった」
驚愕のミシェルより、フェリックスの視線は笑みを絶やさない青年にある。
「君は?」
「道を教えてもらいたかったけど、彼女もここは初めて来たらしいから」
光を帯びてカスタードクリーム色に見える金髪に、ミシェルと同じ琥珀色の瞳。フェリックスの脳裏に、一瞬だが懐かしさが横ぎった。
「どこかで会ったことは?」
「似たような顔はたくさんいますよ」と、青年は肯定も否定もしない。
「足止めして悪かったね」
ミシェルに笑いかけて、次にフェリックスにも笑顔を見せて青年は立ち去った。
やはり、どこかで会っているはずなのに思い出せない。思い出そうとすれば、更に記憶の奥底に沈んでいくもどかしさが苛立つ。
「ミシェル、彼とは本当に初対面か?」
「は、はい」と、口ごもる彼女に嘘だと確信した。こういう勘だけはやけに当たるフェリックスは、すっかり尋問の体勢になり鋭いダークグリーンの瞳でミシェルを凝視した。
「あ、あの、マシューさんにお土産買ったんです。クリスさんにも」
話をそらす彼女がますます怪しく、華奢な肩を掴んでこちらを向かせる。
「ミシェル、私を見るんだ」
「初めての場所を歩き回って疲れました。部屋で休んでもいいですか?」
目も合わさずホテルへ入っていくミシェルに、フェリックスは大きく息を吐いた。
部屋に戻ったミシェルは、これまでと違い口数が少なかった。夕食もそこそこに済ませて、シャワーを浴びるとベッドへ潜りこむ。
フェリックスが隣に寝ても、昨夜みたいに緊張する様子もなく小さな背中を向けていた。
「ミシェル、寝たか?」
答えたくないとばかりに、ミシェルは頭が隠れるほどより深く掛け布団に潜る。
この少女は自分に隠し事はしない。そう決めつけていた傲慢さに気付かされたフェリックスは掛ける言葉がない。小さく「お休み」と言って背を向けるしかなかった。
しばらくして、眠ったと思っていたミシェルが口を開いた。
「たいちょーさん、寝ましたか?」
「どうした、眠れないのか」
「……ごめんなさい」
ミシェルが何に対して謝っているのか、フェリックスには検討がついていたが敢えてとぼける。
「なぜ、謝る?」
黙ってしまった彼女の頭を撫でた。
「言いたくないなら無理に言わなくていい。だがな、私もいるから一人で抱えこむな」
くるりとこちらへ寝返りを打つミシェルを抱き寄せる。彼女も自然に受け入れて、頬を彼の胸に擦り付けた。
「たいちょーさん」
「ん?」
「ありがとう」
この時のフェリックスは、一人の男ではなく父親として接していた。
「たいちょーさん、起きて下さい!!」
ミシェルの大きな声とカーテンを開ける音と共に、ベッドの中のフェリックスを直撃する。眩しい朝陽に、たまらず背を向けると掛布団をはぎ取られた。
「早くしないと朝食の時間が終わってしまいますよ」
昨夜の件は吹っ切れたのか、今朝のミシェルはいつもの彼女だ。
「会議も終わったんだ。もう少し寝かせてくれ」
「ダメです!! 今日帰るんですから支度もしないと」
開ききっていない眼でミシェルを見やると
「なんですか?」
「いや。顔を洗ってくるからコーヒーを頼む」
「はい!!」
立ち直ったのはいいが、少々元気が有り過ぎる。
泣きそうな顔をされるよりはましか。
洗面所へ向かうフェリックスは口角を上げた。
ようやくわが家へ帰り着いた二人は、荷ほどきもそこそこにリビングのソファに腰を下ろす。旅行もいいが、やはりこの場所が一番落ち着く。それは栗毛の少女も同じで「やっぱり我が家がいいですね」とコーヒーを差し出した。
こんな日々がずっと続けばいい、フェリックスはそう願わずにはいられなかった。




