寸鉄敵を殺さない
神子にとってエンリは、邪龍王に従う天魔であり、良き先輩たちであった他の鳥類王のテュラノスたちの仇であり、手の届く「初めて倒せる敵」であった。
「あんたを殺したら、わたしもこれで、一人前ね……!」
普段は誰にも弱気を見せず、自分を過大評価し胸を張る彼女が、本音を吐露して切先を合わせる。
紅い髪をばらばらに散らして、悲惨な瞳をした少女の脳天へ――、
振り下ろした時、どっと神子の腹を襲った衝撃があった。
全く意に介していなかった方面からの攻撃に、神子は地を全身で滑る。
「な、なに……ッ!」
殺意に満ち満ちた形相で顔を上げると、神子の腹にタックルをしかけた人物が見える。
「いったた……、ごめんホンファ、怪我はない?!」
焦って神子の上から体を起こしたのは、橙髪の少女だった。
神子よりも二、三歳年上な彼女を睨んでいた神子は驚愕する。
「龍王、なんで……!」
「あはは、ごめん。急いで出たらけつまずいてぶつかっちゃった。ほらあの木の根にね――」
「違うよ! なんで、止めるの?!」
へらへらした龍王の顔に、神子は悲壮な声で叫ぶ。
神子にとってエンリは仇であり敵であり、やっと「殺せる相手」で、
「でもね」
それを全て承知している様子で、龍王は土に汚れた顔で笑う。
「なにも殺すこと、ないんだよ。ホンファ」
「そんなことない! そいつはわたしも、お兄さんも殺そうとしたもん!」
全然納得のできない神子は、体を起こして再びエンリのもとへ駆けだした。
今度こそ、やってやると再び星が剣の形をとる。
剣はすぐさま形を変え、巨大なハンマーになった。
横たわる少女の肢体など一発で押しつぶせそうな形状。
それを振り上げた。
しかし振り下ろすことはできない、龍王がエンリの前に立ちはだかる。
「ごめんね、本当にごめん。でも駄目なんだよ」
「なんで止めるの!? わかんないっ、全然わかんない! そいつが生きてていいってこと?!」
「それは僕にはわからないよ」
凶器を向けられていても尚、龍王は笑う。その笑顔は神子を安心させようとするものであり、穏やかな心を強要するものでもあった。
「ホンファがどうのって話じゃないんだ。ただ僕が嫌なんだ。死ぬのって辛いんじゃない? 殺すのって、辛いんじゃない?」
「わかんないよ……。わたし、まだどっちもわからないもん」
「じゃあわかりたくてこんなことするの?」
神子はぐっと奥歯を噛む。
「そんなの知らない!」
「じゃあ衝動ってわけだね。それは後悔するから、やめときなよ」
「そんな……そんな……。――もういい。どけっ! 邪魔だ!」
至極落ち着いた龍王に、ついに神子はなににも包まれていない、純粋な怒りをぶつけた。
「五月蠅いのよ! とにかくどいて! 殺さなきゃ、いけないの! お願い、だから!」
わなわなと震える手で神子は頭を抱えた。
その場に、新野とカラスの王も茂みをかきわけて合流する。
しかし二人にも気が付かず、神子は荒くなりそうな呼吸を必死におさえて、見開いた眼で龍王を睨んだ。
異様なほどの執着。
「殺させて……、お願いだから」
唇を噛んで衝動を抑えようと必死な神子に、新野は異常さを見て戦慄する。
普段の彼女とはずれきっている、どうしてそこまで相手の死を欲するのかと疑問に思えるほどだった。
龍王は神子の懇願に頷かなかった。
「君は中に燕王を取り込んだことで、常に王に意思を献上しているようなものだよ。それは君の考えなのか、燕王の考えなのか、わからなくなっているんだ」
「でも、それでも別にいいじゃない! 殺したっていいじゃない、そいつは、わたしたちにとって害悪でしょう?!」
「だからって殺すのは身勝手じゃないかな」
神子はより一層頭を抱えた。押し黙るその様子はまるで戦っているよう。
「わかんない、全然わかんないってば……」
それだけをぶつぶつと繰り返す彼女を、龍王はいつもの哀しそうな瞳で見つめる。
「でも僕を押しのけて強行しないのはね、ホンファが迷っているからなんだ。答えが出ていないのなら、どうかまだ考えてほしいんだよ。ごめんね」
そっと龍王は神子の肩に触れる。一瞬跳ねた肩も、手を置かれてからは反応がない。
「考える……?」
「うん。まだ、まだね、考えてみて? 本当の理想ってなんなのか、それとも割り切るのか……、僕もわからないんだけど、僕はヒトじゃなくて龍だから。ヒトの答えは君たちにしか決められないんだ。僕はそれが、知りたいから」
君たち、という言葉に新野は龍王の眼を見た。龍王もまた新野を見ていた。
神子は抱えていた頭から手を離し、龍王の顔を上目づかいに見た。
その不安で揺れる瞳に龍王はにっこりとまた笑ってみせる。
「……はっ、ば、っかじゃねえの」
とぎれとぎれの苦しそうな声が聞こえる。
灼熱の槍に絶えず腹を焼かれ続けている少女だった。
両腕の出血は止まったが、傷の治りが目に見えて遅い。
まだねじれてあらぬ方向に向いている腕では槍も抜けず、少女は諦念に声を落とす。
しかしニヒルな笑いを口元にたたえていた。
「あたしを、殺さないって? それはありがてえ……、けどだったらどう火龍の因子を、手に入れる気だ? てめえらがくそくだんねえことで話している間に、うちの大将がきっとあたしを、回収にくる。カテリナだってそうだった、あたしらは替えが効いても、因子はひとつしかない」
「それは……」
龍王が眉根を寄せる。
そこに新野が並んだ。
「俺が食う」
「……え?」
新野の発言にカラスの王の眼は嬉々として光るが、龍王は盛大に困惑した。
「に、新野なに言ってるんだ! 言ってる意味わかってる?!」
「ああわかってるわかってる」
噛みつく龍王をぞんざいに払って新野はエンリを見下ろした。
食わなければこの少女は邪龍王を呼ぶ、火龍の因子という武器をみすみす敵に渡すことになる。
食わなければ新野は弱いままで、強くなることはできない。それは龍王の敗北の要因になるとともに、いつか龍王を哀しませる原因になる。
(食わなければ、食わなければ……か)
本心は食いたくなんてないということに、新野は自らを嘲笑した。
「仕方ないことは世の中たくさんあるし、そりゃ地上でだって同じだ」
「でも君は、したくないんだろ!?」
「だあから仕方ないことだって言ってんだろが。仕方なく学校行ってたし仕方なく会社行ってたし試験とか勉強とか人付き合いとか、それの延長線上だこれは!」
「そ、れは……!」
真っ向から強い視線を受けて龍王は口ごもる。しかしその瞳は新野の言い分を承諾したわけではない。
舌打ちして新野はエンリに手を伸ばそうとしたが、その手は震えていた。
手の先に龍王が割って入る。
「僕が許さない限りダメだ、テュラノスが勝手にできるはずがない」
その言葉を聞いた新野の心の内に急速に、自分の決断に対しての嫌悪感が沸いてくる。
その感情すら、新野本心のものなのか、龍王のものなのか判別できないことに新野は歯噛みした。
下げた手を強く握る。
「お前は……!」
横の橙色の瞳を怒りのまま見返す。
龍王もまた反発して新野を見上げた。その双眸の綺麗さに新野は更に苛立つ。
「それが俺の答えなんだよ、俺は龍にならなくちゃだめなんだ! お前みたいに神様みたいなやつじゃないんだ!」
「神様? 僕が?」
「なんでもかんでも助けられないし、同情もしてられないんだよ。だからちっぽけなヒトがあがいて苦しんで決めたことくらい、見守れないのかよ……!」
その新野の呻きに、龍王は息をつまらせた。




