第一話 勇者パーティを追放されました。ところで、契約解除の手続きはお済みですか?
「カイ。お前、今日でクビな」
王都でいちばん高い宿『金獅子亭』の最上階。
ふかふかのソファに足を組んで座った勇者レオンは、ワイングラスを揺らしながら、まるで天気の話でもするようにそう言った。
俺は手元の帳簿から顔を上げた。
「……クビ、ですか」
「そう。追放。パーティから出てけってこと。わかる?」
わかる。言葉の意味はわかる。
わからないのは、今が月末の締め作業の真っ最中だということだ。
テーブルの上には今月分の領収書が山になっている。宿代、装備の修繕費、ポーション代、ギルドへの上納金、それからレオンが夜な夜な通っている高級酒場のツケ。
これを全部まとめて、今夜中に冒険者ギルドへの経費報告を仕上げなければならない。
「あの、レオンさん。せめて締め作業が終わってからでも……」
「それだよ、それ」
レオンが心底うんざりしたように顔をしかめた。
「お前さ、いっつもそれじゃん。帳簿、帳簿、帳簿。戦闘じゃ後ろで突っ立ってるだけ。剣も振れない、魔法も撃てない。やってることといえば、俺たちが命張って稼いだ金を数えて、ちまちま文句言うだけ」
「文句ではなく、予算管理を――」
「黙れよ、雑用係」
ぴしゃりと遮られる。
レオンの隣では、聖女セリカが白い法衣の裾を整えながら、困ったような微笑みを浮かべていた。
困ったような、と言ったが、目は笑っていない。王都の民衆には『慈愛の聖女』と呼ばれている彼女だが、俺の前でその慈愛が発揮されたことは一度もない。
「ごめんなさいね、カイさん。でも、レオン様のおっしゃることもわかるでしょう? わたくしたちは魔王を討つための勇者パーティなのです。戦えない方を守りながら旅をするのは、正直……負担なのですわ」
「ガハハ、まあそういうこった」
部屋の隅で巨大な骨付き肉にかぶりついていた魔導師ガルドが、脂でてらてら光る指を舐めながら笑う。
「次の遠征からは、王宮からちゃんとした『戦える荷物持ち』が派遣されるんだとよ。お前の代わりはいくらでもいるってわけだ」
代わりはいくらでもいる。
その言葉に、俺の胸の奥がちくりと痛んだ。
懐かしい痛みだ。前世で何度も聞かされた台詞だった。
――そう。俺には前世の記憶がある。
日本という国で、とある中堅商社の経理部に勤めていた。
月末は終電、決算期は泊まり込み。上司の使い込みを指摘したら逆に左遷され、最後は年度末の決算作業中にデスクで意識を失って、気がついたらこの世界の農村で赤ん坊として泣いていた。
そして十五歳の成人の儀で授かったスキルが、これだ。
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【名前】カイ・ロウエル
【年齢】二十二
【職業】雑用係(パーティ経理担当)
【スキル】帳尻合わせ(ランク:測定不能)
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――【帳尻合わせ】。
神殿の鑑定士は首をかしげ、「まあ、商人の見習いくらいにはなれるでしょう」と言った。いわゆる外れスキル扱いだ。
だが実際は、少しばかり違う。
このスキルは、世界のあらゆるものの『帳簿』を見ることができる。
人にも、物にも、土地にも、魔法にも、目には見えない貸し借りがある。何かを得れば、必ずどこかに代償という名の『借り』が記帳される。
そして俺は、その借りと貸しを、帳尻が合うように『付け替える』ことができるのだ。
たとえば――。
俺はちらりとレオンの腰を見た。
そこには王国の至宝、聖剣グランディールが下がっている。
俺の目には、その聖剣の上に半透明の帳簿が浮かんで見えた。
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【聖剣グランディール 使用代償台帳】
・使用者の寿命 一振りにつき一日
→ 累計:千四十二日分
→ 支払者:カイ・ロウエル(帳尻合わせにより付け替え済)
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聖剣は強い。魔物の群れを一振りで薙ぎ払うほどに。
だがその力は、使い手の命を削ることで成り立っている。
三年前、パーティに加わったその日に、俺はそれに気づいた。
そして、誰にも言わずに付け替えた。
だって、そうだろう。
勇者が倒れたら世界が困る。経理担当の仕事は、組織が回るように帳尻を合わせることだ。前世からずっと、俺はそうやって生きてきた。
俺自身の寿命が削られていたわけではない。
【帳尻合わせ】は、借りを別の『貸し』で相殺できる。俺は毎日、宿の掃除をし、荷物を運び、装備を磨き、野営の火を絶やさず、誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝た。そうやって積み上げた『労働という貸し』で、パーティの借りを少しずつ返済していたのだ。
だから三年間、寝る時間はほとんどなかったけど。
聖女セリカの奇跡にも代償がある。
治癒の奇跡を使うたびに、肌に『穢れ』が溜まっていく。放っておけば一年で顔中に黒い痣が浮かぶはずのそれを、俺は毎晩こっそり付け替えていた。
魔導師ガルドの上級魔法には反動がある。
撃てば撃つほど体内の魔力回路が焼けていく。それも、全部俺が引き受けていた。
それから、パーティ名義で各地の店に溜め込んだツケの数々。
レオンが酔って壊した酒場の調度品。ガルドが食い散らかした高級食材。セリカが『神への捧げ物』と称して買い漁った宝石類。
それらも全部、俺の帳簿の上で、俺が帳尻を合わせていた。
「……おい、聞いてんのか?」
「ええ、聞いてますよ」
俺は帳簿を閉じた。
正直に言えば、少しだけ悔しかった。
三年間、文字どおり身を削って支えてきた。感謝されたいとまでは言わない。でも、せめて――。
いや、やめよう。
前世で学んだはずだ。
自分の仕事の価値は、それを失ってみるまで誰にもわからない。そして失ってから気づいた連中は、だいたい手遅れになっている。
「わかりました。出ていきます」
「お、話が早いじゃん」
レオンが拍子抜けしたように眉を上げた。泣いてすがるとでも思っていたのだろうか。
「ただ、ひとつだけ。正式な手続きをお願いできますか」
「手続きぃ?」
「パーティ加入時に、ギルドの立ち会いで雇用契約を結びましたよね。追放ということであれば、勇者であるレオンさんの名前で、契約解除の署名をいただく必要があります」
俺は鞄から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに置いた。
三年前、ギルドで交わした契約書の写し。
その末尾に、契約解除の欄がある。
「はっ、律儀なこった。いいぜ、いくらでも書いてやるよ」
レオンは羽根ペンをひったくると、ろくに文面も読まずにさらさらと署名した。
金色のインクが、羊皮紙の上で淡く光る。
「これでいいか?」
「ええ。ありがとうございます」
俺は羊皮紙を受け取り、丁寧に折りたたんだ。
――その瞬間。
視界の端に、見慣れたウィンドウが浮かび上がった。
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【通知】
雇用契約の解除を確認しました。
契約に基づく『帳尻合わせ』の付け替えを、すべて終了します。
・繰延中の代償 計 二千八百十三件
・未精算のツケ 計 四百十二件
・付け替え中の呪詛 計 十七件
以上を、本来の債務者へ返送します。
返送処理:本日深夜〇時(日付変更時)
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……あ。
そうか。そうなるのか。
当たり前といえば当たり前だ。俺が帳尻を合わせていたのは、俺がパーティの一員だったからだ。パーティの経理担当として、パーティの借りを管理していた。
その契約が切れれば、管理していた借りは、本来の持ち主に戻る。
俺は一瞬だけ迷った。
今からでも、レオンに説明すべきだろうか。
「おい、まだいたのか。さっさと出てけよ、荷物まとめて」
レオンがしっしっと手を振る。
「あ、言っとくけど装備とかポーションとか、パーティの共有財産は置いてけよ? お前が持ってていいのは、お前が自分の金で買ったもんだけな」
「……ええ、もちろん」
共有財産。
その共有財産の購入費用の大半が、俺の給料から天引きされていたことを、彼は知らない。
「カイさん、お元気でね。あなたにも、きっと身の丈に合った場所が見つかりますわ」
セリカが聖女の微笑みで言った。
「ガハハ、達者でな、雑用係!」
ガルドが肉を振り回して笑った。
俺は三人の顔を順番に見た。
三年間、一緒に旅をした仲間。仲間だと、少なくとも俺は思っていた人たち。
……うん。
説明は、しなくていいか。
だって、聞かれていないし。
それに、俺はもう、このパーティの経理担当じゃない。部外者が他所の帳簿に口を出すのは、越権行為というものだ。
「三年間、お世話になりました」
俺は深々と頭を下げた。
「どうか皆さん――お身体にだけは、お気をつけて」
心からの言葉だった。
本当に、心から。
部屋を出て、扉を閉める。
背後から、レオンたちの笑い声が聞こえてきた。
「ははっ、最後まで辛気くせえ奴だったな!」
「せいせいしましたわ。これで旅費も浮きますわね」
「おう、今夜は祝杯だ! 追加の酒持ってこさせろ!」
俺は階段を下りながら、もう一度だけウィンドウを確認した。
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返送処理まで:残り 五時間十二分
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金獅子亭を出ると、王都の夜風が頬を撫でた。
懐の財布には、銀貨が十二枚。
三年分の給料のほとんどは、パーティの経費の穴埋めに消えていた。
でも、不思議と足取りは軽かった。
身体が軽い。
ずっと肩に乗っていた何かが、すっと消えたような感覚。
そりゃそうだ。
二千八百十三件の代償と、四百十二件のツケと、十七件の呪いを、三年間ひとりで背負っていたんだから。
「……さて」
俺は大きく伸びをした。
夜空には、宝石みたいな星がばらまかれている。こんなにゆっくり星を見上げたのは、いつ以来だろう。
「明日から、何して生きようかな」
前世も今世も、ずっと誰かの帳尻を合わせてきた。
次は――次こそは、自分のために帳簿をつけてみたい。
俺は王都の門を目指して、のんびりと歩き出した。
背後の金獅子亭の最上階では、まだ祝杯の明かりが灯っていた。
午前〇時まで、あと五時間。
彼らはまだ、何も知らない。




