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創作能楽小説『黒椿』 翁付き五番立て  作者: 堀吉 蔵人


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10/10

五番目物〔切〕 呼ぶ


〔次第・名ノリ〕


(かぞ)へし(かげ)の ()てに()て、

 ()てぬ()ひとつ (むね)(いだ)く。


 ——今宵は、客も、銭も、ない。落とすのは、あたしの、未練だ。


〔道行〕


()また()と ()()うて、

 あの()(つじ)に ただひとり。


 センセを、置いてきた。「ついてくんな」とだけ。あいつは、何か言いかけて、やめた。賢いやつだ。

 行き先は、あの夜の、場所。彼が、答えてしまった、街灯の、下。何年も、避けてた。今夜、行く。


〔出端〕


 街灯が、いくつも、いくつも、灯ってる。足元に、影。一枚、二枚、三枚——もう、数えない。

 ぜんぶ、こっちを、見てる。痩せた、薄い、何十枚もの、肩。増えていった、消えた人たち。みんな、ここに、いた。

 影が、立ち上がる。いっせいに。

 来る。


〔舞働キ〕


 息を、止める。抜く。


〘地謡〙 ()けば(ひらめ)く 白刃(しらは)(かぜ)

    ()れば()れども また()()づ、

    幾十(いくそ)(かげ) ()()べて、

    (をんな)ひとりを (さら)はんとす。


 多い。きりがない。手首が、鳴く。それでも、振る。前へ。奥へ。


〘地謡〙 ひと太刀(たち)ごとに 椿(つばき)()り、

    ()(やみ)()り ()(ひら)け、

    ただ一念(いちねん) いちばん(おく)へ。


 影の壁を、斬り開けて、いちばん、奥へ。

 ——いた。


〔キリ〕


 彼が、いた。痩せて、薄くて。でも、肩のかたちは、あの夜の、まま。

 彼が、笑った。なつかしい、笑い方で。

 ——おいで。一緒に、待とう。

 待とう。その一言で、ぜんぶ、わかった。彼は、もう、彼じゃない。終電の、あの女と、おんなじ。待つことだけに、なって、自分の名前も、忘れてる。

 名前があるうちは、斬れる。——でも、彼の名前は、もう、彼の中に、ない。あたしの、中に、ある。

 ずっと、呼べなかった。呼んだら、認めることに、なるから。あの人は、もう、いない、って。

 息を、吸う。

 あたしは、彼の名前を、呼んだ。——ひとつ。はっきりと。


〘地謡〙 ()ばれて(かげ)は ふと()まり、

    千々(ちぢ)(やみ)より ただひとつ、

    まことの(かほ)の ()(かへ)る。


 いちばん奥の影が、ほんの一瞬——彼の、顔に、戻った。本物の。あたしを見て、目を丸くして、それから、泣きそうに、笑った。

 「……やっと、呼んでくれた」

 抜く。振る。ぽとり。

 椿が、落ちた。いちばん、きれいに。


〘地謡〙 (かげ)みな()えて ()(しづ)か、

    (のこ)るは(をんな) ただひとり、

    (なが)未練(みれん)を ()()てて、

    あとは、おのれの (かげ)ばかり。


 あたしの影が、一枚、だけ。もう、誰も、隣に、いない。

 ……探すもの、なくなっちゃった。

 自販機で、缶コーヒーを、買った。微糖。あったかいの。……ふたつ。癖って、こわい。

 ひとつを、ガードレールに、置いて、歩きだした。振り返らない。呼ばれても、もう、いない。

 (と、留拍子(とめびょうし)。)


〔締めの都々逸〕


 呼べばさよなら

 呼ばねば逢えず

 椿落として

 ひとりきり


〔結び〕


〘地謡〙 天地(あめつち)あまねく 寿(ことほ)ぎの、

    ひとつ(とど)かぬ ()(そこ)に——

    今宵(こよひ)ばかりは、その()にも、

    しづかに、ひとつ、()りるらむ。


〽 とうとうたらり……たらりら……

 たらり、あがり……

 ——ららり、とう。


黒椿 了


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