5.0_最終章プロローグ ~少しだけ変わった未来~
羽田から福岡行きの機内に乗り込んだ誠は、窓の外を流れる雲を見つめながら、猛烈な違和感と戦っていた。
2026年の日本。
確かに自分が知っている「現在」に戻ってきたはずだが、パズルのピースが数ミリずつずれているような、奇妙な感覚が拭えないのだ。
福岡空港に降り立つと、その違和感は確信に変わった。
空を見上げれば、かつての2026年に比べて明らかに多くのドローンが飛び交っている。それも、単なる物流用ではない。街のインフラ監視や広告掲示など、より高度に社会に溶け込んでいるように見えた。
そして博多駅近くの会議室。
グループ会社の経営企画責任者が集まる定例会議の会場で、誠は自分の席に座り、バッグから支給品のMicrosoft Surfaceを取り出した。
すると、隣の席に座った同僚、近藤が目を見開いて声をかけてきた。近藤は誠の所属する株式会社スタンドとのグループ内取引をする先の経営企画部長だ。年齢も近く事あるごとに会合では一緒になっていた。
「おっ、上條さん、久しぶり。……って、それ、Surfaceじゃないですか。珍しいもの使ってますね」
「え? 珍しい……?」
誠は思わず自分のPCを二度見した。タイムスリップ前、わが社でSurfaceは標準支給品であり、最もポピュラーな機種だったはずだ。
「ええ。まあ、こだわりがある人は使ってますけど。今の主流はこっちでしょう」
近藤がデスクに置いたのは、薄型でソリッドなデザインのノートPCだった。天板にはシルバーのロゴで『HW』と刻印されている。
周りを見渡すと、会場の八割近い人間が、その『HW』ロゴのPCを開いていた。
「近藤さん、失礼ですけど……その『HW』ってどこのメーカーでしたっけ?」
近藤は一瞬、誠が冗談を言っているのかという顔をしたが、すぐに肩を揺らして笑った。
「またまた、上條さんらしい冗談を。ハードウェブ(Hardweb)ですよ。秋葉原の伝説、日本最大のBTOメーカーじゃないですか」
―――
会議が始まったが、誠は内容が一切頭に入ってこなかった。彼は手元のSurfaceで(幸いネットは繋がった)、必死に「ハードウェブ」という会社を検索する。
ブラウザに表示された企業の沿革を読み、誠は戦慄した。
1996年: 前身である「石川無線」が、世界に先駆けてUSBコネクタを標準搭載した独自モデルのPCを限定販売。
1998年: システムバンク(現:SBグループ)と資本提携。社名を「ハードウェブ」に変更。
2000年代前半: 日本に上陸した米D●llに対し、徹底した「日本流BTO(受注生産)」で対抗。システムバンクのインフラを駆使した『ギャルでも買えるパソコン』という大胆なキャッチフレーズで、小難しい知識が必要だったBTO領域を一般消費者に開放。
現在: 日本国内シェアの圧倒的一位を誇り、かつての巨人D●llを国内から駆逐。世界市場でも有数のPC・サーバーメーカーとして君臨。Kawaii Metalとして、世界的なジャンルを確立しているヘビメタアイドル「ChildMetal」のトップスポンサーとしても有名。
‥‥
誠の指が止まった。経営陣の紹介ページだ。
初代社長: 石川 英吉(現:名誉顧問)
二代目社長: ケリー・ジョンソン(現:技術顧問)
現代表取締役社長: 城塚 美雪
画面には、知的で自信に満ちた笑みを浮かべる、五十代の美雪の写真があった。あの時、有楽町で誠の服を選んでくれた彼女の面影が、そこにはっきりと残っていた。
彼女たちは、誠が消えた後の30年を、誠が残したヒントと、彼を送り出した情熱を糧に、この国の景色を塗り替えてしまったのだ。
「……やり遂げたんだ、みんな」
誠は目頭が熱くなるのを堪え、画面を閉じた。
―――
「――上條さん、上條さん?」
近藤に肩を叩かれ、誠は我に返った。いつの間にか会議は終わっていた。
「相当お疲れみたいですね。でも、もしよかったら、この後一杯どうですか?フライトは明日と聴きましたし。今日は博多の夜を満喫しましょうか。」
近藤の誘いに、誠が「そうですね、行きましょうか」と応えようとしたその時。
会議室の入り口から、会議事務局のスタッフが慌てた様子で誠に駆け寄ってきた。
「あの~株式会社スタンドの上條さんはいらっしゃいますか~」
「ああ、はいここにおります。」
「ああ、失礼しました。上條さん。……あちらに、システムバンク秘書室長の佐藤様がお見えです。上條さんをお迎えに上がったと」
会場の空気が一変した。
近藤に至っては
「システムバンクの秘書室長!? いったい何をしたんだ上條さん!」
と、腰を抜かさんばかりに驚いている。
誠も良く状況がつかめない。
とにかく、入り口に向かうと、そこにはグレーのスーツを完璧に着こなした秘書室長佐藤が立っていた。
三十年前、宗の傍らで携帯電話を握りしめ、彼の気まぐれの処理に奔走していたあの秘書の佐藤だ。今の彼女の髪には銀糸が混じり、目元には優雅な皺が刻まれているが、その凛とした佇まいは、当時よりもいっそう磨きがかかっていた。
「……お待ちしておりました、上條様」
佐藤はそう告げると、銀糸の混じる髪をかすかに揺らし、流れるような動作で深く頭を下げた。三十年という歳月を全く感じさせないほど自然で、それでいてその歳月の重みをすべて知っている者だけが持つ、深い畏敬の念が込められた一礼だった。
「お車を下に用意してございます。宗、そして城塚社長、皆様も、今か今かとお待ち申し上げております。さあ、こちらへ」
彼女の凛とした声は、喧騒を鮮やかに切り裂く。誠は、背後に取り残された近藤たちの唖然とする気配を余所に、背筋をピンと伸ばして先導する佐藤の、その揺るぎない背中を追うように歩き出した。(勿論近藤には「また今度行きましょう」と断りを入れて)
1996年のあの日、彼らが約束した「三十年後の再会」。
それは単なる感傷ではなく、この国の歴史を書き換えた者たちが待ち望んだ、真の祝宴の始まりだった。




