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4.5_偽りの撮影現場

 美雪達との買い物で「身を整えた」翌日。

 ラボのドアがゆっくり開き石川が出てきた。


「……マコト、見てくれ」

 石川の声に、誠が顔を上げる。


 石川無線の二階ラボには、言いようのない圧迫感が立ち込めていた。

 作業机の上には、もはやスマートフォンとしての形を失ったiPhone SEのロジックボードが、武骨な真空管アンプや巨大な油入りコンデンサ、そして手巻きのコイル群と蜘蛛の巣のような配線で繋がれ、異形な姿を晒している。

 それは1996年の技術者が、2026年のオーバーテクノロジーを無理やり「駆動」させるために組み上げた、時空の外科手術の産物だった。


「帰還装置・試作零号機だ。こいつが、お前のiPhoneのクロックを2026年へと増幅して導く、『滑走路』になる・・ただよ…」


 石川が、普段吸わないキャメルを取り出し、火をつけ、一呼吸おき…


「……できたはいいが、こいつはとんだジャジャ馬だぜ」

 石川の目は充血し、連日の不眠不休を物語っている。

「一発本番、やり直しはきかねえ。通電した瞬間に、SEのチップが焼き切れるか、あるいはこの街のトランスを飛ばして暗黒に包み込むか……どっちかだ」


 ケリーもまた、モニターに映し出されるシミュレーション結果を凝視したまま、蒼白な顔で頷いた。

「実験は不可能です。この装置から発せられる周波数は、現在の電波法や技術基準を遥かに逸脱している。秋葉原のど真ん中で起動すれば、数分と経たずに無線局の調査員か、あるいは警察が飛んでくるでしょう」


 誠は、その「帰還装置・試作零号機」を、畏怖の念を込めて見つめた。

 自分の帰還を、この不安定な電子の塊に預ける。恐怖がないと言えば嘘になる。だが、それ以上に問題なのは、これを「どこで、どうやって」動かすかだった。


 その時、一階からまなっちが声を上げる

「社長~誠さんケリーさ~ん。宗社長がいらっしゃいました~」


タタタタと、一階の店舗から階段を駆け上がる、軽やかで自信に満ちた足音が響く。


「話は聞きましたよ!」

 ドアが開くと同時に、まばゆいほどのバイタリティを纏った男が姿を現した。システムバンク社長、宗正憲である。ケリーがあらかじめ連絡を入れていたのだ。


「宗さん……」

誠が立ち上がると、宗は不敵な笑みを浮かべ、ラボの凄惨な光景を一瞥した。


「ケリーから話は聞きました。物理的な『門』を開くには、やはり出発点に戻るのが一番効率がいい。誠さんがこの時代に現れた場所……渋谷の、未来では『クロスタワー』と呼ばれる、あのビルの三階テラス。あそこでやるべきだ」


「渋谷の東●生命ビルか」

 石川が眉を寄せた。

「あんな一等地のど真ん中で、こんな爆弾みたいな装置を振り回せるわけねえだろ。それこそ通報されて一巻の終わりだ」


「だから、『私の力』を使うんですよ」

 宗は誠の横に立ち、ホワイトボードを指差し‥

「ちょうど来週、システムバンクの新しい企業イメージCMの撮影が予定されています。本来は別のスタジオで行う予定でしたが、私が指示を出して、撮影場所をあのテラスに変更させました」


 宗の言葉には、時代の風を強引に引き寄せる人間特有の熱量があった。


「CM撮影の名目なら、あのテラスを三日間は完全に抑えられる。 スタッフには『未来感を出したいから、特殊な大型機材を運び込む』と伝えてあります。これなら、どれほど奇妙な機械を持ち込もうが、どれほど派手な放電が起きようが、周囲は『最新の特撮か何かだろう』と納得してくれる」


 誠は息を呑んだ。さすがは、後に日本を代表する経営者となる男の立ち回りだ。


「撮影は日中に行われますが、夜間や早朝はスタッフも引き上げ、我々だけの時間になります。その隙を狙って、装置を最大出力で駆動させる。……さらに好都合なことに」

宗は誠の冬物のコートを指差し…

「CMのコンセプトを『時代を超える情熱』とでもしておけば、初夏の陽気の中でコートを着た人間が立っていても不自然ではない。むしろ『演出上の衣装』として誰も不審に思わないでしょう」


「なるほどな……」

 石川が、ニヤリと口角を上げた。

「ハッタリで時空を騙そうってわけか。いかにもあんたらしいやり方だ、宗の旦那」


「ハッタリではありませんよ、石川さん。これは『現実』を作るための演出です」

 宗は誠の肩を強く叩いた。

「誠さん、準備はいいですか。あの日、あなたが消えたあの場所を、我々が数日間だけ買い取りましょう。そこが、あなたの帰還への滑走路です」


 誠は深く息を吸い込んだ。

 犠牲になったiPhoneSEの残骸。石川とケリーの技術の結晶。そして、宗の圧倒的な実行力。1996年の人々の想いが、誠という一つの点に収束していく。


「……お願いします。やりましょう。今の持てるすべてを賭けて」


 決意が固まると同時に、ラボの空気は一気に熱を帯びた。

 石川は、装置を撮影用機材に見せるための、ダミーのケースを設計し始め、ケリーは渋谷の地形データからくる反射波の再計算に取り掛かる。


 窓の外、秋葉原の夕暮れがオレンジ色に染まっていく。


――――


 石川が階下で宗とロケの段取りを詰め、誠が数日後の決行を前に震える手で愛用のコートの手入れをしている頃、ケリーは一人、青白いモニターの光の中に沈んでいた。


 彼の前には、ドイツ連邦軍公文書館から取り寄せたギュンター・ノイマン中尉に関する膨大な資料の断片が並んでいる。ケリーの探求は、もはや単なる「エンジニアリング」の枠を越え始めていた。彼は直感していた。時空の門を潜るには、数式の「外側」にある、もう一つの鍵が必要なのではないかと。


 ケリーは、ノイマン中尉の一枚の診療記録に目を留めていた。1943年12月、東部戦線。中尉はソ連軍のYak-9との交戦中に被弾し、搭乗していたBf-109は凍てつく大地に不時着した。機体は大破し、彼は一命を取り留めたものの、凄まじい衝撃によって骨盤を粉砕する重傷を負っていた。


「……後送先のラドム(※)野戦病院の記録か」

 ※現:ポーランド共和国マゾフシェ県ラドム市


ケリーはドイツ語の走り書きを解読していく。そこには、技術士官としての彼を戦慄させる、生々しい記述があった。

『脊髄損傷、および骨盤内臓器の甚大な損傷。排尿・排便の自律制御不能。看護婦によるカテーテル処置および排泄介助を要す』


 ケリーは、ペンを置いた。

 それは、若きパイロットにとって、単なる負傷以上の意味を持っていたはずだ。彼は、男としての、そして生物としての「生殖機能」を、その戦場に置いてきてしまったのだ。


 ケリーの脳裏に、以前ラボで誠が静かに語ってくれた過去が重なる。

 大学時代の野球部。捕手として迎えた最期の夏。無慈悲なファウルチップが誠の急所を直撃し、彼の精子の活動は永遠に沈黙した。誠もまた、自らの血を次に繋ぐという「生物学的な糸」を断たれた存在だった。


「偶然……なのだろうか」


 ケリーは立ち上がり、ラボの片隅にある歴史文献の山から、一冊の古い手記を取り出した。それは「サン・ジェルマン伯爵」や、ある日突然ロンドンに出現した「ナバロの少年」など、歴史の狭間に現れては消えた『漂流者』たちの噂をまとめた非主流の研究書だった。


 ケリーは自分なりの仮説を、ノートの余白に書き連ねていく。

 第二次世界大戦、そしてその後の朝鮮半島、ベトナムや中東、ジェット機時代の空戦において、過酷なGと電磁波に晒され、撃墜されたパイロットは数え切れないほどいる。彼らの中にも、ノイマン中尉と同じような機体条件、気象条件、ノイズ条件に遭遇した者はいたはずだ。


 だとしたら、なぜ彼らは消えなかったのか。なぜ誠とノイマン中尉だけが、時空の激流に押し流されたのか。


「時空の歪みは、単なる物理現象ではない。それを受け入れる『器』側の条件があるのではないか」


 ケリーの考察は、神秘主義的な色を帯びていく。

 生物にとって、時間は「遺伝子の継承」という形で連続している。

 親から子へ、子から孫へ。命の鎖は、時間の奔流を繋ぎ止めるための巨大なアンカー(錨)だ。しかし、もしその鎖が断たれたとしたら?


 生殖機能を喪失し、血脈という「未来への錨」を失った人間は、時空という大河において、重みを失った「漂流物」と化すのではないか。

 他者が血縁によって現在に強く繋ぎ止められている一方で、誠やノイマン中尉のような存在は、時間軸に対するグリップが極端に弱まっている。だからこそ、物理的な『ズレ』が生じた際、彼らの存在は容易に引き剥がされ、位相の異なる場所へと転移してしまうのではないか――。


「ジャンヌ・ダルク、ニコラ・テスラ、アイザック・ニュートン……」


 ケリーは、生涯子供を持たず、ある種の『異能』や『啓示』を口にした歴史上の人物たちの名を呟いた。彼らもまた、生物学的な連続性から切り離されたことで、時空の波打ち際に立ち、我々には見えない『向こう側』の景色を垣間見ていたのではないか。


「マコトは、たまたま運が悪かったのではない」


 ケリーは、窓の外の夜空を見上げた。秋葉原のネオンに照らされて、うす焦げた色に染まる夜空の雲…。

「彼は、時空の門を潜るための『免状』を、すでにその身に宿していたんだ」


 ケリーは深く溜息をつき、ノートを閉じた。

 この残酷な考察を、誠に伝えることはできない。自分の帰還が、自らの「生殖機能の喪失」という悲劇的な欠落によって保証されているなど、誰が受け入れられるだろうか。


 しかし、ケリーの胸には、悲しみとは異なる、ある種の希望が湧いていた。

 もし『欠落』が条件なのだとしたら、逆もまた然りだ。誠が2026年の家族……血は繋がらずとも、養子として迎え入れた愛娘を強く想うその『意志』は、新しいアンカーとなって、彼を正しい時代へと導く道標になるはずだ。


「……行きましょう、ノイマン中尉。あなたが果たせなかった帰還を、私が…上條誠に託します」


 ケリーはモニターを消し、静かに立ち上がった。

 ラボには、石川が組み立てた異形の装置が、まるで誠の欠落を埋めるための義肢のように、静かに、だが力強く沈黙していた。


 1996年6月の夜が更けていく。

 技術と、歴史と、そして生命の悲哀が交錯する場所で、誠を撃ち出すための準備は、偽りのカメラが回り、偽りのディレクターが声を上げるその影で、いよいよ最終段階へと入ろうとしていた。

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