3.6_春の嵐-3 救出
東京・神泉。円山町の喧騒から一歩奥まった坂道に、その廃墟はあった。かつては華美な装飾で客を誘っていたであろうラブホテルは、今やひび割れたタイルと剥がれかけた壁紙に覆われ、都会の死角として沈黙している。
その最上階に近い一室で、不快な乾いた音が響いた。
「……話が違う、こんなの聞いてないぞ!」
寅谷は、脂汗を流しながら木瀬に食ってかかった。その声には、囚われたあずさへの同情など微塵もない。あるのは、自分の描き出したシナリオが、最悪の方向へ脱線したことへの、身勝手な焦燥だけだった。
「誘拐なんて……強盗だけでよかったんだ! なんでこんな余計なことをする。」
木瀬は、コンクリートの床に座り込み、ナイフで爪の汚れを落としながら、面倒そうに顔を上げた。
「おい、エリートさんよ。物事ってのはな、生き物なんだよ。状況に合わせて柔軟に対応する。それが『デキる男』のやり方だろ?」
木瀬は立ち上がり、ゆっくりと寅谷に近づく。
「それよりよ……なんでお前、あのタイミングであそこにいたんだ? まるで何かが起きるのを特等席で待ってたみたいじゃねえか。なあ、寅谷さんよ」
木瀬の蛇のような目が、寅谷を射抜く。寅谷の顔から一瞬にして血の気が引いた。その動揺を見逃すほど、木瀬は甘くなかった。
(こいつ、俺たちをハメる気だったな……)
木瀬の口角が吊り上がる。
「まあ、いいさ。一千万入りゃ、また一緒に豪遊しようぜ。お前とは長い付き合いになりそうだしな」
そう言って、木瀬は親しげに寅谷の肩に腕を回した。寅谷が安堵の息を吐こうとした、その瞬間。
「……がはっ!?」
木瀬の拳が、容赦なく寅谷のみぞおちを抉った。肺の中の空気が全て絞り出され、寅谷は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
「うぜえんだよ能書き。……おい、お前ら! こいつも縛っとけ。女と一緒に奥の部屋に放り込め。逃げようとしたら足の骨の一本くらい折っていいぞ」
チーマーたちが呻く寅谷を引きずっていく。奥の暗い部屋には、猿ぐつわを噛まされ、手足を縛られたあずさがいた。彼女は、運び込まれてきた寅谷を、蔑みと絶望が混じった瞳で見つめることしかできなかった。
――――――
秋葉原、石川無線。
「すぐ戻ります」と言い残して飛び出した柴崎が、宣言通りに戻ってきた。店の前に停まったのは、砂埃にまみれた一台の白いハイエース。
中から降りてきたのは、柴崎と共に二人の男たちだった。
一人は、岩山のように屈強な大男。つい先日塩川社長の隣にいたあの男だ。桐山という。もう一人は、対照的に細身だが、柳の枝のようなしなやかさと、針のように鋭い眼光を持つ男。名を武藤という。
「紹介します。桐山と武藤です。桐山は第一空挺団での同期、武藤は対馬防備隊で国境を監視していた男です。……全員、レンジャー資格(称号)持ちです」
柴崎の簡潔な紹介に、石川と誠は息を呑んだ。「レンジャー」。それは自衛隊の中でも選りすぐりの精鋭、地獄の訓練を耐え抜いた「戦いの専門家」を意味する言葉だ。
(レンジャーか…これは心強い)
小さくつぶやいたケリーが、一歩前に出た。
「……SITREP(状況報告)は済んでいるか。挿入ポイント(LZ)までのロジスティクスはどうなっている」
ケリーの口から出た、流暢な軍隊用語。その響きに、柴崎たちの空気が一変する。柴崎は反射的に背筋を伸ばし、ケリーを見据えた。
「……所属と階級は?」
「カナダ陸軍大西洋地域軍、第72通信群第721通信連隊。1984年から1992年まで在籍。最終階級は、中尉だ」
ケリーの声には、これまでの温厚なエンジニアの面影はない。
誠も石川も、そして宗正憲までもが、言葉を失ってケリーを見つめた。彼が電子工学の天才であることは知っていたが、その知識が「軍の通信・情報戦」という実戦の場で培われたものだとは、誰も想像していなかったのだ。
柴崎達三人は自分達よりも上位の階級、そして実戦経験を積んでいるであろうケリーに対し、条件反射的に、しかし最大級の敬意を込めて敬礼を捧げた。
「……中尉殿。失礼いたしました」
「よせ。今はお互い民間人だ」
ケリーは短く手を振って敬礼を解かせた。
「挨拶はいい。あずさを救い出すための『オペレーション』を開始しよう。時間がない」
ケリーの切り替えの速さに、場は一気に作戦会議の緊張感に包まれる。
「……身代金の運搬役は、僕が行きます」
誠が名乗り出る。
ケリーは情報通信の統括。石川は体力の衰えがあり、宗に至っては、もしものことがあれば日本経済が文字通り沈没しかねない。消去法ではなく、現在の身体能力。特に、いざという時に全速力で逃げ切れる瞬発力を持つ誠が、最も適任だった。
「誠さん。単身で敵の前に立ち、注意を引きつけてください。……それ以降は、我々が対処します」
柴崎が重々しく告げる。だが、石川が不安げに口を挟んだ。
「しかし……相手は二十人以上だぞ。いくら君たちがプロでも、素手で多勢に無勢じゃないのか?」
すると、桐山と武藤が、担いできた大きなスポーツバッグをおもむろに開いた。
中から現れたのは、数丁の自動小銃やサブマシンガン。
「……??エアガン、か?」
石川が拍子抜けしたように言った。確かにそれは、玩具メーカーのロゴが入った、一見すれば趣味の道具に過ぎない。
だが、柴崎は無言で一丁のMP5を手に取ると、部屋の隅に積み上げられていた、廃棄予定の段ボール山に向けた。
パパパパパンッ!!
凄まじい発射音。次の瞬間、段ボールは跡形もなく粉砕され、中にあったはずの厚いガラスやマザーボードまでが、木っ端微塵に砕け散っていた。
「……なっ!?」
「ガスとスプリングを極限まで強化し、鉄製の弾丸を使用できるように改造してあります。近距離なら、人間の骨を砕き、肉を抉るには十分すぎる威力です。他にも色々用意しましたが……これ以上は、聞かないでください」
柴崎の瞳に宿る、冷たい光。それは、法律の境界線を越えてでも、愛する者を守り抜こうとする者の覚悟だった。石川、宗と誠も、その気迫に気圧され、それ以上何も言えなくなった。
「……通信手段はどうする。神泉の廃墟、コンクリートの遮蔽物が多いはずだ」
ケリーの問いに、柴崎が答える。
「高性能なトランシーバーと、両手が空くインカムが欲しい。市販品では出力が足りないかもしれない。それと携帯電話も。」
その言葉を聞くや否や、宗正憲がポケットから携帯電話を取り出した。
「佐藤か。……ああ、俺だ。至急、展示会用の高出力インカムとトランシーバーを十セット、あと業務用携帯を5台。秋葉原の石川無線へ届けろ。……三十分以内だ。タクシーを飛ばせ。……何? 理由? 理由などない、俺が今すぐ必要だと言っているんだ!」
――――――
システムバンク本社。秘書の佐藤は、青い顔をして段ボール箱に機材を詰め込んでいた。
「どうした、佐藤君。そんなに慌てて」
通りかかった専務の宮川が、不思議そうに声をかける。
「専務……! 社長が今すぐこれを持ってこいと。理由は言わない、とにかく三十分以内だと……。夜中に今日の予定はキャンセルだと連絡してきたら、今度はこれです。何が起きてるんですか、一体!」
宮川は佐藤の手元にある「イベント用通信機材」の山を見て、ふっと小さく笑った。
「……また何か、途方もない遊びか、あるいは革命でもおっぱじめようとしているんだろう。宗さんらしいじゃないか」
宮川は、佐藤の肩を叩いた。
「行ってきなさい。……だが、気を付けて。あの人がそこまで急ぐ時は、いつだって『歴史の転換点』だ」
「は、はい! 行ってきます!」
佐藤は段ボールを抱え、エレベーターへと走り出した。
―――――
秋葉原の石川無線。その店先で、システムバンク社長秘書の佐藤は、自分の目を疑っていた。
「社長……これを。手配した最新型のトランシーバーとインカムです。全部で十セットあります」
息を切らせてタクシーから降りた佐藤が差し出した段ボールを、日本経済を動かす男・宗正憲が自ら受け取った。普段なら秘書が三歩下がって従うはずの主人が、今はまるで前線の補給兵のように機敏に動いている。
「ご苦労。佐藤、今日はもう上がっていいよ。明日の朝まで、俺への連絡は一切繋ぐな。緊急事態だ」
「……は、はい。承知いたしました。……あの、社長、くれぐれもお気をつけて」
「いつもありがとう…。こちらこそ色々面倒をかけてすまない…」
佐藤は思わぬ宗からの言葉に目を開いたが、後ろに見える店内の凄惨な状況を察し、それ以上は何も聞かずに一礼して立ち去った。
宗が店内に戻ると、すでに戦闘服に近い黒いタクティカルウェアに着替えた桐山と武藤が、ボストンバッグを肩に掛けて待機していた。
「柴崎、先に行く。神泉の『箱』を外周から叩く。……視界を確保次第、連絡を入れる」
桐山が短く告げると、二人は夜の秋葉原へと消えていった。
そして数十分後。
石川無線の二階ラボは、急造の「作戦司令部(TOC)」へと変貌を遂げていた。
ケリーが携帯電話の音声をスピーカーへと繋ぐ回路を即座に組み上げ、ノイズ混じりの音声が室内を満たす。壁のホワイトボードには、神泉の廃墟ホテルの地図が走り書きされ、誠はマーカーを手に報告を待っていた。
「……こちらブラボー1(桐山)。現着した。監視ポイントを確保。オーバー」
スピーカーから、低く、抑制された桐山の声が響く。ケリーがマイクに向かって応じる。
「こちらベース。受信感度良好だ。SITREP(状況報告)を送れ。オーバー」
誠と石川は、ケリーの変貌ぶりに息を呑んだ。その口調は、完全に「情報士官」のそれだった。
「神泉の廃墟ホテル、状況を報告する。入り口、正面ゲートにタンゴ(敵)四名。金属パイプで武装。二階、ベランダ付近に三名が哨戒中。三階に主力が集中している。……北側、割れた窓の向こうに扉が見える。そこに二名が常に張り付いている。おそらく、アセット(あずさ)はあの部屋だ」
柴崎がホワイトボードの三階の図面に大きく丸をつけた。
「……リーダーの確認は?」
「確認した。渋谷のチーマーとは毛色の違う、派手なセットアップを着た男がリーダーとみられる。配下の若造どもに指示を飛ばしているが、練度は最低だ。規律はない。ただ、数が多すぎる。ざっと見て二十人は下らない」
「武装の詳細は?」
ケリーが問いかける。
「確認できる範囲では、鉄製バット、ナイフ、工事現場の金属パイプ。飛び道具(銃器)の気配はない。……繰り返す、敵の装備は打撃・刺突武器のみ。だが、アセットに近い二名がナイフを剥き出しにしている。強行突破はリスクが高い。オーバー」
柴崎の瞳に、鋭い計算の光が宿った。
「了解した。ブラボー1、そのまま定点観測を続けろ。……誠さん」
名前を呼ばれ、誠の背筋が伸びた。
「敵情は大枠判明しました。敵は二十人以上の烏合の衆。しかし、狭い廃墟内で揉み合いになれば数に押される。……誠さんには、正面から『囮』として入ってもらいます。あずささんの安全を確保するまで、彼らの注意を全て自分に引きつけ、身代金を盾に時間を稼いでください」
「わかりました」
誠は、震える拳を隠すように強く握りしめた。
「ケリー、通信網の暗号化は?」
「システムバンクの特注品だ。チーマーの違法無線で傍受される心配はない。まあ、今の話を聞く限りそこまでする連中ではなさそうだが。マコトの襟元にこのマイクを仕込む。……マコト、僕たちが常に耳元にいることを忘れるな」
ケリーの手によって、誠のスーツの襟元に小さなマイクとイヤホンが仕込まれた。
「石川さん、宗さんはここでケリーのサポートを。……行こう、誠さん」
柴崎が、強化されたエアガンを収めたバッグを静かに持ち上げる。
秋葉原の小さなパーツショップを拠点に、店主、元自衛隊の精鋭、元情報士官、未来から来た男、そして稀代の起業家が、少女を救うために「軍事作成」を開始した。
誠は、夜風を切って走るバンの窓から、遠くに見える渋谷のネオンを見つめていた。その掌には、あずさの命を繋ぐための「ダミーの身代金」が入ったアタッシュケースが、重く沈んでいた。
「……あずささん、今行きます」
誠の呟きは、エンジンの低音に飲み込まれて消えた。
―――――
神泉の廃墟。かつては欲望が渦巻いたであろうラブホテルの残骸が、渋谷の深い闇に沈んでいた。
誠が運転する白いハイエースが、静かにその路地裏に滑り込んだ。人目を避けるように路駐した車のボンネットには、誠が即興で用意した「●●建設 駐車許可証」という看板が掲げられている。夜間の工事関係者を装う周到な偽装だ。
「誠さん、あとは段取り通りに。……必ず、俺たちが後ろにいます」
柴崎が低く短く告げると、次の瞬間には吸い込まれるように隣の廃墟ビルの陰へと消えた。物音ひとつ立てないその動きは、和菓子屋の息子ではなく、完全に獲物を狙う「猟犬」のそれだった。
誠は、激しく叩く心臓を落ち着かせるように一つ深呼吸をした。助手席に置かれた、一千万円のダミー札束(一番上だけが本物だ)が詰まったアタッシュケースを掴み、廃墟の門を叩く。
「……おたくのボスに呼ばれてきた」
入り口にいた四人のチーマーが、誠を値踏みするように睨みつける。
「ああ、木瀬さんの言ってたやつか。……こっち来な、オッサン。」
案内された三階。コンクリートの粉塵が舞う広いフロアの中央に、木瀬が子分を従えて待ち構えていた。
「……へえ、本当に一人で来たのか。度胸だけはあるな、秋葉のパーツ屋さんはよ」
木瀬は嘲笑うように言うと、目配せして、部下に奥の部屋のドア開けさせる。そこには、パイプ椅子に縛り付けられ、猿ぐつわを噛まされたあずさがいた。
「お、お兄……さん……!」
声にならない叫びをあげるあずさの瞳は、恐怖と涙で濡れていた。
「やめろ……! 彼女を放せ!!」
誠の喉から、怒りに震える叫びが漏れる。一歩踏み出しそうになるが、柴崎との約束を思い出し、誠は足元を止めた。
『相対した時、決して無駄に動かないでください。射線の邪魔になります』
「まあまあ、落ち着けよ。ビジネスの話をしようじゃねえか」
誘拐という非道を行っておきながら「ビジネス」という言葉を吐く木瀬に、誠ははらわたが煮えくりかえる思いだった。
「なんだ、体は鍛えてそうだが……足が止まってんぜ? チビってんのか、ええ?」
木瀬が誠をあざ笑った、その時だった。
——バスッ、バスッ、バスッ。
下の階から、奇妙な音が響く…。
「……あ? なんだ、今の音は」
木瀬が眉をひそめた直後、階段の下から子分たちの悲鳴が上がった。
「い、いってぇ! 何だ、何が起きてるんだよ!」
「痛い、痛いよぉ!!」
まるで転んだ子供が泣き叫ぶような、しかし切迫した断末魔に近い叫び。
「てめえら、何やってんだ! 下を見てこい!」
木瀬が怒鳴る。誠は平静を装いながら答えた。
「……俺は一人で来たと言ったはずだ。入り口でお前の部下が見ていただろう?」
木瀬が誠に疑念を抱いた、その矢先。下へ降りようとした子分の一人が、階段の途中で崩れ落ちた。
「い、痛い……助けて……」
その男の腕には、何かが激突したような無惨な傷口が開き、血が噴き出していた。
「てめえ……何かしやがったな!!」
激昂した木瀬がバットを掴み、誠に殴りかかろうとした瞬間——。
——バス、バス、バスッ!
窓の外から、風切り音が室内に飛び込んできた。
廃墟ホテルの三階フロアが見渡せる隣のビルのベランダから見下ろしている男がいた。武藤だ。
彼は冷たいコンクリートの床に膝をつき、64式小銃のハンドガードをベランダの縁に固定していた。かつての「狙撃手」としての血が、スコープ越しの世界と一体化する。
レティクルの十字線が、木瀬のセットアップ姿を捉えていたのだ。
「……ターゲット、捕捉」
武藤の64式は、エアガンとはいえ、7.62mm弾の重量感を再現したかのような凶悪な初速を誇る。
彼は呼吸を吐き出し、心拍の合間を縫ってトリガーを引き切った。
セミオートの限界に近い速度での連射。木瀬がバットを振り上げようとした瞬間、その右腕と胸元に、目に見えない鉄の礫が叩きつけられた。
高圧ガスと強化スプリングで撃ち出されたベアリング玉は、正確に木瀬のバットを弾き飛ばし、そのまま彼の肉体を貫いた。
「が……はぁっ!?」
木瀬の腕、胸、そして頬を鉄球が抉る。一瞬で皮膚が剥がれ、内部の骨が砕ける鈍い音が響いた。木瀬は叫ぶ暇もなく、衝撃に吹き飛ばされて白目を剥き、体が、まるで巨大な金槌で殴られたかのように後方へ吹き飛ぶ。
武藤はスコープから目を離さず、インカムのスイッチを入れた。
『ターゲット、無力化』
誠の耳元のインカムに、武藤の冷徹な報告が入る。
それと同時に、階段から二つの影が躍り出た。柴崎と桐山だ。
柴崎の体は「戦闘機械」へと変貌していた。
MP5のストックを右肩に深く沈め、銃口を斜め下に向ける「ローレディ・ポジション」から、視線が捉えたターゲットに向けて滑らかに銃身を跳ね上げる。
「……掃討開始」
低く短い呟きと共に、指先がトリガーを絞る。
強化されたガス圧がボルトを後退させ、鉄製のベアリング弾が虚空を切り裂いた。
——バスッ、バスッ、バスッ!
消音器を通したような独特の破裂音と共に、チーマーの太ももと肩に、正確に弾丸が吸い込まれる。肉を叩き潰す鈍い衝撃音が室内に響き、男たちは悲鳴を上げる間もなくその場に崩れ落ちた。柴崎の瞳は、瞬き一つせず、次の標的を冷徹にスキャンし続けている。
「なんだ、何なんだよお前ら!!」
パニックに陥るチーマーたちに向け、柴崎と桐山の銃口から「見えない弾丸」が次々と放たれた。
柴崎の背後、わずか一歩下がった位置には、巨大な影のように桐山が張り付いていた。
空挺隊員専用の「折曲銃床式」89式小銃を胸元に抱え、柴崎が前方を制圧する影で、左右の死角を完璧にカバーしている。
桐山の役割は、柴崎が集中している射線以外から飛び出してくる敵を、瞬時に「排除」することだ。
横の扉から飛び出そうとした男に対し、桐山は89式の銃口を向け、警告なしに指を動かす。
——パッ、パッ!
短いバースト射撃。重量のある鉄球が男の持つ鉄パイプを弾き飛ばし、その衝撃波で男の指骨を砕いた。
「……背後クリア。そのまま行け、柴崎」
低く唸るような桐山の声。二人の動きには、長年の訓練で培われた、言葉を必要としない完璧な連携が宿っていた。
四月の終わり。比較的薄着だった彼らにとって、柴崎達の鉄球は致命的だった。肉を裂き、骨を砕き、全身に激痛が走る。
「ヒッ、ヒィィィ!」
ナイフを抜こうとした一人の手が、柴崎の狙撃で砕かれた。
銃口を向けられた残りの数名は、柴崎と桐山の「狼」のような眼光に完全に気圧され、腰を抜かしてその場にへたり込む。
二、三人が階段を転げ落ちるように逃げ出そうとするが、桐山が容赦なくその背中を撃ち抜く。さらに階段を転がり落ちていく音。
わずか数分のうちに、二十人以上いた「渋谷の王」たちは、文字通り壊滅した。
柴崎が、迷いなく奥の部屋の扉を蹴り開ける。そこには、震えるあずさと、腰を抜かして呆然としている寅谷がいた。
柴崎は寅谷には目もくれず、あずさに駆け寄った。ナイフで素早く縄を切り裂き、猿ぐつわを外す。あずさは解放された瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、わっと泣き崩れた。
柴崎は、彼女を力強く、しかし壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
「……もう大丈夫です。あずささん」
「……柴崎、さん……。柴崎さん、ありがとう……!」
しばらくして、あずさの声が震えながら戻ってくる。
すると柴崎は、彼女の耳元で、自分でも制御しきれない言葉を漏らした。
「……絶対守るんで。これからも、俺が絶対、あなたを守り抜くんで」
あまりにも不器用で、しかしあまりにも真っ直ぐなプロポーズのような言葉。
あずさは「え……?」と一瞬呆気に取られたが、柴崎の胸の温かさと、彼の服から漂う火薬と火花のような匂い、そして確かな安心感に、すべてを委ねるようにその抱擁を受け入れた。
そこへ、桐山が無線機のスイッチを叩く。
「おい、柴崎。……撤収だ(EXFIL)」
柴崎は一瞬で「軍人」の顔に戻り、あずさを軽々と抱え上げた。
「誠さん、行きましょう」
誠は、床で泣きべそをかきながら固まっている寅谷を見た。
「……柴崎さん。この男はどうします?」
誠がインカムでラボに問いかける。ケリーの冷徹な声が返ってきた。
『その場に放置だ。救出ヘリ(バン)の許容重量オーバーだよ。……それに、そいつを今ここで泳がせておけば、山八証券が事態の収拾に動く。我々にとっては、そっちの方が好都合な『カード』になるからね』
ケリーの計算高い判断に、誠は小さく頷いた。
「……さよなら、寅谷さん。一年前の僕なら助けたかもしれませんが……今のあなたを助ける理由は、どこにもない」
寅谷の呆然とした表情を背に、一行は廃墟を後にした。神泉の坂道を、一台のハイエースが猛スピードで離脱していく。
夜も更けているが眠らない町渋谷。ネオンが白々と輝く街を、彼らは一気に駆け抜けた。
インカムから、秋葉原で見守っていた石川の安堵した声と、宗の満足げな声が聞こえてくる。
『作戦成功。……サクセンセイコウだ、マコト』
ケリーの声が、誠の耳元で温かく響いた。
1996年の晩春。
誠は、失いかけた「大切な日常たちとその未来」を、彼という存在が生み出した不思議な「縁」によって集まった仲間たちの力強い協力によって、守り抜いたのだった。




