203話 異変
「アッハッハッハ!」
夜の酒場に、ルミエラの笑い声が高らかに響き渡る。
「ちょっと笑いすぎですよ!」
俺が怒鳴るように言うと、ルミエラは涙を拭きながら一応謝るものの、笑いを止める気配は一切ない。
「あはは!ごめんごめん!でもだって……お、おもしろすぎてッ!あはははは!」
息も絶え絶えに笑い転げるルミエラを前に、俺は顔を真っ赤にして拳を握りしめる。
ことの発端は、ガルスとの戦いだった。
一撃でぶっ飛ばされた俺は、その場で気絶。意識が戻った時にはすっかり夜になっていて、頭上には暗く広がる夜空があった。
慌てて学園に戻ると、カインはすでに子供たちに別れを告げて、校庭で俺の帰りを待っていた。ルミエラも同様に戻ってきており、俺の姿を見た瞬間――
「ぷっ……ふふっ……!」
口元を押さえたかと思ったら、次の瞬間には爆笑。
「え、なんですか……?」
そう言いながら、ふと側にある水たまりを覗き込んでみると、そこには見るも無残な俺の顔。
ガルスにぶん殴られたせいで、頬がパンパンに腫れ上がっていた。
まるで大福でも詰め込んだかのような異様な膨らみだ。
「ぷはっ……!いや、いやだって……あははははっ!アンタ、その顔で真剣な顔するから余計に……!あはははは!」
ルミエラは地面を転がり、腹を抱えて笑っていた。
呆れたカインが「何があったんだ?」と尋ね、俺は渋々、ガルスにコテンパンにされた話をした。
結果――
「やばい、笑い死ぬ……っ!誰か止めてぇ……っ!」
ルミエラは転げ回り、ついには地面に突っ伏して肩を震わせる始末だった。
カインは呆れたようにため息をつきながらも、「まぁ……無事でよかった」と言ってくれたのが、せめてもの救いだった。
その後、カインの歓迎会兼「可哀想なカイル君を慰めるため」ということでルミエラの奢りで酒場へ繰り出すことに。
だが――
「くっ……ふふっ……!あはははっ!」
酒場に来てからしばらく経つのにも関わらず、ルミエラの笑いは止まらない。
「もういい加減笑うのやめてくださいよ!」
俺が叫ぶと、ルミエラはやっと笑いをこらえようとするが、すぐにまた吹き出す。
恥ずかしさと怒りでどうしようもなくなった俺は、ヤケになって目の前に並べられた料理をかき込んだ。
「ちょ、ちょっと!アンタ、食べるの早すぎじゃない?あたしの分もあんだよ!?」
「うるさいです!」
――こうして、俺の屈辱的な夜は、ルミエラの笑い声と共に更けていったのだった。
―――。
翌日、俺は再びガルスを探しに街を回った。
まずは昨夜訪れた酒場をいくつか巡ったが、どこにもガルスの姿はなかった。店の主人や常連客に聞いても、昨夜以降彼の姿は見ていないという。
「ん?ガルス?ああ、昨日はここにいたが……あいつなら大抵どこかの酒場にいるもんだがなぁ」
酒場の主人が首をひねる。
嫌な予感が胸をよぎった俺は、すぐさま冒険者ギルドへ向かった。受付の女性にガルスが来ていないか尋ねると、彼女は困惑した表情で答えた。
「ガルスさんですか?いえ、まだいらっしゃってませんね……それに、昨日受けた依頼の達成報告も届いていませんし」
「え?」
思わず聞き返す。
「ガルスさんが依頼を終えてすぐに報告しないことって……よくあることなんですか?」
「いえ、それが……」
受付嬢は少し考え込んでから言った。
「確かに、ガルスさんは報告を後回しにすることはありますけど、基本的にはすぐに終わらせるタイプです。特に昨日の依頼は、それほど時間がかかるようなものではないはず……」
俺は嫌な予感がさらに膨らむのを感じた。
(ガルスほどの実力者が、単純な依頼を終えていない……?)
もしかして、何かあったのか?
考えを巡らせた末、俺は決意した。
「俺、ちょっと心当たりがあるので、そこに行ってみます」
「えっ?一人で行くんですか?」
受付嬢が驚いたように声を上げる。
「大丈夫です。もし何かあっても、すぐに戻りますから」
そう言い残し、俺はギルドを後にした。
―――。
昨日訪れた洞窟の入り口に立つと、すぐに異様な気配を感じ取った。
(なんだ……?何かが違う……。)
肌にまとわりつくような、ひやりとした空気。昨日とは明らかに何かが変わっている。
胸騒ぎを押さえながら、俺は慎重に洞窟内へと足を踏み入れた。
内部は真っ暗だった。
昨日は洞窟の壁に点在する光る鉱石が、淡い光で足元を照らしていたはずだ。それが、今はどこにも見当たらない。まるで何かが意図的にすべて奪い去ったかのように。
俺は不審に思いながら、掌に小さな火の球を生み出し、ぼんやりとした光で足元を照らした。
(妙だ……。)
進むごとに、背筋に冷たいものが走る。洞窟の奥へと進むにつれ、じっとりとした汗が額を伝うのを感じた。
そして、しばらく進んだときだった。
鼻を突く強烈な臭いが漂ってきた。
(……腐臭?)
酸味と鉄の匂いが混じったような、嫌な臭いが鼻腔に広がる。
奥へ進むにつれ、その匂いはどんどん強くなっていった。まるで洞窟全体が死の気配に満ちているかのように。
やがて、道の端に横たわる巨大な影が、火の光に照らし出された。
「これは……!」
そこに転がっていたのは、大きな魔獣の死骸だった。
一瞬、警戒して身構えたが、すぐにその姿に見覚えがあることに気づく。
(そうだ……!これは昨日、ガルスが仕留めた魔獣……!)
だが、何かがおかしい。
昨日の時点で、魔獣の死骸は洞窟の中央付近に横たわっていたはず。だが、今はそれが道の端に転がっている。
まるで、誰かが……あるいは何かが、動かしたかのように。
(それに……)
俺はふと洞窟の壁に目をやる。
やはり、光る鉱石がすべて消えている。
昨日、洞窟内は淡い光に包まれていたはずだった。ランタンも松明も不要なほどに。それが今は、闇に包まれ、俺の小さな火の球だけが頼りだった。
異変を感じた瞬間――
「……っ!」
洞窟の奥から、小さな声が聞こえた。
誰かがうめいているような、かすかな声。
それと同時に、ズシン……!と、重いもの同士がぶつかり合うような鈍い音が響いた。
俺は息を呑み、耳を澄ます。
――何かが起こっている。
(ガルスか……!?)
確信は持てないが、何かよからぬ事態が進行していることだけは間違いなかった。
俺は火の球を強め、慎重に足を踏み出した。
「一体、この洞窟で何が起こっているんだ……?」
奥へ進むたびに、洞窟内に響く轟音とうめき声が、次第に大きくなっていく。
最初はただの風の音か、岩が崩れる音かと思った。だが、耳を澄ませば澄ますほど、それは明らかに"何か"の声であると分かった。
(……誰かがいる?)
だが、すぐに違和感を覚える。
最初はひとつだけだと思っていたその声が、進むにつれて複数存在していることに気づいたのだ。
ひとつは、力いっぱい力むような男の声。低く、野太く、まるで巨大な岩を押し返すような、必死な響きを帯びている。
(……ガルスか?)
そう思ったのも束の間、それ以外にも異質な声が混ざっていることに気づく。
低く唸るようなもの。ギャッ、ギャアァと金属を引き裂くようなもの。かと思えば、今度は人間の悲鳴にも聞こえる高い叫びが響く。
(……なんだ、これ……?)
獣のようであり、怯えた人のようでもある。
その声の主が何なのか、全く想像がつかない。だが、確かなのは――
(何かが戦っている……!)
そう思った瞬間、洞窟の奥から強烈な衝撃音が鳴り響いた。
まるで巨岩同士がぶつかり合うような、圧倒的な重量を感じさせる音。
洞窟の天井から砂がパラパラと降り注ぐ。
俺は無意識のうちに足を止め、息を呑んだ。
――その先で、何かが起こっている。
そして、その"何か"は、尋常ではない。
胸の鼓動が速くなるのを感じながら、俺は震える手で杖を握り直し、さらに奥へと進んだ。
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