「痛みは幻だった」
「はは……ハハハ! なんだ。やはり、偽物なんじゃないか!」
ピエーロは変わらず笑っている。
「シャルルルカ様なら、あんな竜なぞ一捻りだ。それが出来ないから、土下座なんて惨めなことをしたんだろう!」
シャルルルカがピエーロの髪をガッと掴んだ。
「お前が指示したのか」
「……何の話だ?」
「とぼけるな。お前があのガキに結界へ触れろと言ったんだろう」
ピエーロは鼻で笑った。
「知らん。あれが勝手にやったことだ」
「ピエーロ先生……?」
キョーマが青ざめた顔でピエーロを見つめる。
次の瞬間、シャルルルカはピエーロの左頬を殴っていた。
「ぶえ」
ピエーロが情けない声を上げて、地面に倒れ込む。
「な、殴ったな!? この、我が輩を!」
ピエーロは甲高い声で喚く。
シャルルルカはピエーロの懐から魔法の杖を奪い、鼻先に向けた。
「《幻影》」
「はっ。この期に及んで、幻影魔法などと……。そんなもの、痛くも痒くもないわ……ん?」
ピエーロがふと腕を見ると、無数の痣がじわじわと浮かび上がっていた。
ピエーロは驚いた。
しかし直ぐに、その痣が偽物だと思いつく。
「この痣は……幻影だな? もう騙されんぞ」
「そうか」
シャルルルカは興味なさそうにそう返した。
痣が、ピエーロの足、腹部、背中、そして、顔にも広がり、最終的には全身を覆い尽くした。
ピエーロはそれが幻影だと頭でわかっていたが、その異様な光景にぞわりとした恐怖を感じた。
「あ……?」
その瞬間、痣がずくりずくりと痛み出した。
「なあ、幻肢痛って知ってるか」
シャルルルカが問いかける。
「げ、幻肢痛……?」
「昔、魔物に四肢を食い千切られた人間がいた。おかしなことに、そいつは失くしたはずの部位が痛むと訴え始めたんだ。……痛みは幻だった」
シャルルルカはピエーロの腕を踏みつけた。
ピエーロの悲痛な叫びが響き渡る。
「幻影魔法でも、それが再現出来ると私は考えている」
ぐりぐりと腕を踏みつける度、ピエーロは痛みにのたうち回る。
「痛みは命の危機を知らせる警告信号だ。脳が怪我を知覚すれば、その怪我に相応しい痛みを引き起こす」
暴れれば今度は、地面に触れた痣が悲鳴を上げる。
「知能の高い人間を騙すは非常に難しい……。故に、一度でも騙されたら何処までも信じ切ってしまう」
シャルルルカが足を離すと、ピエーロはその場で蹲る。
「ううっ……」
黙って動かないようにして、痛みが引くのを待つしかない。
「その痛みは幻影だ。黙って待っていて自然治癒するとでも?」
「痛いぃ、痛いぃ……。助けてくれぇ……」
ピエーロは涙を流して懇願する。
シャルルルカはそれを黙って見下ろすだけだった。
──あんなに怒っているシャルルルカ先生、初めて見た。
いつもはへらへら、ニヤニヤと笑って、のらりくらりとしているのが、シャルルルカだった。
しかし今、彼の目はピエーロを射殺さんとばかりに血走っている。
ヒッヒッ、とピエーロの呼吸の間隔がだんだんと短くなる。
シャルルルカはピエーロの頭に向かって、徐に足を振り上げた。
「シャルルルカ先生!」
レイがシャルルルカに後ろから抱きつく。
「それは駄目です! 死んじゃいますよ!」
シャルルルカはレイをギロリと睨んだ。
血に飢えた獣のような目。
恐ろしかったが、レイは決して目を逸らさなかった。
じっと、目を逸らさずに見つめ返す。
腕を踏みつけただけで、ピエーロはあれほど絶叫したのだ。
頭を蹴り上げたらどうなるのか……。
幻で痛みが引き起こせるなら、幻で死に至ることもあるかもしれない。
──あたしが先生を人殺しになんかさせない……!
シャルルルカは観念したように目を伏せて、足を引っ込めた。
「痛い。離せ」
「あ、すみません……」
レイは反射的に手を離す。
シャルルルカは先程腹を貫かれたばかりだ。
傷に触るといけない。
シャルルルカはピエーロに背を向け、パチンと指を鳴らす。
すると、ピエーロの皮膚に現れていた痣がフッと消えた。
レイはほっと胸を撫で下ろした。
「──これは一体、何の騒ぎですか」
透き通った声が辺りに響いた。
声のした方へ振り向くと、白い法衣に身を包んだ集団が立っていた。
神官であろう彼女らは、怪我人の多さに驚いている様子だった。
神官の集団の中心に、一際目を引く法衣を着た女性がいた。
「あ、貴女は……!」
ピエーロはその女性を見てサッと立ち上がり、背筋をぴんと伸ばした。
「アレクシス学園長!」
レイはアレクシスと呼ばれた女性を見た。
木の葉のような色の長髪。
伏し目がちの瞼から覗く、青空のように澄んだ瞳。
シミ一つない真っ白な神官の服を身に纏っている。
「あの人が、大神官アレクシス・シュークリーム……」
レイはぽつりと呟く。
アレクシスの姿を見て、レイは違和感を覚えた。
アレクシスの羽織っていたケープと、服の袖が風ではためく。
──両腕が……ない……?
アレクシスには肩から先がないようだった。
レイはシャルルルカに届いた手紙の幻影と、王都の広場にある英雄達の銅像を思い出す。
確かに、大神官アレクシスには両腕があったはずだった。
──本当に、あのアレクシスさんなの……?




