私の婚約者と病弱な幼馴染みと男友達みたいな女の喜劇
放課後の中庭。私はベンチに腰掛け婚約者を待っていた。
婚約者の名はサイラス・ギラン。子爵家の次男で、王立マクグリン学園の騎士科三年。卒業後は私の家に婿入りすることが決まっている。次期当主は私。彼は婿入り後、王城騎士団入団を目指していて採用試験は来月に控えていた。
今日は学園の秋季試験が終わり、サイラスと街の洋菓子店で『お疲れ様会』をしようと約束をしていた。けれど、約束の時間はとうに過ぎているというのに彼は現れない。
時折吹き抜ける風に、足元の赤銅色や黄色の葉が舞い踊る。
「……はあ」
小さく溜め息が漏れた。
王太子殿下の護衛騎士になる。それが夢なのだと何度もサイラスに聞かされてきたけれど、約束の時間を守れないなんて騎士として、いいえ、それ以前に人としてどうなのかしら。
我がエイムズ伯爵家の婿の振る舞いに相応しくないわ。
父が古くからの恩人に強く頼み込まれ受け入れた縁談でなければ、とっくに見切りをつけている。
「うふふ、サイラスったら。ほんと、面白いんだから」
「そうか? 俺は真剣なんだがなあ」
落ち葉がたてる乾いた音を掻き消す耳障りな高音と、呑気な低音が響いた。
「すまないなクレア、待たせたか?」
短く刈られた赤毛頭を掻きながら臙脂色の制服のサイラスが私の目の前に立つ。日に焼け引き締まった顔立ちに、親しみやすさを添える新緑の瞳。彼のもう片方の腕には、淡いピンク色のふわりとした髪の彼の幼馴染みコニーがしがみついている。
コニー・ベイル男爵令嬢。私と同じ教養科の三年。といっても、私はAクラス、彼女はCクラス。さらに病気がちで学園を休むことが多く、顔を合わせたことはあまりない。
騎士科は臙脂色、教養科は深緑色の制服。ちなみに、もうひとつの文官科は濃紺だ。
「サイラス様、今日は二人きりのお約束では?」
問いかける声には隠しきれない棘が見え隠れする。
私の声にいかにも怯えたといった様子で揺れる、コニーの大きな瞳は透きとおる水色。小柄ながら女性的な曲線。白い肌は白磁のように滑らかで、黒い髪に紫の瞳の私とは違って男子生徒は庇護欲をそそられるのだろう。
「久しぶりにコニーの体調がいいんだ。普段寝てばかりで可哀想だろ? コニーも一緒に連れて行ってやりたいんだ」
屈託のない笑顔を浮かべるサイラスに悪気はない。悪気がないから厄介だ。
事実、彼と婚約してから二年の間に観劇、街歩き、茶会と、あらゆる約束が直前になって『コニーの具合が悪くて、傍にいてやりたいんだ』と白紙にされてきた。
「コホンコホン。ごめんなさい、クレアさん」
じわりと涙を浮かべて上目遣いで私ではなくサイラスを見る。視線に気がついたサイラスは愛おしそうにコニーの頭を優しく撫でた。
今日の約束は新作の舞台に変更されたのかしら。目の前で芝居が始まったみたい。
病弱なら、早く帰宅して大人しく寝ていた方がよいのではなくて?
ベンチに座ったまま目の前で繰り広げられる茶番劇を冷ややかに眺めている。すると、ちょうどサイラスたちが壁になっていて姿は見えないが、ドタドタと足音がこちらに向かって来るのが聞こえてきた。
「よお! サイラスじゃん、何してるんだい?」
女性にしては少し低めの声。サイラスとコニーの間から覗くひとつに結われた金色の髪と茶色の瞳。臙脂色の制服ということは騎士科の生徒なのだろう。
「ジルじゃないか! いや、婚約者と街へ行こうと約束していてな」
ジル・ウォーラル。一代限りの騎士爵を賜った国境警備隊長の娘で、騎士科の数少ない女子生徒だ。サイラスと気が合うのか、彼の口から彼女の名前がたびたび出ていた。『男みたいなもんだから』『あいつは男友達だよ』と。
「へえ。隣にいるのが婚約者さん? 可愛らしいね、いかにも女の子って感じだ」
ジルの視線が、コニーの爪先から頭の天辺までまじまじと何往復もする。コニーは褒められたのだと頬を染め嬉しそうに微笑んだ。
「でも、なんだかひ弱ですぐ倒れそうだな」
軽く鼻で笑ったジルは、明らかにコニーが婚約者だと勘違いしていた。
「……ぐすん、ひどいわ」
「そう言うなよ、ジル。騎士科のおまえと比べたら、女はみんなひ弱だろ? ははは」
褒める振りをして貶されたコニーは、大袈裟に悲しんでみせると幼馴染みの胸に顔を埋めた。サイラスは、ポンポンとコニーの頭を叩きながら声を上げて笑う。
「あはは、違いない。ごめんね、婚約者さん、アタシさ、女特有の……本音と建前っていうの? あれ苦手で、思ったことを口にしちゃうんだよね」
「こいつ、男みたいなもんだから、サバサバしてるんだよ」
ジルはサイラスの肩に自然な仕草で腕を回す。まるでいつもそうしているみたいに。サイラスも嫌がりもせず当たり前に受け入れて、二人は顔を見あわせ笑いあった。
思ったことを口にしちゃう? 随分と無作法で失礼な性格の方なのね。そもそも、サイラスの婚約者はコニーではなく私ですけれど。
――だけど私がサイラスの婚約者だと名乗り出るのは、何故だか躊躇われた。やはり心のどこかに、彼との婚姻を受け入れたくない気持ちがあるのだろうか。
私の葛藤など知らないサイラスとジルの会話は盛り上がり続けていた。
いつの間にか中庭には学生たちが集まってきていた。遠巻きに制服の三色が点々と散らばっている。
「アタシ、これからラッカムの工房に行くんだ。サイラスも行かないか?」
「ラッカムだって? 王国随一と謳われる騎士団長の愛剣を打った有名な鍛冶職人じゃないか! 騎士団に入るならば一度は職人技をこの目で見たいと思っていたんだ! 行く行く」
「そう来なくっちゃ!」
私のことなど見えていないのか、男友達と肩を組んだまま歩き出すサイラス。
その場に取り残されてしまったもうひとり、コニーが弱々しいけれどはっきりと聞こえる声量で「ああ……!」と悲鳴を上げた。
舞台女優ばりの大きな身振りでよろよろとその場に倒れ込む。
振り返ったサイラスが慌てて駆け寄る。跪いてコニーを抱き起こした。
「大丈夫か!? コニー!」
「うう、目眩がするの……」
涙で濡れる水色の瞳に真っ直ぐに見つめられたサイラスの喉が、ゴクリと鳴った。
よくわからないが、いかにもあざといその視線にどうやら彼の心は鷲掴みにされたらしい。
「はっ! ほんとうにひ弱だな。そんなんで妻として、将来騎士になるサイラスを支えられるのか?」
ジルが胸の前で腕を組んで二人を見下ろす。臙脂色の制服を騎士科の男子生徒たちみたいに着崩し、大きく開かれた胸元がこれみよがしに強調されていた。
コニーとは違ったあざとさが見え隠れして思わず吹き出しそうになってしまう。
二人ともご自分の武器をよくわかってらっしゃること。
「そんな、サイラスは私のことを『ずっと守る』って言ってくれたわ」
「は? 妻を守る? 笑わせる、騎士が守るのは仕える主君だろ」
私の目の前で繰り広げられる三文芝居は、いよいよ佳境を迎えようとしていた。
侮蔑の籠った声に悔しそうに、コニーが唇を噛みしめた。それから「ねえ、サイラス……」と涙目で自らを抱き起こしたままの幼馴染みを甘えるように見つめる。
サイラスはおろおろと腕の中に抱き寄せたコニーと、仁王立ちで見下ろしてくるジルの顔を交互に見やるしかできない。
ここが劇場ならば特等席であろうベンチから三人を眺めながら、私は唐突にひとつの結論にたどり着いた。
馬鹿馬鹿しい。こんな男との婚約なんて解消しましょう。
スッと特等席から立ち上がる。三人の視線が、一斉に私に向けられた。
「サイラス様、申し訳ありませんが婚約を解消させていただきたいの。詳しくは後日改めて、お話させてください」
深緑のスカートを摘み、足を軽く引いて淑女の礼を披露する。
秋季試験の『一般教養』で講師に完璧だと称えられた私の所作に、遠巻きにしている観客たちから「おお」と感嘆が漏れた。
「――へ? ちょ、ちょ、待ってくれ! 突然何を言い出すんだ!」
コニーとジルの間を行ったり来たりさ迷っていた新緑の瞳が、驚愕に見開かれる。腕に抱いていたコニーを突き飛ばすと、慌てて立ち上がって私と向かい合った。
サイラスの信じられない暴挙に、コニーは尻餅をついたまま無言で彼を見上げるしかできない。
「サイラス様には、ずっと守るとお約束なさった幼馴染みのコニーさんや、固い友情で結ばれた唯一無二の男友達のジルさんがいらっしゃるのでしょう? 私の入り込む余地などないではありませんか。どうぞ、私にお構いなく、いつまでも三人で仲良くお過ごしくださいませ」
私は唇だけが弧を描く微笑みを浮かべた。
婚約解消を決めた瞬間から、この男への不信感も苛立ちもすべてがどうでもいい些末なこと。
私の人生には必要ない。
「大切……ふふふ」
「唯一無二、か」
コニーもジルも満更ではない様子でだらしなく顔を綻ばせていく。サイラスとの未来に想いを馳せているのかしら。
「いや、冗談だろ? コニーはただの幼馴染みだし、ジルだってただの友人のひとりだ」
「……はい?」
「あ?」
サイラスの言葉に、妄想の未来から連れ戻された二人が鬼気迫る形相で詰め寄る。
「私のことクレア様より可愛くてお嫁さんにしたいって、口づけしてくれたじゃない!」
「ただの友人、だと? そこらの女と違って安心するって、アタシのこと抱いたくせに!」
サイラスを挟んで前からはコニーが背伸びして胸ぐらを掴み、背後からはジルが肩を掴んでそれぞれが力の限り彼の体を揺らしている。
「う、うるさい! 結婚するならおまえたちみたいな格下の女より、伯爵家のクレアを選ぶに決まっているだろう! コニーもジルも家格が低いし、クレアに勝っているのは胸の大きさだけじゃないか! おまえたちは所詮、愛人がいいところだ」
騎士にあるまじき暴言が、木枯らしに乗って中庭を駆け抜ける。観客たちのガヤガヤとした声がぴたりとやみ、辺りは静寂に包まれた。しかし、次の瞬間――
「あんまりだわ!」
「馬鹿にしやがって、許さん!」
パーンと乾いた音とボコッという重い音と、少女の甲高い叫びと野太い罵声が響き渡った。
「――サイラス様、婚約解消はやめます」
「ほんとか!? よかった……」
「婚約解消ではなく、婚約破棄させていただきますわ」
そう告げて私は中庭から立ち去る。
胸を張り、優雅さを纏い微笑み一歩一歩、堂々と歩む。気分は、舞台袖に捌ける主演女優だ。
背後から「行かないでくれ、クレア!」とサイラスの叫びと、二人の少女の泣き声が奏でる不協和音が追いかけてくる。
彼の左頬には小さな手のひらの痕が、右頬にはやや大きな握り拳の痕が赤く浮かびあがっていた。
私が通りすぎると誰からともなく自然と拍手が沸き起こる。称賛なのか皮肉が込められているのか、それはさながらこの喜劇の終幕を告げるようだった。
∗
その後、サイラスは正式に婚約を破棄された。子爵家から追放された彼は、クレアに支払う慰謝料のために学園を退学、北部の鉱山に送られた。
コニーは男爵家お抱えの若い医師を手玉に取り、診断書を偽造し病弱を装っていたことが判明。その事実を知った両親は激怒した。
ジルはサイラス以外にも複数の騎士科の男子生徒と男女の関係を持っていたことが明るみになり、学園を退学させられた。
コニーもジルも、問答無用で修道院へと送られたのだが、皮肉にも二人が送られたのは同じ修道院だった。
お互い顔を合わせるたびに罵り合い、取っ組み合いの大喧嘩を繰り返す。その結果、二人とも懲罰房で一年間の反省を申し渡されたのだった。
∗
エイムズ伯爵家の客間。窓の向こうでは、音もなく雪が舞っている。今年の初雪は例年よりも早い。
目の前で優雅な仕草で湯気がたつ紅茶のカップを傾けるのは、白金の髪を緩く編み込んだ灰色の瞳の青年。辺境伯家の三男で隣国に留学していたが、最近戻られたそうだ。
私の新しい婚約者候補。
「――まずはひとつお聞きしてもよろしいですか? 病弱な幼馴染みや男みたいな女友達はいらっしゃいます?」
アンコールなんて、お断りだもの。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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10/15 誤字修正しました。報告ありがとうございます。




