第一話「三度目の婚約初日」
婚約の儀式というのは、何度経験しても緊張するものだと思っていた。
でも三度目ともなると、さすがに慣れてくる。
白いドレスの重さも、背中に集まる視線も、大広間に満ちた花の香りも。全部、知っている。二度分の記憶がそう言っている。
私——エリナ・フォン・セルバンテスは、今日、王太子殿下の婚約者になる。
またなる。
三度目。
「エリナ・フォン・セルバンテス嬢」
正面から声がかかった。顔を上げると、そこにいた。
アルノルド・ヴァン・レイドール王太子殿下。二十二歳、長身、銀髪、灰色の目。端整という言葉を人の形にしたような顔。そして——私の記憶の中では、最終的に私を捨てた男。
一度目は「愛する人ができた」と言った。二度目は「君とは価値観が合わない」と言った。どちらも穏やかな声で、まるで天気の話をするみたいに婚約破棄を告げた。
だから三度目の今日、私は決めている。
深入りしない。期待しない。適当にやって、適当に終わらせる。どうせ同じ結末なら、せめて傷を浅くしておきたい。
そう決めた。今朝、鏡の前で三回も言った。
三回も言わないと決まらないものを、決意と呼んでいいのかは、考えないことにした。
「はい、殿下」
笑顔は完璧なはずだった。二回分の練習がある。
ところが。
「……ずっと、探していた」
殿下が言った。
私は笑顔のまま固まった。
え……?
それ、一体どういう意味ですか。
「失礼ですが、殿下。今なんと——」
「君を、ずっと探していたと言った」
声は低く、静かで、でもどこか切迫したものがあった。灰色の目が真っすぐ私を見ている。一度目も二度目も、こんな目をされたことはなかった。あの人はもっと——どこか遠くを見るような目をしていた。
でも今は違う。
まるで、やっと見つけたとでも言うように。
「……殿下、儀式の最中ですよ」
私は努めて平静に言った。周囲の視線が集まっている。侍女たちがひそひそし始めた。
「わかっている」
それでも殿下は続けた。
「エリナ。君は、この婚約を——何度目だと思っている?」
心臓が止まりそうになった。
何度目。
その言葉を、この人が言った。
「……一度目に決まっているではないですか」
微かに声が震えてしまったことに、どうか気づかれませんように。
殿下はしばらく私を見ていた。それから、ゆっくりと口角を上げた。笑顔。でも一度目でも二度目でも見たことのない、どこか疲れたような、それでいて安堵したような——
「そうか」
そう言っただけで、彼は視線を前に戻した。
儀式が再開される。誓いの言葉が読み上げられる。私は機械的に返事をして、指輪を受け取って、婚約者になった。
三度目の。
でも私の頭の中は、ぐるぐると同じ言葉を繰り返していた。
何度目だと思っている?
あの人は知っているのか。知っているはずがない。知っていたらどういう意味になる。それとも偶然の言葉か。深読みしすぎか。
深入りしないと決めたのに。
「エリナ嬢」
儀式のあと、殿下に呼び止められた。
「今夜、二人で話がしたい。時間をもらえるか」
一度目も二度目も、そんなことは言われなかった。
私はまた、笑顔で固まった。
「……もちろんです、殿下」
答えながら、心の中で自分に言い聞かせた。
落ち着け、エリナ。どうせ同じ結末だ。何があっても、期待だけはするな。
言い聞かせが必要な時点で、もう半分は負けているのかもしれない。そのことには、気づかないふりをした。
だって。
婚約初日の夜に呼び出されたのは、今回が初めてで。
殿下の目が、あんなふうに私だけを見たのも、今回が初めてで。
どうして三度目になって、全部が違うのだろう。
——ほら、また数えている。
初めて、初めて、と。三度目の女が、初めてを数えている。
みっともない。
「……殿下」
呼びかけたら、振り返られた。
「なんだ」
「あなたは、」
一瞬迷って、やめた。
「……今夜は何時に伺えばよいですか」
殿下はまた、あの疲れたような笑顔を見せた。
「いつでもいい。今夜は君のために予定を空けてあるから。……ずっと、待っている」
待っている。
その言葉が、ずっと耳に残って離れなかった。
深入りしないって、決めたのに。
一度目も、二度目も、最初はそう決めていた。そして気づけばずるずると、同じ場所まで引き込まれていた。三度目の今夜、まだ婚約初日だというのに——私はもう、その入口に立っている気がした。
滑稽だと思う。でも笑えなかった。
笑えるほど、割り切れていない。
三度も繰り返して、まだそれだけが、できないままだった。




