【1】おそらく20代から40代あるいは50代から70代
―――アリアは過去に3回『家』を失った。
この世界の支配者は魔獣だ。広大な魔獣支配圏―――その片隅で数多の犠牲を捧げて人類生存圏をどうにか維持してきた被食種に、明日が約束された安寧の地などありはしない。だから、孤児で天涯孤独なアリアの身の上はありふれたものだった。
でも、とアリアはペンを握り、
―――失ったなら
鋸を材木に喰い込ませ、
―――奪われたなら
金槌を釘に振り落とす。
―――何度だって建て直せばいい。
建築家アリアは、魔獣に蹂躙された世界の片隅で、今日も誰かのために『家』を建てている。
***
「当家の敷地内に新しく別邸を作って頂きたいのです」
アッシュグレーの髪を丁寧に撫で付けた老執事からの依頼に、青みがかった灰色の髪をツーブロックに刈り上げた女建築家は意気込んで頷いた。
「畏まりました」
応接室―――邸宅の規模と家格から言って、恐らくは出入り業者専用のもの―――には夏の日差しが眩く差し込んでいた。平民階級が出入りする設備は日当たりの悪い場所に置かれがちなのだが、さすがは辺境伯家といったところか。帝都内でも高位の貴族階級が住まう一等地とは思えない広さの敷地を贅沢に使った間取りだった。
「具体的には、どなたがお使いになる、どのような建物をご希望でしょうか」
アリアは3年前に親方から独立した建築家だ。今年で23歳になる。
目前の老執事よりも上背のある彼女は、その高身長と、程よい筋肉で引き締った体格に短髪といった容姿、更に動きやすいユニセックスな服装を好むことから、しばしば戦線騎士と間違われる。だが、残念ながら―――アリアにとって本当に心底残念なことに、歴とした一般人であり、非戦闘員であった。
現場作業に加わることが多いため、普段は動きやすい長袖長ズボンを愛用している彼女も、今日は高位貴族との打ち合わせとあって、上品な丈長のワンピースを身に纏っており、薄化粧を施した横顔は、貴族のご令嬢といわれても頷ける静謐な美しさを宿していた。
その紅で彩られた形の良い唇から、低いハスキーボイスが柔らかな声音で紡がれる。
「バルリング辺境伯よりご依頼を受けるとは、この身に余る光栄です」
落ち着いた声音とは裏腹に、アリアの胸中は混乱が渦巻いていた。
―――ほんっとうに、光栄ではあるけど、マズでなんでこんな若造に声掛けなさったんだ。本当に謎。どんな裏があるか分からなくて怖い。軍神様でも通りがかりの親切な賢者でも誰でもいいから誰か教えてぇ。
内心の混沌をおくびにも出さず、アリアは微笑み続けた。どうしてこうなったと。
***
独立当初は親方から紹介を受けた裕福な商人などをメインの顧客にしていたアリアだったが、最近は相手の要望をきめ細やかに反映する建築家として一定の評価を受け、確かに貴族の依頼も来るには来ていた。
が、相手の爵位はせいぜい子爵までだ。当たり前である。アリア程度の若造の実績で、高位貴族からお声掛けがあるはずがない―――なかった、今朝までは。
『建築家であらせられるアリア・クレーフェ様でお間違いございませんでしょうか』
お仕着せの若い従僕が持参した書簡に記された名と封蝋の家紋にアリアは目を疑った。そこに記されていた名は『バルリング辺境伯家』。ヴァッレン帝国の中枢を担う大貴族の家名だった。一瞬詐欺を疑ったが、帝都建設組合にかけた照会で封蝋印が本物であると証明された。ついでに謎の激励をたまたまいた組合長から頂いた。
『アリア君、武運を願う』
『え、組合長。やっぱり何か訳ありなんですか、この依頼』
『……さて、そろそろ会食に向わねば』
雑な誤魔化され方をしたアリアは、もの凄く嫌な予感を胸に、帝都のバルリング辺境伯家本邸へと足を踏み入れた。
***
通された応接室で、ここに住まう方々とアリアの住む世界の違いをまざまざと見せつけられ、遠い目をしながら、アリアは彼女が育った養護院の神官さまの言葉を久々に思い出した。
『よいですか、アリア。我々はか弱い仔羊なのです。かくも儚い命が今あるのは、貴女自身の努力と幸運、軍神様のご加護、そして魔獣戦線で戦う騎士様たちのおかげなのですよ。朝、ベッドから足を下ろすときには、必ず騎士様にお祈りを捧げなさい。彼らの屍を対価に、今日も我々は人生を歩むことを許されているのです』
―――この世界の支配者は魔獣だ。無尽蔵に湧く魔獣を相手に生存競争を繰返す人類は、時に逃亡して息を潜め、時に熾烈な生存圏争いを辛勝して、どうにか命を繋いできた。
無数の生存圏が興されては瞬きの間に魔獣に喰われて滅ぶ世界で、500年を超えて存在する生存圏はもはや稀有な存在となった。――――その稀少な生存圏の一つ、ヴァッレン帝国がアリアの暮らす場所だ。
『アリア。いいか、人間社会にはルールがある。この帝国において最も重視されるルールは当然【魔獣撲滅】だ。しかし、我々平民にはもう一つ大事な原則がある。……王侯貴族には絶対に逆らうな。目を付けられるな。そのために知識と知恵をつけろ。無知は罪だぞ、アリア』
アリアにそう教えたのは、彼女の師匠だ。50年以上建築家業をしてきた師匠は、貴族社会の恐ろしさを見習いのアリアに蕩々と語った。
『下手すれば、その贖いはおまえの命一つに収らず、おまえを取り巻く全てを理不尽に死に至らしめるかもしれない』
そして師匠はアリアに、ヴァッレン帝国内の主だった大貴族家とその来歴、相互の関係性を教えてくれた。
『この階級からの依頼はまず無いだろうが、下請けとして現場に入る可能性もある。よく覚えておけ。特に【バルリング辺境伯】は帝国の要だ。いいか、本家は勿論、分家筋の施工でも、万が一関わることがあったら、全身全霊で最善を尽せ―――何故なら』
バルリング辺境伯領にある魔獣戦線は帝国有数の激戦地だ。
帝国最強と名高いバルリング辺境伯軍をもってしても、過去何度も戦線が崩壊しかけている。その度に辺境伯家とその周辺領地の貴族家は多大な犠牲を払ってきた。彼ら一族は総数をジリジリと減らしながらも、奪われた生存圏を奪い返して、今日まで帝国への魔獣の侵攻を食い止めて下さっている。
『バルリング辺境伯家の消滅は、帝国の滅亡――――引いては人類の絶滅につながると思え』
今の帝都の平穏は、バルリング辺境伯一族の屍の上にある。その彼らが、別邸建築にアリアを指名して下さった。
―――なんたる名誉。断るなどありえない。そして、失敗は許されない。
神官さまの言葉と師匠の声が脳裏でリフレインする。相手は軍閥の中でも、名声も人望も桁違いの高位貴族だ。ここで不興を買えば、今後、貴族相手の仕事はおろか、帝国内での仕事も難しくなる。プレッシャーでペンを握る手に汗が滲むのが分かった。
「事前に守秘義務契約を神前で結んでいただいておりましたね」
「はい」
「では、これからお見せする邸宅内の簡略図も契約内となります。他言無用でお願い申し上げます」
執事がスッと手を上げると、大きな紙を抱えた若い執事補佐が音もなく近寄り、テーブルの上にそれを広げた。邸宅内の建造物や庭園、通路等を簡易的に描いた地図に視線が集まる。
「この枠線が本邸です。この東端にある庭園を潰して、ここに新しく二階建の別邸を作って頂きたい」
フムフムと頷いて、アリアはメモを取る。後ほど実際に現地を見た上で、簡単に測量や地質・地脈調査をする必要があるが、見たところ悪くない立地だ。経験上、この辺りの地区は地脈から動力源となる魔力を汲み上げやすい。資材や建築用大型魔導具の搬入経路も、図面にある建造物と通路の位置取りから見て、確保しやすそうである。
「別邸の建築自体には、恐らく問題はないかと。ご予算の方は……?」
「ご当主様より金額の多寡は問わず、最高のものをと申し付けられております」
―――さすがバルリング辺境伯家。予算を考慮しなくていいのは、単純にありがたい。
この執事が仕えるのは黒の辺境伯家―――魔獣戦線に捧げる命への対価として莫大な俸禄をもらっている高位貴族だ。つまり、めちゃくちゃ分厚い財布を持っている大金持ちなのである。
―――さて、問題はここに何を建てるか、だ。
年若い女性建築家だという理由で、アリアは貴族のご令嬢向け物件を依頼されることが多い。今回もそうなのだろうか。
―――バルリング辺境伯家の女性……確か、ご存命の次女殿がいて、現役の騎士だったはず。同業者の女友達が『ふぁんくらぶ』なるものに入ったと懇親会で言っていた。
彼女のためか? と考えて、内心で首を横に振る。ほぼ魔獣戦線に出ずっぱりで本邸にはたまにしか帰還しないと聞く女騎士のために、わざわざ別邸を建てる理由が思い浮かばない。では、誰のためだ?
「いくつか設計案をお作りする予定ですが、具体的にこのようなものが良い、というご希望はありますか? こちらに私が実際に建てた建築物の外観スケッチがございます。二階建てと申しますと……コチラやコチラなどいかがでしょうか」
最新の流行を取り入れたシンプルな邸宅と、逆にゴテゴテに装飾した古典的な貴族邸宅のラフ図を見せて執事の反応を伺うが、あまり芳しくなかった。……嫌な予感がした。
「そうですね。……一般的に女性がお好みになるものでお願いしたいのですが」
―――性別は女性で確定、と。辺境伯が愛人でも抱え込むのか? いや、現皇帝の妹君である細君への求婚譚が帝都歌劇場の鉄板演目となっている御仁に限ってそれはない。では、次期辺境伯である長男殿だろうか。魔獣討伐歴も華々しい騎士様だ。英雄色好むと言うし。……それにしても、『一般的な女性』と来たか。
アリアは『一般的』という言葉が嫌いだ。平均点の人間などこの世のどこにもいない。人間、誰しも独自の好悪があるものである。いつ死ぬか分からない人生なのだ。だったら、一日の終わりに帰る自邸は、その人が一番寛げて幸せを感じられるものにしたかった。
『死んでも帰りたいぐらい最高の住まいを』がアリアのモットーだ。
「一般的と申しますと、お好みの分かれにくいものをお求めということでしょうか。もし差し支えなければ、お住まいになる方のお好みや年齢などをお教え頂ければ、より最適なご提案ができますが」
さすがにヒントが少なすぎて提案が難しい。何も言わずに、本邸と調和がとれる無難な別邸を作ることもできたが、それはアリアの主義に反した。
それまで常に薄い微笑を維持していた執事が、困ったように眉を下げてみせた。
「申し訳ございません。事情がありましてお伝えできないのです」
アリアは食い下がった。
「もちろん守秘義務は守ります。御年齢だけでもダメでしょうか」
首を横に振った執事が、そもそも彼自身も詳しくは知らないのだと返す。
「おそらく20代から40代あるいは50代から70代、だと思われるのですが……」
なるほど、まったく参考にならん。幼女と要介護老人は除外されたが……。
アリアは、この執事からこれ以上の情報は得られないと悟った。この言い方は、もし知っていても部外者であるアリアには教えられないということだ。
―――いったい何者がこの別邸に住まうんだ? 本邸執事がわざわざ素性を隠すということは、愛人程度の人物ではなさそうだが。……仕方ない。住み始めてから不満な点をリフォーム依頼して欲しいとアピールする方向でいこう。後からカスタマイズ方式だ。では、それ相応の格式の建築物にしよう。外観は古典で行くとして、内装は抑え目ながらも優雅な印象を受ける系統、高位貴族向け物件が得意な下請けがいる。誰に声を掛けようか。
アリアは、手帳を捲りながら脳内の人名簿と照らし合わせ、今抱えている他の仕事の納期を考えた上で、大体1年から1年半くらいでの引き渡しを想定して、こんなのはどうでしょうかと仮の構想を執事に提案した。
「では、どなたでも不快を感じにくい、曲線を取り入れた古典的な木造建築はいかがでしょうか。外壁の色や内装のご希望などは……ない、こちらに全面的にまかせる、と……そうですか。では、後程いくつか候補をお見せ致しまして、ご許可を頂きたく存じます。……あの、お住まいになってからの改装も承っております。どうぞ遠慮なくお声掛け下さい。ちなみに、お引き渡しはいつ頃を想定なさっていますか」
貴族向けの物件だ。繊細で手が抜けない作業の多さと秘匿性の高さから使える人員も限られる。できれば1年は納期が欲しい。頭の中でこの後の段取りを考えていたアリアに、老執事は相変わらず腹の中が読めない表情のまま告げた。
「1ヶ月でお願い致します」
「分かりました。いっかげ……1ヶ月!?」
復唱の途中でメモしていた手帳から勢い良く顔を上げたアリアに、執事は強く頷いて繰り返した。
「1ヶ月です。その半月後に、さる尊き貴婦人が御入居予定なのです。無理は承知しております。予算に糸目は付けません。納期を最優先でお願い致します」
アリアのデスマーチが幕を開けた瞬間である。ちなみに、声を掛けた関係者全員に納期を二度聞きされた上で、正気を疑われた。その全員を巻き添えに、アリアは地獄の1ヶ月へとスタートダッシュを決めたのだった。
***
―――アリアは本当の地獄を知っている。
アリアの記憶にはないが、アリアは1番目の『家』―――家族を魔獣の襲撃により失っている。旅の途中だったらしい平民夫婦は遺体の損壊が激しく、身元が分からなかったらしい。彼らの馬車の残骸を発見し、木くずと幌の下に隠されるように眠っていたアリアを助け出した当該地区の巡回騎士が、2番目の『家』―――近隣の孤児院に乳児のアリアを預けた。
その2番目の『家』も、アリアが物心つく前に魚群型飛行種魔獣の群来によって領地ごと消え失せた。同時多発的に起こった魔獣襲撃により、当時の帝国東部は孤児で溢れかえったらしい。
運が良いのか悪いのか、この時、襲われた孤児院を訪れていた神官が唯一抱えて脱出できたのが、まだ小さな乳児だったアリアだった。そうして、アリアは3番目の『家』―――アリアを助けてくれた神官さまと彼女の同僚数名が管理運営する、魔獣孤児向けの養護院で育つことになった。
『我々は、か弱き仔羊なのです。アリア』
『蹄で蹴られるとけっこう痛いよ、神官さま?』
『……そんなことを言う子は……こうですよー!』
『きゃあー、く、くすぐるのはやめてぇぇー』
育った孤児院が魔獣湧出地の突発的発生で吹き飛んだ時、6歳だったアリアはたまたまパンを買うお使いに出掛けていた。制止する騎士の腕、その向こう側に広がっていた光景―――あれこそがこの世の地獄だった。
『神官さま……みんなっ……』
『こ、こら……だめだ、行くな、見るなっ。……そこの新人、こっちに来い! この子を2区画向こうに開いた救護所まで連れて行ってやれ!』
あの日、アリアは世界の全てを失った。でも、失うばかりが人生ではない。アリアは、周囲の優しい大人たちの助力と、自身の努力、類稀なる幸運、もしかしたら軍神のご加護もあって、今の建築家としての地位を築き上げ、大事な仲間と新しい居場所を手に入れた。
***
「どうか、お願いできませんか」
本来、一介の平民なぞに下げられるはずのない、大貴族家の執事の頭を見下ろし、アリアは相手よりも更に深く頭を下げた。
「この仕事、お受けします」
家を作ることは、アリアの仕事だ。誰かが帰る―――帰りたいと願う我が家を、いつかアリアが失ったあの場所を、誰かのために作ることこそがアリアにとっての生きる意味なのだ。




