無力の代償
複雑な問題は、時間が経てば勝手に結果が出る場合がある。ただ、それがいい方向に向くかどうかは別の話だが。
結局、何もいい方法なんて思いつかない。市松を抜いた三人で飯に行って、熊田に告白させるしか無いようだ。駿河が首を縦に振ってくれるかどうかが問題だが、説得してみるしかないだろう。俺はそう思い、次の日の夕方、教室の前に駿河を呼び出し、話をした。
「……三人で?」
駿河は斜め上視線で、警戒心を隠すこと無く目で訴えている。思った通りの反応だが、ここは誠意を持って説得するしかない。
「別に深い意味はないんだ。ほら、俺って騒がしいのが嫌いだから、三人で行きたいな~と思ってさ」
駿河は俺から視線を外し、クリームがかった色の壁に持たれ、何かを考えているようだ。
「熊田さんに頼まれたのですか?」
駿河は少し俯いたまま、らしくない静かな声でそう言った。俺はどう答えようか悩んでいたが、これ以上隠せば逆に悪い方向へ行ってしまうような気がする。
「別に、頼まれたわけじゃないけど、熊田が駿河と話をしたいらしいから……」
俺がそう言うと、駿河は耳を赤くし、勢い良く歩き出した。怒ったのか。いや、絶対に怒っている。どうやら俺は、駿河の何処かに隠れていた怒りのスイッチを入れてしまったようだ。
「待てよ、駿河」
俺は自分のうかつさに腹が立ち、駿河を止めるために後を追うと、駿河は勢い良く教室のドアを開き、入り口から中を見渡した。
「熊田さん、ちょっといいですか」
駿河は、いつもより一オクターブ低い声質で、帰り支度をしていた熊田を呼びつけた。怒りは俺だけにとどまらず、熊田にも向けられているようだ。
「熊田は関係ないだろう」
俺がそう言っても、駿河は聞く耳を持たない様子で、見向きもしなかった。
熊田は状況を察したのか、小さくため息を付き、カバンを手にして、俯きながら教室の外へと出てきた。
教室に残っていた一〇人程のクラスメイトは、何事かという目で俺達を見ている。その視線の中には市松の姿もあった。
熊田を呼び出した駿河は少し歩き、階段の踊場で足を止めた。腕を組み、明らかに、私は怒っています、というのが見て分かる。
「熊田さん! もう私に構わないでください」
熊田は、チラチラと俺の方を見ている。助けを求めているようだ。俺のせいで被害を受けている熊田が、とても哀れに見える。
兎に角、駿河の怒りを収めなければならない、と思ってはみるのだが、どこに怒りのスイッチがあったのかが分からないせいで、どうやってなだめて良いのかが分からない。
「いや、熊田が悪いワケじゃないだろ、俺が……」
「分かってるんですよ、高井さん。この人が頼んだんでしょ」
はい、確かにおっしゃるとおりだが、いきなり『この人』呼ばわりするのはどうかと思う。誘い方がまずかったのは俺の責任だ。この怒りをまずは俺の方に向けなければ。
「違う、俺が勝手に計画したんだ。そう怒るなよ。可愛い顔が台無しになるじゃないか」
駿河の目は、俺と熊田を行ったり来たりしている。目が迷いを見せているようだった。俺は、熊田と駿河の間に立ち、駿河の視線を俺だけのものにしようとした。
すると、駿河の視線が俺でも熊田でも無く、その後ろの方へと向かった。俺は、野次馬が騒ぎを聞きつけ、興味本位で見に来たのかと思い、駿河の視線の先を見ると、そこには市松の姿が見えた。
市松の姿が見えた俺は、ためらいを隠せずにいた。今こいつが来たら絶対にめちゃくちゃになる。そう確信したからだ。
運が尽きたか――そう思ったが、そんなもの、とっくに無くなっていることに気づいた。兎に角、今は不運のセールスはお断りだ。これ以上、駿河を怒らせない為にも、市松にはこの場を離れてもらった方がいいだろう。
「大事な話をしてるから、お前はどこかに行ってくれ」
俺は、市松をじっと見つめ、硬い声でそう言った。
市松は、それに答えようともせず、駿河を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「駿河さん、熊田さんの話を聞いてあげてください」
市松がそう言うと、重苦しい沈黙が流れた。俺は息苦しさを感じ、ため息を付いた。
駿河は、また怒りを復活させているようだ。力のこもった目で市松を睨みつけている。
「なんで、あんたにお願いされなきゃいけないのよ」
「だって、このままだと熊田さんが……」
二人のやり取りを見て、俺は逆に冷静さを取り戻した。止めるべきだろうか。いや、むしろ丁度良いじゃないか。このまま、とことん話をさせた方がいいかも知れない。崩壊してしまうかもしれないが、見ようによっては、とっくに崩壊してしまっている。これは一つの賭けだな。
「そんなにこの人が可哀想だと思うなら、あんたが何とかすればいいじゃない。この人のことを好きなんでしょ?」
駿河は腰に手を当て斜に構えながら、熊田を顎で差してそう言った。駿河はやはり、市松の気持を知っていたようだ。さすが駿河と言うべきだろうか。それにしても何て悪態だ。それだけ怒っているということか。
市松は、しばらく黙って熊田を見つめたあと、静かに首を振った。
熊田は、市松が自分のことを好きだと知って驚いたのか、目を丸くして固まっている。そりゃ、驚くだろう。思わぬ告白を受けたのだから。
「そうしたいけど、私には出来ません」
市松は否定することはしなかったが、自分では力不足だと言いたいようだ。なかなか謙虚じゃないか、市松。
「話を聞くも何も、私は熊田さんのことなんて嫌いだから」
駿河は、熊田の目を一瞬だけ見て、また視線を市松へと戻した。熊田は口を開けて唖然とし、俺の方を見ている。
あぁ、とうとう被害者が出てしまったようだ。熊田が撃沈してしまった。結局、告白する前に振られてしまったか。俺と同じじゃないか、熊田。
「それでも、熊田さんは告白するべきだと思います」
市松はまだ続けたいようだ。しかも、自分のルールが正しいと思っているのか、それを駿河に押し付けようとしている。何を根拠に自分が正しいと思っているのか、一度ゆっくり聞いてみたいものだ。一言居士もここまでくれば立派なものか。
「それじゃ、あんたは告白したの? この人に」
駿河はそう叫んだが、壁に反響した自分の声に少し動揺した様子を見せた。恐らく、自分の声の大きさに驚いたのだろう。
「いや、私は……」
市松は目を伏せ、唇を引き締めた。
「自分が告白も何もしていないくせに、人にそうやって言える神経が分からないわ。そんなんだから嫌われるのよ」
勝負あり、か。市松は完全に思考停止してしまっているな。あーともうーとも言わなくなった。ほんと、こういう場に弱いな。
再起動するまで待つべきか。いや、もう勝負は完全についただろう。熊田も声が出ないようだし、これ以上暴挙に出ないよう処理するか。
「――もういいだろ、駿河。まずは落ち着こう」
俺はそう言って、駿河の肩に軽く手を乗せた。駿河は俺の手を軽く払い、熊田の前に立ち、両手を腰に手を当てた。まだ何かを言いたそうだ。
「私、熊田さんのそーゆーところが嫌いなんです。いっつもウジウジして、好きだって周りに言いながら、自分では何にもしない」
おっと、トドメを刺しに行ったか、駿河。熊田は泣いているのか、窓から差し組む、夕日が少しまざった陽の光を反射させている。
「俺……駿河さんのことが……」
「二度と関わらないでください!」
駿河は、熊田が何かを言いそうになっているのを遮るように言い放ち、強い足取りでその場を離れた。
あーあー、何だこれ、カラスに荒らされたゴミ捨て場みたいじゃないか。グチャグチャだな……。まぁ、どっちにしろ、半分投げ捨てていたようなものだから、このまま放っておいてもいいだろう。
市松はまだ、思考停止状態になっている。俺がもっとしっかりしていれば、市松のこんな姿を見ずに済んだのかもしれない。熊田も立ちすくんだまま、動くことすら出来ないようだ。結局、俺は駿河も被害者にしてしまったってことか。情けない奴だな、俺は。
「――もう、友達にもなって貰えない。そういうことですかね」
熊田が、ぼそっと言った。こいつ、あそこまで言われて、まだ未練があるのか。どんだけ打たれ強いんだ。俺だったら重傷過ぎて立ち直れないぞ。
俺は敢えて何も答えなかった。こんなとき、何て声をかけていいのか分からない。
市松は、大きく深呼吸をした。どうやら、自らの手で再起動させたようだ。
まぁ、何はともあれ、今ここで全てが終わった。結果が散々だったのは俺のせいだろう。自分がいかに無力かを思い知らされてしまった。
そう思っていると、市松は俺の目を見て、また、あの嫌な笑い方をした。
おいおい、またその顔かよ。今度は何を企んでいるんだ。熊田を慰めろとでも言うつもりか? 冗談じゃない。何が悲しくて、こんな大男を俺が慰めなきゃいけないんだ。
「高井さん、お願いします。駿河さんを何とかしてください」
どうやら、熊田を慰めろ、ではなく、駿河を何とかしてくれと頼んできた。熊田を慰めろより少しはマシな願いだが、そもそも駿河を何とかしろって、何をどうしろと言うのだ。こいつは俺のことを、召使か何かと勘違いしていなか? 何でも言うことを聞くと思ったら大間違いだ。
「自分で何とかしたらどうなんだ」
俺は、壁にかかった時計でも見ているかのような目で市松を見た。
「駿河さんが傷ついたままだし……。私、どうしていいのか分からない」
確かに、熊田は良いとしても、駿河を傷つけてしまったのは悔いが残る。市松の頼みをこれ以上聞きたくはないが、駿河にはちゃんと話をしておきたい。
「……分かった。駿河をなだめてくる。熊田、市松を頼む」
俺は市松を熊田に託し、去って行った駿河を追うことにした。
教室を見に行ってみたが姿はない。机を見てみたがカバンが無いので、恐らく帰ったのだろう。だが、そんなには遠くに行ってないはずだ。俺は足早に、駿河が使っている駅へと向かうことにした。
すると、駅へと向かっている人の群れの中に、駿河の後ろ姿が見えた。早足で歩く駿河。怒っているのが後ろ姿でも分かる。
「駿河!」
俺は少し遠くから駿河を呼んでみたが、聞こえていないのか、振り向くことはない。仕方なく距離を詰め、もう一度声をかけた。
今度は聞こえたようで、駿河は足を止めて俺の方を振り向いた。雑踏の中で立ち止まる駿河を、流れる人達が邪魔そうな目で見ている。
俺は、駿河に近づきながら、何を言おうか考えていた。素直に謝るべきだろうか。それもと、軽い言葉で誤魔化すべきだろうか。急いだせいで息が少し乱れているが、直している余裕はない。
「よかった、間に合った」
「…………」
「嫌な思いをさせて悪かったな」
「いいんですよ。私はもうすぐ学校辞めるし。そしたら、もう誰とも会わないつもりだったので」
「そんなこと言うなよ。そんなこと言われたら、寂しいじゃないか」
「高井さんには、色々とお世話になりました」
駿河は、髪を前に垂らしながら、丁寧に頭を下げた。
他人行儀な挨拶は、俺がしてしまったことへの報復のようにも感じられたが、駿河の目からは、怒っているという感情が見えなかった。何処か淋しげで、優しささえ感じる。
「勝手に『お別れ』なんて、俺が許すとでも思ってるのか?」
駿河は眉を八の字にさせ、少しだけ微笑んだ。
「高井さん、怒ると怖いですよね……」
「考えなおせよ。ほら、お詫びに美味しいものをご馳走するからさ」
駿河はいつもの笑顔を取り戻した。美味しいもの、という言葉に弱いのだろうか。それにしても、いい笑顔をするな、駿河は。
「二人で飲みに行くのならいいですよ」
俺は内心ためらったが、断るだけの理由が無かった。いや、むしろ、それで機嫌を直してくれるなら問題ない。
「分かった。飲みに行こう。それで、いつがいい?」
「私は木曜日がいい」
「いいよ、木曜日に行こう。何処か良い所を探しておくよ」
俺達は人の流れに逆らうこと無く、駿河が帰る駅へと歩いた。駿河の笑顔がとても優しい。俺はもう少しで、傷つけたまま放っておくところだったのかもしれないと思うと、本当に自分が馬鹿だと思い知らされる。
木曜日か――明後日じゃないか。そう言えば木曜は駿河がハローメイツに来る最後の日だ。そうか、最後の日に飲みに行きたいのか。まぁ、さよなら会のような感じか。
それにしても、そんな大事な日に、俺だけで良いのだろうか。駿河なら、声をかければ何人か集められそうなものだが、まぁ本人がそう言うのだから、それでいいか。
駿河の機嫌も良くなったように見えるし、思うようなシュチュエーションには程遠いが、熊田の告白も終わった。後は、傷ついた熊田を市松が慰めて、その流れで二人が付き合えば、俺のピエロごっこも終わりということか。ホッとしたせいか、一気に疲れてきた。俺は何の為に、こんなにも疲れてしまっているのだろう。
そして、俺はもう一度ハローメイツまで戻っていた。荷物を持たず駿河を追いかけてきたので、カバンを取りに帰りらなくてはいけないし、市松や熊田のことも放ったままだ。
市松のことだから、自分のせいじゃないかと思っているかも知れない。熊田も酷いとを言われ、悄気ているかも知れない。もしかすると、二人揃って悄気ているかもしれないな。想像しただけで吹き出しそうだ。クマとキツネが、夕日に照らされながら悄気ている姿を想像しながら、俺はハローメイツに戻る道を歩いていた。
ビルの群れを抜けると、学園ビルが見えてきた。さて、カバンを取って早く帰ろう。そう思いながらビルに近づくと、ビルの入口に突っ立っている、背中を丸めた熊田の後ろ姿が見えた。思ったとおり悄気ているのだろうか。夕日には照らされていないが、背中の丸まりようからして、そう見えてしまう。
大きいから目立つな、アイツ。それにしても、何であんなところで悄気てるんだ? 俺は歩きながら様子を伺っていた。
だが、何だか様子が可怪しい。異様な背中の曲がりよう、斜め前に伸びている手の角度。悄気て立っているような感じではなかった。
なんだろう。よく見ると熊田の脇のあたりから、見慣れた服の袖辺りが、熊田の背中に巻き付くように見えている。
――いちまつ?
そこには、市松と熊田が抱き合っている姿があった。小さな市松を、大きな熊田が包み込むように抱きしめていた。
「なんで……」
見たくなかった。不意に現実を突き付けられた俺は、一秒を六〇分割されたような感覚に陥り、記憶の川を下り始めた。
手のひらが汗ばむのを感じ、拳を握り締めた。胸の辺りで熱いものが少しずつ膨れ上がり、胃の底から上って、のど元が熱くなるのを感じる。それは不安でも恐怖でもなく、純粋な怒りだった。
駄目だ、これ以上この場所には居られない。俺はその場から逃げた。今、自分がどんな顔をしているのかも分からない。怒った顔をしているのか、それとも、悲しんでいる顔をしているのか。
黄昏の街が一日の溜息をつく中、俺は二人を背にして帰路を辿った。教室に置いてあるカバンもそのままに。
心が闇に吸い込まれていくような感覚が続いている。どす黒い怒りが腹の中で渦巻く。切れ味の悪いナイフで切り刻まれているようだった。
当然の結果だと分かっているのだが、何故俺はこんなにも苦しんでいるんだ。
怒りは時間をかけ、ゆっくりと虚しさへと変わり始めた。その虚しさに、たった一滴の不安を混ぜるだけで、あっという間に色を変え、強い嫉妬を生み出した。それは化学反応ではなく、ただの自然現象だ。
その感覚は、朝を迎えても同じだった。ため息が出る度に、体が重く感じている。
俺は、市松に対する恋心をクシャクシャに握りつぶし、市松を忘れてしまうことにした。
朝のバスで、俺は特等席に座るのを避けた。運の悪さをバスのせいにしたかったからだ。
ある意味、約束は果たせた。もうこれ以上関わる必要も無いし、何があったのかなんて聞く必要もない。さっさと市松なんて忘れてしまおう。俺は市松を避けることにした。
「おはようございます」
教室に入ると、市松が話しかけてきた。変な笑顔はしていなかったが、俺の不機嫌さをさらに強くさせている。市松が何を話したいのかは想像出来る。どうせ熊田と付き合ったとかだろう。だが、何も話す気にはなれない。
「あぁ、おはよ」
俺は不機嫌を全身でアピールしながら、忙しいフリをしていた。空気が読める奴なら、この状況で話しかけるのを止めるはずだ。
「高井さん、昨日待ってたんですよ」
まぁ、空気を読めない市松が気にするわけ無いか。
「あっそ」
「それで……」
何か話したそうにしていたが、聞きたくなかった。俺はトイレに行く、と言ってその場を離れた。
昨日の残像が頭から離れない。夢だったと思いたかった。夢だと信じこみたかった。
トイレの洗面台で顔を洗い、鏡を見た。俺の心が、ずっと悲鳴を上げ続けていたからだろうか、やけに疲れた顔をしている。
兎に角、忘れたふりをしておこう。自分を騙すことでこの場を乗り切るしかない。俺は鏡の中の自分にそう言い聞かせ、チャイムが鳴る寸前に教室へと戻り、何事も無かったかのように授業を受けたが、講師の話が、まるでどこか違う国の言葉のようにしか耳に入らない。授業を受けても何も頭に入らないのに、俺は何で学校なんて来ているのだろう。いっそ休んで家に居たほうが良かったんじゃないか。
俺は、授業を聞くのを止め、駿河と何処に行こうか考えることにした。少しでも楽しいことを考えないと、頭がパンクしてしまいそうだ。
メールで駿河に何が食べたいかを聞くのもいいが、それでは味気ない。駿河は何が好きで、何が嫌いなのだろう。俺は自分の記憶を引っ張りだしながら店を選んでいた。
すると、市松から俺宛に、個人チャットが入ってきた。折角、気を紛らわしていたのに、台無しになる。
[市松]:私、熊田さんに告白しました
そんな話、聞きたくも無いし、何も話す気分になれない。
[高井]:悪い。俺、今機嫌悪いから話しかけないで
[市松]:はい
少し冷たくし過ぎたかな……。また、ため息で体が重く感じる。市松のことを忘れると決めたはずなのに、気になって仕方がない。余計に苛立ってくる。
俺の勝手な嫉妬で、アイツに冷たくしてしまっているような気もする。それって、単なる俺の身勝手になってしまうのだろうか。俺の気持とは正反対に、目は何度も市松を見ようとしていた。冷たくしすぎたような罪悪感が湧いてくる。
市松は、熊田に告白したと書いていたな。俺が聞いてやらなきゃ、アイツ、誰にも話が出来ないか……。兎に角、聞くだけは聞いてやるか。
[高井]:何、どうしたの
[市松]:熊田さんに告白しましたよ
[高井]:それで?
[市松]:今は考えられないって言われました
[高井]:で?
[市松]:いや、好きと言えて良かったと
[高井]:俺の役目はもう終わった。だから、もう放っておいてくれ
[市松]:何を怒ってるんですか?
怒ってる? 自分が何をしていたか、そのペッタンコな胸に手を当てて聞いてみろ。そう言いたかったが、もちろん、言えるわけがない。
そういえば、何で俺は怒っているのだろう。そもそも、市松の彼氏ってわけでもないし、怒る権利なんて無い。それどころか、そうなるよう手伝ったのは俺じゃないか。市松と熊田のことを応援していたじゃないか。何でこんなにも怒っているのだろう。
確かに、三〇%は怒っている。だが、あとの七〇%は後悔しているだけだった。なんだ、俺ってただ、自分で自分の首を絞めて、勝手に機嫌が悪くなっているだけじゃないか。自分に呆れてくる。
[高井]:別に。ただ機嫌が悪いだけ。だから放っておいて
頭では分かっているのだが、やはり怒りや後悔は納まることがなかった。
市松、熊田、駿河。今日は誰一人話し声が聞こえてこないな。雰囲気は最悪の状態だ。まぁ、俺もその中に入るかも知れないが。
俺は意識的に市松を避けた。役目は終わった今、兎に角、この辛い現実から少しでも距離を取りたかった。市松と距離を取り、好きになる前に戻る。たったそれだけのことなのに、思うようにいかなかった。時すでに遅し……か。思った以上に彼女が侵食していた。
結局、この日は市松の誕生日だったのに、おめでとうの言葉を言えずに終わってしまった。