第2章3 妖精の丘
「ルーク。聞きたいことがあるんだけど」
商業区と居住区の裏手に位置する小さな丘は、街の所有土地として自然公園のように扱われてきた。商業区から足を伸ばして丘へと進んでいたルークにレオナは改めてそう聞く。
ルークは隣に並んだレオナの表情を見上げて、頷いた。
「ルークは私の……いえ、セレスの家に来るまで、妖精を見たことはなかったのよね?」
「え?あ、はい。……どうかしたんですか?」
レオナの突然の言葉に、ルークは首を傾げた。
だが、レオナはその問いには答えず、向こうに見えてきた丘に向かって歩みを進めた。ルークはその様子に疑問を覚えたが、とりあえず一番近い道から丘を目指すことにした。もうすぐ、日が山脈の向こうへと沈む。暗くなると何かと危ないかもしれない。ルークは空を赤く染める夕焼けを見上げた。
「あの時は小さく見えたけど、近づいてみると結構広くて大きいのね」
孤児院の散歩コースを奥に続く道へ曲がると、丘はすぐ側にあった。この道からは丁度丘の中腹に出る。ここからの眺めもなかなか良い。夕陽に赤く染まっていく空と、夕闇を誘う海の色。街はゆっくりと明かりを灯し、街の賑わいもゆっくりとおさまっていく。ルークの家も、中心の公園と時計台もここから一望出来るようだった。
「けど、子供達があんまり奥まで行かないように柵を作ったりしているんですよ」
そう言うとルークは向こうの林の奥を指差した。影を落とす鬱蒼とした林の手前に、木で造られた柵のようなものが見える。そして隣には注意を促す看板。
「!」
ふとレオナは何かに気付いたように今来た道を振り返った。ルークもその視線を追って、後ろを振り向く。木々に両端を囲まれた山道が風に揺られて葉擦れの音を響かせた。
「ルーク。ちょっとこっちに」
「え?」
腕を引くレオナに、ルークはもう一度山道を見返した。すると、道の向こうから、何か小さな物体がこちらへ飛んでくるのが見える。一瞬鬼蜻蜒かと思ったルークだが、その物体の大きさに口を開けた。
「……あ」
レオナに腕を引かれるまま、ルークは木々の後ろに隠れた。幸いなことに、雑草と常緑樹に囲まれたこの辺りは子供達が隠れんぼをするには丁度よく、2人の姿も木々の枝が覆い隠してくれる。それに時間は黄昏時。身を隠すには絶好の時間帯だ。
「……レオナさん、あれは……?」
小声で尋ねるルークに、レオナは同じように身を隠しながら答えた。広い場所へと出たその物体は、背中の羽根を器用に動かし奥へ奥へと飛んでいく。その姿はトリクとは違い、茶色の柔らかい髪をカールさせた、女の子のような姿。
「ピクシーのようだけど……ああ、ピクシーというのは絵本とかによく出てくる妖精よ。似ているでしょう?」
確かにその妖精は女の子のような姿形に羽根を生やしていた。透明な羽根が夕焼けの空に透けて見える。薄緑の服に小さな帽子のようなものを乗せている姿は義妹達に読み聞かせた絵本の妖精と全く同じに思えた。頷くルークに、レオナはまた木々の間に顔を埋めた。ルークも視線だけを丘の入り口に向け、それに気付いて同じように身を隠す。
『はぁ、どうしようどうしよう、早くしないと怒られちゃうよ……』
『怒られちゃうよ、じゃないのー!折角、それらしい人見つけたのに、レクファがアンシーリィ・コート怖がって逃げちゃうから、見失っちゃったの!』
後から入ってきた妖精も、ピクシーと同じ外見をしていた。違う所といえば、その髪型と顔が男の子のように見えることだろう。レクファ、と呼ばれたその妖精は溜息をついたように頭を下げた。
『……だって』
逆に女の子の方は頬を膨らませて、不平不満を口にする。
『確かにリキュアは怖いの!でもご主人様の雷も怖いのっ!リーファ、怒られたくないの〜!』
知らない名前にルークが首を傾げる。妖精の名前だろうか?そう考えた途端に、何かを思い出したようにレオナが呟く。
「……レクファ、リーファ……?」
ふとレオナが顔を上げた。そのせいで体に当たっていた枝が音を立てる。葉擦れの音もしない、無風の空間。その中で不自然な葉擦れの音がはっきりと響いたはずだった。
「待っ……」
レオナが立ち上がった。けれどもうそこには2人の妖精の姿はなく、風もない丘にその声だけが響く。レオナは嘆息すると木々の間から出て、ルークを呼ぶ。
「……レオナさん、さっきの妖精と知り合いですか?」
レオナの手を借りて足下の枝を跨いだルークが、服についた葉を払い落としながら言う。丘の中心に視線を向けたまま、レオナは歩き出す。
「……名前だけね。顔は見たことないけれど…それよりルーク、あれ見える?」
丘の中心まで行ったレオナはさらに上を指差した。追いついてきたルークがその指先の延長線上に視線を向け、言葉もなく口を開けた。
闇色を交えた空を背景に、大きな扉がそびえ立っている。それはどんな鉱物でも作れない、純白を貴重とした壁、そして柱。3段ほどの階段の上には雨避けがあり、その向こうにもの凄く大きな扉が外界との空間の境を閉じようとしていた。
レオナの後ろから見上げたその扉はまるで巨人の為に造られたかのような、そんな大きさをしている。感嘆の声が出ないほど、ルークは驚きに包まれていた。柱の1つに手をやると、まるで宝石のように滑らかな感触をしている。まるで大理石のように思えた。
「これは……」
レオナの言葉を引き継ぐように、それは姿を現した。
『扉を知るか、魔女の弟子』
ふと、空気が動いた。歩み出るようにして扉の前に姿を現した空気の塊。それが時間を経て人の姿へと変わった。否、それは人のように見えたがルークもはっきりと直感した。
(……妖精だ)
多分、トリクの言っていた小妖精じゃない妖精。人間と同じくらいの身長をしている。老婆のように皺を寄せた顔をレオナより小さめのローブで覆い、腰を曲げているせいか、その身長はルークの胸あたりまでしかない。
羽根は無いが、それは確かに妖精。どことなく魔女にも似た雰囲気があるが、レオナは直感していた。
「名前だけよ……そして貴女は『扉の妖精』。妖精の国と人間の国を行き来する扉の鍵守人。そうすると、ここは妖精の集まると言われる『妖精の丘』?」
レオナは一瞬苦々しい顔をした。それは彼女の知識が、これ以上奥に踏み込めないことを警告していたからだ。それを見つめた老婆の妖精は、ローブのフードから口元だけをつり上げてみせた。
『魔女の弟子よ、汝の言葉が通り。……扉に隔てられし向こうは人の進むことの許されぬ、時空と空間の狭間、妖精の国。夢の理想郷へと入るには、言葉を紡げ』
警告が確信となる。レオナは舌を鳴らすと、ルークの腕を掴んで身を翻した。
「え?」
「合い言葉を言え、という意味よ。仕方ないわ、ここは引き返しましょう」
腕を引くレオナ。ルークは困惑して老婆の妖精に視線を向けた。やはり覗き見る口元はつり上がり、周りの皺がさらに深く刻み込まれる。
『……天の目の如く、光揺れ 幾許清き風は吹く』
「……え?」
ルークはふと足を止めた。そのせいでレオナの手が腕から離れる。怪訝そうに振り返ったレオナが首を傾げてルークを見つめた。
『千の護りと証をもって 汝、扉の鍵とせん』
「……ルーク?」
レオナの声にルークは振り返って言った。
「レオナさん、唄!初めてレオナさんの家を尋ねた時に、花壇のところで聞いた、あの唄じゃないですか?」
ルークの表情に、レオナは顔を顰めた。そして何かに気付いたようにルークの肩をきつく掴む。ルークはそれに痛みを覚えたが、耳はしっかりと老婆の口にする嗄れた歌声に聞き入っていた。
「ルーク、その唄が聞こえるの……!?」
「え?だって、あのお婆さんが歌って……」
指を差す代わりに視線を老婆のもとへ向ける。
『真の未知を望みし者は 証をもって答えたり』
「本当に、それが聞こえるの!?鍵守人の合い言葉は特定の者にしか聞こえないのよ!?あの時、私には妖精の気配しか分からなかった……!」
肩を揺らすレオナの焦ったような表情。滅多に見ないその顔に、ルークは混乱しながらも、首を縦に振った。瞬間、レオナは何かに気付いたように手を止める。肩を掴んだまま、視線を足下に下げた。
『鍵を唄うは眠りの精
子よ その言葉が鍵なれば
忘るることなく、汝の中に……』
歌声が終わるのと同時に、老婆は顔を上げルークを見つめた。そこから覗いた目は、新緑の木々に負けないくらい深い緑の瞳。そして笑い皺が更に深くなり、乾いた唇が合い言葉を口にする。
『運命に惑わされし者。夢へと還る言葉を紡げ』
この時、ルークは全く無意識に答えを口にした。それはあの魔女の庭で歌声を聞いた時思った言葉。否、今となれば確信に近い。それは夢への鍵、レオナにその視界を阻まれるまで夢現とあの花壇へ足を踏み入れた時と同じ。
残暑の空気は暖かかった。不快な意味ではなく、包んでくれるような、そんな……。
誰にでもあって、自分にはない、大切な思い出。
「『子守唄』……?」
瞬間、レオナはルークの腕を掴み損ねた。爆風にも似た衝撃が体を包み、扉は閃光を伴いながら自身を開け放した。突風のような強風が吸い込むように体を扉の奥へと引き寄せる。
レオナは一瞬間で腕を風に絡め取られることのないよう、動かした。空中になぞる光の文字。のし掛かるような圧力が身体を襲う。多分、それはルークも同じ。
『これが人間が妖精の国に行けない理由』
記憶の中でも余裕で語りかけてくる師匠の有り難くもない言葉。小さな舌打ちも、強風の音の中に消える。
(……今更、あいつの言葉を思い出すなんて思ってもみなかったわ)
こんなところで、とレオナは歯を食いしばった。呪文もまた、強風に掻き消される。それでも良い、魔法を使うのにいるのは気力。それを補うための言葉なのだから、言ったという自覚があればいい。
「天在り地在り光在り。闇は乗じて光と在り」
言葉は勿論自身の耳にも届かない。骨を振動させるほどの強風。それは痛みにも似た、風の刃。気付かないうちに腕が切れたのかもしれない。血の流れる感覚は無かったけれど。
「世界の狭間に力在り、幻という神の剣よ」
真っ白な光に染まった世界は、自分しかいなかった。自分しか存在しなかった。けれどそれは慣れている。あの師匠の元にいれば嫌でも。
『結局、魔法を使うときに信じられるのは1人。自分だけさ』
(結局アンタの思うツボね、セレス!)
怒りを込めて、最後の呪文を口にする。
「己の力よ盾となれ 異なる世界の時空を越えて!」
その時。
レオナは風が治まるのを感じた。けれどその視界が扉の向こうを映すことなく、無情にもその世界を目にする瞬間に力が抜け、そして意識が途絶えた。
闇の中に意識が溺れていくのを感じながら、レオナは奇しくもあの師匠の笑い声を聞いた気がした。




