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ALF  作者: 由城 要
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第2章1 不穏な影


『ほー、あれがアルティーの港街か』


 額に手を当てて眼下から彼方まで続く情景を眺めていたトリクが、そんな声をあげた。レオナ達がルークの案内で家を出たのは翌日の早朝。シュリンク山脈を下るのは前日ルークが登ってきた時よりも早かった。早めに出発したせいもあったが、やはり登るのと下るのでは大きな差があるようだ。

 トリクに続いて同じ風景を目にしたレオナも、ルークを振り返り微笑む。


「話には聞いていたけど、結構大きな街ね」

「ありがとうございます。……メニカも来れたらよかったんですけど」


 メニカはセレスが帰ってきた時の為、家に残ることになった。ルークが何度か誘ってはみたものの、昨日と同じようにオロオロされただけだった。残念そうなルークの物言いに、トリクも街から視線を外し、ルークを見やる。


『こんな人間の多いところに連れてきたら、ショック死するぞ』

「そうね……それにブラウニーは元々家の中で過ごすから、あまり外に出るのは好きじゃないらしいわ」


 レオナに諭され、ルークは仕方なさそうに頷いた。


『っと、それより……』


 いつの間にかトリクがルークの右肩に乗った小妖精はご機嫌なようすで人差し指を突きつけてきた。ルークは首を傾げる。


『お前、いいとこのボンボンなんだろ?お持て成しは当然だからなー』


 妙に胸を張って客人気取りをしているトリク。とりあえず素直に頷いてから、ルークは1つ疑問に思った。


「うん。……あ、けどトリクに何を出せばいいのか分からないよ」 


 トリクの様子に呆れ返ったレオナは、頭を押さえて溜息をつく。そしてルークに言う。


「ルーク。そこら辺のミミズでいいわ」

「えっ?トリクってミミズ食べるんですか?」


 疑問に思うこともなく素直に信じ込んだルークに、トリクは思わず肩から滑り落ちそうになった。レオナへの怒声も込めて叫ぶ。


『誰があんな酸っぱいもん喰うか!!』

「……ミミズって酸っぱいの?」


いつの間にかミミズの味についての論争が繰り広げられる中、レオナは1人街の風景を見下ろしていた。特にこれといって物珍しいものは見あたらなかったが、レオナの蒼い瞳は、吸い寄せられるように住居区の小さな丘に向かっていた。小さく見える人のような影。どうやら子供達らしい。

 いつの間にか黙り込んでその丘を見つめていたレオナ。涼風が纏めた髪の一房を弄び、海へと還っていく。


 そんな中、彼女の思考を断ち切ったのはルークの勘違いにより、そのイメージが崩れかけようとしているトリクの悲痛な声だった。


『レオナ!こいつの天然、どうにかしてくれ!!』

「……」


 無言で坂道を下り始めるレオナを、トリクが急いで追う。その更に後ろから、ルークの声が追いかけてきた。


「それじゃあトリク、一体何出せばいいの?」

『頼むから食えるもん出してくれ!!』


 2人の食べ物論争は、街に降りるまで延々と続いていた。





 潮風の薫りと、東の大海から吹き付ける涼風。まだ蒸すような暑さが残る残暑の太陽の下、商店街の人通りはピークをむかえていた。ルークの言葉ではこれでも失踪事件の噂によって街に立ち寄る人の数は減っているらしいが、それでも貿易港として栄える街は活気立った賑わいを見せている。煉瓦造りの商店街の風景と石畳の道は残暑の暑さに逃げ水を浮かび上がらせていた。大通りを少し横道に逸れると、日陰になる場所に布と細い木々で組まれた簡単な店の並ぶ市場のようなものも見受けられる。

 街の中心部には時計台を囲んだ公園があり、人工的に造られたものらしい池では海猫が水浴びをしていた。その横を通り過ぎ、居住区内に入った3人はそのまま真っ直ぐに路地を歩いていく。


「こっちは割と静かなのね」

「はい。だいたいここら辺の人は工業区で働く人か、商業区で商いをしている人達だから、昼間は留守なんです」


 先に立って案内をするルーク。つまらなそうにその頭の上に乗って肘をつくトリクが辺りを見回し、呆れたように声を上げた。


『これじゃ、泥棒天国だな』

「けど、ちゃんと見回りしてくれる人もいるんだよ」


 そう言うとルークはまた歩みを進めた。レオナも時折居住区の様子を眺めては足を止めることが何度かあった。珍しいものでもあるのだろうか、とルークはそれ位にしか考えていなかった。先を行く彼には、レオナの表情が見えていないのだから。

 そんな折、トリクが一軒の家を見上げて感嘆の声を上げた。足を止めていたレオナも、小妖精の声に視線を移す。


 その家は、広い庭を持つ大きな家だった。家、というより屋敷と形容したほうが相応しいかもしれない。庭を囲むように立ち並んだ大きな杉の木々が真緑の葉を太陽に向け、枝を伸ばしている。赤煉瓦で組まれた家の外観はとてもスッキリとしていて、2階建てにバルコニーのついている様子はレオナも感心した。


『でっけぇ家だなー』

「そう?ありがとう」


 トリクの言葉に即答で応えたルーク。レオナはそれで全てを理解し、トリクは逆に石になったかのように固まってしまった。ギギギ、と固まった頭をレオナの方に向けるトリク。レオナはその様子に息を吐いて言った。


「ここが依頼人の家、というわけね」


 門の前まで続く鉄の柵が杉の外側をまた囲むように立ち並んでいる。ルークはもちろん、レオナでさえも手の届かない大きな柵に、トリクは器用に右の口元だけを引きつらせた。


『……ここまでボンボンだったのかよ……』


 思ってもみなかったというようなその発言にレオナは同じように屋敷を見上げた。


「よく言うじゃない。お金持ちの家の子供はおっとりした性格になるって」

『……俺様納得』


 異様なまでに納得して頷いているトリク。その会話を聞いていたルークはその様子に笑いながら自分の家を見つめてさらりと言った。


「あ、でも僕、元々孤児院の子供だから」


 頭上に乗って胡座をかいていたトリクが、微かにバランスを崩した。レオナは表情を変えることもなく、ただ黙ってルークの後ろを歩いている。ルークもいつも通りの笑顔を浮かべて、入り口から出てきた人物に手を振った。


「あ、父さん!」


 駆けだしていく後ろ姿を見つめながら、空中に浮遊するトリクが羽根を動かして言った。


『孤児院出の人間って荒れるもんだと思ったんだけどな』

「……書庫の本の読みすぎじゃない?」


 そう言って軽く息を吐くレオナ。その肩に乗ったトリクも首を鳴らして溜息をついた。義父と楽しそうに会話をしている少年の姿を見つめながら、ゆっくりとそちらに向かって歩き出す。

 ふとレオナは背中に腕をまわし、1つに結った髪をしっかりと結び直しながら、目を細めてあたりを見回した。


『……で?気配くらい気付いてるんだろ?弟子』


 トリクは小声でその表情を見上げた。レオナは視線を合わせず、平然を装って返答する。ピンと張るような空気の緊張を肌に感じながら。


「もちろん。さっきから警戒されててはっきり言って気分が悪いわ。」


 思い出したようにこちらを振り返って自分の名を呼ぶルーク。レオナはその横に並んだ彼の父に会釈1つして歩みを再開した。





 豪勢な家は内部も豪勢だと、トリクがもらしたのも仕方がない。天井の高い廊下を案内されながら、レオナはそう思った。

 小綺麗なまでにすっきりと並べられた家具には高級感が漂い、壁に掛けられた絵画や、いたる所に存在する花瓶には生き生きとした花が生けられている。時折窓の外からは庭に造られた花壇や杉が揺れる風景が見受けられ、太陽の日差しが日だまりとなって存在していた。

 レオナは先を歩くルークと義父の後ろ姿を眺めながら、改めて2人が本当の親子ではないことに納得していた。


(確かに……15、6の子供がいるにしては若い父親ね……)


 けれど先程簡単に紹介された時の印象と雰囲気を考えると、どことなくルークと同じものを持っているように思えた。やはり子供は育つ環境によってその性格が形成されるのかもしれない。反面教師という例外もまた存在するが。


 通された部屋は客人を迎える時の客間らしかった。長方形のテーブルを囲むようにソファが並べられている。自分の古家と見比べるとかなりの差があるとレオナは内心溜息をついた。もちろん、あの家があんなに散らかっているのはトリクが原因なのだが。


(……片付け嫌いはトリクだけじゃないけどね……)

「……レオナさん?」


 振り返ったルークが首を傾げた。顔を覗き込んでくる心配そうな表情に、レオナは我に返る。どうやら部屋の扉の前で立ちつくしていたらしい。


「……何でもないわ」


 と、とりあえず首を振り、町長に勧められたソファに腰を下ろす。暑いからと腕にかけて持ってきたローブをたたみ、隣に置く。その様子を見ていたルークは義父に言った。


「それじゃ父さん、僕飲み物持ってくるよ」


 席を立ったルークに、レオナの隣を浮遊していたトリクが続く。どうやら依頼内容の確認という一番大事な仕事が面倒臭いらしい。ルーク達が部屋を出たのを確認して、レオナは姿勢を正した。


「それでは、依頼の確認をさせていただきます」





 広いキッチンは流し台もすっきりと片付けられていて、逆に生活感がないようにも思えた。何よりそれは部屋を散らかすことが十八番のトリクの言葉だが、ルークにとっては日常のキッチンの風景である。広く光彩を取り入れる為の窓。そこから差す光は暖かい。ポットを火にかけたルークはお湯の沸く短い間、落ち着かないトリクの様子を振り返った。


「そういえば、本当に父さんにはトリクの姿見えないんだね」

『……あ?』


 思い返せば門の前でレオナさんの紹介をしていた時、義父の視線は決して隣を浮遊する小妖精に向かったことはなかった。逆にトリクの方を目で追っていたルークは父に何をキョロキョロしているんだ、と聞かれたくらいである。


『まぁな。セカンド・サイトを持たない人間には俺様は見えないし、あと俺様が見える奴ってのは……』


 片付けられた場所だと落ち着かないのか、テーブルの下を旋回していたトリクの声がそこで止んだ。首を傾げたルークは、しゃがみこんでテーブルの下に視線を向けた。そこには蛇に睨まれた蛙のように固まって動かないトリクの姿と、その目前で彼を覗き込んでいる女の子の姿。夏用に作られた丈の短めのワンピースを着ているにもかまわず、テーブルの下で膝を抱えている。


「リナ?こんな所で何して……」

『る、ルークっ!?こ、これもしかして……』


 何故か後ろ姿でも分かるくらい冷や汗を流しながら、トリクが口だけ動かして言う。その奇妙な動作に女の子はまた顔を近づけた。耳の上の高い位置で結んだ2つの黒髪が揺れる。


「え?あ、うん。僕の義妹。2人いるんだけど、下の妹の方だよ」

『2人もいんのかよ!?』


 青ざめた顔のトリクに、とりあえずルークはテーブルの下に潜入を続ける義妹を引きずり出した。僅かだが、抵抗を見せる様子に兄であるルークは首を傾げる。


「リナ。何してたの?」


 視線を同じ高さにして、ルークは首を傾げる。小さな手でトリクを指差す様子に、指差された本人は挙動不審に叫んだ。


『なっ、なんだよ』

「……トリクを見てたって言いたいみたい。けど、あれ?リナには見えるの?」


 しっかりと頷いたその表情。無表情に近いが、どうやらそこには兄にしか分からない義妹の気持ちの表れがあるらしい。大きな漆黒の瞳がじっと兄を見つめている。トリクは逃げるようにキッチンを出ようとしている。


「どうしたの?トリク」

『ガキはセカンド・サイト持ってなくても俺達が見えるんだよっ』


 小声で自分に話を振るなと主張するトリク。廊下への扉に手をかけた瞬間、不意にドアノブが反対側に引かれた。妙な奇声が響いたのと同時に、小さな歓声があがった。

 リナと同じ黒い髪。1つに結った黒髪が揺れる。


「リナみっけ!」


 こちらに指を差した同じ瞳、同じ顔。同型の少女だが、こちらは満面の笑みを浮かべて人懐こい雰囲気を醸し出している。最初は妹の姿しか目に入っていなかったらしいが、その隣にいる兄の姿を見つけると先程の何十倍もの笑顔を浮かべてその腕に抱きついた。


「兄様ーっ!」

「ただいま、リカ。隠れんぼしてたんだね」


 傍らでルークの服を掴んでいるリナに謝り、2人の頭を撫でる。同じ外見から分かる通り、リカとリナは双子である。もちろん、この2人は義父と義母の実子。歳は今年で5歳になる。


「兄様おみやげー。おみやげはー?」


 一生懸命お土産をせがむリカ。双子の姉、リカは妹とは違いとても人懐こく、好奇心旺盛である。妹のリナを後ろに従え、何処までも遊びに行く冒険好きな性格。父はいつもリカはルークに似たとことあるごとに口にするのだ。


「お土産……山だからお土産はないんだけど……」


 困ったように笑う兄に、助け船を出したのはリナだった。掴んでいた袖を引き、そろりそろりとキッチンを去ろうとしていたトリクを指差す。その指の示す方向にリカの視線が向いた瞬間、彼女の笑顔が爆発したのを兄は感じた。家全体に響くような歓声が響き渡るのと同時に、トリクの絶叫が後を追うように木霊した。

 ルークは頬をかいて喜びの声を上げている妹達を見つめる。もみくちゃにされているトリクの様子に困ったような表情を浮かべた。先程から助けを請うトリクの視線が痛いくらいに伝わってくる。とりあえずルークは後ろで特有の高音を鳴らし始めたポットからティーカップにお湯を注ぎつつ、義妹達を諭すように言った。


「リカ、リナ。つぶしちゃ駄目だよ?」


 元気良く返事を返したリカと軽く頷いたリナを横目に、ルークは盆に乗せた3人分のカップを手にキッチンを出ていく。トリクの叫びがその後ろから響いた。




 レオナの調査依頼についての確認が終わったのは日が落ち、時計台が6時の鐘を響かせた頃だった。こんな時間に宿が空いているはずもなく、レオナはルークの家に泊まることとなった。義父と義母の計らいで、好意を受けることにしたレオナだが、トリクは最後まで猛反対を繰り返していた。


「兄様〜、お姉ちゃんは?妖精さんは?」


 夕食後の客室前でそうせがむ妹達にルークは困ったような表情を浮かべて事情を話していた。どうやら妖精と魔術師という子供の好奇心を擽る言葉に一番敏感なリカが興味を持ったらしい。それでなくとも夕方、2人のいいように遊ばれていたトリクはもう双子専用玩具と化していた。


「今すごく大事なお話してるから…ね、今日は2人とも寝よう?もうそろそろ寝ないと、母さんに怒られるよ?」


 夕食時はルークが妖精の事を口止めしたため、双子は妖精については何も言わなかった。ただ、あまりにも2人がご機嫌なのを義母に悟られ、危うく何があったか口にしそうになってしまったのだが。

 ルークの言葉を聞いたリカは不満そうに頬を膨らませた。この状態になってしまえば、もう反論の術がないという証拠。ただ、隣にいるリナを覗けば。

 リナはリカと違って奥手だが、頭の回転は姉より速い。ルークの気付かないうちに姉をけしかけ、凄いことをやらかしてしまうのもリナなのだ。

 ルークの予想通り、リナはふと無表情に首を傾げると隣にいた姉の肩を叩き、何かを耳打ちする。その様子を見たルークはこの攻防が延長されるのを予感し、頭を抑えた。

 すると言葉に詰まっていたリカが顔を上げる。


「それじゃ兄様、お姉ちゃんと妖精さんにおやすみなさい言わなきゃ!開けて開けて〜」

「え……あ、そ、それは……」


 リナはどうやら、姉に『寝る前の挨拶をするから』と理由付けすることを薦めたらしい。我が妹ながら、そんな所をついてくるとは思っても見なかった。言葉に詰まるルークに、妹達の声は続く。

 すると、その後ろでドアの開く音がした。


「……あ、レオナさん」


 ルークがそう呟くのと同時に、双子の歓声があがった。期待の表情でこちらを見上げる2人にレオナは苦笑する。どうやら先程までの会話が部屋の中まで筒抜けだったようだ。


「お姉ちゃん、魔法見せて魔法ーっ!」


 目の前にいるにも関わらず必要以上に大声を出すリカの隣で、魔法に興味を持ったらしいリナが力強く頷いた。表情は違えど、同じ顔が寄せる期待の目にレオナは微笑んで言う。


「私はまだ弟子の立場だから。そうね、それじゃあ……」


 レオナはしゃがみ、視線を双子と同じ位置にすると、目の前で人差し指を回した。弧を描くように空中に光の線が出来る。すると指はその中に見たこともない文字を描き出した。まるで半分絵のような、不思議な文字。それが金色に光った瞬間、レオナは指を鳴らした。


(……っ?)


 あまりの眩しさに目を瞑るルーク。そしてまた同じ場所に視線を戻した時には、金色の線も文字も、何も見あたらなかった。変わったことといえば、リカが目を擦り始めたことくらいである。


「……?」


 首を傾げるルーク。先に異変を見せたのは意外にも策士のリナだった。カクン、と首を下に下げ、何かに気がついたように顔を上げる。先程見せた珍しい期待の表情も今は見えない。ただいつもの無表情から少し目を細め、よろよろと姉の服を掴んだ。その動作を何回か繰り返しているうちに、今度はリカが女の子らしからぬ大口を開けて欠伸をした。

そして目を擦ると、ルークを見上げる。


「兄様……ねむい……」

「えっ?」


 先程まであんなにはしゃいでいた2人に、ルークは思わずレオナを見つめた。微笑んで人差し指を口元に持ってきたレオナは双子の頭を撫で、背中を押す。


「もう寝る時間でしょう?おやすみなさい」

「おやすみなさ〜い……」

「……なさい」


 ゆっくりと廊下を自分達の部屋の方へと歩きだした義妹達の後ろ姿を見つめ、ルークは小声でレオナに言った。


「レオナさん、今のって?」

「眠りの魔法よ。明日の朝まで解けないわ」

 立ち上がって部屋の中へと入っていくレオナを追って、ルークも部屋へと入っていった。扉を閉めると、レオナがベットの前で呆れたような視線を送っている。その視線の先には避難するように枕の下に潜り込んでいるトリクの姿。


『あっ、あいつら本当に行ったんだろうなっ!?』

「うん。もう寝るって」


 呆れて物も言えないレオナの代わりにルークがそう口にした。枕の下から顔だけ出している様はとても妙だったが、レオナはそれを完全に無視してカーテンのされた窓へと足を勧める。


『あいつら命拾いしたな……セレスだったら一発拳が……』

「そ、そうなの?」


 トリクの軽口を信じ込みそうになっているルーク。けれど2人の会話を断ち切ったのは、顔を顰めたレオナの一言だった。


「嫌な空気ね……」

「えっ?……あ、暑いですか?」


 レオナは首を左右に振った。険しい視線は立ち並ぶ住居区の片隅に向けられている。枕から出てきたトリクがルークの頭の上に乗って、レオナに言った。


『あの視線か?』

「多分……けど、そこら辺にいるようなアンシーリィ・コートが魔術師に気付くかしらね」


 カーテンを閉め、ゆっくりと客室の椅子に腰を下ろしたレオナが溜息をつく。テーブルに肘をつき、口元を押さえるようにして何かを考え込んでいる様子にルークはトリクに向かって疑問の声を上げた。


「……トリク。『アンシーリィ・コート』って何?」


 頭上で腕を組むトリクは説明しづらいのか、目の前まで降りてきて説明を始める。


『妖精にはデカイ奴チビな奴……色々いるが、中には良い奴と悪い奴がいる。人間と同じだな?』

「うん」

「良い妖精をシーリィ・コート、悪い妖精をアンシーリィ・コートと呼ぶのよ」


 自慢の知識を披露しようとしていたところを割り込まれ、トリクは気が抜けたように落下していった。だがそれを気にせず、ルークはレオナに向き直る。


「悪い妖精……ですか?」

「簡単に言えば、の話ね。妖精の国ではそう言うらしいわ……それよりルーク」


 椅子に深く腰掛け、現在の失踪した人間の数、名前、特徴を記した紙を眺めながら、レオナがルークに言う。2つあるベットの片方に腰掛けたルークはそこからレオナの言葉に応じた。


「失踪者の数と失踪場所、あと失踪者の特徴で重なる点とか割り出せるかしら?」

「あ、はい。でも、特徴の方は……」


 口ごもるルーク。首を傾げるレオナの視線が、発言を促している。いつの間にか開き直ったらしいトリクも、ベットの上に乗って顔を覗き込んでいる。


「……以前聞いた噂、なんですけど……。なんだか失踪する人って、茶髪の人が多いらしいんです」

『はぁ?茶髪?』


 容易に予想できるトリクの返答に、曖昧にルークは首を縦に振った。


「この間失踪した雑貨屋の男の子も……たしか茶髪だった気がするし……」


 ルークは何かを思い出すように天井を見上げ、商業区の人達が王都の調査団派遣依頼に来た時のことを思い出した。雑貨屋の末っ子は確か茶色の短髪だった気がする。よく義妹達の冒険に引っ張り出されては怖い思いをして泣いて帰ってきたことがあった。腕白坊主をも泣かせる町長の娘達は、子供達の間ではガキ大将的位置を確立しているらしい。


「リカとリナもよく母さんの言いつけを破って遊びに行ったりするんですけど……そうゆうことは一度もなかったし……」

「そういえば彼女達は黒髪ね」

「はい」


 調査書を片手にその会話を聞いていたレオナは、紙の端に小さく何かを書き綴った。どうやら今のルークの証言を一応記述しておいたらしい。そして小さく溜息をつくと、レオナはやっとルークに視線を向けた。


「明日、街を回ってみたいんだけど……いいかしら?」

「はい。あ、それじゃあ、僕もそろそろ……」


 立ち上がったルークを見つめ、もう一度調査書に視線を戻したレオナは、彼が自分の目の前を通り過ぎる瞬間、ふと顔を上げた。


「ルーク。ちょっと待って」

「……?」


 足を止めたルークに、レオナは立ち上がる。不思議そうに見上げてくるルークの髪に触れ、その顔を覗き込むように言った。


「……ルーク。貴方も茶髪よね?」

「……あ」


 忘れていた、と言わんばかりの表情に、レオナは軽く頭を押さえる。呆れたように溜息をつくとその少年の顔を覗き込んで言った。


「貴方もまだ大人と言うには早いわ。一応だけど……」


 目を瞑らせるようにレオナは左手で視界を覆い、右手でまた先程のような崩れた言葉を空中に書き綴った。指先がなぞる透明な空気が凝縮されたように光を放ち、金色の粒子が銀色へと変化を遂げた。


「……『天在り地在り光在り、闇は乗じて光と在り』」


 ルークにはレオナの言葉しか聞こえなかった。突然の出来事に一瞬驚いたけれど、レオナの言葉は自然と体の中から力を抜き取っていく。それはまるで眠りと目覚めの狭間を彷徨うような、虚ろでいて心地の良い感覚。


『人は神の世界に在り、神は人の上に在り』


 凛とした声はその感覚を阻害するものにはならず、逆にルークを眠りの中へと堕としていくような、そんな気分にさせた。


『時の狭間に死角在り。消えた陽炎、目裏の隙間』


 空中に浮かんだ文字が、いっそう光を増した。レオナは冷静に最後の文字を書き連ねていく。声に反応して光を放った文字が、眩しいまでに輝き始める。


『彼は誰、誰は彼、覚ゆる思い。闇に包まれ、死角に消えよ』


 一瞬、目を瞑っていたルークの閉ざされた視界に、レオナの文字が見えた気がした。 レオナの指が鳴る。それと同時にルークは一気に感覚を現実へと引き戻された。一瞬、眩暈がしてテーブルに手をつく。


『……18点。セレスならそう言うぜ。かけた相手に眩暈起こさせてるようじゃ、ってな』

「馬鹿師匠の言うことなんていちいち気にしてられないわ。……ルーク?」


 頭を押さえるルークを覗き込むレオナ。ルークは数回瞬きを繰り返してやっと顔を上げることが出来た。


「……あの……今のは?」

「ちょっとした目隠しの魔法よ。あそこにいる小妖精以外の妖精には貴方の姿は見えないわ」


 頷くトリクを目にして、ルークは首を傾げた。感触的にも、先程と何ら代わりはない。レオナを見上げると、微笑んで頭を撫でてくれた。


「朝までは解けないようにしてあるけど、何かあったら助けを呼ぶこと。分かった?」

「え?あ、……はい」


 それじゃあ、と頭を下げたルークは廊下に出ると、とりあえず自分の部屋へと向かって歩き出した。廊下の窓からは明かりの消えつつある居住区の風景と、その先に聳える小さな丘の木々が風を受けて揺れる様だった。

 時計の針はまもなく深夜の時刻を差そうとしている。





 新月。月の無い夜に街を照らす明かりもなく、道もまた漆黒の闇に包まれ、その存在も消失する。何もかもが眠りについたかのように明かりを消し、闇に隠れる様は見慣れた風景。その闇に紛れ、1つの窓に薄明かりの火が灯っている。

 男が腰掛けた椅子は彼の背を覆うように広く、部屋もまた同じように広く造られている。天井まで明かりが届かないのがその証拠だ。彼は椅子に肘をつき、1つ息を吐くと目の前で頭を垂れている女に言った。


「……まだ見つからぬのか」


 女はぴくりとも動かず、同じ体勢のまま返答した。もう幾度か交わされてきた同じ言葉に相手の表情は顔を見上げなくとも分かる。


「……もう少しお時間をいただければ、と」

「そうか」


 男の声は先程と同じように響いた。怒声ではない。けれどその言葉の奥には怒声以上の強烈な威厳と強い怒りが含まれている。女は肩に強い重石を乗せられたような強い緊張を覚えながら、口を動かした。


「……弟君が権力争いから脱落いたしました」


 重い空気は、変わることなくそこに存在する。それは己が主君だからこその威厳。誰も適うことはない。


「ああ、知っている。当然だろう、彼奴は食い気と小心……そして強欲の塊。かのような者を 周りが指示するはずはない。残るは3人となったか」

「弟君はこちら側の支持を約束いたしました……彼の手下も使いようによれば捜索の助力となるやもしれません」

「……分かった。そのことについては明日、私から彼奴に話しておこう」


 男は窓へと歩み寄り、眼下に広がる闇の街を見渡した。鳥の鳴き声も、虫の鳴き声さえも、どこかへ消え去ったかのようにただ静寂を木霊している。揺れ動くこともない、影の森は静かにその存在を気配ごと消え去り、まるでそこには何もないかのようだった。

 男は新月の闇を見つめる。


「もうすぐだ。あの月がもう一度その姿を闇の中に消えれば、私の願いが叶う時が来る……」

「はい。……もうすぐです」


 女も口元をつり上げる。その為には、まだやらなければならないことがある。その想いを胸に、ゆっくりと立ち上がり、また頭を垂れた。


「それでは、私はこれで」


 踵を返し、廊下へと足を勧めた。扉を閉め、窓の外の闇を見つめる。永久に光の裏に存在し続ける漆黒の闇を見つめ、もう一度主君の言葉を繰り返した。雲間から顔を出し始めた月の一欠片を睨みつつ。


「……あの月がもう一度闇の中に消えれば……」


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