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ALF  作者: 由城 要
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第1章2 失踪事件





「……失踪?また?」


 ルークは顔なじみとなった街の住民達が玄関を出ていくのを見送って、傍らに立っていた父の顔を見上げた。15の息子がいるとは思えない、年若い父親はしきりに顎をさすりながら、リビングへと足を向ける。身長は平均からすれば高く、中肉中背の後ろ姿には、昔からルークが見つめてきた父親の威厳があった。しかし、顎をさするという父の癖にどんな意味があるのかルークは知っている。

 リビングの中央に置かれたテーブルには3つの客人用のティーカップと、父専用のそれが並べられている。盆を手にその1つ1つを重ねながらソファーに腰を下ろした父に言った。


「今度は何処であったの?」

「……商業区裏手の丘だ。雑貨屋の三男坊……お前も顔くらいは分かるだろう」


 重々しく告げられた言葉に、ルークは事件の身近さと重大さを改めて思い知る。ルークの住む街は商業区、工業区、そして居住区の3つに分かれており、東の大海に面した港には、北側に居住区、その下に商業区が隣接している。南には河川の利用によって発達した工業区があり、そしてその3つの区を囲むようにシュリンク山脈がそびえ立っている。

 商業区裏手には、子供も大人も自由に時を過ごす自然公園がある。小さな丘ではあるが、最近では遊び場として多くの子供が行き来している。ルークもそこを駆け回った者の1人なのだ。

 そんな身近な場所で起きた事件。ルークは少しだけ胸の詰まるような想いにかられた。雑貨屋の末っ子なら、面識もある。確か、茶色の短髪をした腕白な子で。


「王都に調査の要請を出せ、と言われた」


 ルークのそんな思考を悟ってか、父はそんなことを言った。父はこの街の町長であり、何かと住民に頼られる立場にいる。苦笑いを浮かべるその表情を見ると、どうやらかなりの討論が交わされたらしい。失踪事件について街の自治体でも捜索が行われているが、結果は一向にあがらない。それを指摘されたのだ。


「王都も王都で貿易摩擦やら、国境問題やら、手一杯ときている。……田舎街の意見まで聞き入れてくれるほど、暇ではないらしい」


 そう言って手渡した茶封筒は王都からと印されており、中身は調査団派遣依頼の返事だった。難しいことはよくは分からないが兎に角、遠回しに「派遣は出来ないので調査は自分たちでやって欲しい」と書かれているようだ。

 ルークは肩を落とし、父親を見上げた。その眼差しはどうにかできないものか、という気持ちが混じっている。それ故に、父は苦笑し、言う。


「おいおい、そんな目で見るなよ。私も、王都に派遣依頼を出すことしか出来ないんだ」

「……そう、だよね……。ごめんなさい」


 俯くルークに、父は優しく諭す。溜息混じりの冗談も、この時ばかりは皮肉なものにしかならなかった。


「町長などと言っても、頼れる者など少ないものだ……。他に頼れる者など、賢者か勇者か、魔女くらいか?」


 ルークはふと父親の顔を見上げた。力のない父の口から零れた1つの言葉が、ルークの心の中に1つの希望の光を灯した。それはまるで消えかけた暖炉の燃え滓のようでも、最初に放たれた燐寸の火のようでもあった。

 そんな小さな希望。だが、ルークは信じたかった。


「……して、みようよ」

「ん?」


 頭を撫でていた父が、ルークのそんな呟きに手を止める。ルークはその目を真っ直ぐに見つめ、真剣な眼差しで言った。


「探してみようよ、父さん。魔女を」


 自分でもそれがどんなに無謀なことであるか、分かっていた。魔女という者はここ30年以上姿を現してはいない。もっとも、昔には時折魔女が山から下りてきて、病人や怪我人に薬を渡して代金の代わりに作物を貰って帰っていく、なんてこともあったのだが、王都は魔女という存在を確かなものとして認めず、立場の苦しくなった彼等は山のずっと奥で最後を迎えたと囁かれている。


「ルーク、魔女はもういな……」

「いなかったとしても」


 ルークは立ち上がり、残っていたティーカップを盆の上に乗せ始めた。せっせとテーブルの上を片付け、布巾でテーブルを拭く。立ち上がると、心底困ったような表情を浮かべる父に宣言した。

 その気持ちは彼の元来の願いなのだから。


「……僕、父さんに……ううん、父さんと母さんに恩返しがしたいんだ」


 真っ直ぐなその瞳は、彼の性格を一番よく物語っている。ルークは盆を片手にキッチンへの扉を開けた。振り返ったその顔は笑顔。


「それに僕シュリンク山脈への道なら知ってるんだ。失踪事件ってこの街でしか起きないんだし、街さえ出てしまえば、1人でも安全だよ。ねっ、父さん」


 滅多に我が儘など言わない長男に父親は少し面食らった。そして短い溜息を吐くと、頭をかいた。その表情には苦笑としか形容できない笑みが浮かんでいる。


「まったく……その性格は何処の誰に似たんだか……」


 扉の閉まった音に、父は人知れずそんな言葉を漏らした。






「……うわぁ……」


 花畑を越えた先、そこにはかなりの古家が建っていた。ヒビの入った土壁は長年の太陽を受けて乾燥し、触ればボロボロと崩れてしまいそうな感覚を覚える。窓には割れた跡があり、適当に修復されてあった。夏ならまだしも、冬ならば隙間風が通るに違いない。

 客間らしき部屋に通されたルークは、異様な雰囲気の漂う空間に一瞬足を止めた。棚には酒瓶に似たものが並んでおり、その隣にはどうみてもホルマリン漬けとしか思えない物体が置いてある。足場は確保されているが、ふと視線を逸らせばタロットカードと思しき札が部屋の隅で散乱している。

 斜陽の差す薄暗くなった部屋で、女性はランプの火を灯した。部屋が明るくなると、ルークの目にも様々なものが飛び込んでくる。テーブルの脇に本棚があり、そこにも本が乱雑に置いてあったが、中には天使学、悪魔学といった本、魔術に関する本等、ルークが初めて見るような本ばかりであった。

 ルークはその1つを手に取ってみる。少し埃を被ってはいたが、題名を認識するのは至極簡単だった。


「……『貴方も出来る!魔術入門ガイドブック』……?」


 何か見てはいけない物を見てしまったルークは、彼女に見つからないようそれを本棚に戻し、また辺りを見回す。

 ふとその頭上で鳩時計の鳴き声が聞こえた。一瞬びっくりしたルークだったが、その時計を見上げて安堵の溜息をつく。しかし、それも彼がその異変に気付くまでのごく僅かな間だったが。


「あ、あれ……鳩じゃなくて烏?」


 時計の窓から顔を出す、何処か間の抜けた黒い瞳と、漆黒の闇色に染まった翼。鳩時計ならぬ烏時計はとてつもなく奇妙な声でガァ、と鳴いた。驚きの声を上げる少年に金髪を耳にかけつつ、女性は苦笑する。


「珍しい?さっきから色々眺めているけど」

「え、あ、すいません……」


 不思議な物に目を引かれたとはいえ、人の家の中を不躾に眺めまわしていたことに気付き、ルークは顔を赤くした。謝罪の言葉を述べると、彼女は微笑みながら戸棚から取り出したティーカップに、向こうの部屋から持ってきた紅茶を注ぐ。


「いいのよ。……そういえば、まだ名前聞いていなかったわね。私はレオナ・ディル。よろしく」


 先程の神秘的な雰囲気とは違い、優しい笑顔を向けるレオナはティーカップの片方を差し出した。暖かい湯気が、カップから白く立ちのぼる。それを受け取りつつ、ルークは言った。


「あ、ルーク・フローと言います。それであの……さっきの話なんですけど……」


 まだ熱い紅茶を飲み干すには時間が必要そうだったので、ルークはそれを冷ましながら、レオナという名の女性を見つめた。自分より何歳か年上という風采の彼女は、どう見ても自分の探していた魔女には見えない。

 レオナは紅茶に一口口を付けると立ち上がり、空いていた窓を閉め始めた。


「……ああ、セレスね……」


 セレス。それはルークの探していた魔女の名前だった。

 ルークは街の図書館や父の書庫から文献の1つ1つを調べ上げ、魔女の項目を探した。流石に最近ではその姿が見られないせいか、魔女に関する資料はごく僅かしかなかったが、その中で一番に目をつけたのが、北西の魔女。

 最後の魔女とされる、4人の魔女。東北、南東、西南、北西の4方に永住の地を求めた4人の魔女の1人。シュリンク山脈の山奥で暮らし始めたと言われるその魔女は数十年前にはルークの故郷である港町付近にもよく現れることがあったらしい。

 しかし、もう誰も彼女のことを覚えている者はいない。

 レオナは椅子に腰を下ろすと、紅茶を片手に頬杖をつきながら、何をはばかることもなく、さらりとこう言ってのけた。


「あいつなら今行方不明よ」

「……え?」


 思わずルークはレオナの蒼い瞳を見返した。自分の発言が分かっているのか、レオナは笑顔を崩さない。複雑な表情を浮かべているわけでもなく、相手を心配しているという素振りも全く見あたらなかった。


「いつものことなんだけどね。いつの間にか書き置きしてどこかに行ってしまうから…」

「それじゃあ……」


 悲痛な少年の言葉にレオナは視線を逸らすこともなく、相手を見つめていた。ルークは溜息を漏らすわけでも、泣くわけでもなく、ただ視線をテーブルの上に落としている。

 小さな可能性を頼りにし過ぎていた自分をルークは情けなく思っていた。父や母の為に出来ることをしたい。そんな思いもこの状況ではどうすることも出来なかった。

 テーブルの端にあった砂糖をスプーン1杯分自分のカップに入れると、レオナはそれを溶かしつつ、ルークを諭す。


「セレスのことは諦めなさい、その代わり……」


 レオナは紅茶に口をつけ、俯いている少年を真っ直ぐに見つめた。破顔の表情は今のルークには見えていない。


「この魔術師、レオナ・ディルが引き受けてあげてもいいわよ」

「……え?」


 ルークは自分の耳を疑った。否、沈んでいる思考が彼女の言葉の半分しか聞いていなかったというのが本音だが。

 レオナはゆっくりともう一度同じ言葉を口にする。紅茶がカチャリ、と音を立て、その表面に小さな波が出来た。彼女のその微笑みが、その中に映り込む。


「魔女だけが貴方達の助けをするわけじゃないわ。私がその依頼、引き受けてあげる。ただし……」


 砂糖の入った小さなガラスの瓶を勧めつつ、レオナはその蒼い目を細めた。柔らかく微笑んだレオナの表情にルークは少しだけ不安なものを覚える。


「条件付きで、ね?」






「僕が助手をする……だけでいいんですか?」


 ルークはレオナに家の中を案内されながら、そう問う。日が暮れた屋敷の中はいっそう不気味さを増していて、所々に置かれた本棚や天井に張った蜘蛛の巣、そして意味不明な置物がその雰囲気を煽る。しかし、長年そこに住んできたレオナにはさほど気にするものでもなかった。


「理由は2つよ」


 レオナはランプを片手に廊下を歩きながら、振り向かずに話を続けた。


「1つは、情報収集能力。さっきの貴方の説明、要点がおさえられてて、こちらの聞きたいことがよく分かっているし受ける側としては、すごく役に立つわ。……もう1つは」


 言葉を切り、突き当たりを曲がった彼女は、どこかの部屋に足を踏み入れた。テーブルや棚の位置からすると、どうやらキッチンのように見える。ルークは辺りを見回しながら、レオナが部屋を照らし出すのを待った。

 急に明かりの灯った部屋は、ルークの予想通りキッチンだった。レオナは流し台の横に歩み寄ると、片隅にあった何かに手を伸ばす。最初は野菜に埋もれていたので分からなかったが、レオナは「それ」に声をかけた。


「……メニカ。起きなさい。もうすぐ夕食の時間よ」

「……?」


 動物でもいるのだろうか、と横から覗き込んだルークは反射的に体を硬直させた。

それは相手も同じらしく、


『ぴぎゃっ!?』


と形容するに相応しい奇声が小さく、そして高くキッチンに響いた。しかしどうやら相手は寝起きだったらしく、目覚めに知らない人物の顔があったせいで心臓の止まる思いをしたようだった。


 ルーク自身も驚いていたものの、固まったまま時折体を震わせている様を見ると、何故か申し訳ない気分に襲われた。2人の様子を面白そうに眺めていたレオナは、どこからか持ってきた小さな、とても小さなエプロンのような布を、それに被せる。


「メニカ。今日の夕食は2人分お願いね」

『あ、ああああの、ご、ごごごごご主人様っ!?あの、その、お、おおおおおおお客様、で、ですかっ?』


 わたわたと両手を振り回しつつ、『それ』は言った。本来ならば挨拶するべきなのだろうか、と半分逃避にも似た考えを巡らせていたルークは、自分のことだと気付いて同じようにオロオロし始める。


「え、あのっ……れ、レオナさん、この人……えっと、人?なのかな……?」


 動揺を隠せない様子のルークに苦笑し、レオナはとにかく落ち着くようにと諭す。深呼吸を数回してやっと落ち着いたルークだが、未だに鼓動が大きくなっているのを感じていた。恐怖はない。冷や汗もかいてはいない。驚き、それだけなのだ。

 相手もレオナに頭を撫でられると、すぐに落ち着きを取り戻したようだった。しかし、人見知りの性格らしく、レオナの持ってきたランプの影に隠れつつ、こちらを窺うように顔だけを出している。

 レオナは先にルークに説明することにした。


「彼女はメニカ。ブラウニーという種族の、妖精よ」

「……あ、妖精……?」


 ルークはどう反応したらよいものか分からず、首を傾げた。妖精を疑ったわけではない。だがここにいる茶褐色の毛むくじゃらの物体を目の前にして、ルークの脳裏には先に絵本で見る、羽根のついた小人のような想像が浮かんでいたのだ。

 それを察したのか、レオナは微笑んでメニカと呼んだ妖精をランプの前からひきずり出した。また慌てて隠れようとする姿に、やっと可愛らしさが湧いてきた。たしかに茶色の毛に覆われていて何処かの動物のような容姿だが、くりくりとした瞳が人のそれとは変わらない。


「これがもう1つの理由よ。貴方が『見える』人だから。何かあったときに助手が足手まといじゃいけないでしょう?」


 やっと納得したように頷く少年にレオナは微笑んだ。ようやく妖精に慣れてきたルークは、好奇心旺盛にティーカップの陰に隠れたメニカを見つめている。


「……最初は驚いたんですけど……よく見ると可愛いですね」


 何の下心もなく、素直にそう言ってレオナを見上げるルーク。


「可愛い妖精だけならいいんだけどね……」

『なぁんだよ、それって俺様へのあてつけか?レオナ』


 メニカを眺めようとティーカップを覗き込んでいたルークの頭上を右から左へと声が移動していった。ふと、ルークは頭上を見上げる。丁度レオナの目の前に、赤い物体が行き来していた。

 それは一見、火の玉のようにも見えた。だが、それがどんどん人の形を成していくうち、ルークはそれも妖精なのだと確信する。


「あら、トリクは格好良いって言われるより、可愛いって言って欲しいの?」


 蜻蛉を捕まえるようにその赤い物体の前で人差し指で円を描くレオナ。人の形に変化した火の玉は胸を張ってこう答える。


『美青年に可愛いという要素は必要だと思わねぇか?弟子』


 そう答えた妖精はメニカよりはっきりと人の形をとっていた。赤い髪が肩まで伸びてはいるが、どうやら声色と自分の名称から推測すると男の子のようだ。赤と黒を主とした長衣のような服。


「あなたの弟子になった覚えはないのだけれど?トリク。こんな所をうろついているということは、書庫の整理は終わったの?」

『終わるわきゃねーだろ。客人なんて珍しいし、なによりセカンド・サイトを持ってるなんて愉快じゃねーか』


 円を描いていた人差し指が、妖精の額に衝突する。


「……トリク?書庫をあんなに散らかしたのはどこの誰だったかしら?」


 引きつった微笑みを浮かべて、衝撃を受けた妖精が落ちていく様を見つめるレオナ。床に落ちる寸前で舞い上がるように飛び上がった妖精が、逃げるようにルークの視界を通り過ぎる。


『お、俺様ちょっと用事が……』


 そしてレオナの腕が、同じようにルークの視界に割り込んだ。



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