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ALF  作者: 由城 要
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第1章 1 魔女を求めて


 風はまだ何処かに包むような暖かさを含み、澄みきった群青色の空にも晩夏の暑さの名残が残っていた頃。

 まだ冬の訪れさえも知らない山吹や紅に変化を遂げたシュリンク山脈は、ススキの穂が揺れる高原の背景を鮮やかに彩っていた。振り返れば上陸と東の大海を隔てた懐かしい風景が一望出来るのと同時に、王都ラクトゥスが彼方に望むことも可能だった。


「……うわぁ……」


 腰にまで届く位の背丈の草が、一様に夏の名残の風に揺れた。擦れてはサワサワと乾いた音をたてる草原。向かい風は少年の茶褐色の髪をもふわりと弄び、その肌を擽って通り過ぎた。

 彼は飛ばされないように、と手に持っていた地図を握りしめ、眩しさと空気の流れに瞼を閉じる。風に突き動かされるように彼の古地図もその手の中で暴れ回った。

 半分色あせ、所々に破れた跡の見受けられる地図にはとある場所に真新しい印がされている。

 風が緩やかになり、そして消えてゆく。彼は瞑っていた瞼を開け、もう一度ススキの草原を端から端まで見渡し、飛び込んだ。

 軽やかに通り過ぎる幾つもの風。


揺れ動くススキがまるで1つの海のようにも見えた。彼は笑う。笑顔を浮かべ、高い蒼天を見上げると大きく深呼吸をした。


 彼はまだ子供のような表情をも醸し出す、幼さの残る顔立ちをしていた。まだ大人とは言えない風采は純粋な瞳と共に成長途中の姿である。

 茶褐色の髪と瞳、そして色白の肌が見ている者に柔弱な印象を植え付けるが、この山脈をここまで登ってきたという事実はそれを覆す。


 ルーク・フロー。それが少年の名である。彼は堅実であり、穏やかな性格の持ち主であった。そして空のように広い優しさをも持ち合わせていた。

 だから彼は今ここにいる。


「あっ、そうだ、こんなことしている場合じゃなかった!」


 ルークはまだ若いススキの穂の間から顔を覗かせ、忘れていたかのようにそう声を上げた。見上げた晩夏の日差しが、もうすぐ日の暮れることを物語っている。南中から傾き始めた太陽がゆっくりと西の山脈の向こうへと降りてくるのだ。

 だがしかし、彼は野宿をするための道具など、持ち合わせていなかった。闇が高原を包み、身動きが取れなくなる前に目的地につかねばならない。

 小さな望みを託す、たった1つの目的を果たす為に。


「えっと、ここが高原の北東で、目的地は……」


 小型の磁石で地図と目的地の方向を確認すると、ルークはもう一度辺りを見回した。街を出たときから、そんなに簡単に目的地が現れるなど思っていない。


だから、磁石が目的地を薄暗い森の奥を差しても、さほど驚きはしなかった。


 風にざわめく木々が、ルークを誘うように体を揺らしだす。頬を掠める風が少しだけ冷たく感じたのは日光が雲に遮られたせいばかりではない。

 近づいていくと、その鬱蒼とした森は紅葉し始めた周りの景色に反して、常緑樹の集まりのようだった。

 その真緑色の集合体ともいえる森はどこか、湿気を伴う空気を外へと排出する、伝説によくいう魔物のようだった。もっとも、そんなものは空想の産物でしかなく、本気で信じるものなどいない。ただそうゆう存在を考えることがルークにとっては楽しかった。


「……いけない、早く行かないと……」


 ふと想像の世界に浸っている自分に気付いて、ルークは頭を振った。今はただでさえ時間がないのだ。彼は地図を破らないように折り畳み、肩に下げていた鞄の中に入れた。

 ルークはゆっくりと観察するかのように辺りを見回しつつ、足を踏み入れた。鬱蒼と茂った森は出口が見えないくらいに遠くまで続いているようだった。

 圧倒されるような、森の存在感。改めて見上げてみて、少しだけ足がすくんだ。太陽の日差しを拒むかのように生い茂った枝と葉が辺りを薄暗く、湿っぽく感じさせる。


 恐怖心は、森の中に足を踏み入れた時から心の何処かに存在していた。それが段々と警告を発しているのが分かる。

 そう、いつの間にか奥へ奥へと歩き続ける自分に、もう1人の自分が制止の声を投げかけていた。けれど、後戻りをすることは出来ない。

 ルークはゆっくりとだが確実に前へ、前へと足を進めていった。


 ふと、森の中を緩やかな風が通り抜けた。木々の間をすり抜けたせいか、それとも何処かで反響したせいか…風は、何かが啼くような声にも似ていた。


『……ぁ 、……か…… れ……』


 発汗を誘う熱を孕んだ風の啼き声。最初は自然の悪戯だろうと頭の中で否定したルークも、もう一度吹いた同じ風に、とうとう足を止めた。

 それはまるで、人の声のようだった。


『そ……ぃ、……ふ……』

 細切れになった言葉の断片のような、風が空洞を通り過ぎる時に起こる音のような。それは確かに風の啼き声と称するには相応しかった。

 それは人の声のようでもあり、ただ風が啼いた音のようでもある。それはとても神秘的な旋律で耳の中で反響し、消えていった。

 木々が揺れるとまた、あの風の啼き声が湧き上がった。


 ルークは奥から聞こえてくる不可解な音に狼狽えながらも、息を整え歩みを再開した。その足取りには明らかに不安と理解できない現象への微かな恐怖感によって重みを増している。

 ルークは行く手を阻むかのように立ち並ぶ樹木の間をすり抜けながらも、また微風に乗って流れてくる啼き声に何度も足を止め、辺りを見回す。


「どんどん……大きくなってる」


 風の創り出す摩訶不思議な高音。それがルークの元へ、その音を徐々に大きく、高めながら増してきていた。しかし、周りには湿気を含んだ風に揺れる常陰の木々と、地面に浮かび上がる微かな上空からの光しか見あたらなかった。

 しかし、その状況はルークの恐怖心を膨れ上がらせるには十分な要素を持っていた。実際に彼は寒気以上の、何かに見つめられているような感覚を嫌という程味わっていたのだから。

 いても立ってもいられず、とうとう彼は走り出した。目的地がこの薄暗い森の中に存在することを信じ、絡みつくような空気の流れに逆らって走る。自分の意識が何度も警告を発していることは、彼自身が一番よく知っている。そして、その警告を何度も押さえつけようとしている自分の勇気に、少しだけ驚いていた。

 後戻りは出来ない。何故かそんな気がした。





 直線的な太陽の日差し。


 切り裂くように現れた日光と、まだその明るさに慣れない目がルークの足を止めた。

 漂うものの何もない、開けた土地。刹那、ルークにはそれが真っ白な無の空間に見えた。

 闇のように黒い空間ではない、白の無。それは何処か恐怖という感覚を掻き消してしまう程、神聖で静寂に満ちていた。だから、その中に無数の花が揺れる情景が浮かび上がってきたとしても、神秘の成せる技として受け入れることが出来た。

 それはルークが本来の思考を取り戻すまでの短い間ではあったが。


「……?」


 風が涼風に変化したように思えた。ルークの背を押すように通り過ぎる風は視界に広がった花畑を揺らす。

 舞い上がる花弁は秋桜にしては大きく、色も濃い。丸みを帯び、赤く鮮やかな花……。それは赤だけではなく、白、黄色、紫など様々な色彩を見せていた。

 それは、この紅葉の背景には不似合いなチューリップ。


 それに気付いた瞬間、ルークは足下から寒気が這い上がってくる感覚に陥った。鎖に拘束されたかのように強ばった足を渾身の思いで後退させる。

 額に滲み出た汗が頬を伝っていく感覚を、ルークはしっかりと感じていた。


「……今、秋だよ……?」


 誰に発したのでもない、そんな言葉はざわめき始めた木々の騒音に消されていく。ルークは体を強ばらせた。

 ふわり、と髪を弄んだのは意外にも暖かな風だった。緩やかな空気の流れ。その風上に古ぼけた建物のようなものが見える。

 長年雨風にさらされた形跡の残る、小さな家のようだった。

 ルークは瞬時にそれが目的地だと判断した。それは彼の思い描いたものとは少々違っていたが、早くここを立ち去りたい気持ちと、この奇妙な風景が目的地だからこその風景なのだと割り切ろうとする気持ちが混じり合っていたのだ。


 おそるおそるながらルークは足を踏み出した。無邪気に揺れる無数のチューリップの花が視界に入らないように顔を上げ、真っ直ぐその建物を目指す。

 風はルークの後押しをするかのようにゆっくりと吹いて、その横を通り過ぎていった。


『天の目の如く、光揺れ』

 しかしルークの足は止まった。微風に乗り過ぎ去った1つの旋律が、ゆっくりと消えていく。それは風の悪戯にも、空耳にも思えた。

 しかし、それが先程の風の啼き声だと悟った瞬間、ルークの思考は1つの明確な答えを出すことが出来た。


(……歌?)


 誰の、という疑問がルークの中に浮かび上がった。先程から視界に入る限りの場所を見回してはいるが、何処にも人の姿はない。旋律の発生源もよく分からない。

 それはまるで自分を取り囲む木々が唄っているようにも、チューリップの花々が唄っているようにも聞こえた。

 いや、後者だ。


(花が……唄ってる?)


 歌はルークの立っている場所より下から聞こえた。八方のチューリップが風に揺れる度旋律を紡ぎ、花弁が風に乗って中央で渦巻いている。

 それは何故かとても印象に残る風景だった。この状況に反してルークはその歌声に聞き惚れてしまったのだから。


『幾許清き風は吹く』


 ルークの思考はいつの間にか夢と現実の狭間を彷徨いているような、体の浮くような心地がしていた。

 頭が否定されるような眠気にも似た感覚に自身の警告は薄れてゆき、いつの間にか霧に包まれ、消えてしまった。

 ルークはゆっくりと足を前へと進め、中央の小さなつむじ風に向かって歩き出していた。


 揺れる花から1枚、また1枚と花弁が摘み取られていき、花畑の真ん中で空へと躍り上がる。

 春のように暖かい歌声だ、とルークは心の中で思った。優しい日差しの中で眠っているような、春風に頬を撫でられるような、そんな気分がしていた。


(なんだろう……すごく、優しい……)


『千の護りと証をもって』


 ふ、と目の前を闇が覆った。それに気付いた時、ルークは自分の意識がいつの間にか無意識に変わっていたことを知る。

 逃げ出したいと思っていた気持ちが何処かへ遠退き、自ら花畑の中心へ足を踏み出していたことに驚く。

 まるで、夢に入る一歩手前のような感覚だった。心地よい気分から急に現実へと引き戻される。


「……止めなさい」


 凛とした声は、耳元ではっきりと聞こえた。それによってやっとルークはこの闇が誰かに目を覆われたからなのだと知る。


「彼等の歌は確かに綺麗だけれど……彼等の居場所まではついていってはいけない」


『汝 扉の鍵とせん』


「人の世界じゃないのよ、そこは」

「……え?」


 その手を振りほどき、後ろを見やることは容易かった。ルークはその人物を振り向いた時、まずその瞳に囚われた。

 花畑の中心を見つめているのであろう、真っ直ぐな瞳は晴れ渡った秋空より澄み渡り、透明度の高い海のように蒼い。そして傾き始めた太陽に照らされた金色の糸のような髪が1つに纏められていた。

 白い肌と対照的な黒のローブと、派手にも地味にも見せることのない清楚な姿が特に印象的である。その外見はどうやらルークより2つか3つ年上のようで、その顔はほとんど女性といってよいほど整った輪郭をしていた。


「誰も入れない……彼等だけの場所」


 そう言うと、彼女はゆっくりと周りを舞う1つの花弁へと手を差しのべた。ふわり、と一瞬浮かび上がった紅いそれは、細い指の間から砂が風に流されるように消えていった。

 真紅の粒子が空に消えてゆく。ルークはその時初めてもう日が暮れ初めていたことに気付いた。


「あ、あの……」


 やっと本来の目的を思い出したルークは自分より幾分高い視点を見上げ、真っ直ぐに相手を見つめようとした。

 風がいつの間にか消え失せ、舞い上がった花弁がいくつも茜色の空から舞い降りてきた。

 花吹雪というには数が少なかったが、それはとても幻想的で美しかった。

 その下で、彼女の声は何よりもはっきりと響き渡る。


「魔女の庭へようこそ。セカンド・サイトを持つ者」

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