第22話 闇の中で、交わされる誓い
シン、と。
封印区画の、澱んだ空気が、私たちの間に落ちた。
私が告げた真実は、あまりにも重く、あまりにも残酷で、レオンハルト様の騎士としての半生、その全てを根底から否定するものだった。
「……嘘、だ」
彼の唇から、こぼれ落ちたのは、そんな、か細い拒絶の言葉だった。
「我が、アークライト家が……代々、受け継いできた、この紋章が……。ただの、枷だと……?」
彼は、まるで呪われたものでも見るかのように、自分の手甲に刻まれた、一族の紋章を見つめている。
それは、彼にとって、誇りであり、忠誠の証であり、そして、彼の魂そのものであったはずだ。
「ええ」
私は、静かに、しかし、残酷なまでに、はっきりと告げた。
「あなた様の一族は、悲劇の英雄ライオネルの血を引く、生贄の家系。王家への絶対的な忠誠心は、血に刻まれた、抗いようのない呪い。……それが、真実ですわ」
「……あ……ああ……」
彼は、よろめくように、一歩、二歩と後ずさった。
そして、背後の書架に、ドン、と背中を打ち付ける。
そのアクアマリンの瞳から、光が、急速に失われていく。
「では、なんだ……? 私が、今まで捧げてきた、この忠誠は……。この国の平和を、民を、守りたいと願ってきた、この想いは……。全て、偽物だったと、いうのか……?」
「……」
「ただ、そう思い込まされていただけの、哀れな、操り人形だったと……!?」
彼の声が、慟哭のように、響いた。
それは、今まで私が見たことのない、彼の、魂の叫びだった。
気高い騎士の鎧が、音を立てて崩れ落ち、中から、傷ついた、ただの人間が、姿を現したのだ。
私は、彼の元へと、ゆっくりと歩み寄った。
そして、彼の目の前で、あの呪われた歴史を記した古書を、パタン、と閉じた。
その乾いた音が、まるで、一つの時代の終わりを告げるかのように、静寂に吸い込まれていく。
「いいえ、違いますわ」
私の声に、彼は、虚ろな瞳を上げた。
「あなた様が、偽物だなんてこと、断じてない」
私は、彼の瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「お尋ねしますわ、レオンハルト様。あなた様が、あの呪われたドレスから、わたくしを救ってくださった時。……それは、筋書き(シナリオ)に、書かれていたことでしたか?」
「……それは……」
「あなた様が、わたくしの嘘を見抜きながらも、それに乗って、共に王宮と対峙してくださった時。……それは、誰かの命令でしたか?」
「……違う」
彼が、か細い声で、答えた。
「ええ、違うでしょう?」
私は、確信を持って、言った。
「あの瞬間、あなたは、ただの騎士ではなかった。呪われた人形でもなかった。あなた自身の意志で、あなた自身の正義を、貫いたのです。……わたくしが、この目で見た、あなた様は、そういうお方でした」
私は、彼の、震える手に、そっと、自分の手を重ねた。
「だから、わたくしは、信じます。あなた様の魂は、まだ、その枷には、屈していない、と」
彼の瞳に、ほんのわずか、光が戻った。
だが、それは、すぐに、また、深い絶望の影に、かき消されそうになる。
「だが……私は……。この呪いがある限り、また、いつ……。あなた様を、傷つけるかもしれない……」
「ええ、そうかもしれませんわね」
私は、あっさりと、それを認めた。
「だからこそ、わたくしたち、二人で戦うのです」
私は、彼の手を、強く、握った。
「今まで、あなた様が、その身に刻まれた偽りの誓いに、苦しんできたというのなら。……今、ここで、新しい、本当の誓いを、立てればよろしい」
私は、一歩、下がり、彼の前に、片膝をついた。
それは、本来、騎士が、主君に行う、誓いの型。
「――わたくし、アイナ・フォン・ルーメルは、ここに誓います」
私は、見上げて、宣言した。
「わたくしの持つ、全ての知識と、全ての策略を以て、あなたを縛る、その呪われた運命を、必ず、打ち破ることを」
「……!」
彼が、息を呑む。
「さあ」
私は、彼に、促した。
「今度は、あなた様の番ですわ。偽りの忠誠は、もう、捨てなさい。そして、あなた自身の魂にかけて、誓ってください」
「……」
「この理不尽な運命に、屈しないと。わたくしと共に、戦い抜くと。……あなた自身の自由を、その手で、掴み取ると!」
私の言葉が、最後の引き金になった。
彼の瞳から、迷いが、消えた。
代わりに、そこに宿ったのは、地獄の底から這い上がってきたような、静かで、しかし、燃え盛る炎のような、凄まじい覚悟の色だった。
彼は、ゆっくりと、私の前に、跪いた。
そして、私の手を、両手で、包み込むように、握りしめた。
「……誓います」
彼の、絞り出すような、しかし、どこまでも力強い声が、禁書庫の闇に響いた。
「私、レオンハルト・アークライトは、ここに。我が魂を縛る、偽りの運命に、抗うことを。そして、この剣、この命、この意志の全てを以て――あなた様と、共に戦うことを、誓います」
それは、主君と騎士の誓いではない。
絶望の淵で出会った、二人の魂が、初めて交わした、対等な、そして、何よりも固い、約束だった。
私たちは、立ち上がった。
もう、ここには、迷える令嬢も、壊れた騎士もいない。
ただ、運命という名の、巨大な敵に立ち向かう、二人の共犯者だけが、そこにいた。




