第21話 禁書庫で、最初の真実を
あの嵐のような夜が明けた。
部屋に差し込む朝の光は、昨日までと何も変わらないはずなのに、私の目には、まるで世界の解像度が一段階上がったかのように、鮮明に映っていた。
「おはようございます、レオンハルト様」
机に向かい、昨夜までの出来事と、今後の戦略をノートにまとめていた私は、部屋の隅の椅子に静かに腰かけていた彼に、声をかけた。
彼は、いつからそこにいたのだろう。物音一つ、立てなかった。
「……おはようございます、アイナ様」
彼が、私の名を呼ぶ。その声には、もう、以前のような無機質な響きはない。確かな、人間の温かみがあった。
「昨夜は……眠れましたか」
「ええ、おかげさまで」
私は、微笑んでみせた。
「あなた様こそ、お身体はもう、よろしいのですか?」
「……問題、ありません」
短い、ぎこちない会話。
けれど、その一言一句に、昨日までとは全く違う、確かな信頼関係が滲んでいた。
彼は、もう、私を監視するだけの壁ではない。
私は、彼にとって、ただ守られるだけの侯爵令嬢ではない。
私たちは、対等な、共犯者なのだ。
「さて」
私はペンを置くと、立ち上がった。
「早速ですが、参りましょうか。私たちの、最初の戦果を受け取りに」
†
王宮の書庫は、学園のそれとは、比べ物にならないほどの威容を誇っていた。
天井まで続く、壁一面の書架。空気は、古い紙と、乾燥したインクの匂いで満たされている。
私とレオンハルト様が、その入り口に立った時、一人の老人が、まるで書庫の番人のように、私たちの前に立ちはだかった。
「……アイナ・フォン・ルーメル嬢、並びに、サー・レオンハルト・アークライト殿ですな」
老人は、書庫長のヴァレリウスと名乗った。その鷲のような鋭い目が、私たちを値踏みするように細められる。
「王宮評議会より、前代未聞の“ご命令”は、確かに拝聴しております。……どうぞ、ご自由に」
その声には、明らかに「厄介者め」という響きが滲んでいた。
私は、気にも留めず、にこやかに微笑み返した。
「ありがとうございます、書庫長。では、早速ですが、“封印区画”へ、ご案内いただけますこと?」
「――なっ!」
ヴァレリウス老の、皺くちゃの顔が、驚愕に引きつった。
「ふ、封印区画、だと!? あそこが、いかなる場所か、ご存じの上でのご発言かな、お嬢様!」
「ええ、もちろん。だからこそ、参りたいのですわ」
私が、一歩も引かないのを見て、老人は助けを求めるように、レオンハルト様を見た。
しかし、私の騎士は、ただ、静かに、そして力強く、頷いただけだった。
「……ちっ。近頃の若い者は……」
老人は、盛大に舌打ちをすると、重い鍵の束を手に、しぶしぶといった様子で、書庫の奥へと我々を導いた。
†
封印区画の扉は、鉄格子で作られていた。
扉には、いくつもの魔法的な錠前がかけられ、うっすらと、青白い光を放っている。
ヴァレリウス老が、呪文を唱えながら、一つ、また一つと、鍵を開けていく。
重い、重い金属音が、静寂な書庫に響き渡った。
「……これより先は、我々も滅多に立ち入らぬ場所。何が起きても、自己責任でお願いするぞ」
老人の忠告を背に、私たちは、禁じられた知識の森へと、足を踏み入れた。
中は、ひどく埃っぽく、かび臭かった。
光源は、壁にかけられた、ひとりでに燃える魔光石だけ。その青白い光が、迷宮のように入り組んだ書架を、不気味に照らし出している。
「……すごい」
私は、思わず呟いた。
ここにあるのは、ただの知識ではない。歴史の闇に葬られた、数多の呪い、禁術、そして、王家の“不都合な真実”だ。
「アイナ様」
レオンハルト様が、私の前に立ち、警戒するように周囲を見渡す。
「あまり、書物には、素手で触れぬ方がよろしいかと」
「ええ、分かっていますわ」
私は、彼の気遣いに微笑みながら、目的の書物を探し始めた。
RTA走者としての知識(記憶)が、私を導いてくれる。
「……あった」
数十分後。私は、一番奥の書架で、一冊の、異様な本を見つけ出した。
それは、人間の肌のような、不気味な質感の革で装丁された、タイトルのない、分厚い古書だった。
私は、手袋をはめた手で、慎重に、その本を開いた。
ページをめくっていくと、やがて、私の探していた記述が、目に飛び込んできた。
「……『建国王アーサーは、その盟友にして、最強の魔力を持つ異母弟、ライオネルの力を恐れた。王は、いつかその強大すぎる力が、国に、そして自らに牙を剥くことを危惧し、宮廷魔術師に命じて、一つの“枷”を創らせた』……」
私が読み上げると、隣で聞いていたレオンハルト様の息を呑む音が聞こえた。
私は、続ける。
「『“魂の枷”。それは、ライオネルの魂に、一つの絶対的な“役割”を刻み込む、禁断の大魔術。すなわち――“王家に仇なす者を、自らの意志を失ってでも、これを討ち滅ぼす、悲劇の英雄”という、役割を』……」
「……まさか」
レオンハルト様の声が、震えていた。
「それは、おとぎ話のはずだ……。初代近衛騎士団長、ライオネル様の、悲劇の伝承……」
「ええ。きっと、誰もがそう思っていた」
私は、次のページを、彼に見せた。
そこには、精緻なタッチで、一つの紋章が描かれていた。
「この紋章は……」
レオンハルト様が、目を見開く。
「……我が、アークライト家に、代々伝わる……」
私は、静かに、最後の真実を、告げた。
「あなた様の“呪い”は、バグなどでは、ありませんでしたのよ、レオンハルト様。それは、この国を建国した王が、あなたの祖先にかけた、あまりにも理不尽で、そして、今もなお続く……“王家による支配”の証だったのです」
彼の呪いは、事故ではなかった。
意図的に、仕組まれた、悲劇の筋書き(システム)だったのだ。
この、とてつもない真実を前に、私たちは、ただ、言葉を失うことしか、できなかった。




