ホリィ・ベルの水晶玉(五)
水晶玉の中に現れたのは、豪華絢爛の四文字が似合う美女だった。
でも、おかしい……。
このあたし、ホリィ・ベルの水晶玉は、遠くのものを映し出すことができる。遠くの人の声も聞き取ることができる。
でも、遠くの人と会話することはできない……はずだった。
でも今、笛吹丸様は、水晶玉の中の女性と、確かに会話をしている。
「お久しぶりにお目にかかります、蘭様」
笛吹丸様が、その女性の名前を呼んだ。
「前にお会いしたのは確か……二年前の京都でしたかな」
水晶玉の中に映るのは、雪風一族のライバル華夢家の長姉、華夢蘭様のお姿だった。
長い髪がピンク色だ。まるで別世界の住人みたいなキラキラした色だ。
広げた扇子で鼻の頭から下を隠されているけど、間違いなく美人! 涼しげな目元に浮かぶ凛とした色気だけでもそれがわかっちゃう!
「笛吹丸殿」
蘭様がお声を出した。とても威厳のある、美しいお声だった。
「久々に言葉を交わせて、わたくしも嬉しく思います。それにしてもこのような、遠くにいながら言葉を交わせる魔法を修得されるとは、流石は雪風一族の長男ですね。驚いておりますよ」
「ふつうは一方的に遠くの声が聞こえるだけで、会話は出来ぬ魔法にございます」
笛吹丸様が、水晶玉に向かって頭を下げた。
「びっくりしているのはこちらでございます。私が音丸の様子を見ていたところに、急に蘭様のお顔が現れ、しかも会話まで可能とは……。流石は『全知全能の蘭様』でございます」
「音丸殿のご様子を盗み見してらっしゃったのですね?」
「盗み見といわれると……人聞きが悪いですが、その通りですね」
笛吹丸様はそう言って、ばつが悪そうに頭を掻いた。蘭様は少し目を細められただけで、なんというか、クールだ。
「天花と和歌から聞いていますよ。音丸殿、十五になられたのですね?」
「ええ。それで雪風のしきたり通り、修行の旅に出してございます」
「ご心配でたまらないのですね? ふふ……」
「何しろああいう妹ですからね」
笛吹丸様はそう言いながらも、かわいいものを頭に描かれてしまったようで、嬉しそうに笑った。
「目が離せません。ややもすると、あやかしと仲良くなってしまうようなやつです。実際、討てと命じたカマイタチと仲良くなり、共に行動してしまっております」
「カマイタチと?」
蘭様は扇子でお口を隠されたまま、クールな目つきはお変えにならずに、でも少し呆れたように、言った。
「それはいけませんね。あやかしに情など移してはなりません。あやかしは人を騙し、惑わせるものです」
水晶玉の中、蘭様の隣に誰かいるらしく、チラリとそれが映った。
なんか犬みたいなもふもふした耳の頭についた美少年に見えた。
なんだろう、あれ……。あたしの国には『獣人』てのがいるけど、それと同じようなものがこの日本にもいるのかしら?
「まったくです」
笛吹丸様は犬耳にはまったく気を取られずに、頷いた。
「私は妹のことを尊重し、『音丸』と、ちゃんと名前で呼んでおるのですが、このままではあいつのことを私まで『へっぽこ丸』と呼ばねばなりません」
「狗彦」
蘭様が、お側についている犬耳の美少年に言った。
「もう、よいですよ。お下がりなさい。笛吹丸殿と御二人でお話せねばならぬことがあるのです」
犬耳の美少年が頭を下げ、立ち上がるのが見えた。
襖が開く音が聞こえ、静かに閉まる音も聞こえた。
「あーっ!」
水晶玉の中の蘭様が豹変した。
「堅苦しいったらありゃしないわ! ふー! これで楽チンに話せるわ。ね、笛吹?」
「蘭様……」
笛吹丸様が、くすっと笑われた。
「おまえは蘭様だろう? 威厳を崩すなよ」
「あんたの前だけじゃ、単なる『幼馴染みの蘭』だわよ。いいじゃない」
蘭様が口元を隠してらっしゃった扇子を、下におろした。
おお、かわいい! 桃色のぽってり唇だ。
てっきりクールな薄い唇を想像してたので、意外だった。
「ね、笛吹。幼馴染みのあんたの前だけなのよ、私が素の自分をさらけ出せるのは。妹たちの前だって威厳を見せてなきゃならないんだから」
笛吹丸様がまたくすっと笑う。
「お互い大変だな、一家の長兄長姉というものは」
「あんたは素でやってるじゃない。私は大変なのよ。ほんとうは私だって十九歳のただの女の子なのに。食べることだって、遊ぶことだって好きなのに……」
「ホリィ・ベルが聞いておるぞ。いいのか?」
「その子もあんたのうちよ」
うん。確かに、あたしは笛吹丸様の一部みたいなものだな。
「ところであんた、私に相談したいことがあるでしょ?」
蘭様にそう言われ、笛吹丸様が苦笑した。
「流石は全知全能の蘭様……。それで俺が見ている水晶玉に割り込んで来たのか」
「様とかつけないでよ。呼び捨てでいいよ。昔みたいに」
「蘭……」
笛吹丸様が真面目なお顔になった。
「おまえのことだからもう察知しているかもしれぬが……、音丸が旅をしながら不穏なものたちに出会った」
「宇宙人ね?」
得意げにでもなく、あっさりと蘭様はそう言った。
「こちらも又利郎に調査させているわ。きわみと……伊織くんも一緒にいるみたいね」
「流石だな」
笛吹丸様が嬉しそうに笑う。
「話が早くて助かる。どうやらそいつらはこの日本を狙っているようだ。詳しい情報が欲しい」
「私もあんたが知ってることぐらいしか知らないわ。神様じゃないもの」
「そうか……。まぁ、その相談がしたかったのだ。京都近辺にも出没しているかもしれん。何かわかったらすぐに知らせてくれ」
「わかったわ」
「俺はおまえを尊敬している」
笛吹丸様は微笑を浮かべて、仰った。
「うちの危能丸と同じような、それとは比べ物にならぬほど強大な、人を操る力を持ちながら、それを決して私利私欲のためには使わぬおまえのことをな、尊敬しているのだ」
「あら。私こそ、あんたのことを尊敬しているわ。笛吹」
クールな蘭様のお顔に、少しだけ意地の悪そうな笑いが浮かんだ。
「西洋を旅して未知の『魔法』なんて力を会得して、しかも極めて来るなんて、なかなか出来ることじゃないし、何よりね、あんたの顔が好き。あんたの顔を尊敬してる。かっこいい。絶対、あんたにはキツネのお耳が似合うと思う。似合うと思うよ。つけようよ」
「そうだな。今度、直にまた会う時にはつけて行こう」
「本当? 約束よ?」
「ああ。とりあえず、雪風一族と華夢家、名門と呼ばれた退魔の一族同士、力を合わせて日本を守ろうぞ」
蘭様がスッとまた扇子を広げられ、威厳のあるお顔に戻った。
「ええ、笛吹丸殿。共に力を合わせましょうぞ。……ところで」
「ん?」
「その音丸殿にまとわりついているというカマイタチ、伊織殿に切らせるのですか?」
「そう命じております。伊織なら、カマイタチなど容易く斬り伏せるでしょう」
「そうなればよいのですけど……」
蘭様が口元を扇子でお隠しになりながら、無表情に言った。
「何やらよくない予感がするのです」
「そうですか……」
笛吹丸様も表情を変えずに、仰った。
「じつは今生之助と危能丸が既に敗北しております。カマイタチながら、只者でないのは確かです」
「もし、伊織殿まで敗北したなら、わたくしがそのカマイタチ、退治に参りましょう」
「蘭様が!」
笛吹丸様が驚いたような声をあげ、お笑いになった。
「……それはカマイタチもひとたまりもないな」
「音丸殿の教育にもなるような退治の仕方をして差し上げますわ。ふふふふふ……」
そう言うと、水晶玉の中から蘭様のお姿が、すうっと消えた。
「なんだか凄いお方ね」
あたしは正直な感想を、笛吹丸様に告げた。
「素のお顔との落差も凄いけど……なんだか強大すぎるほどのお力を感じたわ」
「ウム。実際、あいつほど敵に回したくない者はない。そう思わせるほどの、絶大な力を持っておる」
笛吹丸様は真剣な顔でそう言ったかと思うと、
「まぁ、あの蘭が敵に回るなど、万に一つも有り得んが、な。……さて、オトのことが心配じゃ。続きを見るぞ!」
シスコンのお兄ちゃんの顔に戻り、水晶玉の中に音丸様の姿を映し出された。




