場面8 母の口紅ケース
玄関まで戻ってきた誠司と芽衣子だったが、半裸の芽衣子は着替える為に一度自室に戻った。
雨戸を開けて回っていた父の新之助に『姉は着替えてから来る』と伝えた誠司は上半身が裸のまま台所へ飲み物を取りに行った。
上半身が裸になっている誠司の後ろ姿を見た新之助は、きっと雨に濡れたから脱いだのだろうと思い、作業に戻った。
雨戸を開け終わった新之助は仏壇の扉を開くと、ロウソクに火を付け、線香を1本取り出して火にかざしてから線香立てに優しく立てて、お鈴をチーン鳴らしてから手を合わせた。
「母さん。変な事が起きたみたいだけど、どうか私たちを見守ってくれ」
新之助は妻の恵美が亡くなってから、朝と晩のお線香を欠かすことは無かった。
いつも気難しそうな父もこの時ばかりは温和な雰囲気になっていた子供たち。
この時を邪魔しないのが暗黙の了解になり、今も部屋の手前で誠司と芽衣子は一時停止していた。
「ふぅ」
父の新之助区切りをつけるように息を吐いて居間の座卓に座ると、芽衣子と誠司も入ってきた。
「おまたせー。誠司には新しいTシャツ。あんたのタンスって黒いVネックばっかりじゃん。もっとバリエーション考えなさいよ。」
新しいシャツを座卓の上に置く芽衣子。
「ドンキで3枚セットで千円だから安くて気に入ってるんだよ。バリエーションはボトムと上着で考えてるの。ジョブズよりはマシ。」
誠司は台所から持ってきた朝食を乗せたお盆を座卓に置くと、Tシャツを手に取り、頭を突っ込んで着始めた。
「ジョブズのタートルネックはそのシャツ100枚分でもまだ買えないけどねー」
芽衣子は座卓に立て肘を付いてゴミを見るような目で誠司のシャツを眺めた。
「電気が来てないから、今朝のメニューはアイスクリームな」
Tシャツを着終わった誠司は居間の座卓にお盆からアイスを並べると、母が好きだった抹茶のアイスを仏飯として仏壇に供えた。
チンと鳴らして軽く手を合わせると、供えたアイスを持って座卓に座った。
「水道はダメだったけど、ガスは生きてた。多分プロパンだからかな」
飲み物を取りに台所に行った誠司がライフラインの状況を説明した。
「震災後って感じねー。あ、だったら外の井戸は使えるんじゃない?ポンプで組み出すやつ」
誠司の持っていた抹茶アイスを奪い取り、何食わぬ顔で蓋を取る芽衣子だったが、溶けかけたアイスが手につきゲゲっとした顔をした。
「ああ、外の井戸なら定期的に水質検査はしてるぞ」
何でもいいと言わんばかりに目の前に置いてあったバニラアイスを取る新之助。
「電池なら多少の買い置きはあるから、スマホの充電くらいは出来るけど、明かりとして使ったらすぐに無くなるな」
ストロベリーアイスが好きではない誠司は恨めしそうに蓋を開けた。
「そういえばスマホの電波は通じてたのよね。」
自分のスマホで電波を確認しようとポケットに手を入れる芽衣子だったが、何もない。
当然だった。
何故ならスマホはジャージのポケットに入れてあり、そのジャージはコンテナの中で消えていたのだから。
「私のスマホ!ジャージの中!!」
立ち上がる芽衣子だったが、外は土砂降りだった。
「食事中だぞ」
溶けかけのバニラアイスを食べながら説教する新之助に負けて素直に座る芽衣子。
「雨が止んだら一緒に探してやるよ。じゃあ電波だなあとは。なんで仏間に近付くと電波が通じるのか」
そんな姉に対し、若干の溜飲が下がった誠司はニヤニヤしながら声をかけた。
「よし、ライフラインの現状が分かった所で、あとはそれぞれの意思を確認しよう。」
お盆にアイスのカップを乗せて新之助は二人に聞いた。
「意思って?」
スプーンを口に入れたままハテナと首を傾げる芽衣子。
「差し当っては『これからどうしたいか』だな。俺はうちに帰りたい。いや、うちはここだが、つまり千葉の弓切に帰りたい。あそこには母さんの墓も有るからな。」
腕を組みながら仏壇の方を見る新之助だが、誠司は答えに詰まった。
「俺は…わかんない。親父が言う事も分かるから帰りたい気持ちがゼロって訳じゃない。でも少しワクワクしてる自分も居るんだよね。メイ姉なら分かるだろ?」
母を蔑ろにするつもりは無かったが、いざ言葉にしてしまうと居心地の悪さを感じた誠司はそのまま芽衣子に話を投げた。
「まぁそうね。っていうか、あたしは二人と違ってニートだし?この週末の予定もクソッタレなボンボンとクソッタレ合コンの予定しか無かったし?そんな事よりも今はアンナちゃんよね!あたしの興味は!」
なんたって魔女っ子なのよ!と興奮する芽衣子だったが、誠司は思い出したくない事実を想起されられた。
「そうだ!俺も職場に電話しないと!いや、その前に電波か!」
アイスを食べ終わった3人は、仏間に設置された仏壇に近付くと電波レベルが殆ど最高になると分かった。
仏壇そのものが電波を出しているのか、それとも中身の何かが影響しているのか調べるべきだ。
という誠司の提案から全ての物品が居間に出された。
最終的に搬出作業は誠司一人で行った。
まず最初に新之助が恵美の位牌と遺影を大事そうに抱えると、後は任せたと言わんばかりに退避した。
芽衣子も線香立てなどを動かす時は手伝っていた。
しかし仏壇の引き出しに口紅ケースを見つけると、「こんな所にあったの」と呟いてから戦線を離脱した。
全ての物品を居間に移した誠司が電波を確認すると仏壇よりも物品側の方が電波が強くなった。
「つまり仏壇のせいじゃなく、こっち側の何かって事か?じゃあモノを半分に分けながら、また電波確認するかな」
手伝ってくれよというプレッシャーを芽衣子に掛けるべく独り言をいう誠司だったが、何の反応も帰って来なかった。
さすがに文句を言おうとした誠司だったが、芽衣子が泣いているように見えた為に黙って作業を続けた。
芽衣子の持っている口紅ケースは二人の母である恵美の遺品という事は誠司も覚えていたが、泣くほどの理由を思い出せなかった。
スマホを片手に仕分けした結果、直径5ミリほどの小さいリングが電波源だと分かった。




