場面25 ターミネーター2
東京都港区高輪。
レインボーブリッジと品川駅に挟まれたウォーターフロントエリアの病院。
浜松真名美。
医師が事務作業を行うスペース――医局の中で彼女は近眼用メガネの位置を直しながら、静かに怒っていた。
彼女が見ているノートパソコンにはSNSのサイトが開かれており、そこにはメッセージと写真が受信されていた。
『だからー、あんたが本当に医者なら助けなさいよ!それが出来ないなら医師じゃなくて詐欺師でしょ?だったら絡んでこないで!でも、もし本当に医師なら、子供の命を助けたいなら、さっきの住所まで来なさい!』
かなり横柄な文章だったが、同時に焦りを感じさせる文章でも有った。
「出掛けてきます。午後の診療は部長にお願いします。」
彼女は返事を待たずにデスクから自分の車の鍵を取り出すと、財布の入ったポーチを片手に駐車場に向かった。
「何が詐欺師ですか。野兎病の写真なんか持ち出してきて、しかも患者は子供なんて。冗談としたら質が悪過ぎます。」
言葉遣いこそは丁寧だったが、白衣のまま病院を出てきてしまう程に彼女は冷静さを欠いていた。
「でももし本当なら…いえ、有り得ない。それを証明しに行けばいいだけ。」
自分に言い聞かせるように呟いて首都高に乗った彼女はアクセルを踏み込んだ。
事の始まりは医師の友人からのメールだった。真名美が午前の診療を終えて書類仕事をしている時に受信した。
『「医師の人は助けて」ってSNSで騒いでる奴がいるぞ。すごいリアリティで驚いた。』
メールに添付されていたURLにアクセスすると、SNSのページが表示された。そこには少年と言うには余りにも幼すぎる子供の写真が写っていた。日本の話ではないと思ったら、説明書きには異世界と書いてあった。
義憤に駆られて気がつけば真名美は写真の投稿主にダイレクトメッセージを送信していた。
『手の込んだイタズラは止めなさい。その病気は命に関わるから、冗談でも許されません。今すぐに写真は消しなさい。通報などをされる前にです。』
そう送っていた。これでおとなしくなるだろうと真名美は思ったが、むしろ逆だった。返信が来たからだ。
返信内容には住所と氏名が書いてあった。
真名美はその名前をネットで検索すると、存在する人間の名前がヒットした。ハリウッド映画でスタントをやっていたらしく、写真や動画もあった。
ネット上の動画に映るその顔は、最後に受信した写真――中指を突き立てて睨みつけている――女性と同一人物のように見えた真名美は事実を直接確かめるべく、車で千葉に向かった。
藤田家跡地のコンテナ前で、次郎がトランシーバーに向かって話しかけていた。
「あーテステス。こちら次郎。セージ聞こえるか?どーぞ。」
『こちら誠司。よく聞こえるぞ。感度良好ってやつだジロー。しかし悪いな。こんなすぐに買い物に行ってもらって。それに、このトランシーバーは助かった。どうぞー。』
次郎の持つトランシーバーからは誠司の声がしていた。
「買い物リストには無かったけど、有れば便利かなと思ってさ。ただ、これは安物だからな。通信範囲が狭いから気を付けろよ。どーぞ。」
『おう。分かった。今日はもう帰るか?どうぞー。』
誠司の質問に応えようとしたが、藤田家の跡地に入ってくる国産のスポーツカーが入ってきたので、次朗は様子を伺った。運転席側のドアが開くと、白衣を着た女が出てきた。
「ちょっとお尋ねしたいのですが、この住所はどちらでしょうか。」
白衣の女はスマホの画面を次朗に突き出し、有無を言わせず確認させた。
「えーっと。ああ、その住所ならココですね。あの失礼ですが、あなたは?」
「私は浜松真名美。医師です。あなた方は詐欺師の集団か何かなのですか?異世界なんて有り得ません。なのに病気の子供が居るなんて吹聴して、いい大人が恥ずかしくないのですか?」
「詐欺?!あ、お医者さまですか。いや、オレは松井次郎と言って、彼らの幼馴染でしかないです。えっと、どうすれば信じて貰えるかな…。」
マウロの件を聞いていた次朗は医者と聞いてピンと来たが、どうしていいか分からなかった。しかし持っていたトランシーバーから誠司の声が聞こえた。
『おーい。おーい。ジロー。聞こえてるかー?どうぞー。』
「こちら次朗。すまん。今ここに来客があって、医者だって言ってるぞ。女の人で浜松さんっていう人。お前らの事を詐欺師集団だってさ。まぁムリも無いよなぁ。どうする?どーぞ。」
『おお、多分メイ姉がメチャ煽ってた人だな。まさか本当に来てくれるとは。あははは。うーん、そうだな。じゃあ彼女の持ち物で、偽造が難しいけど無くして困らない物が無いか聞いてくれ。顔写真が入ったジムの会員証とかならベストかな。それをコンテナに入れてくれ。どうぞー。』
「だ、そうです。何かお借りしても良いですか?」
問われて真名美は白衣のポケットに入れていたポーチを開くが、中には免許証しか無い。他に何か無いか胸ポケットに手を当てようとして、首から下げていた病院の入館証のIDカードに手が触れた。
「これなら面倒ではあるけれど、紛失しても利用停止の申請をすれば誰かに迷惑は掛からないし、顔写真も付いてます。」
カードの入ったパスケースをネックストラップごと首から外した真名美は次朗に手渡した。
「じゃあ少し預かりますね。必ずお返ししますから。」
受け取った次朗は長いストラップを入館証にグルグルと巻きつけると、コンテナの扉を開けた。
「中には何も有りませんよね?ここにカードを置きます。」
次朗に確認を促されたので軽く中を覗いたが、これと言って変な様子はないので真奈美には普通のコンテナにしか見えなかった。
「何がしたいのですか?それよりも私は病気の子供について話を聞きたいのですが。本当に病気の子供が居るなら、早く会わせて下さい。」
「それが、僕らがアチラに行く事も、彼らがコチラに来る事も出来ないんですよ。物資のやり取りしか出来ないので。よし、セージ!コンテナに入れたぞ!どーぞ。」
次朗はコンテナを閉めるとトランシーバーに向かって話しかけた。
「…あれ?セージ?おい、セージってば!どーぞ!?」
しかし応答は無かった。
「…もう結構です。もうコレ以上、あなた方の冗談に付き合ってられません。」
真奈美がコンテナを開けたが、そこにカードは無かった。きっと目の前の男が置いた振りをしただけで、今も何処かに隠し持っているのだろうと真奈美は考えた。
「あなたの手品はもう結構ですから。私のカードを返して下さい。さぁ早く。」
手を差し出す真奈美に詰め寄られて焦る次朗だったが、ポケットから着信音が鳴った。次朗はスマホを取り出して画面を見ると、芽衣子からだったので通話ボタンを押した。
「はぁい次朗。コレ、ありがとうね。」
ビデオ通話になっていて、次朗の持つスマホの画面にはトランシーバーを持った芽衣子が映し出されていた。
「いや、それはいいんだけど、さっきのカードはどうしたのさ。」
「カードね。ドクターZさーん。見えてるー?あなたのIDカードはココなのよーん。」
自分のハンドルネームを聞いて、真奈美は次朗の持つスマホを覗き込んだ。そこには中指を突き立てた写真を送ってきた女と、自分のカードが映っていた。
「どうせ手品ですよね?テレビでよくやっているじゃ有りませんか。手が込んでいるのは認めますが、だからと言って病気の子供をダシに使うなんて私には理解出来ません。異世界が有ると言うなら、それを証明して下さい。そしたら薬でも何でも私に出来る事はしましょう。」
「え?今『何でもする』って言ったの?言ったわよね?」
ニンマリと笑う芽衣子の顔を見て、誠司と次朗は嫌な予感がした。
「あくまでも私に出来る範囲で、です。」
極解されそうな雰囲気を感じ取った真奈美は釘を刺した。
「ちょっとジロー!その人をコンテナに入れてあげて!」
芽衣子は次朗に命令した。
「え?この人を?ってか人間を?」
人間を入れたらどうなるのか。次朗は実際に見ていないが、芽衣子がどうなったのか聞いていたので躊躇った。
「人間をコンテナに入れるとどうなるのですか?あ、まさか私をココに閉じ込める気ですか?そして衰弱した所で何かするのでしょう?」
真奈美は考え得る最悪を想定した。
「へいへい!ビビってるのかい?マクフライ!このチキン!!さっきは何でもするって言ったよな?アハーン?」
スマホからはチンピラモードになった芽衣子の声が響いていたが、次朗は無視して説得を始めた。
「警戒するのは分かります。だったら貴女が今どこにいるのか、誰といるのか、近しい人に連絡をしておけばいい。はい、これは俺の財布です。中に免許証も入っているので撮影でも何でもして下さい。丸ごと預けるので。貴女に何か有れば、オレが重要参考人だ。でしょ?」
財布を手渡された真奈美は念の為、目の前の男の言う通りにすると、コンテナに入った。
「ああ、そうだ。その白衣をお預かりしても?」
この後の展開を予想出来た次朗は何か衣類を準備したかった。しかし持ち合わせは今来ている服しかなく、今日は農作業をする予定だったのでツナギに長靴、麦わら帽子という完全なる農家スタイルだったので、苦肉の策として白衣を確保しておきたかった。
白衣を求める理由が分からなかった真奈美だが、自分の財布が入ったポーチも、次朗の財布も自分が預かっているので、とりあえず持ち物をコンテナの床に置くと、羽織っていた白衣を脱いで渡した。
「じゃあ閉めますね。開けても大丈夫だと思ったら声をかけて下さい。ただ、よく考えてから声をかけるのをオススメします。」
次朗が何を懸念しているのか分からなかったが、開けるのを約束した男を今は信じようと真奈美は思った。
そしてギィという金属音と共に扉が閉まった。
「これで何が分かるというのですか。全く。信じた私が馬鹿だったという事ですか。でも病気の子供は居ないと分かったので良しでします…か?」
自分を納得させる為に独り言を呟く真奈美だったが、異変を感じた。
「え?何??」
体が軽くなっていた。いや、腕と胸の脇が直接触れている感覚があった。体を触ると、そこに布の感触は無く、自分の皮膚しか感じない真奈美だった。
「裸?!ちょっと!開けなさい!ここから出して!」
暗くて判然としない焦燥感から真奈美はコンテナの扉を内側からガンガンと叩いた。
「え?いいんですか?」
「早く開けなさい!これは依頼ではなく命令です!!」
「分かりました。今開けますね。」
ガチャリという音と共にコンテナの中に明かりが差すと、真奈美は自分の体を見た。
「やっぱり服が!」
そこには裸の真奈美が居た。真奈美は振り返ってコンテナの内部を見渡すが何かが起きた様子もない。しかし置いてあった自分のポーチと次朗の財布も無くなっている事に気付いた。
「私たちのお財布!」
「ああ、それも向こう側にいっただけなので安心してください。」
裸になった衝撃で忘れていたが、その声を聞いて初対面の男が居る事を思い出した真奈美は羞恥心から叫んだ。
「キャー!!!」
叫びながら胸を腕で隠して座り込む真奈美だったが、声こそ聞こえるものの、次朗の姿は見えなかった。
「あの、これ白衣です。とりあえずお返しするので。」
次朗は真奈美の体を見ないようにするため、コンテナにへばりつくような体勢のまま、腕を入口に突き出して白衣を渡そうとしていた。
「…ありがとう。ございます。」
次朗の配慮に気付いた真奈美だったが、恥ずかしさから勢い余って強奪するように白衣を取り、羽織った。
しかし、いざ羽織ってみると全裸に白衣という自らの痴態を見て、真奈美には更なる羞恥心が押し寄せていた。
「メイ姉から伝言が有るみたいです。」
次朗はカメラの部分を摘まみ、スマホの画面を真奈美に見せた。
「これで分かったでしょ?ばーかばーか!」
そこには真奈美の服を広げて盛大に煽る芽衣子の姿が映し出されていたが、メガネも無くなっていたので、よく見えて居なかった。しかしスマホの奥で何か黒い物が動くのが見えた。
「はい、そこの二人。何をしているんだね」
「「え?」」
次朗と真奈美は口を揃えて素っ頓狂な声を出した。次朗はコンテナから向き直ると、そこには警察官がいた。
「変な通報が有ったから来てみれば。何の撮影をしているんだね。何の。」
全裸に白衣の女と、そこにスマホを向ける男。このシチュエーションをどう弁解したものかと、次朗は頭をフル回転させた。




