<6話> いい女と悪い女【輝弥side】
「はぁ。疲れた……」
20時過ぎ。
最寄り駅にたどり着いた瞬間――心の声が思わず口から出てしまい、慌てて辺りを見渡す。
周りにはちらほら歩いている人はいるが、誰も俺の独り言など気にも留めていない様子で通り過ぎていく。
――ここが会社じゃなくてよかったぁ……。
会社でボロが出て、瑠奈のように和香様から目を付けられることは避けたい。
俺は、和香様のご機嫌を損ねるようなことは絶対にしたくないから――。
昨日――志桜里が「和香様を追放する方法」について、真剣に俺たちに問題提起してきた。その気持ちはもちろんわかる。
そりゃ、和香様のパワハラ、セクハラは誰が見たって明らかだ。
そのせいでWeb編集部の風通しは最悪。
それに何より――俺自身が和香様のセクハラの餌食になって、辟易している。
今日だって、意味もなく腕をさすられたり、胸を押し付けて、そのデカさをあからさまにアピールされた。
和香様がそれをすることで、俺に何を求めているのかは正直よくわからない。
まあ、たぶん、男にちやほやされたいといった理由からなんだろう。
最近は、ボディタッチという形で女アピールがエスカレートしていて、さすがに気持ち悪さを感じている。
できるだけあの人に近づかないようにと距離を取っているからか、毎日めちゃくちゃ気疲れする。
俺だって、この現状を変えられるなら――変えたい。
だけど、上司に嫌われて、出世コースから外れたくはない。
俺は、早く出世して、安定したお給料をもらって、金銭的にも精神的にも、一刻も早く余裕のある男になりたい。
自分の大切な人を安心して守れるほどに――。
「ただいま」
家のドアを開ける。
「おかえりなさい!」
涼音が笑顔で俺を出迎える。
俺はたまらず、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「え?何々~~?甘えたさんだな~」
涼音は俺の頭を優しくなでる。
「お腹空いてるでしょ?今日、輝弥の好きな肉じゃがだよ?」
そう言って、彼女は優しく微笑んだ。
涼音とは――交際して1年、同棲して3か月目。
エンゲージグループのマッチングアプリで出会った。
出会った頃の俺は――元カノに浮気をされた過去を引きずり、恋愛に前向きという感じではなかった。マッチングアプリを始めた理由も、彼女を作るためというよりも、まずは共通の趣味を語れる女友達ができたら、という温度感だった。
だから、涼音と恋人関係に進展したのはだいぶ遅く、出会ってから半年以上が経ってから。早い段階で「素敵な人だな」と自覚しながら、あと一歩を踏み出せず、実に30回以上ものデートを重ねた後だった。
涼音に当時のことを聞くと、「この人、私のことどうしたいんだろう?」と、困惑していたそう。
無理もない。本当に当時の自分は意気地なしで、頼りなかったなと思う。
でも、そんな俺に彼女は優しく寄り添い、見放さずにずっと向き合い続けてくれた。
本当に感謝している。
恋人になるまでは、だいぶ待たせてしまった分――結婚は、早めにしたいと思っている。
涼音は俺の4歳年上で、26歳。
口には出さないが、結婚を意識する年齢だ。
俺はまだ新卒で、収入も彼女の方が上。
生活面で、彼女に頼ってしまっている部分も多い。
同棲もしたてだし、今すぐに結婚とはいかないけど――自分にできることは、早く出世をして、彼女が望む結婚式を挙げること。そして、マイホームを購入し、可能な限り彼女が望む未来を叶えてあげることだ。
一生涯かけて、幸せにしたい――。
目の前に座る涼音に、熱い眼差しを向けた。
「なあに?」
「ううん。肉じゃが、めっちゃ美味しそう」
「そう?いつものと変わらないよ?」
涼音はそう言って、笑った。
「「いただきます」」
箸に手をかけた、その時――。
ブッブッ。
机の上に置いていたスマホが鳴った。
「ちょっとごめん……」
食事を中断し、メッセージを確認する。
送信者は――和香様だった。
『伊田くん、今何してる?』
背筋が凍った。
用件は――仕事なのか、プライベートなのか……。
このメッセージからは計りかねる。
でも、仕事に関することだった場合を考えると――返事をしないわけにはいかない。
『お疲れさまです。』
『今は家で食事をとっています』
『至急対応が必要なことなどありますでしょうか?』
送信を終えて、すぐに食事を再開する。
だが――。
ブッブッ。
1分もしないうちに返事が来た。
再び食事の手を止めた。
『ううん。』
『ただ……ちょっと落ち込むことがあってね』
『なんとなく、伊田くんの顔が浮かんだだけ』
そのメッセージを見た瞬間――顔が一気にこわばった。
俺は――このメッセージに対してどう返事をするのが正解なのか。
このままメッセージをスルーしたいところだけれど、相手は上司だ。
下手にスルーして、機嫌を損ねてしまったら――。
冷や汗が止まらない。
「どうしたの?」
涼音が心配そうに俺の顔を覗きこむ。
「……ああ。仕事、ちょっとミスっちゃったみたいでさ……すぐ戻る」
席を立ち、脱衣所に移動した。
――ああ……もう……!
ひとりになり、はーとため息をつく。
仕事のことならまだしも、仕事とは無関係なメッセージを業務外の時間に送ってくるとは――どういう神経をしているんだろうか。
つくづく、あの女の真意が理解できない。
とにかく、副編集長のご機嫌を損ねない形で何か……返事を返さなければ。
しばらく考えた後――無難にこうまとめた。
『副編集長は誰よりもお仕事、大変ですよね……』
『いつもお疲れ様です』
『自分にできることがあれば、何でも言ってくださいね』
メッセージを送信すると、秒で既読がついた。
『ありがとう。心強いわ』
『頼りにしてる』
『今度ゆっくり話聞いてね』
そして、メッセージの最後に――大きなハートのスタンプが送られてきた。
「……もう……どうしたらいいんだよ……」
これから先の未来を悲観し、俺はその場に脱力した。
7話は7/25(土)に更新予定です!お楽しみに♪




