34 第三王子の灰。
『血筋が違う』
子どもの頃、城内で俺が最も距離を取りたい存在が兄であるエリアスと、そしてセシルだった。
正妃の息子である兄達は、第二夫人の子である俺とは世界が違うのだとそれは周囲の評価や扱いで幼い頃から嫌でもわかった。
正妃に似たセシルとそして国王である父上に似たエリアスは社交界でも常に注目される存在で、夫人達の子どもである俺と弟達は〝王子〟と名は付いても天地の差だった。特に、容姿が母に似た俺はエリアスやセシルと並んでも血が繋がっていないのは明白だった。
エリアスもセシルも幼い頃から優秀で、常に周囲から褒めたたえられていた。正妃の王子を二人も真上に置かれ、頭を押さえつけられているようだった。いくら上に上にと向上心を持っても、決して越えられない天井にぶつかる。……今思えば、まだ可愛い天井だった。
年上のセシルに頭脳や経験で勝てるわけもなければ、三つも年が上のエリアスにも子どもだった俺は当然勝てない。
『エリアス王子殿下こそ王の中の王と呼ばれるに相応しい国王になるだろう』
特にエリアスのことは、成長するにつれ俺は恐怖も抱いていた。畏怖にも近かったのだろう。
あまりにも完璧で、たった三つしか変わらないのに大人すら跪くほどの功績を次々打ち立て一目を置かれるようになったエリアスが、夫人の子ども如きが容易に〝弟〟と名乗ることすら烏滸がましい存在だと誰に言われずとも理解した。
話し掛けるだけで咎められそうな、罰を与えられそうな気がし、そんなエリアスに当然のように話し掛けられるセシルさえ当時は眩い存在に思えて仕方が無かった。
それでも、ただの一度だけその天上の世界に踏み出そうとしたことはある。
『エリアス王子殿下がまた伝説を打ち立てられた!!』
エリアスもまだ十才になったばかりの頃だ。それでも同年代と比べても背が高く、俺の目には大人のような威厳の塊だった。そして大人達は〝まだ十才〟のエリアスが魔獣討伐をほぼ一人で、無傷で成し遂げたことに大いに湧いた。
当然、精霊の儀も受ける前のことだ。精霊の力も借りず、同行した討伐隊と同じく魔法も使えない条件下での偉業だった。
王族の人間は、十の齢になると経験として戦場に同行する。しかしあくまで〝経験〟で、戦うわけではなく後方で見学し指揮を高めるだけだ。
そして最初の戦場は人間が相手ではない、魔獣討伐と決まっている。比較的安全な戦場が選ばれるが、エリアスはそこでただ見学するだけではなく「試しに」の一言で本当に単独で魔獣を討伐したことが話題になった。魔獣討伐の祝勝会も盛大に行われ、セシルだけでなく夫人関係者もまた会場に招かれた。
巨大な魔獣を一人で征したという兄は、子ども心に強く惹かれた。まるで本で読んだ勇者のようだと、初めて近付きたいと思った。
大勢の大人に囲まれ続ける兄を遠目で見ていた中、初めて自分から挨拶以外で呼びかけた。
おめでとうございます、心よりお祝い申し上げます、誇らしく思いますと、その程度の軒並みの挨拶はまともに言えたと思う。兄を前に、緊張で上手く目も見れなかったこと以外は。
『あ。兄上……。いつか、……いつか僕も兄上のようになれたら、共に戦場へ連れて行っていただけますか……?』
当時七歳だった俺にとっては、顔が熱くなるほどの振り絞った勇気だった。
大勢の来賓も囲み注目する、祝いの場でならきっと悪い返事は言われないという少なからずの打算もあった。兄は常に褒めたたえられ、社交的で理想的な王子だと言われていた。
常に人の目を気にして生きていた俺とは正反対で、しかしだからこそ人前でなら兄はきっと理想的な返事をくれると思った。今まで式典や定期的な食事会でしか顔を合わせたことがない兄を、あの頃はまだ〝兄〟と淡い夢も抱いていた。
兄のようになりたい。兄のように魔獣を一人で征し大勢に称えられ認められる王子になりたいと心から思った俺にエリアスは。
『……お前を?何故、わざわざ』
まるで理解できないものを見るような二色の眼光に、心臓が貫かれ急激に身体が冷たくなった。
それまでにこやかな笑みを浮かべていた兄が、突然私に向けてその表情を険しく変えたそれだけでも喉が干上がった。このまま世界そのものから消されてしまったかのような、触れてはいけない存在に触れてしまったような感覚に足まで震えた。
「ああ楽しみにしているぞ」「いつかな」「期待しよう」「もちろんだ」……そんな、言われても所詮上面だけの社交辞令だとわかっていても言って貰えることを期待した。そして、期待した己を恥じた。
どこからか大人の失笑を拾ってしまったのが、きっかけだった。温度をなくしたはずの身体が急激に熱を持って燃えるように身体に血を巡らせながらも、俺は必死に取り繕い口を動かした。
『い……今という意味ではありません。いつか、……いつか十五の儀式で立派な精霊を得て、強さを認められた時にでも、いつか──」
『すまないが、戦場はお前が思っているような場所ではないのだギルバート』
話にならない、子どもの遊びと一緒にするなと、そう言われた気がした。
冷たく告げた兄の返事に、周囲は大いに笑った。「仰る通り」「流石エリアス様」「ギルバート様にはまだ早い夢でしたな」と、会場中に響く笑い声そのものはきっと……兄の冷たい返答を誤魔化す為のものだったのだろうと、大人になってからわかった。
しかし、子どもの俺にはそれすらも嘲笑に聞こえ、このまま消えてしまいたくなった。更には兄もその笑い声に紛れた来賓に「是非お話を」と呼ばれ、すんなりと背中を向けて去ってしまった。
最後まで俺を見下ろしたその眼差しは険しい上に冷たく、……見下されているのだと、わかった。
俺なりに兄と同じ未来を見たいと、兄と同じ場所に立てる人間になりたいという決意表明だった。
精一杯の好意を伝えたつもりだった。それをあっさりと躱し、突き放された瞬間はまるで足場を失ったような感覚だった。
兄はとうに私達とは違う存在で、人の心などとうに無いのだと、そう思い知った。近付いてはならない天上の存在を前に、話し掛けようとしたこと自体が間違いだった。
眩い筈だった兄が、触れてはならない存在だったと知った俺はもう二度と会話をしようと思うことはなくなった。
エリアスが蒸発した時、城内は混乱に溢れた。エリアスを尊敬し神聖視していたセシルは落ち込んでもいたが俺は、安心した。
もう天上から見下ろされることはないのだと。ただ、そう思えば思うほどあの二色の眼光だけは変わらず頭に焼きついた。
『素晴らしい!不死鳥だ!!』
『流石はギルバート王子殿下!』
十五歳、不死鳥を得た瞬間は最高の時だった。
参列者を含め、誰もが驚き賞賛の声と惜しみない拍手を響かせた。王族として精霊の重要性も、不死鳥の希少性も伝説的な存在かも知っていた俺は、最初目を疑った。生まれて初めて嬉しさで涙が溢れそうになった。
精霊が降りてくるその瞬間まで、第一王子のエリアスのように俺まで何も降りてこなければどうすればと何千と不安に駆られたから余計にだ。
これでようやく認められる、俺は選ばれた。もうエリアスの存在になど怯えることなどなく、自分を誇り続けられる特別な存在になれたのだと
『何故エリアス様ではないのだ……』
それが、最初の呪いだった。
あの二色の眼光が、俺を見下していたのではなく憎むように思えたのはいつからか。
城内ではまだエリアスの帰還を待ち侘びている者は多く、俺が精霊に見放されることを願う者も少なくなかった。
精霊が召喚に応じる相手を間違えたとまで言われた。正妃の子であり、王の中の王という名を欲しいままにしたエリアスにこそ不死鳥は相応しいとそう誰もが思い、囁いた。……言われずともわかっている。
この俺自身が、誰よりも。
不死鳥一つで調子に乗っていられるのも長くは続かなかった。いつか兄が精霊を奪いに来るのではないかと考えれば恐ろしくなった。
エリアスに精霊が降りなかったことを知る一部の上層部には、どうにかエリアスに譲る方法ほないかと真正面から頼まれたこともあれば、母上にまでその話を持ち込んだ者もいる。精霊の専門家や研究者に、精霊を譲渡する研究を進ませる動きが城全体で隠される様子もなかった。
それほどに当時からエリアス派の盲信は凄まじいものだった。いくらこの俺が拒もうと、エリアスが帰ってくれば間違いなくその動きは高まると手に取るようにわかった。
精霊が奪われれば、俺は何者に成り果てるのか。
エリアスのような功績など、ただの凡人である俺には何もなかった。考えれば考えるほど、精霊無しで化け物じみた功績を打ち立ててきたエリアスが、やはり人の枠を超えた存在なのだとわかった。そんなエリアスなら本当に現れた瞬間に不死鳥が奴を選び、飛び移るのではないかと理屈なく考えられた。エリアスに不死鳥を奪われる悪夢に毎晩苛まれ続けた時期もある。
悪夢を、恐怖心を、いつ戻ってくるかもわからない兄の幻影を乗り越える方法など一つしかなかった。
『お願いします父上。一隊で構いません、魔獣討伐隊をこの私にお与えください』
俺には精霊しかないのならば、その精霊で功績を立てるしかない。
魔獣討伐なら人間同士の戦争よりも人に被害も出しにくい。精霊の力を試し発揮し、そしていつかエリアスに匹敵するほどの力さえつければ、誰に奪われることも俺が所有者であることに疑われることもなくなる。功績を積み上げ、積み上げ、積み上げ、いつかはあの天上にさえ届くかもしれない。
『国王となる者は、国一番の魔法使いである彼女と婚姻してもらう』
いつかは国王になると口では言いながら、そうなるのが当然の流れだと信じながら、……国王そのものに興味はなかった。
ただそうなるほどの人間に己はなれるのだと信じたかった。
父上にスピカを紹介された時も、彼女そのものには興味も湧かなかった。ただ、彼女が俺の妃になるのであれば、今から俺の在り方にも慣れてもらう必要があると思った。
エリアスを超えることだけを考えた。不死鳥に相応しい人間になれば、きっとこの不安も恐怖もいつかは
『なんでっ魔獣はもういないのに……パパが死んじゃうの……?!』
……結局、なにもできなかった。
国一つどころか、村一つまとめあげることさえできなかった。いくら魔獣の死体を積み上げてもそれで奴のいる場所に届くわけがなかった。
魔獣討伐だけではない、知も社交も人望も才能も統率力も全てにおいて功績を残していたのがあの男だ。その中のたった一つすら突出できなかった俺とは比べようがない。
唯一できるのは魔獣討伐だけで、他にできることなどなにもなかった。
「所詮、今までも必要とされてきたのは不死鳥だけだ」
その通りだと、まるで刃物のようにするりと事実が臓物を突き刺した。
今までなら突き返せていた筈の戯言が、急に鋭利に身体を貫いた。ああそうだと、その通りだと認めた瞬間視界が沈み……そこからの記憶はない。
灰のように焦げ、脆く崩れ落ち、………いっそ楽だったような気さえする。
わかっていた。己には本当にそれしか無いことを。むしろ何も才能がない俺だからこそ、精霊が情けをかけたと思ったこともある。
俺に、不死鳥など相応しくない。相応しくなろうと思った時点で、既に相応しくないと認めたようなものだった。
ただ魔獣を討伐するだけなら、精霊無しでもできる。俺以外の討伐隊は全員精霊も持たずに魔獣を相手に征していた。
精霊さえいなければ俺は部下の足下にも及ばない弱者だと、彼らを率いながら思い知る日々だった。努力すればするほど、己に課せば課すほど、言葉にすればするほど、……変えようのない事実に削り抉られる。
努力するまでもない、産まれた時から全てを与えられ持て余していた男の存在が強大になっていく。
「お前が精霊堕ちになったと聞き、会いに来た」
次に目が覚めた時、我に返ったよりも輪郭のない悪夢の延長戦上に立たされた気分だった。
セシルが精霊堕ちから我に返っていたことに驚く以上に、エリアスが目の前にいたことに恐怖しか湧かなかった。………………嗚呼とうとうこの時が来てしまったのだと、己でも信じられないほどの怖じ気が走った。
全てを与えられた兄が、俺の唯一を奪いに来たのだと。
「今更になって白々しい……!!」
いつかそんな日が来ると、信じていた。恐れていた。
全てを与えられた兄の、きっと最後に得るべきものが俺の精霊なのだと。精霊に相応しくなかったと俺が思い知った日から兄に奪われる瞬間を悪夢に見た数は知れない。
開けた視界の恐怖に、そこからは考える余裕もなかった。あれだけ俺は相応しくないと思い知った筈なのに、奪われれば唯一どころか全てを失うような気がしてならなかった。
エリアスが得るべきだと知っていたからこそ、渡したくなくて暴れ藻掻いた。まるで子どもの癇癪のように、理性などなかった。
奪われる。
俺の精霊も、居場所も、存在意義も価値も努力した意味も意義も全てと。
エリアスに勝てれば、エリアスを倒せばこの耐えようのない恐怖感から逃れられると空回りする頭が飲まれ、思い込んだ。そこからはまた、思い出せない。
恐怖に焼かれ撒かれ、どうにかなってしまいそうな感覚だけがまた肌にヒリつき残っている。目が覚めても、エリアスを前にまた奪われる恐怖に焦がされる。このまま燃え尽きてしまいたいほど、視界にふと移った光景にエリアスがいれば速く視界から灰にしてしまいたくて仕方が無かった。
光の中で我に返ったその時も止まることなど考えられなかった。この指先が炭になるまで、もう藻掻き続けるしか俺が俺として生きる道はないのだと楽な方へと自炎の道へともうこのまま終わらせてほしいと思考が崩れ落ちたその時に。
俺は、見た。
エリアスへの攻撃を中断し、セシルの精霊による空間魔法から解放された時も、放心したまま口一つ動かなかった。
土塊人形のように開かれたままの目で、信じられず疑い見続けたのは俺が攻撃を止めると愚かな算段で飛び出してきたスピカ、……ではない。
盾になった彼女を前に、顔色を変えた〝あの〟エリアスだった。
己の幻想が打ち壊される音が脳裏で聞こえた。
彼女がエリアスの前に出たことに、戸惑いはした。また無関係の人間を巻き込むことの恐怖に躊躇い、炎がかき消えた。内側から燃えるように熱かった筈の全身が、一瞬で凍りついた。
無事で済んだ目の前の光景よりも、脳裏に浮かんだ人型の消し炭に思考まで白く灰になった。だが、見開いてきた目に後にも焼き付いたのは彼女ではない。たかが、一人………その他大勢の一部に過ぎない筈の彼女に、これ以上なく目を見開き蒼白になっていたエリアスだ。
セシルなら……いや、エリアス以外の人間ならなんら不思議なことではない。だが、エリアスだけは、〝俺が知るエリアス〟にだけはあり得ない筈のものだった。
『なにしてるんだスロース!』
誰かと、思った。
まさかエリアスと勘違いして別人を攻撃していたのかとさえ己を疑った。地面に膝をつき、スピカへただ騒ぎ呼びかけ続ける姿は、永年俺が目指し憎み……怯えた男ではなく、あの日俺の力不足で暴動を起こし巻き込まれた村人とその家族と変わらなかった。
あのエリアスが声を震わし、肩だけでなく表情筋の全てが見たことが無いほど強ばっていた。
一秒一秒経過するごとに苛立つように目を険しくつり上げ歯を剥き出しに食い縛り、彼女の微かな息遣いにすら過剰な反応で身体を震わせていた。
俺が知るエリアスではない。今まで魔獣被害の受けた集落で恐ろしくも見慣れた光景だった。俺のことも忘れ、ただスピカの身を按じるエリアスに攻撃していた理由がわからなくなった。
俺は、確かに自分の為に、己の居場所を奪われない為に、精霊を奪われない為に排除しようとした。歴代の王族でも最も優秀で、王の中の王と呼ばれるほど残酷なまでに完璧で、無敵と呼べるほどに強く、孤高で、兄弟である筈の俺達にさえ心を許さない、魔獣を遙かに凌ぐ怪物から。
「お前は誰だ……?」
焦燥と恐怖を露わに怒鳴る兄の背中は、あの日俺が恐れたエリアスとは全くの別物だった。
ただ慌てふためき回復する術を探し騒ぎ、視線を散らしてはたった一人に何度も注ぐあまりにも無力な姿は、…………同じ〝人間〟だった。
子どもの頃に恐ろしかった筈の巨大な背中が、視界で急に小さくなった。国民が崇拝し、セシルが焦がれ、俺が恐怖していた第一王子は人間だとそう当然のことを理解した。
今まで危うい足場に立っていた筈の身が、すとんと現実へと突き落とされた。
不死鳥の炎で人を襲い巻き込む俺自身の方が、遙かに化け物であるほどに。
『………っ。……馬鹿げているッ……』
俺が排除しようと、殺そうと思ったのは怪物でも無いただの人間だった。
そう思い知った途端急激に頭が冷え、意識が遠退きグラついた。化け物で、そして愚かで馬鹿だったのは他でもない一人暴走し騒ぎ喚いた俺自身だとあの時点で思い知った。
『他者にも己にも厳格で、誇り高くそして優しさも併せ持つギルバート王子だからこそ、不死鳥は召喚に応じました』
その上、エリアスが現れた理由も誤解であれば、精霊を移すことも不可能だと、次々と俺の精神を折るような開示の連続に今までの恐怖が輪郭を失い、霧散した。
『愚かにも……程があるッ……』
目が覚めた時にはもう、あれだけ溶岩のように熱かった血肉が冷め切っていた。
セシルの存在にもようやくまともに向き合えた。過去の脅威に囚われていただけだったと、セシルの話を聞いていくうちに事実を飲み込めた。
恐怖が溶け、同時に目が潰れそうなほど輝いていた鍍金が音を立てて剥がれ落ちていった。
「ギルバート。落ち着いたようで何よりだ」
そして今、……セシルからの事実と共に剥がれた鍍金の先を眺めれば、いっそ落胆と呼べるほど他愛もなかった。
本当にこの男は、あのエリアスなのか。
意識を失う前の蒼白も、焦燥と恐怖に塗れていた表情も、いっそ精霊堕ちの影響で見た夢か幻覚かとまた思う。あの氷のように冷たい筈だった二色の眼差しが、今は大の男とは思えないほど気味悪くキラキラと輝いて俺に向けられている。
これもスピカの影響なのか、それとも幼い頃の俺が違うものを見ていたのかも今となってはわからない。
しかも語れば語るほど、意味がわからない。俺の魔法が美しかったと、どこかで聞いたような既視感も覚えれば、そのまま火葬とまで宣い出す。セシルが盲信しているだけで、この男は数年の消息不明の間に頭の螺子が十本外れたと考えた方が納得できる。ふざけることを覚えたか、もしくは嫌味の方か。
それでも聞かずにはいられないと、記憶とは別人のエリアスに尋ねた。精霊の譲渡はできずとも、可能かどうかなど関係ない。この精霊を欲しいとは思わないのかと、………………妬ましく思わないのか。
「私を選ばなかった精霊に用はない」
その答えは間違いなく、あのエリアスのものだった。
俺が想定できない、だがこの男でなければ言えない傲慢とそして呼吸も忘れる威圧感は真似できるものではない。そう、総毛立つ全身が証明する。エリアスはこういう人間だった。
たとえ存在が精霊であろうとも、不死鳥であろうとも、いかなる存在にも意志は左右されない。人外と思えるほどに感情を波立たせず、己を平然と貫く人の心など持ち合わせていない筈のこの男が、………………だからこそ、あの人間だった姿がやはり信じられない。
このエリアスならば、あの時の問いも別の答えを言うだろうか。いっそ偽物だと思いたい感覚で、気付けば口が開いた。
「……ならば、もし次の戦場があったら俺も連れて行くか?」
「いや行かない」
………………やはり、エリアスだ。
安堵と共に、どこか落胆する感覚に臓器全てが鉛のように重量を増していく。
このエリアスもまた、俺を認めない。いっそ不死鳥だけを託すなら喜ぶかとも頭が自虐と否定にばかり過る。今まで何度も何百も考え続けたことを簡単には拭えない。
こんなに道化のように振る舞うエリアスが、それでも認めないということはそれが消えようのない俺への評価ということだ。あれだけ無様に暴れ、命を狙っても所詮俺はエリアスにとっては木の棒を振り回す子どもと変わらないのだと
「違いますギルバート王子。この人はただ、恐ろしく貴方方ご兄弟に関して過保護なだけなんです」
は………?
何度目かもわからない一音が漏れた。
スピカ、いやスロースからの言葉に、一瞬彼女までふざけているのかと過る。あのエリアスに、過保護??
今、たった今この俺の誘いを十年前と同様に一蹴したこの男に何故寄りにもよってそんな言い訳が思いつく?
スピカの偽物だった時からどうにも自分の意志がない奴だとは思ったが、こんなまともな言い訳も思いつかないならそれも当然か。まさかあの時俺の前に立ち塞がったのも、本当はただの考え無しだったのか。
さらには妙な口調で、まるで………弟を叱るような口調でよりによってエリアスに、俺よりも年上の兄を咎める光景に、もうセシル以外全てがおかしくなっているように思えてきた。俺はまだ精霊堕ちで妄想を見ているんじゃないのか。
セシルから説明されたものの、エリアスだけでも信じられないのに彼女まであまりにも俺が知るスピカと変わりすぎている。まるで子どもに常識を教えるような口調に、自分の頭を打ち付けたくなる。
頼むから「過保護」の言葉を否定しろエリアス。精霊魔法の使い手とはいえスロース一人に強く言われた程度で狼狽えるな。
「お……弟をわざわざ戦場に連れて行きたいわけないあるまい?……城下や社交界や森ならまだしも、戦場などの何が良い?」
『……お前を?何故、わざわざ』
………………まさか。
あれは、そういう意味だったと?
半分しか血の繋がらない不出来な第三王子では足手纏いだという意味ではなく、………〝弟〟との外出先にわざわざ戦場にすることを拒んだだけだと?
戦場ではなく、そんなくだらない場所になら俺を連れて行くことも構わなかったというのか。
記憶の中で、俺を無感情に見下ろしていた怪物が、今目の前で当然のようにただ方向違いの意見を語り、王族でもない少女相手に肩を丸め眉を垂らす男と重なる。
当時はただ冷たい筈だった鋭さが、今はいっそ気味が悪いほどに丸い。
「良い?エリアス。ギルバート王子は既に戦場は慣れているし、貴方が去る前の子どもでもない。ギルバート王子一人で魔獣討伐に軍を率いていったことが何度もあるとも言ったでしょ?」
俺にとってエリアスがただ脅威の〝第一王子〟だったように、コイツにとって俺はただ〝弟〟だったとでもいうのか。
目の前で懇々と当然過ぎることを説き伏せられる過去の脅威を前に頭を疑う。
否定してくれと思うのに、今もスロースの言葉を素直に聞き入る様子のエリアスはむしろ真剣そのものだった。話を聞こうと腰を落とし、スロースの背に合わせるエリアスなど見たことが、………………いや、そうでもない。
そういえば、記憶の改変でもないのなら八年前までも確かエリアスは常に俺達に腰を落としていた。当時はただ威圧に感じたが、それだけ顔を近く感じたのもこの男が物理的にそうしたからだ。
『兄上は昔からああいう人だった。ただ、誤解していた部分がいくつもあった』
………………こういうことか。
セシルの言葉を思い出しながら、意識がまた遠くなる。誤解……確かに誤解と言えるのかもしれないが、本当に昔からこの男はこうだったのかとまだ疑いたい己がいる。
神聖視してしまったのはセシルだけでなく俺もだというのか。今まで、セシルが盲信する分俺は常に残酷な事実だけを見ている気になっていた。
「ならばギルバート、お前の行く戦場にならばいくらでも同行しよう」
こういう人なんですと、そう言わんばかりにスロースが手で示した。嗚呼………………まさか本当に、……本当にくだらない。
全てを見下していた筈の男が、幼い俺からの夢を拒んだ理由はどうしようもなくくだらない、平凡な理由からだった。俺を拒んだどころか、〝俺と出掛ける場所〟などという理由で。
理解した途端、堪えきれずに吹き出した。息を吸い上げるよりも前に限界まで吐き空になっても腹がよじれ抱えても尚、苦しい。くだらない、くだらない。本当に、こんなくだらない理由で幼かった俺の渾身の勇気と好意を無碍にしたことも、それが単なる思いやりなどといつまらないものだったことも、………………そんな理由の兄を、今の今まで恐れ怯え囚われていたこの俺自身が最もくだらない。
「………俺は、戦場でも人使いは荒いと評判だぞ」
「!それは楽しそうだな」
今度は自然と声が出た。嗚呼本当にくだらなすぎる。今日だけじゃない、今の今まで努力を続けていたことさえ無駄だったようにさえ思う。悩んだ時間さえ勿体ない。
俺が恐れた存在など、最初からいなかった。
『……お前を?何故、わざわざ』
あの時、俺の方が「ならば城下に」とでも言えばこの〝兄〟からの返事は違ったのだろうかと。
……そう思った途端、鼻の先が細く痛みを走らせた。




