18 魔法使いの焦燥
「部屋は用意した。夕食の時間までゆっくり休むと良い」
ハリー公爵の言葉に、今度ははっきりと言葉でお礼を返した。
今はお茶菓子だけれど、このあと夕食までご馳走頂けるなんて本当に助かる。道中もあまり食べなかったし、それまでもじり貧生活だった。明日から王子殿下達を見つける為にもここはしっかりとお言葉に甘えて鋭気を養わせてもらおう。
ここまで話も大方できたことだし、一度解散かなと侍女におかわりを断るハリー公爵の空のカップを見つめながら思う。
「……ところでスロース。一つ良いか?私の精霊なんだが……」
挙手をする形で、セシル王子からの声に私も椅子に座り直して向き直る。
精霊?と、今もセシル王子の隣で元気にしている様子の精霊とセシル王子を見比べる。何か違和感でもあるのだろうか。少し肩を狭めるセシル王子は、口を噤むと一度精霊を目で示した。
肩の上にあたる位置でぷかぷかと浮かびながら空中でくるりと弧を描く精霊を、手でも丁寧なかたちで示す。
「その、……君の魔法で彼女を戻すことは、できるかな……?」
そう、精霊を目の前に気まずそうに言うセシル王子に、ようやく私も意図を理解した。
一年前までは精霊を「彼」と呼んでいたセシル王子が「彼女」と言いにくそうに呼び方を変えていた。それも当然で、今セシル王子の肩の上に浮かんでいる精霊は、大きさこそ戻ったものの上半身が人間の女性で下半身が魚だ。正しい関係に戻ったからか大人しくなった印象で今は「人魚」の言葉が似合う。
魚であるエイの純粋なそのものの姿を模していた精霊が、今もその姿なのはセシル王子も落ち着かないのだろう。
今まではそれどころじゃなかったものの、セシル王子は元のエイの姿に戻って欲しいのかもしれない。……だけど。
「…………すみません。私の精霊魔法は精霊を浄化することはできますが、精霊を〝退化〟させることはできません」
「退化……?!」
手に負えないと頭を下げれば、セシル王子から信じられないというような声が返ってきた。多分、私ができないことよりエイの姿が〝退化〟扱いの方だろう。
姿が変質したこと自体は精霊堕ちによる影響だけど、セシル王子が精霊堕ちになってすぐ精霊も姿が変化したわけじゃない。もともと精霊堕ちというのは、精霊にとって協力関係でもある〝宿主〟から、一方的に栄養を与えてくれるだけの関係の〝触媒〟状態になったものだ。
そして精霊が姿を変えたのも悪化したわけではなく、つまりは一年間でセシル王子から主従関係時とは比べものにならないほどの魔力をしかも一方的に受け取ったことで、言ってしまえば〝進化〟した結果だ。今の人間に半分近い姿も、精霊にとっては寧ろ望ましい変化なのとも言える。
私の浄化魔法はあくまてセシル王子と精霊との触媒関係を一度正しい初期状態にリセットしただけで、精霊の姿まで初期状態にするほどの力はない。さっきの精霊堕ちが悪化した時の姿も主従関係の逆転と、セシル王子の精神状態に精霊が影響を受けただけだ。
そう、精霊魔法というものに関しての仕組みも踏まえて説明すれば、セシル王子もわかってはくれたらしく最後は落胆に肩を落とした。「なるほど……」と言いながらご自分の額を押さえる。
「つまりこのままということか……」
「ええ、……能力面としてはエイの姿の時より向上していることは間違いありませんし、悪いことではないと思います。エイの時は水を出すことしかできませんでしたが、今は沼も出したりや水を操作したり、それに底なし沼という空間魔法まで使えます」
「人に危害を加える魔法ばかりじゃないか……。…………まさか雌だったとは……」
はぁぁ……とまたテーブルに俯いてしまった。
精霊にオスもメスも姿を模しているだけで明確な区分分けはない。けれど、確かに今セシル王子の隣にいる精霊は上半身は人間の女性だ。
エイの姿の時は性別なんて考えないで「彼」と呼んでいたセシル王子だけど、今は女性の姿だから精霊としては落ち着かないのだろう。しかも、上半身はほぼ裸だ。精霊御本人は今も満足げにセシル王子の傍らで弧を描いている。
セシル王子はエイの精霊を気に入っていた様子だったし、残念なのはしょうがない。今までのセシル王子に浄化魔法をかけた時もずっと人魚の姿だった精霊は、恐らく今後魔力の供給が通常通りに戻っても姿が戻ることはないだろう。
だけど本来、人間の短い寿命と協力関係程度で得られる健全な魔力量では進化することなんて滅多にない精霊が進化したのだから、結果だけみれば得とも言える。
「精霊堕ちは知っていたが、まさか精霊にもこんな影響があるとは。攻撃性まで上がり、その上で進化するなんて……、…………!」
…………あ。
はっ、と。セシル王子が唐突に息を飲んだ音が聞こえた直後、私も気が付いた。
両手で顔を覆いテーブルに俯いていたセシル王子が肩を揺らし、それから言葉もなく固まってしまう中、私も私で嫌な汗が噴き出る。嬉しくもないのに顔が引き攣って気持ち悪い笑顔みたいになる。精霊……攻撃性、しかも進化……。
今までセシル王子を助けることばかり考えて、気にしなかった精霊の状態を改めて見る。主従関係が正しい状態にされたことで大人しい精霊だけど、精霊堕ち中のあの攻撃性と悪化するに比例し悪意を持ったような凶悪性を思い出す。もともとは温厚なエイの精霊でさえこうなったということは……!!
「……スロース。どうして最初に私のところを選んでしまったんだ……」
「も、申し訳ありません……。考えが至らず……」
ただ、第一王子のエリアスから順番に第二王子を選びましたなんて、今は言えない。
頭を下げながら、冷や汗が鼻の先でぽとりと滴った。エリアスが「どうした?」と尋ねる中、説明しようとすれば先に喉が干上がった。確かにこれはまずい。
今が、という話じゃない。今までが、とでも言うべきだろうか。精霊堕ちはそもそも精霊を授かる王族にしか起きない現象だ。そして精霊堕ちになった王族は過去全員、王籍から除名されている。それは精霊堕ちが王族に相応しくない、恥ずべき状態だというだけじゃない。王族としての権威を振るうにまともな精神状態が保障されないこともあったのだろう。
そしてもう一つは恐らく、……この精霊の進化と悪化の悪用を防ぐ為だ。
今でこそ精霊魔法が廃れて浄化する方法がなかった現代だけど、精霊堕ちにして精霊を進化させてから浄化して戦力になんてことも行われた事例が隠された歴史の中にあるのかもしれない。
大人しい、心の綺麗な人間に訪れると言われたエイの精霊すらたった一年であの攻撃力に育った。もともと精霊なんて、その能力自体は魔法を一つ二つ使えるかくらいで、その効果も殆どが平和なものだ。…………ごく一部を除いては。
「ッ明日は朝一番に出るぞ!!どうにかして一刻も早くギルを見つけなければッ……!!」
「?ギル?ギルバートがどうかしたのか?」
焦燥を露わに声を上げるセシル王子がテーブルに手をついて真っ青な顔をあげる。
ハリー公爵も気付いたのか顔が動揺に歪む中、何も知らないエリアスだけがきょとんと眉をあげた表情だ。
「ギルはっ……」とセシル王子が言いかけたところで、胃を押さえてまた呻いた。しまった、今のストレスでもう再発したらしい。ギルバート王子のことよりも、今は痛そうに顔を顰めるセシル王子へまた心配するようにエリアスが声をかける中、私もすかさずには治癒魔法が出なかった。
それよりも、現状ギルバート王子がどうされているのかが今更になって恐ろしく気になった。
ギルバート第三王子。エリアスとセシル王子の弟で、バッドエンドを迎えた彼も例に漏れず精霊堕ちになっている。
エリアスを除けば王子達の中でも尤も知性や政治に卓越していたセシル王子に続き、ギルバート王子は
最高位精霊の所有者だ。
つまり精霊堕ちをして一年経った今、ギルバート王子とそして精霊ががどうなっているか。考えるだけで頭がグラついた。
セシル王子の時のようにいくら精霊堕ちでも、宿主を刺激しなければ精霊も必要以上に攻撃はしない場合は多い。だけど精霊堕ちはその症状も度合いも人によって様々だ。
残された精霊堕ちの王子達が、全員セシル王子のように自分の殻にこもって大人しくしている状態かもわからない。ただでさえもともと最高位と呼ばれていた精霊が、もしさらに進化までして暴走でもしようものなら……!
サーーーッと血の気が引いていく音が全身から聞こえた気がした。せめて、せめてセシル王子みたいに立場逆転から最悪悪化する前に浄化しないと!!!
もう今から出発するべきかと真っ暗になっていた窓の外を睨んで思う。明日、ただちに、すぐ向かわなくては!!!
胃を痛めて背中を丸めるセシル王子と、状況がまだ掴めていないエリアス、疲れたように天を仰ぐハリー公爵にかける言葉も見つからないまま、私は迅速にかつ必死にギルバート王子のゲームのバッドエンドモノローグへと記憶を巡らせた。
『──そして、歴代最高と謳われた第一王子の兄にとっても俺は〝不要〟の存在だった』
……今思えば絶対誤解でしかない、ゲームのギルバート王子吐露に頭を痛めながら。




