第1話 転生、レオナルド・ダ・ヴィンチへ
僕の人生は、平凡と言えば平凡だった。
進学校に通い、親の期待に応えるように受験勉強を積み重ねた。トップを争う緊張感の中で、僕は「効率」「実績」「成果」ばかりを追いかける日々を送っていた。
けれど――その果てに進んだのは、世間が期待したエリート大学ではなく、美術大学だった。
両親は驚き、失望もしただろう。けれど僕は、自分の選択に賭けた。絵が描きたかった。ものを創りたかった。ただそれだけだった。
その衝動をさらに強くしたのは、一度訪れた美術展――「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」だった。
展示会場の薄暗い照明の中、僕はモナ・リザの複製と対面した。
「……息をしてる」
描かれた女性の瞳に見つめ返されると、本当に血が通っているように思えた。柔らかな口元、皮膚に透けるような血色、そして背景の幻想的な風景。どれも完璧で、近寄りがたいほどの完成度だった。
同じ画家が手掛けたスケッチも展示されていた。羽根の先端の観察、人体解剖の写生、渦を巻く水の流れ。
「どうしてここまで見ているんだ……?」
僕は立ち尽くした。レオナルドはただ描いているのではなく、世界そのものを解剖していた。彼にとって世界はただのキャンバスではない。“知の全体”だった。
その瞬間、僕の心に火が点いた。
「俺も、いつか……」
だが同時に突きつけられた。到底届かない。現代の自分の腕では、あの完璧さには永遠に及ばない。憧れと挫折感が同時に胸を締めつけた。
◇ ◇ ◇
それからの僕は、夢と現実の間を揺れ動いていた。芸大で描くデッサンは「よくできている」と評価される。けれど、頭の片隅にはいつもダ・ヴィンチの影があった。
教授に褒められても、心の中で否定が響く。
(まだ違う。彼の線はもっと深く、もっと本質を捉えていた……)
そんなある日、帰り道でふとした事故に巻き込まれた。車のブレーキ音、視界の反転、そして――暗闇。
◇ ◇ ◇
目を開けると、そこは見慣れぬ石造りの天井の下だった。
「……え?」
僕の手は小さく、まだ子供のようだった。指先にはインクの染みがついている。
鏡に映った顔は、どこかで見たことのあるような――そう、教科書に載っていた肖像画の面影を宿していた。
「レオナルド!」
誰かが呼ぶ声に振り向く。そこには母らしき女性が立っていた。柔らかな微笑みを浮かべ、幼い僕を見つめている。
理解に時間はかからなかった。僕は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチに転生していたのだ。
◇ ◇ ◇
初めは混乱ばかりだった。だけど現代の記憶が残っている以上、ただ流されて生きるわけにはいかない。
「俺は……ダ・ヴィンチを超えるんだ」
言葉にしてみたものの、胸の奥では葛藤が渦巻いていた。
未来で見た彼の作品に比べれば、僕の線はまだ稚拙だ。色も、構図も、観察の深さも足りない。現代で学んだ透視図法の知識があっても、当時の画材や道具では思うように再現できない。
(知識は武器になる。でも、それだけじゃ足りない……)
それでも筆を取る。憧れを胸に抱き、彼自身として“彼に追いつこうとする”矛盾。未来を知っているからこそ背負う苦しみと、そこにしかない希望。
僕の新しい人生は、そうして始まった。
――――――
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