第4話 モレナとマリー
背が高く、細身でスタイルの女性は真っ黒なパンツスーツに身を包み、気が強そうな瞳でシンをにらみつけている。
その女性に対して、シンは作り笑いを浮かべながら、慌てることなく答えた。
「敬愛するお姉様、せめてノックという獣人最大の発明を使用しませんか?」
「お前は家の食堂に入るのに、わざわざノックなんかするのか?」
「しませんね。せいぜいトイレと個室くらいですね」
「そうだろうな」
「そうですね。それで、何しに来たんですか? 親父は仕事に行ってますよ」
「知っている。私が用事があるのは、暇を持て余しているお前の方だ」
「弟に金をせびるなんて最低な姉ですね。姉なら弟に小遣いをわたすものでしょう」
「誰がお前に金のことで相談をするか! 逆だ。小遣いくらいやるから、今日一日この子の面倒をみてくれ」
そう言うと、シンよりも大きな女性の影に隠れるように、小さな女の子が顔を出した。三歳くらいだろうか? 伏目がちながらぱっちりとした瞳にふっくらとした頬、かわいらしい唇の可愛らしい少女は、よく似合っているフリフリの洋服を着ている。
女の子は明らかにシンに対して怯えていた。その証拠にシンが女の子に視線を移すと、尻尾をだらんと下げたまま女性の陰に隠れた。
そんな様子を気にすることなく、シンは立ったまま女の子に話しかけた。
「久しぶりだな、モレナ。姉さんに似ず可愛いな。将来美人になるぞ」
「私にそっくりで美人だろう。ところで馬鹿なお前でも、その可愛い姪っ子の面倒くらい見れるだろう」
「えー、なんで俺なんだよ。使用人に見てもらえば良いだろう」
「いつも見てもらっているシッターが急に来れなくなったんだ。お前も知っての通り、モレナは人見知りなんだよって、え!?」
可愛らしいモレナを見たマリーは、自然と身体が動いていた。
小さな子がそこにいる。
笑顔を見たい。
抱っこしたい。
一緒に遊びたい。
仲良くなりたい。
マリーは足を折り、怯える小さな女の子と同じ目線で話しかける。微笑みを忘れず、ゆっくりと優しい口調で。
「こんにちは、私はマリーよ。お名前は?」
「なに? あなたは? この子は……」
見知らぬ女性の突然の行動に母親は抗議の声を上げようとする。
マリーはモレナから目をそらすことなく、手で母親の言葉を遮った。
そんな様子に母親はシンを見ると、シンは無言で『大丈夫だ』と答える。
その姿に母親は黙って見守ることにした。しかし、モレナは人見知りをする子だ。自分といつものベビーシッターにしか心を開かない。しかし、それではだめだと分かっている。その改善の一歩に弟になついて欲しいと願って連れてきた。
そんな母親の気持ちを知ってか知らずか、マリーはモレナから目を離すことなく、じっと待っていた。
初めのあいさつで、子供と信頼が築けるスピードが決まる。ここを失敗すれば、最悪、今日一日、話しすらしてくれないかもしれない。
コツは焦ることなく、じっくりと時間をかけてでも待つ。
決して焦らない、焦らせない。
子供の勇気を信じて、待つ。
尻尾を足の間にしまい、震えている女の子は耳をたたんだままの少女は、怖くないよオーラを最大限に出しているマリーをじっと見たあと、消え入るような小さな声で答えた。
「……モレナ」
「モレナ、すごく可愛いお名前ね。モレナちゃんって呼んで良い?」
可愛いと言われて、少し嬉しそうなモレナは小さくこくりと頷いた。
「ありがとう。私のことはマリーって呼んでね」
「……マリー?」
「そう、マリーよ。私ね、モレナちゃんと仲良くなりたいな。ねえ、どうしたら良い?」
マリーは笑顔のまま、少し顔を傾けてモレナの答えを待った。
すると、モレナはトコトコと歩いて来て、マリーの胸に飛び込むと首元をクンクンと嗅ぎ始めた。
「え!? 何?」
いきなり匂いを嗅がれて、少し驚いたマリーは助けを求めるように、シンの方を向いた。
私って、そんなに匂うのだろうか? 確かに罪人となってから香水を付けることも許されずここまで来たが、さっきお風呂に入ったところだ。それから汗をかいていないはず。
「おー、モレナが懐いた。ああ、マリーは人間だからわかんないのか。俺たちは匂いで相手を記憶するから、そうやって匂いを嗅ぐんだよ。どうでも良い相手にはしないから、モレナに認められたんだろうよ」
「珍しいわね。初対面で、この子がこんなことするなんて、まあ良いわ。夕方には迎えに来るから、よろしくね」
母親は驚いた顔でそう言っている間も、モレナはマリーに抱きついてクンクンしていた。いつのまにか、尻尾をフリフリしながら。
「マリー、すごく良い匂いがする」
「お、モレナもそう思うか。気が合うな」
そういえば、シンにも初対面で匂いを嗅がれた気がする。あれは親愛の証だったのか。しかし、初対面の女性にするのはいかがな物かと思ってしまう。これだから陽キャの距離の詰め方は怖いわ。
でも、子供から好かれるのはいつでも嬉しい。
マリーはモレナの柔らかな身体を優しく抱きしめながら、久しぶりの幼児の感触を満喫する。
そして、やりたいことを思い出した。
子供が好きで、子供の笑顔が見たくてなった保育士。
マリーはモレナを優しく抱きかかえながら立ち上がると、シンに向かい直した。
「私、保育園で働きたい」




