第3話 シンという男
久しぶりにゆっくりと浸かる湯船は、格別なものだった。
真理の記憶がよみがえり、断罪からここまで水で身体を拭く程度。それ以前の一人暮らしの真理としても、シャワーですませることが多かった。
温かな太陽で干されたであろう、ふかふかで清潔なタオルで身体を拭き、用意された服に袖を通した。
するりと肌を抜けていくような肌触り。その肌触りは優しく身体の熱を取ってくれるようで、すごく快適だった。ちょっと中東風の衣装がエキゾチックでマリーのテンションは上がってきた。これまで着ていた服は見た目重視で、決して着心地が良いとは言えない。コルセットは苦しく、スカートのパニエは重く、邪魔くさかった。
服を着終えたマリーは思わず、くるくると回って着心地を楽しんでいると、使用人から声をかけられた。
「お嬢様、シン様がお待ちです」
「あ、ありがとう……ねえ、シンって何者なの?」
シンは食事をしながら、話すとは言っていたものの、その前に仕入れるだけの情報は仕入れたかった。それによって、こちらも出方を考えなければいけない。彼が何者で、ほんの少し前に出会った異国の人間に対し何を求めて、屋敷に連れてきたのだろうか?
「シン様のご友人ではないのですか?」
「友人どころか、ほんの一時間前に初めて会ったのよ」
「はぁ、そうですか。また、あの人は気まぐれで……それは、申し訳ありません。シン様のことですから、強引にあなた様をここに連れてきたのでしょう。シン様に代わり、ご無礼を謝罪します。申し訳ありませんでした」
そう言って、深々と頭を下げられると、マリーの方が恐縮してしまう。
「いえ、海で溺れかかったところ助けてもらったので、それはそれで助かったのですが、見ず知らずの私にここまでしてくれる理由がわからなくて不安になっているだけなんです」
「ああ、それでしたらお気になさらなくて結構です。彼の行動に特に意味はありません。本人がそうしたいから、そうするだけです。嫌なら誰が何を言っても、あなた様を見殺しにしているでしょう」
「そ、そうなの?」
「そうですよ。シン様はこの街一番の商会である、レトリー商会の御曹司でございます。それと同時にこの街の領主の御子息でもあります。つまり、この街一番のお金持ちと権力者の息子ですね。まあ、俗に言う放蕩息子でございます」
「放蕩息子?」
それで、マリーはシンのあの雰囲気に納得がいった。前世でもいた親の金で好き勝手遊ぶチャラ男達。世界の全てが、自分のために存在しているような態度。自己肯定の塊。
マリーがシンのことを考えていると、その声が聞こえてくる。
「おーい、クロエ。放蕩息子って誰のことだよ」
先ほどまでの水着姿とは打って変わって、中東風のふんわりとした長袖のシャツの上に鮮やかな青のベストを付け、ズボン姿のシンは見違えるほど落ち着いて見えた。
「シン様以外に誰がいるというのですか? 旦那様の手伝いもせずに、遊び歩いているような、あなたは放蕩息子という言葉がよくお似合いですよ」
「おいおい、遊び歩いているなんて人聞きの悪い。親父の後を継いたら、仕事で忙しいだろう。だから、今のうちに人生経験を積んでいるんだよ。それに、ほら、俺だって、自分が親父の仕事に合っているかわからないだろう。だから自分探しの途中なんだよ」
薄っぺらな笑顔で、クロエと呼ばれた女性に言い訳をするシンを見て、マリーはどこまでこの男を信用して良いか測りかねていた。
「はいはい、わかりました。せいぜい、旦那様とレベッカ様にお叱りを受けないようにお願いしますね」
「わかった、わかった。お、その服よく似合うな、すごく可愛いよ。まるでお姫様みたいじゃないか」
シンはあきらめ顔のクロエの小言を軽くいなして、マリーの姿を見たシンは笑顔を見せながら褒めたたえると、すっと手を取った。
「じゃあ、マリー、食堂に行こうか。料理が冷めちゃうよ」
「あ、はい」
シンに連れられ、食堂に連れられると、すでに料理は準備されていた。
湯気が立つ皿の中には、野菜や肉がごろりと入ったスープ。香草で焼かれたかたまり肉を切り取ったものにソースがかかっている。ふんわりと焼かれた白パンなどが並んでいる。
シンに勧められるままに食事を口に運ぶ。
暖かい。
ルイス王子に罪人に落とされてから、ろくな食事を与えられなかった上、あまりのことに味すらわからなかった。
美味しい。
生きるために口に運ぶのではなく、美味しいから口に運ぶ。
心が満たされる。
そんなマリーを楽しそうにシンは眺めている。
「何を見てるのですか? あなたは食べないのですか?」
「いや~マリーが旨そうに食べてるのをみるのが面白くてな。気にせず食べてくれ。何だったら、俺のもやろうか?」
「不要です。殿方の食事まで取るほど、はしたなくはありません」
「そうか、何にしろ、元気になって良かった。それで馬車で話していた続きだが、これからどうするつもりだ? この通り、部屋なら山ほど余っている。ここに住むと言うのなら、住んでも良いし、どこか行きたいところがあれば別に止めはしないぞ」
シンの提案は魅力的な物だった。知り合いゼロ、住むところゼロ、生活基盤ゼロのマリーにとって、とりあえず住むところがあることはありがたい。そして、仕事なり金を稼ぐ手段を見つける時間が出来る。
しかし、身も知らず獣人の男性宅に泊まると言うことは……宿代はそういうことだろう。前世でも今世でもそんな経験の無いマリーにとって、こんな散らし方をするのは不本意である。
返事に困っていると、シンは言葉を繫いだ。
「ちなみ、特に目的は無いと言っていたけど、出来ることはあるのか? とりあえず何もしないというのも暇だろう」
「……出来ること」
マリーに出来ること。王子と踊るために鍛えた社交ダンス、ラブロマンスに憧れて習った歌。裏方での事務作業や根回し。
いやいや、いま、ここでそんな物は何の役にも立たない。
じゃあ、マリーではなく、真理では?
「邪魔するよ。愚弟!」
ドアが勢いよく開け放たれた先に、シンによく似た背の高い女性が立っていた。チャラいイメージのシンとは違い、出来る女のオーラをまとったその人は、シンと同じ耳と尻尾を持っていた。




