裕太の依頼
康正は、どこか腑抜けた顔をしていた。とくに目つきがそう見せる。近く十八になる年相応の、まだ抜けきらない幼さが残っている。
始業は朝八時三十分。十分前に事務所へ入り、階段前のタイムカードを切る。二階の一室で作業着に着替え、そのまま工場へ向かった。
上司と工場長は、工場を「こうば」と呼ぶ。だから彼もそう呼んだ。
中に入ると電気をつける。業務用の冷却器はすでに動いていた。室内は二十二度に保たれている。社長が先に来ているのだろう。鍵も開いていた。空気は冷たく、吐く息が白くなる。
勝手口から外へ回り、プロパンガスの栓を開ける。戻って蛇口をひねり、コンテナに水を溜める。
台はかりに一斗缶を乗せる。積まれた上白糖の袋から一つ抱え、脇に置く。封を切り、片手鍋ですくって缶へ入れる。
砂糖と水あめと水で十キロ。水あめは裏のタンクから引く。それらを銅釜へ入れ、火にかける。櫂棒でかき混ぜはじめる。
同じものを、もう三つ作る。
やがて色が変わる。薄くきつね色に寄る頃、工場長と社長が入ってくる。
「じゃあ交代して、準備してくれるか」
頷き、康正は銅釜から離れた。
レーンは平たい。長く伸びた台の上で、一本のゴムの帯がゆっくり回っている。
レーンを持ち上げ、所定の位置へ運ぶ。床に下ろし、角度を合わせる。
手を動かしているうちに、入口の戸が開く音がした。パートのおばさんたちが入ってくる。持ち場へ散る。
レーンを整え終え、振り返ると工場長と社長が銅釜の前に立っていた。
煮詰めた飴が冷やし台へ流し込まれる。ヘラでこね、温度が落ちるとやがて粘りが出る。
布のように折り畳む。
それを引き延ばし、細く整える。
感覚だけが頼りだ。細すぎれば出てくる飴が小さくなり、太ければ大きすぎて売り物にならない。ちょうどいい太さに整え、裁断機へ通す。
切られた飴がレーンを流れていく。
「配達、行ってきてくれるか」
工場長が言った。
康正は返事をし、包装器具の準備をパートに任せた。
工場の外に出て荷を積み、馬の手綱を引いて出発した。
この時間は、大聖堂から回る。
石畳の道を進んだ。朝の空気はまだ冷たい。馬の蹄の音が一定の調子で続く。荷台の木箱がわずかに揺れる。
やがて大聖堂が見えてくる。高い壁と尖塔。正面ではなく、裏手の搬入口へ回る。
馬を止めた。
荷を降ろそうとしたところで、声をかけられる。
「飴屋じゃないか、まだこっちに卸してたのか」
康正は振り向く。
「こっち?」
「聖堂協会病院の方に変わっただろ。あれ、違うのか?」
言われて、手が止まる。
四十分かけて配達から戻ってきた康正のもとへ、パートが走ってくる。
「ヤスマサくん、裏の蛇口閉めた?」
「あ……」
言われてすぐに思い出し、水の溢れ出る浴槽のイメージが頭に浮かんだ。
「閉めといたから、気を付けてね」
「すみません」
馬車から降りて、頭を下げた。
もう何度同じミスをしたか分からない。康正の場合、同時に記憶しておける業務は三つか四つまでだ。五つ目が現れると、すでにある四つの中からランダムに削除される。浴槽の蛇口、調理場の準備、レーン、包装機──そこに配達の指示が入り、浴槽の蛇口が頭から飛んだ。
この仕事について一年以上が経つ。覚えた仕事はいまだに慣れない。こればかりはどうすることもできない。工場長は懲りずに注意してくれる。パートは諦めている。康正も、もう随分前に諦めていた。
康正へ来客があったのは、それからしばらくあとのことだった。
調理場と作業場はひと続きの空間だ。室内は業務用クーラーで二十二度に保たれているが、調理場ではプロパンガスの火にかけられた銅釜が四つ並び、そこだけが異様に熱い。冷気と熱気がぶつかる境目で、空気は揺らぎ、景色がかすかに歪んで見えていた。
レーンに流れる小粒の飴を受け取り、パートさんが冷やし台で冷ます。包装機もフルに稼働している最中だった。
「ヤスマサくん、お客さん」
工場の戸口から、パートさんが康正を手招いていた。
事務所へ向かうとすぐに軍人だと康正はわかった。女だ。おそらく駐屯地の軍人だろう。
「こちらがヤスマサくんです」
女がお辞儀したので、康正は会釈を返す。
「アリアナと申します」
女は、苗字までは名乗らなかったが、グラスヘイム陸軍少尉であることを名乗るとジャンバーを脱ぎ、腕章を見せた。
「ユウタの使いで参りました。お忙しいところ申し訳ありません。私と軍駐屯地までご同行願えないでしょうか」
裕太とは、随分長いあいだ会っていない。
もう一年以上も前のこと。
康正は、同級生二人と異世界召喚に巻き込まれ、ここグラスヘイム王国へとやってきた。
ひとりはクラスメートの裕太。
もうひとりは小学校入学前からの幼馴染、飛鳥。
裕太には魔王を屠る最強戦術、爆撃魔術が宿っていた。人差し指でなぞった景色の導線上を爆発させるものである。
グラスヘイムは、魔族と戦争中であるらしく、裕太の力は最前線で重宝されていると康正は聞いている。
最後に会ったのはいつだっただろうか、と彼は記憶の糸を手繰り寄せる。
「あいつ、何かあったんですか」
「ここではお話しでき兼ねます」
「仕事があるんですよ。従業員の数が少ないんで、俺が抜けるとみんな困るんです」
少しよろしいですか、とアリアナはパートの許可を得ると、康正を事務所の外へ連れ出した。辺りをきょろきょろと見回し、人の気配がないことを確認して、
「ユウタを助けてください」
「変わったこと言いますね。あいつは爆撃魔術を操る、戦場の英雄だ。俺のような、末端の労働者の助けなんかいらないでしょ」
顔を伏せたアリアナが、切羽詰まっているように見えた。もしくは何か意図があってそのように振舞っているのか。
「ユウタには……あの人には、もう頼れる人がいないんです」
「……どういうことです?」
「ここでは申し上げにくいのです」
「じゃあ行きません。忙しいんです」
「彼はじきに処刑されます」
康正は言葉を聞くや否や、足が止まった。
軍駐屯地の補給区画は、荷馬車へ荷を積む軍人や、二列縦隊を組みランニングする軍人がいたりと慌ただしく、雑然としていた。
「お、飴屋じゃねぇか」
「お疲れ様です」
顔見知りの軍人だった。康正はしっかりお辞儀する。軍の駐屯地へは、いつも飴を卸しているため、顔見知りも多い。
「配達か? 朝方会ったよなぁ」
「在庫の補充漏れがあったんです」
「大変だな、頼んだぞ。まあ、でももう必要ねぇかもしれんが」
軍人はアリアナに気づき、慌てて敬礼すると離れていった。
「いちおう誤魔化しておきましたけど、それで良かったですか?」
「はい、助かります」
「そういうのは早めに言っといてください。誰でも入れるところじゃないですから、ここ」
「すみません」
アリアナに本館へ導かれ、康正はその後に続いて階段を下りた。地下に降りると、地下牢の入り口前に立つ二人の軍人が、こちらを見据えていた。
無言で通過しようとしたアリアナを軍人が止める。
「止まってください。許可証はお持ちですか、アリアナ少尉」
「そちらは?」
片側の軍人が康正を見据えた。
「ユウタと同郷の異世界人だ」
軍人たちの康正を見る目つきが変わった。
「記録には残すなと言われている。問題が生じた場合、責任はすべて私が引き受ける」
軍人が格子扉の鍵を開け、アリアナを通す。康正はその背についていった。
地下牢の最奥、その独居房に裕太の姿を見つけた。康正は軽く安堵する。
「久しぶりに見たかと思えば、随分な扱われようだな。前に会ったときとは天地の差だ」
冗談を口にしようと準備していたが、房の壁際に静かに腰を下ろす裕太の頬が、ややこけていた。
「来たか」
裕太はアリアナと目を合わせ、瞑りながら会釈した。ひとつひとつの動作が病人のように衰えている。
「俺は今、国家反逆罪の疑いを掛けられてる」
「反逆罪?」
「国また君主に対する裏切り──」
「意味はわかる。何で疑われてるのかを聞いてるんだ」
裕太は顔をしかめたあと、
「飛鳥が妊娠した」
「は?」
「だよな、知らないよな」
康正は表情を変えず、頷く。
「もう半年以上前のことだ。俺の爆撃魔術に不調が現れ出した」
「不調って?」
「俺の力は、飛鳥の加護の力があって初めて使いものになる。詳しくは日記を読んでくれ。そっちの方が正確だ」
「日記? 誰の?」
「俺のだ。ここにはない。飛鳥のところにある。大聖堂の、あいつの部屋に」
「そこへ行けってか」
「妊娠は……よく知らないが、行為をしてから一カ月くらい経たないとわからないらしい。発覚したのは去年の七月だ」
「今日が三月三日だから……八カ月前じゃないか」
「七月から逆算して一カ月前、飛鳥が最後に会った外部の人間が、俺らしい」
「それだけで、腹の子の父親が裕太だって?」
裕太は頷き、
「飛鳥の力は……処女のあいだしか機能しない」
「へえ、そうだったのか」
「知らないのか」
「知るはずないだろ。俺はお前らとは違う。お前は戦場の英雄で、飛鳥は大聖女。俺は末端の労働者だ」
「妊娠したということは、処女を失ったということだ」
「馬鹿にしてるのか? それくらいわかる」
「飛鳥は力を失った。おそらく俺の爆撃魔術は、そのときから弱体化しはじめた」
「飛鳥がそう言ったのか?」
裕太は弱々しく首を振った。
「言ってない。推測だ。会わせてもらえない」
「会わせてもらえないって……裕太、いつからここにいるんだ」
「七月、だったかな。去年の」
「嘘だろ……最後に飛鳥に会ったのは?」
「わからない。捕まる前だ。それも日記に書いてある、はず」
「日記ねぇ……読んで俺にどうしろって?」
「何があったか知りたいんだ。俺は腹の子の父親じゃない」
「飛鳥は誰が父親だって?」
「俺の話、聞いてたか?」
裕太がぎろっとこちらを睨む。康正は表情を変えずに頷き、言葉を受け止めた。
「それがわからないからお前を呼んだんだ」
「何で?」
アリアナが話に割り込み、
「いいですか。ユウタは国家反逆罪をかけられています」
「いま聞いた」
「来月にも処刑が決行される予定です」
「え……」
裕太が言う。
「康正、俺たちは異世界人だ。ここじゃよそ者だ。連中は俺の爆撃以外に関心がない。最初から。爆撃魔術が使えない今、俺の味方はアリアナとお前だけだ」
鉄格子の向こうで裕太は言った。
「飛鳥の腹の子の父親が誰か突きとめてくれ。俺が彼女を孕ましてないって証拠をな。それで俺の潔白を証明してほしい」




