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私刑

 火はほぼ鎮火していた。

 燃えたのは体育館で、火と放水のために半壊していた。


 パトカーも来ていた。畑の真ん中のこととて、見物人は少なかったが、警官が校門に立ち、無用の者の立ち入りをふせいでいた。


「わたし、電気棟の三階見回りして」


 校門のそばで警備の老人が警察官の聞きこみに、うわずった声をあげていた。


「小さな火ィ見えたと思って下りたら、はー、ボウボウ燃えてて。消防消防て、消防呼んで。自分でも消火器持ってって。したっけ、先に芳賀先生さいて。『消すな』っつって。でも、消さねえわけにいかねえでしょ」


 なぜか、芳賀が夜中、学校にいたらしい。


「その先生はどこに」

「だがらおれは夢中で消火してたんだっての! 知らねって!」


 老人は火事に興奮しきっていた。

 バイクが乗りつけた。警官に止められるが、


「すみません。職員です」


 妹尾の声だった。

 警官の手をよけ、妹尾はのびあがって、ア、と絶句した。長い腕でヘルメットの頭を抑えた。


「――!」


 グラウンドの夜間照明が、無惨な体育館の姿を照らしている。

 高さ3メートルの大ドラゴンが体育館に置かれていた。首と翼を動かし、口から煙を吐く仕掛けがあった。それらはうず高い炭の山となっていた。


 体育館にはドラゴンのほか、小物のモンスター・ロボットや、屋台用のテントと看板があった。それらもみな炭に変わっている。


「最後まで残っていた先生はどなたでしょう?」


 警察は新垣に聞き取りをはじめていた。新垣は腑抜けたように答えている。

 テツはふと、ふりむいた。


 学校を囲む市道の路上に、小柄な人影があった。

 お市が言った。


「じいやナイフだ」


 人影はこちらへ歩いてきた。

 テツはふいに戦慄が走るのを感じた。


 街灯を背にして、顔がまったく見えない。見えないはずだが、なぜか木の面のように貼りついた笑顔がわかった。その笑顔が鬼火のようにゆらゆら揺れて、こちらへ近づいてきていた。


 この男が火をつけたのだった。

 校門で意味不明の叫び声が聞こえた。バタバタと足音が駆け過ぎた。


「うああああ」


 新垣だった。彼は芳賀に飛びかかると、わめきながらめちゃくちゃに殴りつけた。

 猫の手のように弱いパンチだった。叫び声がかすれていた。


「先生、ダメですよ」


 警官が追いかけてきて、興奮する新垣を引き剥がす。妹尾もなにごとかと駆けてきた。


「芳賀先生――」


 芳賀は地面に尻をつき、ふしぎそうに新垣を見あげ、首をめぐらして人々を見た。

 暗がりで、その盛り上がった頬が光った。


「よく燃えましたね。よかった」





 中年の警官は、世間話でもするようなやわらかい声で聞いた。


「先生が、火をつけたんですか」

「そうですよ」


 芳賀は尻をはたいて、立ち上がった。


「わたしが片付けたんです。ひとが入っていないか、ちゃんと安全に気を配りましたよ」


 新垣は地面を叩いて泣いていた。


「なんで……なんで……」


 こういうのはよくない、と芳賀は言った。


「誤ったメッセージになってしまう。生徒たちによくない」

「なにがいけないんだ!」


 新垣はわめいた。


「どうしてこんな残酷なことができるんだ! あなた、何やったかわかってんですか」

「こういうのはよくない」


 芳賀は繰り返した。


「間違いです。こんな、生徒をぶん殴って、動物みたいに追い立てて作ったサーカスなんか、いいわけないでしょう。こんなものは、教育の成果でもなんでもない。世の中にも悪いメッセージになります。破棄すべきです」


 テツはうすく口を開いた。

 これはテツとお市への罰だった。教育の場で暴力を使ったことへの私刑なのだった。


 警官は肩口の警察無線で応援を呼んだ。

 お市が言った。


「先生は何がしたかったの?」

「――」

「なんか正しいことがしたかったの?」


 警官が、お坊さん、と阻もうとしたが、お市はかまわず、


「生徒を殴るなって言っといて、自分は放火ってどういうことだよ? なんの説得力もないんだが? あんたの正義がどうなってるのか、まったくわからないんだが? ここの生徒が、はじめて人なみの学校生活をおくろうとした。それだけだよ? それでもその正しいことがしたかったの?」

「たったひとつの例外で、ものを言っちゃいけないんだよ」


 芳賀は聞いてないかのように言った。


「ほかがみんな、迷惑するんですよ。みんな目に見えるものしか見ない。どんな傷がつき、隠れて膿んでいるかまでは知ろうとしないで、愚かな結論に飛びついてしまうんだ。子どもが犠牲になるんだよ」

「それで、ここの生徒のことは犠牲にする気なのかって聞いてんだよ!」


 芳賀は手首を曲げ、袖の縁を気にしていた。なにか汚れでもあるのか、しきりと袖をいじっていた。


「だから、あれはいらないんです」


 布の縁を引っ張り、言った。


「最初から間違っていた。あんたがたがやったことは教育じゃないよ。単なる洗脳の手品なんだ」

「……」

「ただ暴力で混乱させ、あとでアメをやっただけじゃないか。子どもは混乱して、簡単に洗脳されちまう。いずれ、彼らも同じことをするようになる。自分の子どもに、暴力をふるうようになる。こういうのは、だれかが止めなくちゃいけないんだよ。牢屋に入ったって止めなきゃ。教育に抜け道はないんだ。正攻法しかないんだよ」


 お市はもう言わなかった。背を向けて焼けた体育館を見ていた。


 警官たちが集まり、芳賀を取り囲んだ。中年の警官がやさしく聞き出すと、芳賀は警察に行くところだった、と言った。

 別の警官が無線で容疑者の確保を報告した。


「じゃ、話を聞かせてくださいね」


 警官たちがうながした時、


「正攻法なのに、なんで成果がでないんでしょう」


 低い声が湧いた。

 新垣が一堆の泥のように路上にうずくまっていた。


「正しいはずのに、なぜこの学校は機能していなかったんでしょう」


 芳賀はまだ袖をひねりつつ、


「べつに問題ありませんでしたよ」

「……求人が、減ってるんですよ」


 新垣の声が呪詛のように言った。


「宇崎先生が辞められて、わたしが就職担当にかわって、七月、おどろいた。うちに毎年求人出してくれてた企業さんが、求人票持ってこない。一社だけじゃなく、三社。みな大手で、長い不況の時も毎年うちの生徒を採ってくれていた会社です」

「――」

「OBに偶然聞けたんです。愛想が尽きたんだそうです。六花の生徒は、なにも知らない。まともな資格も持ってない。あいさつもできない。毎日定時に出勤することもできない。どうせ何もできないなら、まじめな普通科の高校から採りたいって」


 声が赤い怒気にひび割れた。


「わたしたちは失敗していたんです。この学校は世の中から見放されかけてたんです。緊急に立て直す必要があった。生徒が学べる環境をつくって、社会に受け入れられるようにしてやらなきゃいけなかった。だから、非常の手段をとったんです。それがそんなに許せないことなんですか」

「きみはそこが間違ってる!」

「――」

「社会に受け入れられる必要はないんだよ」


 新垣の影が止まった。は、と息が抜けた。

 老教師の舌がにわかになめらかになった。


「就職に有用な人間じゃなくていいんだ。われわれは工場の部品を作るために、学ばせているわけじゃないんだよ。きみの、その考えは、とんでもない心得違いだ」


 その声は昂ぶった。ようやく自分を思い出したように声を張り、イキイキとまくしたてた。


「ぼくらは若者を育ててるんだ。若い、真新しい人間だ。そりゃ無知だ。だらしない。時に見苦しい。だが、それがどうした。校舎の落書きがそんなに危険か? たいしたことはない。学校なんてものは消耗品だ。彼らは残酷か? ケンカをすることもある。それがそんなに罪か? そうやって、自分たちでぶつかって、間違って、学んでいくんだ。そうして足腰のしっかりした大木のような男になるんだ。われわれはそれを、こういう――」


 興奮した指でお市を指した。


「口達者なやつから守って、彼らの成長を見守ってやるべきなんだ。それをきみは、何を勘違いしたか、校舎に入れ、生徒を叩きのめし、奴隷に仕立てようとやっきになってる! きみは教師じゃない。奴隷商人だ。教育の場から出て行くべきだ!」

「……」


 その言葉は録音してあったかのようにすべらかに出てきた。すべらかすぎて、当人も何を言っているかわかっていなかったかもしれない。

 お市がそっけなく言った。


「そういう神学論争はいいんだよ」

「――」

「百万べんいいこと言ったって、みんなが明日見るのはあれだよ。あれがすべてだよ」


 お市の頭のむこうには、放水で濡れた残骸が光っていた。白く照らされたグラウンドで消防士たちが片づけ作業に走り回っていた。

 芳賀は一瞥し、顔をそらした。また袖を気にしはじめ、小さな声で言った。


「十年すれば、あの子たちも意味がわかる」

「――」


 刑事らしい男が駆けつけた。刑事は老人に、


「芳賀先生ですね。じゃ、お話聞きましょう。あれ? 手、ヤケドしましたか」


 あっちで手当てしますからね、とうながした。

 芳賀は言い足りぬように首をのばして言った。


「ぼくは三十年、生徒に機械工作を教えてきたんですよ。たまに卒業生が家に来ますよ。まゆじい、まゆじいって。彼らはぼくの気持ちをわかってくれますよ。だれが間違ってて、だれが正しいか、子どもはわかるんです」


 あんたがたのは単なる洗脳の手品なんだ、と繰り返した。


 警官たちに囲まれ、芳賀が前を歩き過ぎた時、テツが言った。


「三十年、ご苦労様でした」


 芳賀の頭がわずかに揺れたようだった。


「三十年、先生は、偉大な先生だった」

「……」


 芳賀がつまずくように歩みを止め、ふりかえった。テツは言った。


「三十年の思い出も、偉大さも変わらないのに、なんで一回、失敗を認めなかったんですか」

「――」


 老教師の影がぼんやり見つめた。テツは咽喉が詰まった。


「なにも無くなりはしなかった。たった一回、失敗を認めて、我をひっこめても、なにも増えも減りもしなかった。髪の毛一本減らなかった」


 小柄な影が、いま生まれたかのように見上げていた。影はふしぎそうに言った。


「ぼくは……偉大ですか」


 警官がその背を押した。警官たちに押し包まれるようにして、芳賀は歩き出した。

 途中、背の高い少年に気づいたようだった。


「ホロ。なにしてんだ? おまえ、原チャなおったのか」


 やさしい声で言った。





 田所が駆けつけてきていた。


「えらいことになりましたな」


 新垣はへたりこんだまま、顔もあげられないでいる。

 田所はきっぱり言った。


「明日から突貫工事で直しましょう! とっかん祭だけに」

「……」


 田所は妹尾に聞いた。


「燃えたものの設計図は残ってますか」

「――」


 妹尾はまだショックを受けていたが、


「家のPCにはまだ――でも、改良したところは残ってない」

「ではすぐに思い出して、図に起こして下さい。生徒、教員全員でとりかかりましょう。今から!」

「いや、無理ですよ」


 妹尾はうろたえた。


「もう材料がない。ロボットだけじゃなく、ダンジョンのパーテーションや配線がすべて燃えてしまったんです」

「買います。必要な分、リストアップしてください」

「いや、二日(ふつか)で作りなおしなんか――。シリコンだって、乾くのに時間がかかるんですよ」


 先生、とホロが言った。


「一日減らそう」

「――!」


 一同が彼を見た。


「日曜だけに集中しよう。三日あれば、なんとかならない? 全部復活できなくても」


 妹尾は考えこんでしまったが、田所が言った。


「場所を教室に移しましょう。教室はいまのところ――?」

「二階でカフェと情報科のゲーム展示だけ。場所はある」

「妹尾先生」


 妹尾はブツブツ言った。


「……アーキタイプを加藤と長田が持って帰ったはずだから、あれでふたつ。あとはレゴ・ロボットで――ああ、でも、ドラゴンはサイズダウンしないと、教室には入らないから」


 ホロは言った。


「切ればいい」

「!」

「胸から上だけ。首だけでもいい」


 妹尾は言った。


「それならできる」


 新垣も重い体を引きずり上げ、立ち上がった。


「日曜一日に変更しましょう。継続です」


 てっちゃん、とお市が呼んだ。

 テツはいつのまにかその場から消えていた。





 鬼怒川の河原土手まで来て、お市は立ち止まった。

 川中で白い何かが激しく水を浴びている。水音に混じって真言も聞こえていた。


「おーい、死ぬぞ」


 お市は川岸まで下りて言った。


「おれ十メートルしか泳げないから助けないぞ」


 テツは答えない。

 うがつように真言を唱えながら、頭から水をかぶる。

 川面には北嶺からの強い風が吹き降ろしていた。水を浴びた肌には氷が貼りつくだろう。


 こまったやつだ、とお市は憂鬱に黒い川を眺めた。目が慣れ、坊主頭の濃い輪郭が見えてくる。

 真言がやんだ。


「どうしよう。お市」


 テツの影が細い声を出した。


「縄付き出しちまった」


 影がぼう然とお市を見ていた。肩のいかつい、硬くくびれた裸の影が、闇に埋もれるように立ちすくんでいる。

 いくら水を浴びても拭えぬ悪夢に狼狽しきっていた。


 お市はさびしく言った。


「おれらにはなんもできなかったよ」

「……」

「学校にも入れなかった。むこうが、切り離したんだよ」


 お市は言った。


「あのひとは理屈の魔にひっつかまれたんだよ。でも、呼び込んだのは自分なんだ。本音はただ、おれたちが我慢ならなかったんだよ。自分らがやれない禁じ手使って、強引にやって、うまいこと転んで、許せなかったんだよ」


 テツはいきなり水を蹴り、怒鳴った。


「おれは忘れてたんだよ!」

「――」

「ガキをヒーローにしようと思って、おとなのことは忘れてたんだよ! ノーマークだったんだよ」

「それはしょうがないじゃん――」

「おれら坊主だぞ? 救うのに老いも若いもねえだろ。衆生を年で差別する、そんな仏様ねえだろうよ。あのひとだって、かつては十七歳で、十歳で、五歳のガキで、ヒーローになりたかったんだよ!」


 テツはまたばさばさと水を浴びた。飛沫のなかで、瞋らせた目が、その喰いしばる歯が見えるようだった。


 土手の木々が風を裂いて鳴っていた。川面が削れるほどに風が強かった。

 お市は小さく言った。


「てっちゃん」

「――」

「あがんなよ」


 いくら水を浴びても何もならない。

 テツは空をあおいだ。雲が巻き取るように早く過ぎた。砂混じりの風の中、冬の星がほんのり瞬き、また雲に隠れた。またふくらむように星が光る。

 変幻する天の模様に、テツはいつしか目を奪われた。


 どれほど雲が厚く覆っても、過ぎれば、青白い星がそこにあった。

 なにも減りはしない。きよらかな真実は、表層にどれほどまがまがしい雲が過ぎようと、永遠に増えも減りもしないのだった。


 そして雲すらも、本来、真実のひとつの姿なのだという。

 そこまでは実感できなかったが、テツはこのことは、深い神聖な部分の何も損ないはしないのだ、とおもった。


 脳から血が退き、息が鎮んでいた。なにかの執着が離れていた。自分の失敗を、掌にのせて見ることができるほどに落ち着いていた。


 が、それでもまだ天に吼えたてたい気持ちがある。

 お市、と叫んだ。


「これからは全員、ヒーローにする!」


 星に向かって吼えた。


「ヒーローにする。おれの前に現れる人、みんなを!」


 お市は下帯一枚で吼えている友を前に、口をつぐんで立っていた。なかば目を閉じ、ミミズクのように首をすくめて動かない。

 ただ小さな星と流れる雲の下、眠い目をして、しゅんと洟をすすり、風に吹かれていた。


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