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Guiding Star  作者: 綾野雅
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エピローグ




生命(たたかい)の終わり、そしてまた…




「もうあれから50年か。信じられないがな」


敬介のしわがれた声が目の前の白い石碑に話し掛ける。彼の右にはすっかり年を取ったつくもが小さな花瓶に新鮮な野花を活けると蝋燭に灯を付けた。

あの最後の戦いから今日で50年になる。今、この世に生き残っているのはたった二人になってしまった。


「勇希、もうカミンに会えたのか?」


敬介は誰に聞くともなく囁くと関節炎で奇妙に曲がった指で石碑の名前をそっとなぞってみる。


「みんな、どうしているんでしょうね…」


つくもは鼻をすすると皺の寄った目のふちからそっと涙を拭った。


「みんな大丈夫だよ、つくも。君だって知っているじゃないか」


敬介は妻の肩をそっと抱くと優しくそう呟いた。





***





二人が家に帰ると、暗く静かなリビングに置かれた留守番電話に赤い光が点っていた。電光表示板が二人の留守にメッセージが一件入っていることを示していた。


つくもが気だるそうに再生ボタンを押す。


「お義父さん、お義母さん」


義理の息子の声が喜びで弾んでいる。


「孫が生まれました。女の子です。携帯に連絡ください。会いに来ていただけるよう、準備をしますから…」




***





五ヵ月後、敬介とつくもはあの灯台のある小さな公園で海に面して設置された長いベンチに腰掛けていた。暖かな太陽の日差しの中、敬介はただの老人よろしくうとうとと居眠りをしている。つくもはそんな夫の寝顔を見てそっと微笑んだ。今日の海は波もなく、穏やかで澄んでいた。優しい風が時折、海の潮の匂いを運んではつくもの鼻をくすぐった。


つくもの前には白いカバーにピンクのリボンで縁取りされた小さな乳母車が置かれていた。その中では小さな女の赤ん坊が安らかに眠っている。どこからか飛んできた真っ白な紙ひこうきが船をこいでいた敬介の顔に当たって乳母車の中にぽとりと落ちる。


敬介がけだるそうに目を開けると五歳ぐらいの男の子が敬介とつくもが座っていたベンチのすぐ側に立っているのが見えた。敬介は乳母車の中に落ちた紙ひこうきに気が付くと、それを拾って小さな男の子のほうに掲げてみせる。


「これ、ぼうずのか?」


男の子は何も言わずにただこくんとうなずいたが、その間も太くしっかりした眉の上できれいに切りそろえられた紺碧の前髪の下で男の子の藍色に輝く瞳はつくもの前の乳母車をじっと見つめている。


つくもはその視線に気付くと優しく微笑んで言う。


「私たちの孫でね、飛鳥っていうの。側に来ていいわよ」


男の子はまた無言のまま、こくんとうなずくとゆっくりと乳母車に近づいてきた。敬介はそんな男の子を不思議そうに見つめる。


「なんだか変わった子だな」


敬介はそう思い、軽く頭を掻いた。


乳母車の中では、小さな女の赤ん坊がベビーピンクのリボンで縁取りされた真っ白な毛布に包まれて幸せそうに眠っている。


男の子は乳母車の赤ん坊に静かに微笑みかける。その大人びた表情はまるで五歳児のようには見えなかった。


「なあ、ぼうず、名前は何てんだ?」


敬介は先ほどの紙ひこうきを折りなおしながら何気なく聞いた。


「カミン」


男の子は子供らしいかわいい声で答える。


つくもと敬介ははっとしてお互い顔を見合わせた。


「今、あなた、なんて?」


つくもはあわてて少年に聞き返す。


「僕、克己(かつみ)です。すぐ近くに住んでるんだ」


克己はわざと悪い冗談で二人を驚かしてやった、というような少し意地悪な微笑みを浮かべて二人の顔を見上げた。


「あ…あ…」


と、突然、乳母車の中の赤ん坊が目を開けると克己のほうへその小さな右手を差し出す。克己は振り向くと、自分も右手をその小さな赤ん坊に向けて差し出した。克己が小さな手で自分よりも小さな赤ん坊の手を握り締めると飛鳥は大きなセピア色の瞳を見開いた。


敬介とつくもは二人の子供の様子をじっとうかがっていた。二人の脳裏には同じ考えが浮かんでいた。


「昔、いつかどこかでこの子供達を知っているような気がする」


と。


そして赤ん坊の飛鳥はいままで敬介やつくもが見たことのないような幸せそうな笑みを浮かべた。小さな男の子もやはり優しい笑みを浮かべながらそっと囁く。


「やっと見つけた。僕の大切なひと」


「!」


つくもと敬介はその言葉に思わず息を飲むと互いに顔を見合わせる。だが、二人の口から出てくる言葉は何もなかった。


「かつみ〜!」


灯台近くの通りから若い女性が子供の名前を呼んでいる。


「いらっしゃい、もうすぐお昼にするわよ」


大声でそう叫んでから、克己の側に立っていた老夫婦に気が付いたらしく、女はそっと軽く会釈する。


「母さんだ」


克己は言った。


「僕、もう行かなきゃ。でも…でも、僕、また飛鳥ちゃんと会えるかな?」


克己の藍色の瞳がまだショックから覚めやらない表情のつくもを見つめる。つくもはまるで舌を切られたかのように何も言えずにいた。


そんなつくもを労わるかのように敬介はそっと優しく妻の肩をなでると克己に先ほどの紙ひこうきを手渡して、


「ああ。もちろんさ。おじさんたちは駅の方に住んでいるんだが、ここにはよく午前中飛鳥を連れて来ているから」


と優しい声で言った。


克己は紙ひこうきを受け取ると、何か言いたそうに飛鳥が寝かされている乳母車を振り返ったが結局何も言わなかった。


代わりに、敬介とつくもに向かって微笑むとこくんと頷いてみせる。まるで何も言わなくても分かり合える、そう言っているように。


やがて、克己は踵を返すと母親の待つ通りのほうへと走り去っていった。


「やっと、あの子は探し物(愛しいひと)を見つけることができたのね」


つくもはあの不思議な男の子とその母親が少し前に立ち去った何もない空間をじっと見つめてぼそりと呟いた。


「ああ、そうらしい」


敬介は片手で愛する妻の細い肩をそっと抱くと力強くうなずいた。まるで、自分自身に言い聞かせるように。


二人は長い間その場に立ち尽くして、ただ、克己と言う名の男の子が向かった先をじっと見つめていた。また、すぐにあの男の子に会えること、そして今度こそ、あの子が本当に幸せになれることを信じて…。


二人の耳にまるで次の世代の新しい冒険の始まりを祝福するかのように穏やかな潮騒の音が静かにさざめいていた。


最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。ご意見、ご感想などありましたらぜひコメントお願いいたしますm(__)m

続きもまだの方はよければ読んでいただけると幸いです。

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