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第22話 葛原

 隔月の耐性評価の期限が迫っていた。


 アンカーは二ヶ月に一度、指定医の耐性評価を受けることを義務づけられている。

 変異の進行をモニタリングし、異常があれば送還収容の措置が取られる。

 年一回の定期健診とは別枠で、こちらは心身の総合評価だ。数値が出るわけではない。医師の所見が「問題なし」であれば、次の二ヶ月も現地に留まれる。


 レベル1の管理本部付属診療所で受けるのが推奨されている。

 推奨されているが、面倒だった。

 採掘現場の外注化が済んだとはいえ、ザファル商会の精算書の確認、本社からの調達案件の処理、ギンネとの連絡調整と、暇だったはずの日常は気づけば細かい用事で埋まっている。

 レベル1まで往復する半日を捻出するのが惜しい。


 ナイリザに聞いた。


「レベル2で耐性評価を受けられる指定医はいるか」


「いるわよ。一人だけ」


 ナイリザは帳簿から顔を上げず、住所を書いたメモを寄越した。


「くずはらクリニック。日本租界の南寄り。予約は要らないはずよ。というか予約を受け付ける体制がないの」


「知ってるのか」


「ヤシマの規定では現地採用も年1回健康診断を受けなければならないのよ。クズハラのところならオフィスから文句を言われないわ。一応、日本の医師免許持ってるらしいから」


 予約なしでふらりと受診できるのは有難い。

 「一応」という言葉に一抹の不安は感じるが。


 * * *


 南寄りの路地を入った先に、その建物はあった。


 現地様式の二階建て。壁の漆喰は薄汚れ、窓枠は歪んでいる。

 入口の横に、手書きの看板が掛かっていた。日本語と帝国語の併記。


 『くずはらクリニック 内科・外科・その他 指定医』


 「その他」が気になるが、入る。


 待合室には椅子が四脚。うち二脚はゴブリンの老婆と、右腕を三角巾で吊ったリザードマンの若い男が座っていた。

 現地人も診ているらしい。壁には日本語のポスター(手洗い励行、咳エチケット)と、帝国語で書かれた問診票の見本が貼られている。

 受付らしい窓口があるが、誰もいない。


「すみません」


 声をかけると、奥から足音がして、白衣の男が顔を出した。


 小太り。三十代から四十代。白衣は薄汚れ、その下に緑色のスクラブが覗いている。目の下には酷いクマ。無精髭。

 どこからどう見ても、健康を管理する側の人間の顔ではなかった。


「はいはい。どちら様」


「ヤシマコーポレーションの加藤です。耐性評価を受けたい」


 男は目を細めた。


「アンカーの耐性評価ね。はいはい。初診?」


「ええ」


 無言でずい、と突き出された男の掌に健康保険証を乗せた。


「加藤さんね。ちょっと待って。先にあっちの二人片づけるから」


 男は待合室の二人を手招きし、一人ずつ奥に連れていった。

 それぞれ五分もかからず戻ってくる。リザードマンの若い男は腕に真新しい包帯を巻き直され、ゴブリンの老婆は紙袋に入った薬を受け取っていた。


「はい、加藤さんどうぞ」


 奥の診察室は狭かった。

 デスクと診察台と、壁際に並んだ薬棚。聴診器、血圧計、ペンライト。日本から持ち込んだ医療機器がいくつか。心電計と採血の道具も見える。

 レベル2にあるにしては一通りのものがそろっているようだった。

 まるで日本の個人開業のクリニックと変わらないようにも見える。


 ふと、窓際に目をやると、灰皿があり、吸いかけの煙草が燻っていた。

 前言撤回だ。


「葛原です。よろしく。座って」


 名乗りは雑だった。俺は診察台の端に腰を下ろした。


「耐性評価ね。まず問診から。最近、体調で変わったことは」


「特にない」


「精神面は。進化論に違和感を覚えるとか、スマホの操作を忘れるとか」


 ハンドブックに書いてあったステージ1の症状だ。


「ない」


「精霊の声は」


「聞こえない」


「夢に現地の風景が出るようになったとかは」


「ない」


「ふうん」


 葛原はペンライトで瞳孔を確認し、聴診器を当て、血圧を測った。

 手つきは雑に見えるが、速い。慣れている。


「服脱いで。上だけ」


 ワイシャツを脱ぐと、葛原は背中と肩を目視し、耳の後ろを確認し、指の爪を一本ずつ見た。


「肌の変色なし。耳介の変形なし。爪の変質なし。体毛の異常もなし。きれいなもんだ」


 葛原は椅子に戻り、カルテに何か書き込んだ。


「血液は採っとくけど、今の所見で特に引っかかるところはないよ。結果は二週間後に届く。まあ、身体所見がこれだけクリーンなら、血液で大きく崩れることはまずない」


「問題なし、ということですか」


「レベル2にはどのくらい常駐してる?」


「数ヶ月です」


「数ヶ月ね」


 葛原は灰皿の煙草を拾い上げ、一服した。


「数ヶ月常駐して、これだけ所見がないのは珍しいよ。普通はね、三ヶ月で何かしら出る。耳の軟骨が柔らかくなるとか、虹彩の色素に揺らぎが出るとか。本人は気づかないレベルだけど、診る側からすると見える」


「俺にはそれがない」


「ない。本当にない。あんた、アンカーとしてはかなり上等な部類だよ」


 葛原は煙を吐いた。


「だからって油断しないでね。耐性が高いってのは、変異しにくいってだけで、しないって意味じゃない。長くいれば、誰だって少しずつ削れる」


 採血を済ませた。葛原の手際は、注射に関してだけは丁寧だった。


「会計は受付で。あ、受付いないか。まあ後で請求書送るから。ヤシマ宛でいい?」


「個人で」


「律儀だねえ。保険適用の耐性評価だから大した額じゃないけど」


「領収書をください。会社に出す」


「はいはい」


 葛原は引き出しから領収書の束を取り出し、ボールペンで金額を書いた。

 字が汚い。


 診察室を出ようとしたところで、背中に葛原の声がかかる。


「次は二ヶ月後ね。うちに来てくれるなら、予約は要らない。飛び込みで来て」


「わかりました」


「あとさあ」


 葛原は椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げた。


「次来るとき、日本の煙草買ってきてくんない? こっちのは不味くてさ。マイルドセブンがいいな。あ、今はメビウスだっけ」


「はあ……考えておきます」


「頼んだよ、加藤ちゃん」


 加藤ちゃん。初対面で。


「経費で落としていいよ。指定医への贈答品ってことで」


 それは経費では落ちない。


 * * *


 事務所に戻ると、ナイリザが聞いてきた。


「どうだった?」


「問題なしだそうだ」


「そう。あの殺人医にしては普通の所見ね」


「殺人医?」


 ナイリザはカップの蓋を開けながら、さらりと言った。


「自分で言ってたわよ。日本で患者を死なせて、ニュースにもなったって。それでこっちに逃げてきたって話ね」


「医者としての腕は」


「悪くないわよ。レベル2で他に選択肢がないしね」


 ナイリザは安酒を一口飲んだ。


「エルフは人間と体の作りが違うから本当は現地の医者のほうがいいんだけど、信用できる医者がレベル2にはクズハラしかいない。クズハラは、少なくとも、金さえ払えば口は堅い」


 口が堅い。

 レベル2で医者に求められる最も重要な資質が、医療技術よりも守秘義務だというのは、この街らしい話だった。


 予定表を見る。再来週にレベル1に買い出しに行く予定が入っていた。

 買い物リストにメビウスを1カートン追加した。

次話は5月2日(土)21時00分に投稿予定です。

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