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第14話 坂崎

 翌朝、ナイリザが出勤してくる前に管理本部の出張所に向かった。

 メモリは内ポケットにある。


 昨夜の鰐淵との会話を思い出す。

 特に情報も進展もなかったが、精神的には落ち着いた。

 根拠の薄い直感だが、あの男はメモリの件をわかって接触してきた気がする。

 おそらく、鰐淵のツテを頼れば解決自体はできるのだろう。


 鰐淵に斡旋料、ツテの誰かに解決金。

 むしられるだけ毟られるのだろうが、見えない誰かにいきなりナイフを突き立てられる話じゃない。

 そう考えると多少冷静になれる。


 冷静な頭で考えると、巡り巡って脅迫者の懐に入るような金を使うのは気に入らない。

 問題は誰に借りを作るかだ。

 本社に直接上げれば火の粉がこちらに飛ぶ。

 宇田川次長は音信不通。

 民間で処理できないものは行政に投げるしかない。

 消去法だが、筋としては正しいはずだ。


 現地連絡調整室は管理本部出張所の奥まった一角にある。

 受付の現地人スタッフに坂崎参事官への取り次ぎを頼んだが、帝国語の説明がうまく通じない。

 室長宛の封書を預かることはできるが、面会の予約がなければ取り次げない、の一点張りだった。

 押し問答を繰り返していると、奥から出てきた若い日本人職員が声をかけてきた。


「ヤシマさんですか。何かお急ぎで?」


 初日の挨拶で見かけた顔だ。ノンキャリアの事務官だったか。名札には「安藤」と書かれていた。

 大企業の看板は強い。

 手短に、坂崎参事官に直接渡してほしいものがある、と伝えた。

 安藤はメモリカードを受け取ると、俺の名刺と一緒にビニール袋に入れ、封をした。


「室長にお渡しします。ただ、お返事の時期はお約束できませんが」


 それでいい。手元から離れさえすればいい。


 * * *


 事務所に戻ったときには11時を回っていた。


 階段を上がると、ナイリザがデスクに突っ伏していた。

 いつものことだと思って通り過ぎようとしたところで、顔を上げた。

 酔っているのではなく、怒っていた。


「カトウ。あなたの評価できるポイントはね、定時に事務所にいることなのよ」


「すまん。用事があった」


「アンカーがいないとエアコンもExcelもしょっちゅう止まるの。今朝だけで三回ブルースクリーンを拝んだわ。私はあの忌々しい青い画面を見なくて済むなら悪魔にも魂を売る女よ。わかる?」


 ナイリザはデスクの上に散乱した帳票を手で示した。

 締日が近い。月次の産量報告と経費精算の時期だ。

 ナイリザの機嫌が悪いのは二日酔いのせいだけではない。


「今月の産量はどうなっている」


 ナイリザの表情が変わった。

 皮肉の色が消え、眼鏡の奥の緑色の瞳が静かにこちらを見た。


「悪いわ」


「どのくらい」


「前月比で一割減。前々月と比較するなら二割。目につくレベルよ。本社が何も言ってこないのが不思議なくらい」


 本社が何も言ってこないのは、宇田川次長が握り潰しているからか、あるいは宇田川次長自身がもはや報告を上げていないからか。

 どちらにせよ、ジャンボドリルの廃棄を決めた以上、来月はさらに落ちる。


 ナイリザはカップの蓋を開け、安酒の匂いをデスクに漂わせた。


「どうするの」


「考えている」


「考えている間、数字は待ってくれないわよ」


 * * *


 その日の夕方、携帯が鳴った。

 非通知。出ると、聞き覚えのない男の声が場所と時刻を告げた。

 一方的に切れた。


 指定されたのは日本租界の東寄り、料亭と呼ぶにはささやかな日本食の店だった。

 暖簾に屋号はない。知っている人間しか来ない店だろう。

 引き戸を開けると、土間の奥に小上がりがあった。


 坂崎参事官が座っていた。


 改めて見ると、やはり異様だ。

 身長二メートル超。苔のような深緑色の皮膚。下顎から突き出した牙。筋肉の塊のような体躯。

 小上がりの座卓が子供用の家具に見える。

 特注のスーツが悲鳴を上げている。

 しかし、黒髪をぴっちり分けた官僚風の髪型と、黒縁の眼鏡が、かえって不気味な人間味を醸し出していた。

 靴を脱いで上がると、坂崎はきちんと正座していた。この体躯で正座ができること自体が、一種の芸当だ。


「加藤さん。まあ、座ってください」


 声は穏やかだった。テーブルには既に徳利と猪口が二組、それに焼き魚の皿が並んでいる。

 宇田川次長と挨拶に行ったときは、広い執務室で、部下を侍らせていた。

 今夜は二人きりだ。こちらのほうが坂崎の本来の顔なのだろう。


「お忙しいところ、すみません」


「いえいえ。忙しいのはお互い様でしょう」


 坂崎は巨大な指で徳利を摘み上げ、器用に酒を注いだ。

 俺にも注ぐ。徳利が指先で玩具のように見える。


「本題に入りましょう」


 坂崎は懐からビニール袋を取り出した。中に、見覚えのあるメモリカードが入っている。


「拝見しました。興味深い資料ですな」


「興味深い、ですか」


「ええ。レベル2に進出している企業の中に、こういうことをしている会社がある。私の立場では知っておくべき情報です」


 坂崎の口調は表面上淡々としていた。行政官としての情報処理。


「今後、リストに名のある皆さんに、我々の話を聞いていただく『とば口』にもなる」


 そう言って目を細めた瞬間、統治者としての自意識が漏れたように見えた。

 あるいは捕食者だろうか。


「ときに、加藤さん。これを偶然、私的に入手したというのは本当ですかな」


「ご覧になった通りです。ヤシマの関連案件ではありません」


「ふむ。だとしたら、『持って』らっしゃる」


 坂崎はにやりと笑った。牙が剥き出しになる。

 だが、前回の挨拶のときに見せた儀礼的な笑みとは違い、純粋に上機嫌そうに見えた。

 偶然に手に入れたのは事実だが、俺が『持って』いるのは幸運ではないだろう。おかげで盗賊ギルドの監視がついて、事務所に連泊する羽目になっている。


「しかも、管理本部に持ち込むという判断がなかなか大胆だ。

 ……ヤシマさんは腰が重い印象でしたが、加藤さんとは良い関係が築けそうですな」


 坂崎はビニール袋を指先で押し、さらにこちらに寄せた。


「中身は写しを取らせていただきました。

 原本はお返ししますよ。あなたが持っておくべきだ」


 目の前に寄せられたビニール袋を見つめる。

 正直に言えば受け取りたくはない。

 手元から離すためにわざわざ管理本部まで出向いたのだ。


 坂崎はこちらの表情を見て、くっくっと笑った。


「まあ、気持ちはわかります。しかし、管理本部で公式に保管すると、情報源の特定を求められかねない。

 加藤さんの名前が紐づく。それは不本意でしょう」


 筋は通っている。


「せっかくですから中身もよく見てみるといい。なかなか良くできています。裏帳簿の付け方として参考になる」


 坂崎はさらりと言った。

 メモリを受け取るためにしぶしぶと伸ばした手先が止まる。

 思わず坂崎の顔を見返した。


「……いや、冗談ですよ?」


 オークの顔で官僚ジョークを言う。

 笑えない。俺はビニール袋を受け取り、内ポケットにしまった。


「詳しくは言えませんが、今後本件についてヤシマさんや加藤さんが矢面やおもてに立つことはない。

 これは受け合いましょう」


「ありがとうございます」


「お礼を言うのはこちらのほうです。今後とも、何かあれば遠慮なく」


 坂崎は猪口を干した。

 話は終わったようだ。俺も目の前の猪口を干す。

 しかし坂崎はすかさず徳利を傾け、俺の猪口に二杯目を注いだ。


「さて。お礼がてら、ひとつお耳に入れておきたいことがある」


 そそぎ返そうとした俺の手の動きを止め、坂崎は手酌で自分の猪口に注ぐ。

 そして、空になったことを確かめるように徳利を振りながら、何気ないように呟いた。


「ミスリルの産量、落ちてますね」


 空気が変わった。


 いや、坂崎の声のトーンは変わっていない。だからこそ背筋が冷えた。


「……ご存知でしたか」


「私の仕事です。レベル2に進出している企業の動向は、一通り把握しています。ヤシマさんのミスリル事業は特に注視しておりましてね」


 坂崎は焼き魚の骨を器用に外しながら、言葉を続けた。


「加藤さんは、ミスリルの採掘事業が、このレベル2において何を意味しているか、ご存知ですか」


「ヤシマの生命線だということは」


「ヤシマだけの話ではありません」


 坂崎は箸を置いた。


「日本がこの世界に持っているゲートの使い方は、大きく分けて二つです。一つは資源の入口。ミスリルをはじめとする希少資源をこちらから持ち帰る。もう一つは廃棄物の出口。核廃棄物やら産廃やら、日本で処理できないものをこちらに持ち込む」


 知ってはいた。レベル1のオフィスでも、廃棄物処理関連の事業企画書を何度か目にしている。


「入口としてのゲートを維持するには、現地との健全な取引関係が必要です。資源を掘って買う。対価を払う。現地経済が回る。我々の存在に正当性が生まれる」


 坂崎は眼鏡を押し上げた。


「しかし、入口が閉じれば、ゲートは出口にしかなりません。廃棄物を押し込んで蓋をする。現地との関係は不要になる。対話も不要、対価も不要。あとはゲートの周りに自衛隊を貼り付けて、ゴミ捨て場を維持するだけだ」


 坂崎の声は穏やかなままだった。

 だが、猪口を持つ太い指に、目に見えて力がこもる。中の酒がわずかに波打った。


「私は入口のほうが望ましいと思っています。加藤さん」


「……ミスリルの産量を維持しろ、と」


「ヤシマさんの事業判断に口を出す立場にはありません。ただ、レベル2における操業許可は、現地連絡調整室の管轄です。許可の更新は年次ですが、操業実態に著しい問題がある場合は、随時見直しを行うことがあります」


 脅しではなく、制度の説明。だからこそ逃げ道がない。


「お気持ちは理解しました」


「理解していただけると助かります。加藤さんは話が早い」


 坂崎は三杯目を注ぎ、自分でも一杯干した。


「まあ、今日は飲みましょう。日本酒は好きですか」


「嫌いではないです」


「こちらの米で作ると、少し甘くなりますな。悪くはない」


 坂崎は徳利を空にし、店の奥に声をかけてもう一本追加した。

 巨大な手で猪口を摘む仕草は、どこか茶道の点前てまえを思わせる丁寧さがあった。


 その後、坂崎は行政の話もミスリルの話もせず、日本酒の味と、レベル2の気候と、相撲の話をした。

 坂崎が大関の昇進要件についてひとしきり持論を述べ終わったころ、食事も出尽くし、ようやく解放された。


 * * *


 店を出たのは九時を回った頃だった。


 アパートに向かう道すがら、自分の状況を整理した。

 メモリの件は片がついた。坂崎に妙に目をつけられた気もするが。

 問題はミスリルだ。

 操業許可の見直し。最悪の場合、駐在員事務所の閉鎖。

 「いるだけでいい」はずだったが、その「いるだけ」すら難しくなる。


 ジャンボドリルはもうない。新規導入の目処は立たない。

 人力採掘に切り替えるしかないが、それには大幅な人員増と、現場管理の立て直しが必要だ。

 ヴォルグ一人に頼った管理体制では持たない。

 そして、人員の調達ルートを、俺は持っていない。


 アパートの前まで来て、足が止まった。


 吟遊詩人の老人がいなかった。

 壁際の定位置に、空き缶だけが残されている。

 中には、あの銅貨が一枚。


 メモリの件は片がついた。ギルドの監視も引き上げた。

 坂崎が動いたということだろう。


 靴を脱いで部屋に上がり、畳に座った。

 習い性のように内ポケットを探る。

 今朝手放したはずのメモリーカードが、また手元にある。


 指先が別の物に触れた。

 取り出したそれは、鰐淵の名刺だった。

次話は4月11日(土)21時00分に投稿予定です。

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