迎撃
疲れきり睡魔が襲う体に鞭打って、アイヌの人々は松明を手に深夜の森の中を歩いてい行く。
真夜中の森は、深淵から何かが飛び出して来るかの様な不気味な雰囲気に包まれ、凍える寒さが彼らの足取りを更に重くした。
先頭で縄を持ち力強く歩く大きなアトゥイの姿は、人々にとってどれほど心強く感じたか知れぬ。
そんなアトゥイは、森閑とした森の中、遠く蹄の音を聞いた。
振り返り意識を集中しているアトゥイを邪魔しない様に皆が黙っている。
「追手だ・・」
つぶやいたアトゥイは目を落とすと、どうするべきか思案した。
皆の顔は疲れ果て、すでに限界を超えている。
”これ以上の移動は無理だ・・・”アトゥイは決断した。
「この斜面を登りきると、開けて岩が点々としている場所がある。岩陰に小川が流れているから喉を潤せる。そこにチプを設営して休んで待っていて」
それは、アイヌモシリまでの道を探索する為、イカエラとアトゥイがポンコタンを旅立ち、最初に野営した場所だ。
ミチが言っていた・・・
”よいか、重い荷物を背負い、ポンコタンの皆が歩いている事を想うのだ。皆が安全に休める場所を心当てておくのだ・・・”
それが今更ながらの事だが現実となっている事に、当時アトゥイには実感が無かった事を悟らされた。
そして・・あの黒狼に襲われたのもあの場所だ・・・
あいつは今、俺の中にいる・・・不思議な気持ちだった。
「追手を撒いてくる」皆の顔を見ると、全員不安そうな顔をしている。
元気づけようと
「大丈夫、すぐ戻ってくるよ」と微笑んで駆け出した。
アトゥイは皆の為に松明を持ってはいたが、夜目が効くので必要なかった。
月光の届かない森の中で、はっきりと世界が見えた。
”これは狼の力なのか・・・”今更ながらに驚かされる。
枯葉が絨毯の様に敷き詰められた森をアトゥイは走る。
暫くの間、森を獣の様に走り抜けていたアトゥイは立ち止まった。
”近い・・・”
オオナラ(ミズナラ)の大木に二丈(約6m)程飛び上がると、樹上の大枝に静かに乗った。
”いた・・・”
長い松明の行列をつくり、正確に自分達を追ってきている。
それはまるで、鼻の効く巨大な蛇の様だった。
”皆には指一本触れさせない”、強い意志がアトゥイの目をギラつかせ、義経の言葉が思い出される。
”射刺の目で見、包観の目で判断し、離想の目で行動する”
自らの背後にて我が身を見下ろす目を持ち、自らが置かれた状況や状態を把握し、それにより敵や己に及ぼす影響を想い描く・・・・
”あいつらは夜目が効かない。その点において俺の方が有利・・”
いまや松明の明りで、一人一人の武者の表情でさえ読み取る事が出来る。
先頭のひときわ大きな男。
ギラつく目と脂ぎった顔が印象的な男だ。
振り返る事無く、先頭で馬を走らせている。
”追捕の軍の鼻はこの男だ・・”アトゥイは看破した。
大枝からふわりと飛び降りると、雑木の影に隠れた。
沢木公康は己の獣性のまま、馬を疾駆させている。
その行動力の根幹に流れるものは、”情欲”である。
あの小娘の顔を想い描くだけで、体の疼きが止まらなくなる。
”早く・・速く・・”と、己が魂を急き立てるのだ。
沢木は松明が照らし出す世界を、注意しながら馬を走らせる。
他の武者より夜目が効く彼の視界の片隅に、大きな黒い影が動いた!
咄嗟に太刀を抜く。
”ギィンッ!”撃ち込まれた一撃をなんとか受け止めた。凄まじい一撃だ!落馬しそうになる。
疾風の様に黒い影は隊列を突き抜ける。
バラバラと四人の騎馬武者が落馬し、黒い影は森の深淵に消えた。
「みな、丸くなり防御を固めよ!!」沢木は叫んだ。
落馬した四人は斬られ、すでに息絶えている。
”あの一瞬に四人を斬ったというのか?・・・”沢木の額に冷や汗が流れる。
”一人恐ろしく手練れの者がいる・・”
「円陣を組み、内陣の者は弓を番えよ!」
森の中、二百の騎馬が大きな円陣を組み、攻撃に備える。
すると薄く松明に照らし出された雑木の一か所が、ガサッと音を立てた。
「そこだ!矢を射かけよ!!」
空気を震わせ、雨の様な矢が降り注ぐ。
すると、姿は見えないが、雑木を揺らしながらガサガサと逃げていくのが解る。
「追え!」と沢木は掛け声をかけると共に、自らも馬に鞭打った。
疲れ切った体を動かし枯葉の斜面を登りきると、少し開けた大きな岩が所々転がっている場所に出た。
「アトゥイが言っていたのはここの事だな」とオマンレ
「岩陰に小川が流れている。間違いない」とオハイベーカ
「ここはいい・・」とアチャポ
早速彼らは地面に穴を開ける許しを精霊に請い、清めの儀式を行った。
柱を挿す穴を円形に掘り、切り出してきた木を束ね、その一端を鹿の腱で結び、広げながら柱を穴に差し込み円錐形に立て、鹿のなめし革の天幕を被せる。
それを四棟ほど寄せ合う様に設営すると、中に入り焚火をおこしそれぞれ暖をとった。
チプの中はチセほどではないが、一棟五人程で少々狭かったものの、暖かく快適で過ごし易くなった。
アトゥイの事は気がかりだったが、疲れ切っていたので保存食を口にすると、ほっとして皆がうとうとと寝入ってしまった。
ショルラはアトゥイの事が心配で、食べ物が喉を通らないほどだったが、これからの事を考えると、無理をしてでも飲み込んだ。
ヌマテもハエプトもケンラリも、そしてハエプトに抱かれるソイエも疲れ果て、崩れる様に寝っている。
そんなショルラも、彼女らの寝息に誘われる様に、いつしか疲れから眠りに落ちていった・・・・
騎馬武者に追われながら、アトゥイは己の身体能力の高さに改めて驚いた。
森の中を走りながら、ともすれば馬を引き離しそうになってしまう。
あまり人間離れした能力を見せてしまうと、誘導しているのがバレてしまう為、あくまでも”人”として怪しまれない速度で逃げねばならない。
木々の間を走り抜けるアトゥイに追いついた騎馬武者が、馬上から斬り降ろしてきた。
”ギィンッ!”舞草刀で肩口を守る。
反対側からも別の武者が斬り降ろす。
それを背中を回す様に舞草刀で受ける。”ギィンッ!”
その武者達が左右に別れる様に前方へ駆け抜けて行く。
馬上での有利不利を良くわきまえている。
”ドスッ”まず振動が、そして痛みが背から伝わった。
アトゥイの背中に矢が突き立っている。
「くっ」咄嗟に木の影に隠れる。
木の幹へ立て続けに矢が音をたて突き立った。
その木を周り込む様に十数騎があっという間にアトゥイを囲む。
斬り降ろしてきた騎馬武者の右横を飛び抜け、舞草刀を一閃した。
武者は落馬し動かなくなる。
「下馬せよ!」沢木が馬上の不利を捨てる様に下知する。
十数人の武者が馬から飛び降りた。
アトゥイは冷静に己の姿を背後から想い描いた。
木を背にしているが、十数人の徒歩武者に囲まれている・・
前に八人、後ろに五人。
さらに後方から蹄の音が聞こえる。
時間と共に、次から次へと騎馬武者が現れるだろう。
正面に立ち下知をくだす男は、この追捕の軍の”鼻”の者だ。
”ならば!”アトゥイは沢木に突っ込むと下から、力任せに斬り上げた。
それを刀で受けた沢木をそのまま吹っ飛ばす。
後方にひっくり返った沢木には目もくれず、更にその勢いのまま後ろの武者の胴をはらう。
手ごたえが浅い。
その後ろの奴が突き出した太刀を払い、返す刀で胸を斬り上げた。
左横の奴が、斬りかかってくるのを躱しきれず、
”ザクッ”左腿を斬られた。
しかしそのまま囲いを破り走り出す。
「騎乗しろ!追え!」
背にその声を聞きながら走り続けた。
矢が空気を裂きながら走りゆくアトゥイの周りに幾本も突き立っていく。
一本アトゥイの頭をかすめる様に当った。
一瞬たたらを踏む。
アトゥイの背中に更に矢が突き立った。
「ぐっ!」歯を食いしばって耐え、走り続ける。
が、よろめいたアトゥイは急斜面を転げ落ちて行った。
「追え!追え!!」
斜面の上で武者が喚いている。
一瞬よろめいて木に手をついたが、アトゥイはそのまま、東へ東へと逃げていった。
天幕に朝の陽光が眩しく射している。
ショルラは、はっとして目が覚めた。
アトゥイは無事だろうか?みなが未だ深い眠りの中にあるのを横目にチプを飛び出した。
冬の朝の森は美しく緊張感に満ち、静かにそして寒々と見え、白い息だけが森閑とした森に漂うようだ。
一刹那、ここがどこだか解らなくなり、ぐるりと周囲を見渡す。
東には針葉樹の木々の間から、まぶしく太陽の光りが射していた。
手をかざして、足元から遠景に視線を移していくと、岩陰から流れていく小さな小川の横を、朝日を背に大きな人影がこちらに歩いてくる。
「アトゥイ!」ショルラは駆け出した。
普段の彼女だったら、眠っている皆を気遣って大声を出す様な事は決してしない。
しかし、傷ついたアトゥイの姿を見たら叫んでしまったのだ。
頭から血を流し、左足には深い斬り傷、背には三本ほど矢が刺さっている。
「やぁ・・・おはよう・・ショルラ・・」とアトゥイはどこかうつろだった。
それも当たり前の事だったろう。
狭山の麓からこっち、一人休む事無く戦い抜いてきたのだから・・
ショルラは涙を堪えきれなかった。
小さな彼女が、大きなアトゥイの腰にしがみつく姿は親子の様で、そんなショルラをアトゥイは腰元で肩を抱いた。
「うまくいった・・やつらを東の方へ・誘導しておいたよ・・」
よろめいたアトゥイを、ショルラは懸命に支えようとする。
ショルラの声を聞いた大人達が目覚め、チプから飛び出してくる。
「アトゥイ!」口々に叫び駆け寄ってくる。
その人達にアトゥイはうつろに笑いながら
「うまくいったよ・・しばらくは大丈夫だ・・」と安心させようと言う。
どこまでも、自分の事はほったらかしで、彼等の事を気遣うアトゥイに皆が涙した。
エコキマとオマンレが、頭一つ以上大きいアトゥイを両側から支える様に肩を持ち、チプの中へといざなう。
チプの中で皆が総出でアトゥイの手当を始めた。
中に入れない者はその外で、水を汲んで来たり自分にもなにか出来る事がないかと右往左往している。
チプの入り口で、大きな体がチプからはみ出しているアトゥイの背中の矢をオマンレが抜き、かんばたけ(きのこの一種で、消毒薬としての効果があり、鎮痛剤としても利用された)を薄く切ったものを患部に貼り付け、落ちない様に固定する。
左足が一番重症で、ハエプトが鹿の骨から削りだした針で、傷を縫合していく。
そんな中、ショルラはアトゥイの頭の傷の手当をしていた。
足を投げ出す様に座っているアトゥイの頭は、立っているショルラの肩ほどの位置にある。
ショルラは傷のまわりの血をふき取ると、かんばたけを貼り付けて固定する。
アトゥイの頭を抱く様に手当するショルラとアトゥイの目が合った。
「ありがとう」とアトゥイ
またカーッと体が熱くなったショルラは小声で
「うん・・・」と答えた。
そんな顔と耳まで赤くしながら、手がおぼつかないショルラを、ハエプトは微笑ましく見ている。
アトゥイはされるがままに手当を受けながら考えていた。
”あの男・・ただ者ではない・・・”
”先頭を走り、最初に斬りつけたにも関わらず、見事に剣で受け止めた”
”そしてあの獲物を追う嗅覚・・厄介な相手だ・・”
”しかしそれゆえに、別の方向に誘導するのも容易かったと言える”
”どれくらいの時が稼げたか・・”
”十三湊はまだ遠い・・・”
イカエラから渡された背嚢の中には、義経からもらった紹介状がある。
それだけを頼りに十三湊に赴くのだが、不思議と心配はしていなかった。
それはいつのまにか義経という男に、全幅の信頼を置いていた事に他ならない。
十三湊の方角を遠い目で見ているアトゥイの横顔を、ショルラがボーとした顔で見ていた。
またそんな二人の様子を見てハエプトは微笑んでいた。




