追手
冬の遅い朝が明けて、日の出の頃の寒さが少し緩む。
ピンッと張りつめた空気の冷たさと朝の静けさの中、夜半に降った雪が藪椿の葉に少しだけ残っていた。
アイヌ逃亡の知らせはこの日の朝、平泉に届けられ、伽羅の御所の相の間で、泰衡は家人の報告を受けていた。
「先日申の刻(午後四時頃)、五人を殺害しアイヌの者共が逃亡を図ったとの事です」
「なにぃ!?」先日の軍議で兄国衡と衝突し、それを思いおこし朝から不機嫌だった泰衡の眉間に青筋が立った。
「土人共め!情けを仇で返しおって!許せん!」どうやら金鉱山で働かせる事を”情け”と、泰衡は考えていた様だ。
同じ人間という感覚を持たないアイヌよりも、殺された五人の武者の無念だけが泰衡の心にある。
「追手をさしむけよ!今度と言う今度は許さぬ!皆殺しにせよ!」
「はっ!」
泰衡にせよ、実際にアイヌの人々を見、少なからず言葉を交わせば、さすがにここまでの事は言わなかった筈である。
が、”心の余裕”が無い為、限られた情報と”思い込み”により、自身の感情を制御できず、己の発した言葉の意味を深く考える”ゆとり”がないのである。
泰衡にとって、文字面だけの”アイヌの者共”でしかないのだ。
泰衡が己のストレスを発散させ、幾ばくかの解消を得たその時、由利維平に引き連れられ、沢木公康なる武者が面会の許しを請うてきた。
「なんだ!?」急ぎ由利維平と沢木公康が、御館(藤原泰衡)の前に平伏する。
「この者、我が配下の者で沢木公康と申します。十人力の剛の者で、此度アイヌの者共の連行に携わっていた者です」
「此度の汚名を濯ぐべくまかりこしましてございまする!なにとぞ追捕の軍にお加え頂きます様、お願い申しあげまする!」と沢木。
たどたどしい敬語で泰衡に懇願した。
「たわけ!おぬしの様な者に任せては、再び不首尾に終わるだけであろうが!」
「この者、縛り付けられた縄を自力で脱出し、ただ一人寒中の川を泳ぎ渡り、知らせて参った者でございます。それに免じご容赦下さいますよう、願いあげまする!」
同郷であり、同じ剛の者の配下としての親近感から、由利維平は沢木を庇った。
「なぜ渡し(舟)を使わぬ?」この様な急な知らせがある場合の為、対岸の船着き場には必ず舟をおいておく手筈となっていたからだ。
「どうやらアイヌの者共が盗んだ由にございます」
「ぬぅっ!ますますもって許せぬ!」
怒りの矛先はアイヌに戻り、己の威信を傷つけられたと感じた泰衡は言った。
「よかろう!なれば沢木!おぬしが指揮をとり、必ずやこの地のアイヌを根絶やしにするのだ!」
「はっ!」
「一人たりとて獲り逃がしはゆるさぬぞ!ゆけぇ!!」
「はぁっ!!」
二人は退出すると廊下を歩いて行く。
暗い面持ちで由利維平の後ろを歩きながら、沢木は暗い情念を燃やしていた。
果たせなかった情欲を、なんとしてもあの小娘に果たす。そんな欲望が沢木の中にあった。
”あの掃き溜めに鶴、土人の中に咲いた可愛らしい花の様な少女を凌辱しつくし、最後には太刀を突き立て殺す”
燃え上がる様な情欲に、男盛りの体がうづくのを沢木は止める事が出来なかった。
舟で仮眠がとれ、少し元気を取り戻し足取りも軽く舟から降りたアイヌの人々も、その貯えを失い、数人が疲れと眠気からフラフラと歩いている。
舟は平泉を抜けた当りで水深が浅くなり、やむを得ず舟を捨て徒歩でここまで来たのだ。
中天に昇った太陽は傾きを増し、夕暮れ前の寂寥が青い空に滲んでいた。
先頭で疲れを知らないかの様に、力強く歩を進めるアトゥイの後ろ姿は、
”後姿がイカエラにそっくり、血は争えないものね・・・”とハエプトに思わせるものだった。
突如として体が大きくなり戻ってきたアトゥイを、”カムイが宿った”と思う事と、”イカエラにそっくり”という外見で、アイヌの人々は自然に受け入れていたのだ。
周囲は次第に見慣れた景色になっていく。
美しい沢も山も良く見知っている風景だ。
「ポンコタンまでもうじきだ」アトゥイが振り返り皆に声を掛ける。
疲れ切った体を、懐かしい故郷がせかす様に皆が足早になる。
”帰って来れた・・帰ってこれたんだ・・・”と皆の心が浮き立った。
大きな岩のある沢から、丘を囲むコナラやクヌギ、アラカシの林を抜け、高台にあるポンコタンに上っていく。
夕日が包むポンコタンに、皆が笑顔で小走りに上った・・
そして愕然とした。
そこには見慣れた故郷の姿は無く、焼け焦げたチセの跡がいくつも並んでいる。
解ってはいたが、あれが現実に起こった事だったと、目の前に突き付けられたのだ。
人の姿を無くしていたポンコタンは寒々しく、今だ煙と焦げた臭いがした。
呆然と立ち尽くす人々は、なにも考えられなくなっている。
現実を受け容れられた人から少しづつ歩きだした。
”もう随分と昔の様な気がする・・・”それは遥か昔の事と感じた人達だった。
ポンコタンの外れの見晴らしのいいオンカミ(礼拝する場所)の近くには、地面が盛り上がった墓標がいくつも規則正しく並んでいた。
それは弁慶が指図して埋葬させた、家族や、仲間の墓・・・その墓標の上に、人が両手でなんとか持ち上げる事が出来る程の大きさの石が置かれており、その脇には、生前その人が身に付けていた物が置かれていた。
それは石や土、骨などを利用して造られたペンダントや耳飾り、ヒスイのネックレスなどで、その墓が誰の物か解った。
皆が大切な人の墓標の前で泣き崩れ、慟哭が・・むせび泣く声が・・ポンコタンを包む。
膝から崩れ落ちる人もいれば、立ったまま慟哭している人もいる。
ショルラはひときわ大きな墓標の前に立ち尽くした。
それはショルラの母サヒランカを、庇う様に覆い被さって死んでいた父のエンタコの二人を、夫婦だと判断した弁慶が一緒に埋葬させたからだ。
涙が止まらないショルラは夕日の中むせび泣いている。
・・・・ソイエがショルラのアミブ(服)の裾を握ってきた。
「ソイエのミチ(お父さん)とハポ(お母さん)のお墓を探しましょう・・」ソイエに泣きながら微笑んだ。
アトゥイは静かに一つの墓標の前に立った。
石の横には黒曜石の鏃が置かれている。
叩きだされた特徴のある鏃は、アトゥイには幼い頃から見慣れた鏃だった。
”ミチ・・・”
”皆の為に生きよ・・・・”ミチの声が聞こえてくる様だ・・・
いつのまにか、フチ(祖母)もハポ(母:ハエプト)もヌマテも横に並び、涙をながし嗚咽している。
夕日がポンコタンを優しく包んでいる。
人々はいつまでも墓標の前に立ち尽くしていた。
・・・そして、アチャポが声を上げた。
「さぁみんな!この場所はシサムに知られている。手分けして必要な物を背負ってくれ!」
人々は墓の上に置かれた形見ともいえる品々を懐にいれ、集まってきた。
エカシ(長老)のインリッカが皆を指揮して旅支度を進めた、岩の下に納めた物資は幸い無事だった。
アチャポは必要最低限の道具と天幕、そしてあるだけの食糧を手分けして人々に担がせていく。
皆の準備が整うと
「さぁ名残惜しいが、ゆかねばならん。もうここへ帰って来る事はあるまい・・・」アチャポはそこまで言って感極まった。
続きの言葉が出てこない。
それもやむを得ない事だったろう。
彼等の先祖代々住み続けたこのポンコタンを捨てねばならないのだ。
歳をとったアチャポの幼少期の記憶もここにあるのだから・・・
それは全員同じだった・・・涙を拭くとアチャポが言った。
「さぁ行こう、アイヌモシリへ!アトゥイ、案内を頼む」
アトゥイは頷くと
「行きましょう!」と先頭に立って歩き出した。
皆が皆、後ろ髪を引かれる想いで、振り返り振り返りポンコタンを旅立つ。
この季節では珍しい、真っ赤な夕日がポンコタンを赤く染めている。
人々はそれを目に焼き付けようとするかの様に、歩きながら振り返りいつまでも見ていた。
沢木公康が二百程の騎馬を引き連れポンコタンに到着したのは、それから間もなくの事だった。
獣の様な嗅覚で、ここに人が訪れてまだ時間が経っていない事を察知すると、見事にアイヌの人々が向かった先を指差した。
「奴らは北に向かった。奴らは疲れ切っている!そう遠くへは行ってない筈だ!追いつめるぞ!」
百姓上がりの男に指図されるのを、面白くなく思っていた者も中にはいただろう。
しかしこのつまらない仕事をとっとと終わらせて、平泉に早く帰りたいという気持ちの方が勝った。
お頭の方は軽そうだが、得体の知れない獣性をもった十人力の男にかけたのだ。
そしてこれが失敗に終わったとしても、責任を取るのは”こいつだ”という転嫁の気持ちがあった。
二百ほどの騎馬武者が松明を手に北へと向かって行く。
冬が訪れたこの地の満天に、数え切れないほどの星が瞬いていた。




