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鬼の眷属  作者: 上泉護
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逃亡

陽が落ち暗くなり、冷え込みのきつい森閑とした山の中で・・・

火をおこし、その焚火を囲む様に人々が丸くなる。

少し休憩したら再び歩き出さねばならない。思い思いの格好でアイヌの人々は冷たい地面へ横になった。

チラチラと雪が降ってくる。

焚火に照らし出される小さな空間に、上空から静かに美しく雪が舞い落ちてくる。

平泉などの人工の美しさを遥かに超えた、悠久の時の流れの儚さや美しさがそこにはある。

皆が暫くの間、なにもかも忘れ空を仰ぎ見ていた。

昨日までの絶望や不安、緊張が嘘の様に皆がくつろいでいる。

その全ての源が、焚火の横で作業するアトゥイの姿にあった。

大きな体で、たまたま森で出くわし、矢で仕留めた鹿をさばき火に(あぶ)っている。

焼きあがった肉を皆に配って歩き、声をかけ(はげ)ます。

まるで疲れを知らぬかの様だ。

そんな姿を見ていたヌマテが、笑いながらアトゥイに話しかけた。

「本当にアトゥイ?」血を見るのが苦手だった弟を揶揄したのだ。

アトゥイも笑いながら

「俺だって日々成長してるんだ・・」と言う。

「ホント、あんた・・・」別人みたいよ・・と言おうとしてやめた。

この優しさはとてもアトゥイらしかったからだ。

その優しすぎるところが虚弱さを感じさせ、姉として立派な男にしなければならないと思わせていたが、力強く鹿をさばき、手を血で汚しながら作業するアトゥイからは、虚弱などという言葉は微塵もうかばない。

”解体の仕方一つで、肉の味が決まってしまうのだ。解体は的確に素早く行え・・”ミチが言っていた。

イカエラの手さばきを思い返しながら、黙々と鹿を解体し続けるアトゥイ。

そんなアトゥイを焚火越しに、ショルラがボーッとした顔で見ていた。


深夜月明かりの中、開けた高台で月光の原野を見下ろしながら、列の先頭でアトゥイとアチャポ、オマンレが道筋について相談している後ろ姿が見える。

ショルラはアトゥイの大きな背中を見ているだけで、なぜかほっとしていた。

まだ安全な状態にある訳でも、確固とした目的地もなければ、進むべき道すら判然としない状況で・・・

アトゥイがそこにいるだけで・・という安心感に包まれる。

それは、そこにいたアイヌの人、全てが感じたものだったのかもしれない。

しかしショルラはその気持ちに相反して、満足にアトゥイの顔を正面から見る事が出来なかった。

アトゥイの前に立つと、体が熱くなり頬が火照って、声を出そうとするとかすれて震えてしまう。

それを隠そうと、ただうつむくだけになってしまうのだ。

まだ明るいうちの頃、宝物庫で聞いたアトゥイの声を思いだし、なにげなく聞こうとアトゥイに話しかけようとして黙り込んでしまった。

そんなショルラに

「ショルラ、大丈夫?つらいならおぶろうか?」などと真剣な顔でアトゥイは言ってくる。

ショルラは我が身を案じてくれるアトゥイの心が嬉しく、それでまた顔が赤くなる。

しまいには耳まで真っ赤にして、ただうつむいてしまう。

アトゥイは後ろ向きにしゃがみ込むと

「さぁショルラ、無理しちゃ駄目だ」おぶされ、と手招きする。

ショルラは抗じきれず、アトゥイの大きな背中に言われるがままおぶさった。

「ショルラ絶対に行こう、アイヌモシリへ!」アトゥイは軽々と立ち上がり言う。

「うん・・・」ショルラは、例えようもないほどの幸せに包まれた事を思いおこしていた・・・

先頭のアトゥイが振り返り

「もう少しで日高見川に出る。そしたら舟を奪うから一休み出来る筈だ。みんな頑張って!」と声をかける。

皆が疲れ切った体を起こし、アヘトカリが冗談を言った。

「やれやれ、アトゥイは人使いが荒いのぅ」などと冗談が出る程余裕が出て来たものだ。

皆が笑い、楽しそうに雑談を始める。

アトゥイは皆に笑顔が戻ったとホッとしていた。


獣道を西へ西へと歩いて来た彼らの眼前に、遥か昔より悠久の時の流れと共に流れる大河、日高見川が現れた。

深夜、月光に照らし出された大河の流れは美しく、寒々と彼等の行く手を阻んでいた。

「どうする、アトゥイ?」とオハイベーカ

「川伝いに上流に行けば船着き場が有るはずだ。様子を見て来る。合図したら来て」

「解った」とオマンレ。

暗闇に紛れ足音を忍ばせ、木々を渡り歩くかの様にアトゥイは船着き場を探す。

”あった・・”船着き場には折よく舟が有り、深夜で人影もない。

人がいない事を確認すると皆を呼び寄せた。

一艘の舟に、皆が肩をせばめて乗り込むと、舟は大きく沈み込む。

アトゥイは(もや)いを解き、(かい)で船着き場をついて船を流れに押し出した。

流れに乗って静かに下る舟の上で、皆が緊張し押し黙っている。

「この先にモペッ(小さな川:太田川)がある。舟で行けるとこまで行こう」

舳先(へさき)には、エバロ、アリクシ、ソイエ、ヌマテと言った少年少女が陣取り、興味津々と漕ぎ出す舟から身を乗り出している。

ショルラはさりげなく(とも)(舟のうしろ)で櫂をこぐアトゥイの傍らにチョコンと座り、月光に照らし出され、美しく林立する平泉の街並みを眺めながらアトゥイを意識していた。

艱難辛苦(かんなんしんく)の逃避行の一刹那おとずれた、安らぎと幸せのひと時。

ショルラはこの光景を生涯忘れる事は無いだろうと思った。

彼等には知る(よし)もなかったが、豪壮に建ち誇る平泉館(ひらいずみのたち)に続き伽羅の御所が見え、その奥にはわずかだが無量光院の伽藍が見えた。

暫く進むと、東方鎮守、白山山王社、忠衡館が流れ去ってゆく。

アイヌの人々は不思議と穏やかな気持ちでそれらを眺めていた。

きめ細かく美しい細工がなされた豪壮な建築。

圧倒される豪奢(ごうしゃ奢侈(しゃし)なこれらの建物群を見ながら、皆が溜息をついた。

「改めて見るとシサム(和人)のコタン(村)は美しい・・・」老婆のサンクマが絞り出す様に言った。

その一言で皆が改めてシサムの街並みを眺めた。

「確かに美しい・・・この様な美しい文化を持つ人々が、あのような(むご)い事をするのか・・」

「良いシサムもおれば、ウェンペ(悪い人)もおる・・という事じゃ」とアチャポ。

アトゥイは黙って聞きながら、海竣や義経、弁慶や三郎、常陸坊などを思っていた。

彼等はアイヌに何の偏見も差別も持ってはいなかった。

いや、むしろ好意的でさえあった。

偏見や差別とはどこから生まれるものなのか・・・

あの義経ほどの人物が泰衡の事を評し言っていた事を思いだす。

「軍を動かすという事は、血が流れる恐れがある事を泰衡殿は解っておらぬ・・いや・・犠牲となった者達の心の痛みが解っておらぬ・・」

義経の言葉に、この惨事の首謀者にかける忖度(そんたく)などない。とその時は思った。

ミチが巌鷲山で言っていた言葉を思い出す。

「おそらく無理だろう・・もっとも我らを憎み(さげす)むのは、そういった人達であろう」

あの言葉が胸につかえていたアトゥイは、大怪我をしミチに背負われている時、なにげなく聞いたものだ。

するとイカエラは

「おそらく、いついかなる世でも、価値観が異なる抑圧される者同士がいがみ合うのであろう、その者同士が協力して抑圧者と対峙する事は、”今”の生活を壊す事になる。

人は革命や革新を夢見ながら、安寧に安堵する性質を持つ。

安堵しながらも、抑圧される不満や怒りを抱え、無意識にそのはけ口を探しているのだ。

それは己に被害の及ばない弱者へと向けられるものなのだ」と答えた。

価値感を異にするシサムは、アイヌに対し”抑圧のはけ口”として残虐な行為をするというのか?

ではシサムはなにに抑圧されているというのか?

”・・・・・今いくら考えても答えは出ない・・・”そう思ったアトゥイが櫂を()ぐ為、足元を確認し様と下を向いた時、アトゥイを仰ぎ見ていたショルラと目が合った。

ショルラはあわてて視線を街並みに戻す。

それがあまりにも不自然だった為、アトゥイは疑問に思った。

”もしやショルラは・・・俺の中に巣食う”鬼”の存在を感じ取ったのか?”

幼い頃から物静かで口数の少ないショルラは勘が鋭く、時折話す事は的を得た物だった。

ショルラを安心させてやらなければ・・・と思いはしたものの、アトゥイはその自信が持てなかった。

”もし俺が鬼に心を乗っ取られ、ショルラや皆を襲いだしたら・・・”そう思うと震えが走るほど恐ろしかった。

シサムに対する怒りや憎しみにかられ、鬼に自我を食い潰されたら・・・恐怖で櫂を握りしめた。

「ショルラ、俺は・・無事アイヌモシリにたどり着けたら・・・」アトゥイは言葉を呑みこんだ。

「えっ?・・・」

振り返ったショルラは、近い将来別れの時が来ると言われた様な気がする。

しかし、(こわ)くて聞き返す事が出来なかった。

悠久の川の流れに身を任せ、舟は静かに流されていく。

それは彼等の運命、変える事の出来ない大いなる流れの様に思えた。


暫くすると、日高見川に注ぎ込む太田川が見えて来た。

流れに逆らって、二十三人もの人を乗せた舟をアトゥイは必死に櫂一本でこいで行く。

流れに逆らい太田川に何とか入れたが、舟は一向に前に進まない。

するとアトゥイは縄を持ち、ザブンッと寒中の川に入った。

アトゥイの腰程度の深さだ。

川べりまでざぶざぶと歩いて行くと、舟を縄で引っ張り始めた。

この方が効率がいいと考えたからだ。

男達がアトゥイにならって舟を降りようとする。その人らに向ってアトゥイが言った。

「こっちは大丈夫だから、今は体を休めて疲れを癒して」と手を振った。

この束の間の間、疲れ切ったアイヌの人々は体を休める事が出来た。


クンネチュプが彼らの頭上で輝いている。

それは未来を照らし出すかの様に、凍える彼らの前途を照らし出していた。



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