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第14話 「孤独」

……、…難産でした。

もっとリズム良く、軽やかに書けるようになりたいものです。

 北国の冬、その夜は人間に一切の活動を許さない。日中は太陽が照れば比較的過ごしやすく、生物はその僅かな間に自然の恩恵を許されるが、太陽が沈めば自然は厳格な冬の女王となって寒さに耐え偲ぶ人間たちに猛然と襲い掛かる。


 森の際に、雪原から続く足跡と、人を引きずった跡が続いている。ベルトルドはヨハンをその小さな背に背負い、自身も発熱に意識を朦朧とさせながらどうにか森に入ることが出来た。



 それは古く、深い森だった。

 針葉樹の木々は、広葉樹の森と違って雪を遮る屋根を築いてはくれないが、それでも老いた木々が連なる光景は暗く、不思議な威圧感に満ちていた。


 不気味に静まり返るそこは人間の介入を喜ばない、自然の理に満ちている。

 澄み切った空気、しかしどこか"澄み切りすぎている”空気が疲れたベルトルドの肺には不快だった。薄暗く、耳が痛くなるほどの静寂、独特の空気。背筋を冷やすのは外気だけではあるまい、首筋が竦むような邪悪さすら感じながらも、ベルトルドに選択の余地は無い。


 背後の、つまり雪原の空を仰ぎ見る。

 どんよりと曇った灰色のカーテンの向こうには、その日流された血を象徴するかのような朱色に染まった太陽が透けて見える。西の刺々しい山脈が血に染まる。それはまるでこれから起こる試練の厳しさをベルトルドに伝えているかのようだった。



「行こう、ヨハン。」



 けれどベルトルドは優しく笑って友の肩に触れた。

 今や軍勢は破れ、守りたかった物も、矜持も、あの不敵な笑顔の男達も遥か遠くへ過ぎ去ってしまった。

 

 多くの物を失った彼の心は空っぽ、だがそれゆえに残った物は輝きを増す。

 コテンパンにやられて、最後に残ったのは虚勢。自分の弱さや小ささに反逆しようという、せめてもの抵抗。


 厳格な自然の女王の足音が間近までやってきている。

 熱い血潮の若者二人の温もりを供物に得ようと、朱の唇に舌を這わせ、絡めとろうと白く長い腕を伸ばしている。沈みゆく太陽に本能的に恐怖を感じ取ったベルトルドは、力なく寄りかかるヨハンを抱えなおすと、震える膝を叱咤して敵の目から逃れる為に森の奥へと踏み入っていく。


 雪原に残る足跡は、自然が消し去ってくれるだろう。

 分厚い雲と吹き付ける風が、それを約束してくれているかのようだった。


 分厚く積もった雪が、雪の下に隠れた根が重量に喘ぐベルトルドの足を取る。

 焼け付くように喉が痛み始めた、甲冑は脱いでも、自分ひとりの身さえ怪しい病弱なベルトルドにとって、ヨハンの重量と悪意すら感じる森の悪路は一歩一歩が容赦なく体力を奪い去っていく。


 悪態をつく相手は居ない。

 いや、居るには居る。この世界に投げ入れた性悪な悪魔に思いつく限りの悪態をぶつけてやりたい。おそらくあの女は苦しむ自分をどこかで鑑賞しほくそ笑んでいる事だろう。だがこれ以上怒らせたらどうなるかは考えたくない事だった。


 強いて言うならヴァルツァーだろうか。

 日ごろあれだけ暑苦しく言い寄ってくるあの男は、本当に助けてほしい今この場に居ない。ベルトルドは彼が善意で身代わりに出陣した事は理解していたが、あの髭もじゃの、けれど温かい巨体がこの場に無いことが酷く恨めしかった。


(…甘えているのかな、僕は。)


 疲労と、熱と、精神的ショックの連続で頭はまるで働かない。

 朦朧とした視界、砕かれた腕の痛み、ブーツ越しにも侵食してくる圧倒的な寒さ、目の前が真っ暗になりそうな程の状況。

 

 しかし背中に背負う重みは暖かく。

 くどいくらいに"濃い”熊男とのバカな思い出の数々が、踏み出す一歩に不思議と力を与えてくれた。


 一歩踏み出し、よろける。

 もう一歩踏んで、根に躓く。

 顔面を雪に埋もれさせながら、小さな四肢に力を込めて起き上がる。小声でヨハンに謝りながら、細い顎に汗の玉を滴らせ、長い髪を揺らしながらまた友を担ぐ。


 どれくらいそうして歩いていただろうか。

 真っ赤な顔、熱に潤む目で荒い息を吐く彼は、ふと我に帰る。



「……これくらい、奥に入れば大丈夫、かな。」



 時間の感覚が無い。

 空を見上げれば聳える木々の向こうに、すっかり暗くなった空が見える。風が唸りを上げ、木々を揺らし、冷たい風がまもなく吹雪がやってくることを声高に告げていた。


 後ろを振り返れば、もう殆ど先が見えない。

 僅かに見える暗がりからは足跡が続いている、きっと、もう充分に歩いたことだろう。


 そこは木々の連なりが途切れ、隙間が小さな広場を形成していた。

 頭上を見上げればどんよりと暗い空をよく見ることが出来る、ふと気を向ければ白く大粒の雪が降り始め、鼻の頭に張り付き溶けていった。


 膝をつく。そっと背に負うヨハンを降ろすと、大木の一つに背を預けさせ、寒くないように自分の腰元のマントを脱いで身体を覆うように巻きつける。

 強めの風が、黒々とした闇に包まれた森を揺らしている。唸るような風の音を聞きながら、朦朧とする頭を叱咤して、必死で何ができるかを考えた。四肢は重く、気だるい。ヨハンを降ろしたことで気が緩み、ペタンと雪の地面に尻をついてしまう。


 熱に潤む瞳でぼんやりと広場を眺めていたベルトルドが唐突に起き上がる。

 せめてガントレットを付けていればよかったが、それも脱ぎ捨ててしまっていた。小さな白い手を眺める、今ある道具はこれだけだ。


――――――――――――――――――


「……はは、いい加減、頭が朦朧としてきた。」



 適当な斜面を見つけると、深く積もった雪を側面から掘り進め雪洞を掘った。しかし手元にシャベルなどあろうはずもなく、素手と剣の鞘を駆使してようやく掘った穴は辛うじて二人がもぐりこめる程度の大きさ。しかしそれでも雪に吹かれながら掘るには充分に絶望的な大きさだ。


 冷たさのあまり途中から感覚の無くなった手を見る。

 無数の接触で皮膚が剥がれて変色している。でも、それはまだ良い。問題なのは、顔の前に掲げた手すらぼやけてきていることだ。


 身体が異常なほど重く、吐き気と頭痛の双子が陰気な歌を奏でベルトルドを苛む。

 クラクラする頭を振りながら自嘲気味に笑った、これで生き延びられたら奇跡というものだ。


 半ば落ちかけている意識。

 あれやこれや脳裏を過ぎる思考、しかし今身体を動かしているのは、少しでも気温の高い場所を確保してヨハンの命を繋ぐ。それだけだった。


―――――――――――――


 どれくらい時間がたっただろうか。

 ようやく身体をねじ込ませ、空気穴を残して塞いだ壁を吹雪が破槌槌の如く打ち付ける音がする。当たりは暗く、月明かりは雲の向こう。光源の一切ない周囲の中でただただ風と雪、木のしなる音だけが響いていく。


 まるで世界の中で自分だけ取り残されたような錯覚。

 痛みすら磨耗する意識の中で、冷たい雪の壁に身を預けて自然の猛りに耳を傾ける。



(……思えば、遠くに来たなぁ。)



 思い出すのは故郷、日本。

 病室の窓からぼんやりと景色を眺めていた頃は、こんなことになるとは想像もしなかったと微かに口の端を持ち上げる。


 やつれた頬で笑みを作るが、それもプルプルと震えて長く続かない。

 外はおそらく氷点下を軽く下回っているだろう。雪洞はそれよりは遥かにマシだが、それでも暖かいとはお世辞にもいえない。


 傍らから聞こえる寝息。

 しかしそれは風にかき消されるほど小さく、出血は概ね止まっているものの脈は相変わらず弱い。それどころか次第に弱まっていく、乏しい生命の反応に、ベルトルドは残された時間がもはや少ない事を悟った。もし仮に助かったとしても、怪我をしたほうの腕は再起不能だろう。


 

(……、…そもそも無理な話だったんだ。僕がこんな世界で生きていくだなんて、まして、周りの人を守るだなんて。)



 奮闘の末、薄汚れた頬を涙の筋が洗い流していく。

 頬をぬぐおうとして、失敗した。身体は著しい寒さに見舞われたとき、中枢を守ろうと末端から血流を切り捨てていく。酷使に強張る両手、しばらく激情に耐えるように震えて、やがて脱力して壁に小さな身体を預ける。



(……笑えや、しない。)



 せめて虚勢を張って笑おうと思った。

 この世界に放り込んだ悪魔に、自分の存在の小ささを思い知らせてくる自然の脅威に、せめてもの負け惜しみがしたくて。


 しかし口の端をもちあげようとしてみても。

 せめて自嘲の自棄めいた笑いを上げようとしても、喉は震えず言葉は出ない。


 あるのは圧倒的な無力感、無気力感。

 死の恐怖すら、それを前にすると薄れてしまう。吹き付ける風の音に容赦は無い。泣き喚き、命を乞うたとしても答える者は居ない。


 暗闇が続く。

 森の中、森の先の平野、母の待つ暖かな城はもう手の届かない先へ行ってしまった。

 

 母の若い、手放しの笑顔。

 まだ夫を亡くして間もないころに、幼い自分を抱きしめてきた細い腕は震えていたのを思い出す。


 笑顔、怒り顔、悲しげな顔、別れ際、涙で顔をグシャグシャにして泣きつかれた時の顔……。

 色鮮やかな思い出が、かすんで消えていく。手の届かないところへ過ぎ去り、自分は暗く冷たい闇の底に置き去りにされてしまう。


 ベルトルドを苛むのは寂しさだった。

 手にしていた物が次々と零れ落ちていく、最後には何もかも失って死んでいく事がたまらなく寂しかった。


 小さな背を抱きしめる腕は、自然と傍らの温もりを求めていく。

 縋り付いた先、しかしヨハンの身体は次第にその温もりを失っていくのだ。それはゆっくりと、徐々に……だが確実に命が遠のいていく。周囲が闇に閉ざされ、他に何も無いがゆえにそれは鮮明さをもってベルトルドを追い詰めていく。



「……死ぬな、死なないで。 ――…僕を一人にしないでよ…ッ!」



 震える腕で、なんとか命を繋ぎとめようともがく。

 腫れ上がる喉が発した言葉は掠れ、冷たい闇の中へ溶けて、風にまぎれて消えていく。暗闇の中で長い髪を震わせながら、色を失った薄朱色の唇がパクパクと動く。



「……、……助けてよ、ヴァルツァー…。」



 かすれる声で辛うじて紡ぎだした言葉と共に、ベルトルドの意識は再び熱と疲労がもたらすまどろみの中へ沈んでいった。





あと1,2話ほどシリアス展開が続きます。


次は熊男とミリア様のお話。ベルトルド君とヨハンにはいま少し寒い思いをしてもらいますので……舞台裏で湯たんぽを届けに行こう…。

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